第10話 三つ巴
その日はいつものように、日本人街はごく平和だった。
午前中からよく晴れた暑いくらいの日差しで、街では大人も子供も外で外で過ごしていた。サッカーボールで遊ぶ子供たち、昼間から酒を飲んでる大人たち、トランプで賭けをする者、日向ぼっこをする者……このひと時だけは貧しさを忘れ、みな思い思いに楽しく過ごしていた。貧しくとも楽しみはあるのである。
教会では魔遊が詩亜の特訓のもと、オルガンを弾いていた。魔遊が弾きたいと言っていた、詩亜のオリジナル曲である。譜面に書かれた音階と指番号とを見ながら、実際の鍵盤を叩く順番を体に染み込ませるという地味な作業だ。
間違えれば容赦なく詩亜からお叱りの言葉が飛ぶ。すると見ている子供たちから笑いが起こる。
それでも少しは上達した魔遊は、つっかえつっかえながら、なんとなく最初の方は弾けるようになりつつあった。
詩亜は鬼教官になりながらも、この平和がいつまでも続けばいいと願っていた。貧しくとも、心までは貧しくはならない、高貴な気持ちを忘れずにいればきっとこの先の将来は明るいものが待っているはずである、と。
その時だった。街のどこか遠くから地鳴りが聞こえた。ビリビリと振動が教会内にも伝わってくる。子供たちが何事かと身を寄せ合っている。
「なんだ、なにがあったんだ?」
工房から丸越のおっちゃんが出てきた。相当慌ててるようで、両手には工具を持ったままだ。まだ地鳴りは続いている。
魔遊はEDENで護に呼びかけた。すると護の方も呼びかけていた。脳内で会話する。
(何が起きてる? 魔遊?)
(分からない。地震ではなさそうだ)
(EDENには何も情報が上がってない)
(じゃあ、日本人街だけか?)
(恐らくな。今からそっちに行く。春人から連絡はないか?)
(無い。何も分からない)
(よし待ってろ、春人に連絡してみる)
手短に脳内会話を終えると、魔遊は怖がってる子供たちの方へ歩み寄った。反対側には詩亜が子供たちに寄り添っている。おっちゃんはオロオロしてるだけだった。
魔遊は耳をすました。地鳴りとともに悲鳴が上がっているのが聞こえていた。そして地鳴りは街外れの方角から段々と中心部、こちらへと向かっているのが分かる。
魔遊は嫌な予感がしていた。だが、あえて今は言わないでおいた。というより言いたくなかったのだ。
その時、護が春人と丸人を連れて教会に現れた。三人とも息を切らしている。顔は青ざめている。嫌な知らせを持って来たような顔だった。
「パペットの大群が押し寄せてきて、街を破壊している。プリンシパリティーズが攻めてきたんだ!」
護は聞きたくもない言葉を放った。途端に詩亜の表情が曇った。おっちゃんはますますオロオロする。
「いくらプリンシパリティーズでも、何もしてない人達に対して、そこまでの権限はないはずよ。何かの間違いじゃなくて?」
詩亜が冷静に聞き返した。しかし動揺のためか、大きな瞳は焦点が定まっていない。
「そんなこと知るか! 実際にブレイブ・ファング改がたくさんやってきて、手当たり次第、街を壊したり、人に攻撃をしてるんだ!」
護はまくしたてるように叫んだ。ブレイブ・ファング改とは春人が名付けた、バージョンアップ版のブレイブ・ファングである。
子供たちは、護が何を言ってるのか半分も理解できていなかったが、血相を変えた様子にただならぬことが起きていると感じとっていた。そしてまだ何も見ていないのにひとりが泣き出した。次いでふたり目、三人目と、泣き出しついにはみんな泣き出してしまった。
魔遊は立ち上がった。その大きな目は決意にあふれたしっかりとしたものだった。
「魔遊。もしかしてパペットたちと戦うつもり?」
詩亜が子供たちを介抱しながら、魔遊に厳しい一言を言った。
「俺たちがやらなくて誰がやるんだ。大人はアテにはならない。警察や軍もアテにならない。ほかの地区のグリゴリもアテにならない。いつかはこんな日が来ると思っていたんだ。貧民街、それも日本人を根絶やしにするという日が。ほかの白人地区はどんなに貧しくても中国政府から援助を受けてるから、つぶしにかかることはない。日本人はどっちみち駆逐される運命なんだ。それに抵抗して何が悪い」
魔遊はおさまらない怒りとともに教会を飛び出した。護、春人、丸人も一緒に飛び出した。
街は東側から攻められていた。ブレイブ・ファング改の一団を先頭に建物を破壊して回っている。住んでいる家を壊されて、逃げるように飛び出した住人を襲撃する。運が悪ければそこで命を落とす。
そこに魔遊たちが立ちはだかった。しかし先頭に立つ魔遊はか細い貧弱な体つきで、迫力はなかった。
ブレイブ・ファング改は動きを止める。標的が現れて、ここで戦闘モード第二段階に切り替わった。
二頭のブレイブ・ファング改が突っ込んできた。魔遊は怒りに任せて、機械の狼を睨みつけた。すると赤黒い腕が伸び、ブレイブ・ファング改の頭が弾けとんだ。そのまま不格好に倒れる。
次は三頭が突っ込んでくる。魔遊の攻撃は緩まない。護も援護する。護は手を前にかざし、狙いを定めて念を送る。口の部分が爆発し裂けた。命令を受け取るCPUがむき出しになっている。すかさず丸人が風で切り刻むと、ブレイブ・ファング改は沈黙した。
ブレイブ・ファング改の群れは街外れにまで延々と続いていた。百頭以上はいるかもしれない。そしてその群れの中心付近に山のように大きな影が見えていた。
不意にロケット弾が飛んできた。教会の塔に命中し、ガラガラとレンガが崩れ落ちた。よく見ると、小型ジェットを背負って、宙を飛んでいるプリンシパリティーズの人間兵士がロケットランチャーを構えている。滅多に見ないがこんな戦闘員もいるのだ。
「ああっ! 教会が!」
春人が悲鳴を上げた。彼も彼なりに、EDENの賢者ケルビムに協力を要請し続けているのだが、ことごとく断られていた。
教会の一部が崩れたのを見た魔遊は自分の中で何かが外れた。怒りと憎しみにかられ、ブレイブ・ファング改の集団に割って入った。魔遊に触れたり、ほんの少しでも接近しようものなら、たちまち頭が弾けとんだ。野良犬のように情けなく無様に次々とやられていくのを見て、護と丸人も魔遊の後に続いた。
しかし、多勢に無勢である。どんなに魔遊が強かろうと、数で押してきて、少しずつ魔遊たちは後退を余儀なくされた。すると戦闘に直接加わっていない、ブレイブ・ファング改たちが一斉に街中になだれ込んだ。そしてまた破壊行為を行っている。
魔遊の疲労は相当なものだったが、このパペットたちの非道な行いに、何度も怒りの力がこみ上げてくるのだった。そして、また何度目かの集団への切り込み。何十頭も殺したはずなのに一向に減ってきた感じがしない。
不意にブレイブ・ファング改たちが魔遊から離れ始めた。円状に間を開けて、戦闘態勢のまま構えている。魔遊も少し様子を見ることにした。
するとパペットの群れの中心にいた山のようなものが、ゆっくりとこちらに向かってきていた。ズシンズシンと地響きを立てて。
それはゴリラ型のパペットだった。初めて見る。新型だ。
はるかに見上げる大柄な体格、盛り上がった肩、そしてなんといっても太くて頑丈そうな腕である。
お腹の部分がハッチになっていて、開くと中に戦闘服に身を包んだ兵士がいた。人間が操縦するタイプのパペットのようだ。
「貴様ら、よくも大事なパペットたちをやっつけてくれたな。許さんぞガキのくせして。このギガント・アームの威力を見せてやる」
兵士はなれなれしく言ってきた。短髪で筋肉質、彫りの深い顔立ちが印象的である。
「お前、何者だ!」
魔遊は目の前の兵士の、悪意に満ちた感情をモロに受けて嫌な気分になっていた。
今までプリンシパリティーズはパペットが相手だったが、人間と対決するのは初めてだった。警官や軍の人間とは違うものがあった。
「人に名前を聞くときは、自分から名乗るものだガキ。学校で習わなかったか? あ、学校には行ってないか、こりゃ失礼」
兵士は自分で言って自分で笑いだした。
「杏璃魔遊だ」
「なんだと? 貴様が……。ふふふ、探していたよ。俺様はヘマハ。メタトロン様直属の師団隊の隊長を任されている。今日はメタトロン様の命を受けて貴様を殺しにやってきた。細かいことは言わん。ただ、このギガント・アームに殺されるがいい」
ヘマハは装甲のハッチを閉めると、ギガント・アームを起動させた。右腕を後ろに引いたかと思うと、凄まじいスピードで地面を殴りつけた。魔遊はすんでのところで飛び退いた。ギガント・アームは石畳にめり込んだ拳を引き抜いた。
「ははは、そんな程度では逃げれんぞ」
ヘマハはマイクを通して嘲笑を浴びせた。それを聞いて、魔遊はますます嫌な感情が高まっていった。
「魔遊!」
急に護がやってきた。護は全身傷だらけだった。恐らくブレイブ・ファング改の牙にやられたのだろう。
「丸人がやられた……」
「なに?」
「あいつ、自分でいっぺんに何頭ものブレイブ・ファング改を相手にして……でもあいつの智力じゃ到底かなわなくて。教会を守ろうとしたんだよ」
その言葉を聞いて魔遊は怒りが再び燃え上がった。悲しみも同じく染み込んだ。
魔遊はギガント・アームの懐に飛び込もうとしたが、高速のパンチが待っていた。やはりギリギリのところでかわす。ドスンという鈍い音とともに拳が石畳にめり込む。
それを見た護は引き抜こうとしているギガント・アームの腕に両手を当て、渾身の精神を集中させた。轟音とともに、ギガント・アームの右腕のひじから先が爆発した。力を使い果たした護はその場に倒れた。
「き、貴様らぁっ! なんてことしやがる! クソガキどもが! 許さんぞ許さんぞ!」
ギガント・アームは残った左腕を振り回し始めた。懐に入られない作戦のようだ。
そして隙を見てパンチを繰り出す。そしてまた腕を振り回す。
しばらく見ていた魔遊はリズムで動きが読めるようになった。五回腕を回したらパンチが来る。その繰り返しで、ワンパターンだった。
ギガントアームが五回腕を回した。それと同時に魔遊は死角になった右腕側からゆっくり近づく。パンチが石畳に入る。魔遊は右脇腹に両手をあてると、思い切り怒りをぶつけた。憎しみ、悲しみ、痛み……。すると魔遊の体から無数の赤黒い腕が伸びてギガント・アームをつかんだ。
ギガント・アームの動きが止まった。関節の節々から煙が上がる。そして、お腹の部分のハッチが開いて中からヘマハが転げるように飛び出してくる。
「ああ! 苦しい! なんだこの嫌な感じ! 死にそうだ! 恐ろしい!」
ヘマハは死にそうな昆虫のようにのたうちまわっている。そこに魔遊がやってきた。悲しそうな目で見つめると、ヘマハの頭が破裂して静かになった。
待機モードになっていたブレイブ・ファング改たちは、合図でもあったかのように一斉に引き上げていった。辺りは静かになったが、日本人街は打ち壊しにでもあったかのようにめちゃくちゃに破壊の限りを尽くされていた。
すぐ近くで倒れている護。教会の前にボロ雑巾のようになっている丸人。そのそばにもうひとりいるが、春人ではなかろうか。彼はもともと戦闘向きのパワーズではない。
魔遊は虚しくなってきた。怒りの感情をぶつけても、返ってくるものはない。ただ残るのはさみしさと虚しさだけである。魔遊の精神は限界を超えていた。泣きながらその場に倒れ込んだ。
辺りが静かになったのを確認して、宙を飛んでやってきたものがあった。ふたりの男女である。
「心配ないわ、ただ智力を使い果たして気を失っているだけ。この間と同じね」
ところがそこにさらに別の三人の男女が現れた。
「久しぶりだな。ヴァーチャーズの戦士」
ドミニオンズの戦士、アザエル、李美耽、ベルゼバリアルである。
「目的は同じのようね、ドミニオンズさんたち。わたしはヴァーチャーズのアスドナよ。こっちは
本田は背の高い男で、大がらのベルゼバリアルよりも身長がある。ただ色白で痩せているためひ弱な感じは否めない。アスドナも長身な少女であり、品のある顔立ちから能弁で頭が良さそうな雰囲気を漂わせている。
「わざわざあいさつ恐れ入る。先日は次に会ったときはどうなるか分からない。と言っていたと思うが?」
アザエルはわざと
すると李美耽は手から炎を発した。ベルゼバリアルは水柱を発生させた。
「本気でやる気?」
アスドナは目を光らせた。脳内では高速で計算が行われている。本田はふわりと宙に浮いた。
「日本人街はもうめちゃくちゃよ。ここで戦闘でも起こしたら廃墟になるわ」
「そうだな。では平和的に行こうか。俺たちドミニオンズはそこの杏璃魔遊と間紋護が欲しい。それだけだ」
「それはわたしたちも同じ。特に魔遊はセラフィムになりうる智力を秘めているわ。魔遊がセラフィムになれば、新世界を創造できる神になれるわ。これは人類を救うために絶対に必要なものなの。魔遊は人類の宝だわ。今ヴァーチャーズにはセラフィム候補が数人いるけど、数が多ければ多いほどいいわ。それだけ神の候補がいることになるのだから。今ヴァーチャーズの本部にはセラフィムを養成する施設があるわ。魔遊と護をそこへ連れて行って、セラフィムになれるよう指導するの」
「驚いたな……」
アザエルは口をポカンと開けた。アスドナの言葉が、安堂博士とあまりに似ていたからである。今までヴァーチャーズを単なるグリゴリの親玉くらいにしか認識していなかったアザエルにとって、このアスドナの魔遊への思い入れは意外すぎた。と同時にセラフィムを欲している機関どうしライバルであることを再認識した。
「我々も、同様に魔遊と護をセラフィム候補として迎え入れるつもりでいる。彼らを訓練し更なる智力の向上を目指して、少しでもセラフィムに近づけるように協力するものだ。ドミニオンズはARK社所属だが、世界企業のARK社だからこそ人類のためにやらなければならないし、ARK社だからこそ設備の整った環境で育成ができるのだ。だから、我々に渡してほしい」
「ヴァーチャーズでは役不足だと言いたいのかしら?」
「ヴァーチャーズの設備や人員がどの程度かわからんが、少なくとも我々を超えるものではなかろう……お? おお?」
アザエルの体が宙に浮いた。そして自分では制御できないようで、無重力でふわふわ浮いているようにもがいている。本田の智力だ。
それを見た李美耽とベルゼバリアルはとっさに構えた。
「いや大丈夫だ。ただ空中に浮いてるだけだ」
アザエルは李美耽とベルゼバリアルに言った。
「本田君。やめて。ここで争いはしたくないわ」
「アスドナがそういうなら……」
本田はアザエルを地面に降ろした。
「本田とやら。すまないね。すまないついでに魔遊と護を譲って欲しいのだが」
「それはお断りするわ」
「では、君たちが嫌がってる争いをしなくてはならないな。本当は我々も争いごとはしたくない。だが、双方どちらも譲らないのであれば、いたしかたあるまい? 特に本田君!」
アザエルは本田に向かって稲妻を飛ばした。激しい稲光とともに轟音が耳をつんざいた。すると本田はその場に崩れ落ちた。
「本田君! しっかり!」
アスドナが抱き抱える。
「心配はいらない電圧は落としてある。気を失っただけだ。これでもまだ譲ってもらえないかね?」
アスドナは散々悩んだ挙句、渋々魔遊と護を譲ることにした。そして、これ以上今日のところはお互い干渉しないことでその場を立ち去ることにした。アスドナは長身の本田を担ぎながら日本人街を去る。
ARK社への帰り道、アザエルはヴァーチャーズが気になっていた。単なるグリゴリではないこと。同じくセラフィムを探し求めていること。世界を救おうとしていること。ちゃんとしっかりとした思想のもと動いているのが分かっただけでも収穫だった。
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