第9話 秘密の部屋
機密事項の多い中国政府よりも、もっと秘密が多いARK社。世界中のクラッカーがサイバー攻撃を行い、その秘密を探ろうと日夜腐心しているが、強固なガードに守られ秘密は保持されていてる。世界中のどの支社でもである。がしかし、マン・マシーンを装着した強大な智力を持った者により、その牙城も少しずつ崩れつつあった。つまり情報が漏れ出しているのである。
ARK社上海支部に、その中でも特に秘密の部屋がある。
社内上層部しか知らない秘密の部屋は、どの階のどの辺りにあるのかはもちろん、その部屋の存在すら知らない社員の方が多い。身内であっても機密事項は数多くあるのだ。
簡素な長方形の部屋にはこれまた簡素な長机が置かれ、その上にディスプレイがずらりと並んでいる。
部屋には窓はなく照明をつけても薄暗く、端の方はよく見えない。
この部屋に安堂博士が入ってきた。次いですらりと背の高いドミニオンズ隊員が入ってくる。安堂博士は厳重に部屋の鍵を内側からかけた。
長机の真向かいにひとつ木製の机がぽつんとある。机と机の間にはコードが幾本も絡み合うようにのびている。そのコードの数本が木製の机につながっていて、その先にはマイクとカメラがセットされている。
安堂博士はゆっくりと木製の机についた。ドミニオンズ隊員は博士の後ろで控えている。この隊員はいつも博士の一歩後ろについている。アザエルたちとは違う、特別扱いであることは明白だ。
安堂博士が机の上のボタンを押すと、長机の上のディスプレイたちが光りだした。
各ディスプレイに映し出されたのは三人の人物たちだったが、それぞれ顔が判別できない映り方をしているため、どんな人物なのか特定できない。首から下しか見えない者、後ろ姿の者、顔を映していても口だけである者。
安堂博士もカメラ位置を調整して、肩から腕にかけてしか映らないようにしている。
「安堂君。五分の遅刻だな。時間厳守してもらわないと困るのだが」
口だけ映ってる男が叱責した。歯並びの悪い、見た目の良くない口だった。
「いえ、ラグエ殿どうしても急ぎでやらなければならない事柄がありまして」
安堂博士は歯並びの悪いラグエという男に身振り手振りで説明した。
「やめたまえ安堂君。言い訳など見苦しい」
後ろ向きの男が
「は、サラカ殿」
安堂博士は額の汗をハンカチでぬぐった。彼らは世界中のARK社支部の上層部の人間である。彼らの思惑ひとつで首のひとつやふたついくらでも飛ぶのだ。だが、安堂博士は彼らに取り合って、現在の上海支部でドミニオンズを任され、研究実験を行っているのだ。
「で、我々を呼び出したからには、何か重大な事案があってのことだろうな?」
ネクタイしか映っていないためどんな人物なのかさっぱりわからない男がネチネチとした口調で言った。
「は、レミ殿。実は……」
「待ちたまえ!」
安堂博士が説明しようとしたその時、口だけのラグエが大声を上げた。
「安堂君、EDENからログアウトしたまえ。そんな初歩的なこともうっかり忘れるとは意外だな。だからグリゴリたちに情報が漏れるのではないのかね?」
安堂博士は指摘されて初めて自分のミスに気づいた。そして慌ててEDENからログアウトする。
この部屋から世界中のARK社支部と接続されているのはもちろん極秘なのだが、どんな優秀なアークエンジェルズでもここでの会話を盗み見ることはできない。
なぜならここで使われている回線はEDENではなく、前時代のケーブルを使ったネット回線だからである。EDENが普及し、脳内端末でやり取りする時代にあって、わざと昔の回線を使っているのである。驚くべきは昔の回線が残っていて、なおかつまだ使えるところである。回線速度は遅く、映像はたまに途切れるが、会話や会議を行うには十分であった。
「改めまして。先日報告いたしました、上海市での巨大な智力のログの持ち主が判明しました。日本人街に住む少年です。貧民です。智力はネガティブ・ジェネレイター。すさまじい破壊力を秘めています。それともうひとり。同じく日本人街の少年でブラスト・ディザイアを使います。こちらはまだ智力を発揮しきっていませんが、訓練次第では伸びる可能性があります」
「ふむ。また貧民街出身か……。非公認エンジニアによるマン・マシーンが蔓延している証拠だな。しかも、アークエンジェルズ発現率が高いときたもんだ。ノックヘッドの出番は無しか?」
ネクタイのレミはまたしてもネチネチと言った。半分笑いながらだった。
「新型のノックヘッドには従来とは違った性能が備わっておるわ」
後ろ姿のサラカが太い声で一喝した。
「そんなことよりも、その日本人ふたりは捕らえることができるのかね? そして彼らにセラフィムの素質があるかどうか、見極めが必要だな」
口だけのラグエは安堂博士に問い詰めた。
「は、まだ捕えるところまではいっておりませんが、計画は進行中です。ネガティブ・ジェネレイターの少年は、すでにセラフィム候補です」
「松田はどうなっている? 彼もセラフィム候補なのだろう?」
安堂博士は後ろを振り向いた。すらりと背の高いドミニオンズ隊員、松田である。
「順調です。目下、一番のセラフィム候補です」
安堂博士の言葉に松田は黙ったまま頭を下げた。
「セラフィムは選ばれた者一人だけですが、候補者は多いに越したことはありません。互いに競い合って、智力を高め合うという、相乗効果が期待できるからです」
「では早急にそのセラフィム候補を捕らえたまえ」
口だけのラグエはピシリと言い切った。
「実はヴァーチャーズも彼らを狙っています。プリンシパリティーズも。ヴァーチャーズは仲間に引き入れたい様子ですが、プリンシパリティーズ……メタトロンは彼らを抹殺したい模様です」
安堂博士は現状を訴えた。
「ふむ、確かに君がそれだけ買っている程の智力なら、ヴァーチャーズも欲しいところだろう。気になるのはプリンシパリティーズだな。いやメタトロンか」
ネクタイのレミは両肘を立て手を組み、その上にアゴを乗せた。考え事をしているようだ。
「恐らく
安堂博士は案じるような口調になった。
「君が弱気でどうする。こんな時のためのドミニオンズ戦士ではないのかね? 総動員してでもセラフィム候補を手中にするように」
後ろ姿のサラカが椅子をきしませながら大声を上げた。怒っているのではなく、あくまで喝を入れているに過ぎない。
「はい。承知しております」
安堂博士は頭を下げたが、ディスプレイにはその様子は映っていなかった。
「しかし、問題はメタトロンだな」
ディスプレイの向こう側の三人は口をそろえるように言った。
「奴の独断ぶりは目に余るものがある。プリンシパリティーズは独立部隊だと名乗っているが、あくまでARK社の一機関に過ぎない。しかし、メタトロンは私物扱いしている。更にはまるで宗教指導者のようなことをして、世界中から不正な資金を受けているというではないか。どうも金の流れは資金洗浄しているらしいが、そこから先の証拠がつかめん。今のままでは責任追及できない。しかし、元はただの一兵卒に過ぎなかったのをARK社上海支部のパペット隊警備責任者に任命してやったのが間違いだったか……そこから十四年前だったか、日本沈没事故をきっかけにプリンシパリティーズという組織を立ち上げ、パペットを使って犯罪者を捕まえ始めたのだな」
口だけのラグエは苦々しそうに言った。実際、何度も歯噛みしながら言っていた。
「とにかく、セラフィム候補を含めて、メタトロンの処遇も考えなければならんな」
ラグエは感情的になったのを、修正するように落ち着いて言った。
「では、次回の報告では、いい結果を待っているぞ」
ネクタイのレミは半笑いしながら言った。だが、その裏には失敗は許されないというプレッシャーが見え隠れしていた。
「全てはMADのために」
安堂博士を含め四人が唱和して、ディスプレイが切れた。
また安堂博士は額の汗をハンカチで拭った。立ち上がると少しよろけた、慌てて松田が手を添える。
「すまない。ちょっと緊張しすぎたようだ。松田、聞いての通りだ。日本人街のグリゴリからふたりスカウトするぞ。お前が出向くことはない、アザエルたちに任せておけば大丈夫だろう」
安堂博士は秘密の部屋の電源を落とすと、入ってきた扉からまた出ていった。ARK社上海支部のどこにあるのかわからない秘密の場所から、ドミニオンズの72階へと移動した。
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