第8話 メタトロン

 上海市郊外には、ショッピングモールに負けないくらいの、巨大構造物があった。

 ARK社直属でありながら独立部隊の、プリンシパリティーズパペット工場である。ここから生産されたパペットは世界各地のプリンパリティーズ支部に送られている。

 独立部隊と言っても、全世界の支部がARK社からの独立をしているのかというと、必ずしもそうでもなかった。上海支部だけが特別なのである。その特別たるゆえんは、上海支部の司令官メタトロンの存在が大きかった。

 彼はプリンシパリティーズ司令官という肩書きの他、指導者としての肩書きもあった。彼を支持するものは多い。

 メタトロン曰く、今日こんにちの世界の乱れは、アークエンジェルズやパワーズ、フォーリンエンジェルズやグリゴリたちのせいだと断言していた。彼らこそ、世界中の人々を惑わし、力のないエンジェルを苦しめている元凶、としている。

 この言葉がアークエンジェルズの能力が発現しない人々をひきつけ、勇気づけていた。ただ単にEDENに接続できることしか取り柄のないエンジェル達にとって、未知なる能力を手にしたアークエンジェルズたちは脅威に見えるのである。

 そしてメタトロンは自らが率いるプリンシパリティーズこそが世界を平和に導く指針となると断言している。パペット軍団によるテロリスト壊滅やフォーリンエンジェルズ、グリゴリ掃討などの功績がまさに実証して見せていた。

 これらの実績から、世界中のエンジェルの富裕層たちから支持を集めるようになったメタトロンは、彼らから不正なカネを受け取るようになった。その頃から、メタトロンは宗教指導者のような行動を取るようになった。EDEN上で読める自己啓発本を出版したり、富裕層向けのセミナー、護身用パペットの個人販売。搾り取れるカネはいくらでも搾り取っていった。カネさえ出せば会員制でプリンシパリティーズのサークルに入り、今の乱れた社会の元凶であるアークエンジェルズたちを排除することにより、自分たちは救われるというものだ。

 その資金を元に従来のパペット工場から新工場に建て替え、巨大で最新の施設に変えてしまった。

 そしてさらに象徴的なのが、工場の敷地内に建てられたメタトロンの私邸である。贅を尽くしたその造りは洋風の真っ白に塗られた館だった。

 普段メタトロンはこの私邸から外に出ることはめったにない。その姿を見ることすら珍しいのだが、私邸の二階中央にはバルコニーがあり、まれにそこに立つことがある。前庭に集まった支持者に向かって語りかける時である。マイクを通して、高級スピーカーから大きな声を轟かせるのだ。

 この日、私邸の駐車場には高級車がずらりと並ぶ盛大な光景が見られた。上海中の富豪たちが、わざわざ郊外のこの場所までやってきたのである。

 そして私邸の前庭に集まる。知り合い同士で握手を交わしたり、初対面同士なら名刺交換を行っている。ちょっとした社交場である。

 その隙間をメイドパペットが飲み物をトレイに乗せて歩き回っている。見た目は無骨な機械だったが、礼儀作法は女性そのものだった。さらにメイドパペットは要人護衛くらいならできるすぐれものだった。普段はメイドらしくおしとやかにしているが、いざとなれば私邸の護衛となるのだ。そしてこれを見た富裕層が我も我もと注文が相次ぎ、またしてもビジネスになるのである。

 一応人間のプリンパリティーズ兵士もいるにはいたが、彼らにはあまり役割りはない。パペットの管理的業務が主なものである。彼らは、メイドパペットに異常がないかどうかチェックしているだけで、集まった富裕層たちの後方で待機していた。

 前庭に集まった人たちは皆、プリンシパリティーズの会員メンバーであり、特別招待された人たちである。だからと言って戦闘に加わったりするわけではない。組織に会費を払い、セミナーに参加し、月に一回程度行われる会食に招待されるのである。そしてなにより、世界をアークエンジェルズたちの脅威から救う、と断言するメタトロンのもと新世界を作り上げようとしているのである。

 彼らの掲げる理想郷とは、数十年前まであった、まだアークエンジェルズの登場しない世界に戻そうというものである。未来志向ではなく、過去に固執した懐古主義的な考えなのだ。金持ちの老人たちが、あの頃は良かった、と言っているようなものである。

 その時、前庭にいた人たちから歓声が上がった。メタトロンがバルコニーに姿を現したからである。

 金持ち連中から支持の厚いメタトロンは、全身真っ白な服に身を包み、小太りの初老の男だった。頭はすっかりはげ上がり、あごひげを無造作に伸ばしている。

 メタトロンは人差し指でマイクをトントンと叩いた。

「世界に安定と秩序を!」

 独特のしゃがれ声のメタトロンが呼びかけると、前庭に集まった富豪たちも呼応した。

「世界に安定と秩序を!」

 これが集会の始まりのいつものあいさつなのである。

「日頃の皆様の献金感謝しております。おかげさまでパペット工場内に新たなラインを作り設備投資も出来ることとなりました。より一層パペットが世界中に広がり、平和のために監視を続けることができます」

 その言葉に観衆は歓声を上げた。自分たちの献金が世界平和に役立っているという実感が沸いてくるからである。

「さて今日、皆様に集まっていただいたのは他でもなく、緊急のおしらせがあるからです。先日、下流層やスラムの貧民たちがデモを行い、警察隊や軍と衝突したのはご存知かと思われます」

 観衆はブーイングに近い声を上げた。彼らにとって下流層や貧困層も敵なのである。あくまで富裕層のエンジェルたちによる集まりであって、カネのない連中は害虫でしかないのだった。かろうじて一部の中流層は仲間と認められている程度だ。

「その喧騒の中、上海市各地からグリゴリ団が集まり、混乱を更に大きなものとしました。わたくし共のブレイブ・ファングが応戦にあたりましたが、彼らの凶悪極まりない智力で破壊し尽くされました。そこでかねてより実戦投入を予定していた新型のブレイブ・ファングで応戦し、さらに強力なアングリー・ブルを投入しました。がしかし、恐ろしい智力を持ったフォーリンエンジェルズの前になすすべはありませんでした。実に悪魔的な力を持った奴です」

 観衆はすっかり黙り込んでメタトロンの言葉を聞き入っている。

「しかし、我々は見事、そのフォーリンエンジェルズの居所を突き止めました。ブレード・ウイングで後をつけて行った結果、日本人街に住む日本人だと判明しました。ここ最近、上海市を脅かす強悪なグリゴリ団は日本人なのです!」

 日本人と聞いて、観衆は一斉に騒ぎ出した。「よりによって日本人か?」と口々に叫んでいる。

 前庭に集まった富豪たちは大半が中国人であるから、日本人に対して悪感情しかない。彼らにとってみれば、スラムとは言え住居を与えてやっているのに、平和を乱すような行為を行っている日本人は、恩を仇で返すように思えるのだ。

「皆様ご記憶でしょうか? 十四年前、日本で起きたあの災厄を。日本で起きた謎の巨大地震です。あれは地震でもなんでもなく、フォーリンエンジェルズが引き起こした事件なのです。これにより日本の国土の半分は海に沈みました。その後の日本経済没落は皆様ご存知の通りです。また原発や化学工場も海に沈み、未曾有みぞうの環境汚染を引き起こしました。恐ろしい智力です。日本人アークエンジェルズは危険な存在なのです。悪です。根絶やしにしなければなりません。今、日本人街襲撃に向けて着々と準備中です。近日中には朗報をお知らせすることになります」

 でっぷりと出た腹を突き出すメタトロンの自信たっぷりの言葉に、観衆は拍手喝采だった。

「秩序を乱すものは根絶やしに!」

 メタトロンはいつもの締めの言葉を叫んだ。観衆はそれに呼応する。

「それこそが神のことばなり。皆様は必ずや救われます」

 その言葉とともにメタトロンはバルコニーから私邸へと消えた。観衆はいつ止むともしれない歓声を上げ続けている。

 メタトロンは私邸の奥の広い自室に戻った。

 世界中の美術館から半ば強引にかき集めた、絵画や彫刻などの美術品がある一方、続き間になっている寝室には怪しげでいかがわしい器具が並んでいた。

「メタトロン様いかがなさいました」

 寝室からメイド姿の少女が姿を現した。可憐な面影の少女は、明らかに薄汚れた風体のメタトロンとは不釣り合いだったが、かいがいしくも演説を終えていつもと様子の違う主人を気づかっていた。

 聴衆の前で演説を振るったあとのメタトロンは、いつも興奮を抑えきれないのだった。そして少女をニヤニヤと見つめ、寝室へと連れて入っていった。

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