第1話 それは突然に



 それは前日の朝に遡る。

 冷たく凍えるような空気が肌に突き刺さり、青々とした空からは寒さを和らげるように温かな日差しが送られる。季節は冬。春が近づく2月下旬のことだった。

 最寄りの駅から少し離れた場所、ひっそりと佇む神社の敷地を囲む塀に寄りかかりながら、修はスマートフォンを操作する。SNSにきていた駅に着いたという連絡を読んだところだった。画面を確認したところで返信はせず、そのままリュックのポケットに突っ込んだ彼は、顔を上げて辺りを見渡す。連絡が来たのは5分ほど前だったため、そろそろ姿が見えてもおかしくないだろうと思ったのだ。

 案の定、駅方面からこちらに向けて駆けてくる人影を見つける。もうすぐ3月とはいえ、今年はまだまだ冷える。にもかかわらず殆ど防寒具を付けていない友人の姿に相変わらずだと密かに嘆息した。


「おーい、修! 待ったか-?」

「10分待った。また寝坊しただろ」

「バッカおまえ、ここは『いや、オレも来たとこだ』っていう場面だろ!」

「人を待たせておいて謝りもしないお前が、よくそんなこと言えるな……。てか、見てて寒いよひかる


 呆れ混じりにめつけると、輝は意味が分からないとばかりに自分の格好を見下ろす。帽子もマフラーも手袋もなく、青のチェックシャツのボタンは鎖骨が見えるまで開けられている。中に着ている黒のタンクトップも到底防寒の機能があるように見えない。下は紺のデニムパンツに黒いロングブーツと露出はないが、それだけだ。肩まで掛かる茶髪も襟元で固く縛られている。

 対する修は油断なくがっちり着込んだ格好で、まさしく冬といった出で立ちだ。赤と黒のチェック柄マフラーを首に巻き付け、厚手の赤いパーカーを羽織り、さらには保温性の高い黒の長袖シャツを重ね着している。黒のジーンズにスニーカーと、実に動きやすい格好でもある。

 隣に並ぶと輝の軽装ぶりがよく目立つものの、本人はたいして苦に思っていないようで、けろっとした表情で首を傾げていた。


「そっかあ? オレとしちゃ修のが暑そうに見えっけどな」

「俺が普通なんだよ。……てか、せめて手は温めとけよ。手袋貸してやるから」

「いーよ、めんどいし」

「もうすぐピアノの発表会あるんだろ? だから、ほら」


 渋る輝に有無を言わさずリュックから取り出した手袋を手渡す修。赤糸で幾何学模様を描いた紺の手袋は輝が付けても違和感はなく、はめてみるとじんわりと温かくなるのを感じる。

 両手にあるそれをしげしげと見つめながら、輝はこぼすようにぽつ、と呟いた。


「……紳士というかフェミニストというかねえ、修クンは」

「や、フェミニストはむしろお前だろう。女たらしめ」

「いいじゃん、カワイイは正義だよ」


 ま、同性愛の趣味はないけどね。

 そううそぶき、お茶目にウインクする姿はまさしく好青年、といった風体だ。そんな彼女、鳴沢なるさわひかるは今年で高校の2学年に進む女子高生である。整った中性的な顔立ちと女性好きと公言する言動や態度からよく男性と間違われるのだが、本人は男装をしているつもりは一切無いらしい。ただ動きやすいから着ているだけだとよく主張している。スカートも嫌いではない。パンツスタイルを好むのは他にも理由はあるのだが、それでも特に深い理由はない。

 ただ極端に女扱いされることが苦手らしく、修もそれをわかっているから普段からさして気遣う様子もないのだ。


「んじゃ、中入ろうぜー」

「おお。……てか、まだ呼び出された理由聞いてないんだけど。何すんだよ?」

「あり? 言ってなかったっけか…」


 きょとん、と目を丸くした輝が修を見つめる。人をからかうのが趣味と自負する彼女ではあるが今回は本当に伝え忘れていただけのようだ。悪戯を仕掛けるときいつも傍にいる相方に比べやや抜けている輝らしい、と怒る気も失せた顔で苦笑する。

 それをどう捉えたのか、輝は気恥ずかしげに目を逸らしながら心なしか語調を早めまくし立てるように話し出した。


「あーっとだな、まあうん、なんだ、頼まれごとってか、パシリっつーか、な! ちょいとここの清掃を頼まれてよ!」

「頼まれごと……なあ」


 それを聞いて、ふと浮かんだ人物の顔に修は大方を理解した。


「はあ……か。お前も大変だな」

「ハハハ……」


 自然と眉が寄ってしまうのを抑えられず、それをごまかすように輝の背を少し強めにはたいてねぎらってやる。強すぎたか急に叩いたからか、輝はむせた。が、気にせず修はその見るからに手入れのされていない様子の境内に向かって歩を進めた。


 をした人物に、親友をこれ以上虐げられないために。





  *  *  *





 ――さっそく掃除を始めようとした、筈なのだ。

 

「……ここ、どこだよ」


 昇りきった太陽に照らされるなか、修は草花の薫る野原に寝転んだ状態で目を覚ました。

 寝起きのぼうっとした頭でしばらく空を眺めていた修だったが、顔にかかる草の感触にようやく自分がどこで寝ていたのかを知る。

 上体を起こして緩慢な動きで周囲を見回すも、目に入るのは先程までいたはずの神社ではなく、ただひたすら草が生えた地面と近くを流れる小川のみ。草原のはるか先は地平線か林が見えるばかりであり、人影どころか家らしきものも見当たらない。


「……いやいや、え? ……ちょっと待て落ち着こう俺。神社にいたのになんでこんなとこにいんの俺……!」


 覚醒しだした思考でうんうんと唸りながら自分の記憶を遡る。が、覚えているのは輝と神社に入り掃除道具を探していたあたりまで。それより後のことは糸がぶっつりちぎれたかのように真っ黒だ。どう頑張っても今いる場所には結びつきそうにない。

 状況をなにも把握できないまま、戸惑いを露わに修は空を仰ぐ。すん、と息を吸えば都会とは違うひどく澄んだ空気が鼻に抜ける。田舎にいるよりもずっと綺麗なそれは、周りの風景と相俟あいまって不安に澱む修の心を和らげる。

 溢れる大自然に段々と落ち着きを取り戻し始めると、そこで緊張の糸がほぐれたのか……


  ぐるるるるる……



「…………腹減ったなあ」


 お腹に手を当て切なげに声を上げる修。なんせ輝とは朝から待ち合わせしていたのだ。あれからどれだけ経っているかはわからないが、太陽が真上にきていることを考えても今は昼過ぎに違いない。成長期まっただ中の健全な男子には、お昼を抜くなんて考えられないのだ。

 現状は理解できていないものの、今は考えても仕方ないと判断することにした修は、さっと周囲を見回す。自分のリュックには昼用の弁当が入っているはずなのだ。幸いにも荷物は近くに転がっていたため、座ったままに手をうんと伸ばしてリュックの紐を指に引っかけた。


「よし! ……あ、中身腐ってないよな……?」


 膝の上まで引き寄せたそれを開けて、弁当の入った巾着を取り出す。恐る恐る中の蓋を開けてみれば、そこには色彩豊かな3段弁当が顔を出した。冷め切ってはいるが、見たところ傷んだ様子はない。そのことにほっと息を吐きながら、修は膝に弁当を乗せた。


「まずは腹ごなしだよな。腹が減っては何とやら、だ!」



 その後。

 いただきます。という言葉が大きく草原に響いた。





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