ルチルストーン伝記

花鶏

異世界来訪編

第0話 世界は変われども




 ヒュロロロロ、と頭上から聞こえる鳴き声にしゅうは顔を上げた。見上げた先にあるものは雲のない一面の青空と、空を縦横無尽に飛び交う数羽の鳥だけだ。ハトに近い姿で橙色の羽毛をもつ鳥たちは、低い鳴き声を上げながら上空を回ったり、木の枝に留まっては毛繕いに夢中になっている。

 しばらくの間それらをぼうっと眺めていた修だが、ふと誰かに呼ばれた気がして視線を戻した。

 すると、修に向かって手を振りながら駆けてくる人物がいることに気づく。12、3歳ほどの外見で、緑色の髪をもつその少年は修の近くで足を止めると、少しねたような表情を向けてきた。


「おうエリル、どうした?」

「どうしたは無いだろ、シュウの兄ちゃん! 何度も呼んでたってのに!」

「え、そうなのか?」


 きょとん、と目を丸くする。同時に悪いことをしたと修は苦笑した。自分としてはただ景色を楽しんでいただけだったのだが、まさか見とれすぎて何度も呼びかけてくれただろうエリルの声にも気づかなかったとは。

 罰が悪そうに頭を掻く修を見て、エリルは呆れたように溜息をつく。


「まったく、兄ちゃんってばボーッとし過ぎだよ」

「わ、悪かった……つい景色が綺麗でさ」

「そんなの当たり前だろ! なんたってオレ達の村だからな!」

「ははっ、そうだな」


 修の言葉に、途端それまでの不機嫌顔を緩めて偉そうに胸を張るエリル。その様からよほどこの村が自慢であり誇りで、どれだけ大事にしているかが分かり、修はつられたように笑みを浮かべる。

 それから堰を切ったように日々の生活の苦労ぶりや隣に住む牛飼いの笑い話、この場所で採れる自慢の食べ物についてを体いっぱいに語り出したエリル。だいたい10分経ったあたりでようやく自分がここに来た目的を思い出し、途端に慌てた様子で修を見上げた。

 見上げるとはいっても、彼との差は頭ひとつ分もないのだが。


「あっ、思い出した! オレ、シュウ兄ちゃんを呼んで来いって言われてんだった!」

「俺を? 何かあったっけ」

「へへ、母ちゃんが一緒に昼メシ食べようってさ。もう出来てると思うぜ!」

「おお……」


 思わず声が漏れる。ちょうど昼をどうしようかと考えていたからだ。何しろ修は早朝に此処に着いたばかりでこの辺りの勝手も知らなければ、食べるためのお金も持っていない。さらに言うと泊まる場所も無いのだ。

 そんな貧相な事情を知ってか知らずか、なんとも有り難い申し出をしてくれたエリルの母に修は感動した。

 だが、やはり気が引けるのは何も返せない申し訳なさか。すぐに気分が沈み断ろうとした修だが、エリルが察したように遮る。


「いらねえとか言うなよな。うちの母ちゃん怒ると鬼ババアになるから、せっかく作ったメシいらねえなんて言ったらどうなるか…」

「エリル、余計なこと言うんじゃないよ」


 あ、と。エリルの後ろから近づいて来る人物に気づくも既に遅く、次の瞬間には彼に向けて容赦の無い拳骨が振り下ろされていた。鈍器で殴ったような鈍い音と呻き声がエリルから聞こえるとともに衝撃でうずくまる。その姿に修は顔を引きつらせる。心なしか煙が上がっている。


「……あ、ど、どうもリィナさん」

「おおシュウちゃん、どうだいこの村は。何も無くて若いアンタにはつまらないだろう?」

「いやいや、そんなことないです。空気が澄んでてのどかだし、村の人も凄く親切で、ほんと……すごい良くしてもらったし」

「ハハッ、嬉しいこと言ってくれるねえ」


 そう言って快活に笑う恰幅な女性、リィナ・ハウエルを前に、たしかにこの人は怒らせてはいけないと冷や汗を掻きつつも正直な感想を伝える。突然現れ、見るからに不審な自分を最初は警戒していたものの、村の人たちは驚くほどの早さで迎え入れてくれたのだ。歓迎され温かいスープをもらったときは思わず涙腺が緩みかけ、そこで自分が如何に疲労していたかが実感できた。それからも事あるごとに気にかけに来てくれる彼らの姿に、修は感謝してもしきれない恩があるし、中でも特に世話を焼いてくれているリィナたちに申し訳なさも感じている。

 自分になにかできる事はないだろうかと考えながらふと下を見ると、それまで痛みに呻いていたエリルが涙目で立ち上がるところだった。


「……~ってえな、何すんだよ母ちゃん!」

「黙りなエリル。呼びに行くだけなのにどれだけ時間掛けてんだい!」

「しょうがないじゃん! 兄ちゃん何処いるのか分かんなかったんだし!」

「言い訳は結構。これ以上グダグダ言うなら今日の仕事増やすからね」

「げっ……うう、分かったよ……」


 互いに負けず劣らずな大声を張りながら言い合う両者だったが、さすがは母というべきか、エリルはリィナの問答に敵わず、泣く泣く押し黙る形となった。まあ事の発端はエリルから出た悪口であるし、何より威圧感を増して佇む彼女を前にしては何も無くとも肩を縮めてしまうことだろう。自分もケンカの理由のひとつになっているようだったが、口を挟む度胸も無かったため、修はもはや何も言うまいと2人に案内されるまま足を進めることにした。

 歩き出して5分もせずにたどり着いた場所でまず見たのは、色とりどりの食べ物が育てられている不思議な畑だった。10メートル四方とやや小さくはあるが、一家族なら十分養えるだろう広さだ。そこに植えられているのは修が見たこともないものばかりで、1メートルはある巨大な黄色いトマトもどきや、青い葉っぱをもつ植物、中には見るからに食用とは思えない紫の動く実をつけたものまであった。後で聞いたことだが、その実はレニオンという豆の一種であり、煮て食べると肉のような食感がして美味しいのだという。まったく想像がつかない。

 親子の家は畑の隣にあり、見ると木造の小さな小屋のような建物を発見する。小さいとはいっても修にとっての普通の家が大抵2階建てのものばかりだっただけで、この村ではごく一般的な部類に入るらしい。都会では見ないだろう簡素な作りをしていて、木枠で出来た窓から嗅いだことのない良い香りが鼻腔をくすぐった。すると急に思い出したかのように空腹感が襲ってくる。そういえば、結局朝にもらったスープ以外、何も口にしていなかった。


「さあさあ、早くお上がり。シュウちゃんも腹減ったろ」

「本当にありがとうございます、お邪魔します」

「たっだいまー!」


 そんな修を察してか否か、リィナはさっさと扉を開けて彼を促す。そして先程までと打って変わって元気になったエリルと共に家の中へ進み、温かい空気に包まれながら室内を見渡した。

 中は予想していたとおり木造のワンルームといったところだ。端のほうに炊事場があり、がらんと空いた中央には小さなテーブルがひとつ置かれている。床には獣かなにかの毛皮をなめしたものが敷かれ、縫いかけの麻布が壁際にあるかごの中から覗いている。ほかにも生活に必要とわかる道具や見たこともない物があちこちにあったりと、初めて見る景色に修の視線もせわしなく動く。

 リィナはそれにやや不思議そうな顔をしつつ、しかし気にしないことにしたのか何事もなくエリルを見遣った。


「じゃ、すぐ用意してくるから待ってておくれ。エリル、アンタは手伝いな」

「ええー、ヤだよ!」


 不満げに声を上げるエリル。彼はもっと修に話を聞かせてやりかったらしく、なかなか扉の前から動こうとしない彼を家の中へ引っ張りながらリィナに反発する。

 が、勿論リィナがそれを許す筈がない。


「客人に手伝わせてたまるかい。ほら、さっさと来ないとアンタの分は無いよ!」

「わわっ、それはカンベンしてよ!」


 食べ盛りの子どもに朝食抜きというのはやはり厳しいようだ。それまでの抵抗が嘘のようにすんなりとリィナの元へ向かっていく後ろ姿に、修は思わず頬をゆるませた。

 一応修も手伝いを申し出たが先の言葉通りあっさりと断られ、素直に席についていた方が良いだろうと判断してテーブルの一角に腰を下ろす。自分が普段使っていたような透き通る色をしたガラスでも、やすりで平らにされた手触りの良い木のそれでもなく、そこにあるのは半径30センチほどの丸木を縦半分に切り、切断面を上にして四隅を木で簡単に固定したような素朴な長テーブルであった。ある程度ならしてはいるもののあちこちに引っかかりのあるテーブルはやや歪で傾いて見えるが、それでもどっしりと構える姿はいかにも頑丈で、揺らぐことのない土台がより一層それを強調している。

 それをそっと撫でるように触れてから、修はふと息を吐いた。こうしてゆっくり考える時間ができた今、やっと遅れて疲労が襲ってくる。ずん、と重くなった頭を振り、そして後ろを振り返る。部屋の隅にある熱したかまどから食事を盛っている親子の姿が視界に映り、さらにその奥に見える窓からの景色が、修が未だに胸中で否定してきた現実を知らしめていた。

 実にのどかだった。

 電気もない。水道もない。暗い道を歩くときに点いている街灯も、家の前を通る車も、ゲームに夢中になる子どもすら、この場所に修の日常で見る光景は何一つない。代わりに広がっているのは、小枝をかき集めて起こした火に、近くの川から引いた飲み水用の水路や畑に使う溜め池、薄暗い部屋をほんのり明るくする白い光を放つ草花。仕事に使うのだろうか、重そうな道具を肩に担いで運ぶ大人達について仕事の話をする子どもの姿が見られ、当たり前のように生活の一部と化している。

 誰もが一生懸命に働いていて、そして笑顔の絶えない温かな景色を眺めながら、修は呆然と、また噛み締めるように息を吐いた。


 ここに来て半日以上は経つが、どうにも信じられない。



「……まさか、違う世界に来るなんて……」



 こんなこと、誰が信じられるだろう。









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