エピローグ

 誰も死なない、誰も殺さない――それが、このゲームにとっての大ダメージである。


 けれど、私は殺意を抑え切れなかった。

 人を殺す――それは、このゲームに最大の敗北感を与える目的に反している。

 ならば、こんな手段しか取れなった私も、敗者の一人だ。

 それでもいい。

 トップの人間ではなくても、主催者の一人である、こいつが許せなかった。

 そう。こんな奴、組織のごく一部に過ぎない。

 この程度で、ジョウが遺した頼みごとをやり遂げたと思ってはいけないのだ。

 全てが終わるまで、ジョウはきっと、私の、この世からのドロップアウトを認めてくれないだろう。

 生きている限り、辛いゲームが続くかも知れない。

 何度も、何度も、終われば始まり、死ぬまで続く、無限回廊。

 まるで、カードをどれだけ取っても、一生合わない、ババぬきのように。

「そういうことを暗示していたの? このゲームは」


 私は、バラバラにしたジョーカーをポケットからつまみ出し、焼香のように老体へと散らした。

 この老害の死が、新たなステージへの扉になる予感がした。

 しかし、選べる扉は、他にない。

 私の心に、迷いはなかった。


 ホールに出るドア。

 ホールから、暗い廊下へ続く、両開き扉。

 暗い廊下から、建物の外へ出る鉄扉。

 開ける度に、私は非日常へと戻っていく。

 同時に私は、私の中にある、日常へのドアに鍵を掛けていった。


 建物の外では、ジープが一台待機していた。他には誰もいない。

 運転席にはキングがいて、後部座席にはジャックと、黒バンダナの女が並んでいた。

「無事でなにより」

 助手席に乗り込むなり、カーナビを操作しながらキングが声を掛けてきた。

 エンジンがかかると、振動で頭の傷口が疼いた。それを察したのか、後ろからジャックがタオルを投げてくれた。

「無事なものですか」

 私は、タオルで傷口を押さえながら微笑んだ。

 こんなものは、すぐに治る。頭部だから傷も目立たないはずだ。

それよりも、ジグジグと痛む傷があった。

 こっちは早く治療しないと、傷跡が残るかも知れない。

「私の携帯電話を」

 バックミラーに映るジャックに目を遣ると、すぐに黒い巾着袋を肩越しにくれた。

 電源をオンにする。電波を示すアンテナは見事に三本並んでいた。これがヒントになって、エースは私たちの作戦の尻尾を掴んだのかと思うと、なんだか笑えてきた。

 発信履歴から目的の番号を探してダイヤルする。三回目のコールで繋がった。

「もしもし」

 本来、エースになる筈だった男は、疑うような声色だった。

 私は、そこは敢えて突っ込まず、穏やかに告げる。

「無事に、終わりました」

 運転席でキングが、無事なものですか、と茶化したが、無視してやった。

「それは良かった……と言っていいんだな?」

「あなたは残念だったかも知れないけど」

「そうだな、自分のミスを悔やんでも仕方ないが、残念だったな」

 男は悔しそうに、語尾で声を裏返した。

「そんなあなたにお願いするのも心苦しいんだけど、聞いてくれないかしら?」

「もう一度、一人で出場しろと?」

「あなたにとっては、そっちの方が楽かも知れないけれど、このゲームは、もう壊れると思う。残念ね」

「そんなに嫌なことなのか?」

「エースが生還するの。あなたのチケットを盗んだ男が」

 本来エースになる筈だった男は、黙ってしまった。何を頼まれるのか、想像して複雑な心境になっているのだろう。

 私は続けた。

「彼と、話がしたいの。どうしても謝らなければならないことがあるの」

 いい返事は期待出来そうにないな、と思っていたが、男の答えはそれを裏切ってくれた。

「それでゲームの一部に参加したことになるならば」

「そう。ありがとう」

「で、何を伝えればいい?」

「私の、この携帯電話の番号を教えてあげて」

 少し間を置いてから、「あー、そういうこと」と、妙に抑揚を付けて返してきた。

「勘違いしないで。私はただ謝りたいだけだから」

「分かった、分かりました。他にメッセージは?」

 男は、明らかに楽しんでいた。

 でも、それはナイスアイデアだと思った。

 私は、わざとらしく溜息を吐いてから、

「じゃあ、メッセージではなくて、招待状というスタンスで、こう書いておいてくれる?」

 そこで言葉を切ると、口元を手で覆って、小声で伝えた。

「了解。間違いなく、やっておく」

 私は、赤いボタンを押して通話を終えた。

 携帯電話をポケットに片付けてから、もう一度、溜息を吐く。

 どうして、こんなことをしているのだろう?

 部外者なのだから、もう、放っておけばいいのに。

 無法地帯のゲームの中で吐いた、小さな嘘。

 そんなものが、魚の骨のように引っかかっている。

 やっぱり私は……。

 いや、違う。

 私にはジョウしかいない。彼以外に考えられない。

 エースとは、一瞬だけ会って挨拶すれば、それで終わりだ。

「吊り橋効果、ってやつか」

 後ろから、ジャックが嫌らしい口調で茶化した。

「私が? 馬鹿馬鹿しい」

 唾を吐く勢いで一蹴すると、キングとジャックが一緒になって笑った。

 本当に、馬鹿馬鹿しい。

 そんな場所で生まれた恋なんて、所詮は紛い物だ。

 それに、危険な吊り橋は、誰かと一緒に渡るものではない。

 ましてや、愛する人となんて、もってのほかだ。

 キングもジャックも、身をもって学習したのに。

 そんなことを思い巡らせながら、私も愛想苦笑いで応えた。


 カーナビの指示に従って進むジープは、ヘッドライトで夜のごく一部を切り裂きながら山道を進んだ。

 やがて、視界の開けた一般道に出た。

 闇の中に、水銀灯で照らされた細い橋が浮かび上がっている。ナビは、それを渡って向こう側の峠に行けと命令した。

 その橋を渡りきった向こう側で、車のライトが光っていることに、私は気付いた。それも一台ではない。

「なんだ……?」

 キングも、ハンドルに胸を押し当てて前のめりになった。

 私には、察しが付いていた。

 こんな時間に、こんな辺鄙な場所に用事がある人間は、日本中を探しても、奴らしかいない。

「主催者側の人間ね。仕返しに来たのかしら」

 私がキングの右肩に手を置く。キングは固まっていた。

「マジか……別の道はないのか?」

 ジャックも、苦虫を噛み潰したような顔を、シートの隙間から出してきた。

 ナビは再び、渡って向こう側に行けと命令した。


『……とまれ。逃げられんよ……』

キングが、ギアをRに入れたとき、どこからともなく声が聞こえた。

 キングの耳にも入ったらしく、慌ててブレーキを踏む。慣性で背中を突き飛ばされた。

「おい! なんだそれは!」

 後部座席から、ジャックの怒鳴り声が上がった。

 私が振り返ると、彼は、毒虫を振り払うように何かを足元に落とした。

 黒バンダナが、慌てて拾おうとするが、足で蹴って阻止する。

 その隙に、私がそれを素早く取り上げた。

『……重大な不正が行われた可能性がある……』

 それは、音楽プレーヤーだった。オンになっていて、ディスプレイが光っている。

『……話を、聞かせてもらいたい……』

 私は車から降りて、そいつをアスファルトに叩き付け、何度も踏み付けた。プラスチックが割れて、液晶が粉砕される。忌々しい声は聞こえなくなった。

 車内からは、黒バンダナを詰問するジャックの槍声がした。

 ごめんなさい……でも指示は絶対だから――黒バンダナの女の酒焼けした声がした。

 彼女を責めても仕方がない。

 これは、油断していた私たちのミスだ。

 盗聴器、小型マイク、スパイカメラ――市販されているものでも、これくらいの大きさの機器に仕込むことなど簡単だ。

 目的はきっと、死刑囚たちが問題を起こさないかを取り締まる為だ。

 この音楽プレーヤーがあった場面は、きっと主催者に、リアルタイムで観られて、聴かれていたのだろう。

 つまり、第三セットの最後、エースの部屋で、ジャックとキングが合流した時から先の会話も、全て主催者側に漏れていたことになる。あれを聞かれるのは致命的だ。

 考えてみれば、このジープもおかしい。

 黒服も同乗せず、コンダクター三人だけで移動させようとしている時点で、常時監視、追跡されていると、まず疑わなければならなかったのだ。

 最後の最後で、何という失態だろうか。

 ただ、エースだけは、私たちとは違う部外者であることも、主催者側に知れただろうから、彼は大丈夫だ。きっと、元の生活に戻れる。


 私は、やり場のない怒りを手に集めて、車のドアを思い切り閉めた。

「おい、どこへ行くんだ」

 車から離れていく私に、窓を開けてキングが困惑気味に訊ねてくる。

「奴らは、あの老人を殺した私の話が聞きたいのよ。ちょっと行って来る」

「やめとけ! 一緒に逃げるんだ!」

 ジャックの説得が、私の背中にしがみ付こうとする。そうして慰留には努めるが、彼らは降りてこようとしなかった。無駄だと分かっているのだ。

 さすが、私のことを理解してくれている。

 私は、掌をヒラヒラと動かして、彼らに別れを告げた。


 魂のように白い光が、吊り橋の道を仄かに照らす。

 此岸から彼岸へ、私は独り、渡っていく。

 橋の中ほどで、黒一色の奈落を覗き込んだ。

 囁く水面が、魂の光を微かに反射させている。

 私はそこに、祈りを捧げるように瞑目する。

 祈りを済ませると、柵の向こうに手を突き出し、携帯電話を掴んだ指を広げた。

 耳を澄まし、飛沫の音を確認すると、彼岸へと向き直った。


 闇夜のランウェイの先で待ち構える、六つのスポットライト。

 欲望にぎらついたビームは、私の涙を捉えているだろうか。

 ごめんなさい、偽者のエースさん。

 あなたと、本当のババぬきがしたかったけれど、やっぱり無理みたい。

 でも、いつか必ず、やりましょうね。

 その誓いをお守りにして――。

 先に、奴らと一戦、交えてくるから。


 少しずつ明らかになっていく、車と、複数の影。

 まだ遠いそいつらを、指でつまんで持ち上げる仕草をする。

 私は、余裕の笑みを浮かべて、挑発した。


「今夜は、あなたとババぬきを……」


 そして、ひとりで吊り橋を渡りきった。



          ――了……






……next game?――

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OLD MAID〜今夜は、みんなでババヌキを〜 しんすけ〜 @higachan2-30

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