敗者の、エピローグ

 参加者にとって、このゲームの魅力は、七億円という賞金だ。


 金が欲しい一心で、あの裏サイトに辿り着く。

 そして、ここに来る。

 彼らは、こちらの目的など、さして重視しない。

 ただ、ルールを聞かされたとき、その非合法さに、ようやくこちら側の意図を疑い、批判を始める。

 何の為にこんなことをさせるのか、狂っている、どうかしている――と。

 しかし、それも刹那のシュプレヒコール。

 そんな不服を並べていても仕方がないと、絶望の淵から奈落を見下ろし、諦める。

 諦めて、ゲームを始めるのだ。


 ゲームが始まれば、あとは時が経つのを待つだけ。

 それで、こちらの目的は達成される。

 七億円を対価にしてでも求める、主催者側の目的。

 それは――欲望に殺された亡骸を見ること。

 このゲームは、謂わば、純度の高い欲望を原材料として、高品質な死体を作る為の装置なのだ。


 とは言え、それは参加者たちに強制はしていない。

 殺し合いをさせられていると思い込んでいるのは、参加者たちの浅慮な判断である。

 こちら側は、ちゃんと、言ってあるのだ。

 殺さなければならないのは、「誰か」だ、と。

 一度も、「参加者の誰か」とは言っていない。

 このルールの盲点に気付き、さらに、ゲームのコンダクターに何故、死刑囚という身分の人間を起用しているのか、という疑問を発すれば、参加者は、誰一人として死なずに済むゲームなのである。

 コンダクター――死刑囚たちにも、そのことを伝え、承諾は取ってある。

 賞金七億円は、参加者四名とコンダクター三名の、都合七人の命に、それぞれ一億円の価値を付けた結果の金額だ。

 ここからも、コンダクター達の命も対象であることは推測可能ではないか。

 また、『コンダクター』には、「添乗員」というメジャーな意味の他に、「避雷針」というマイナーな意味もある。

 つまり、コンダクターには、参加者に降りかかる危険の身代わりになる役割もある……と、ここまでの想像を求めるのは、少々、酷だろうか。


 ともあれ――。

 今回も、ゲームは終了した。


「先生、お待たせいたしました」

 黒服の報告を、老人は待ちわびていた。

 人の死――それは最高の芸術だ。

 死んだものを生きているように見せる剥製も、そもそも魂の宿らない無機質無感情な蝋人形も、本物の死体には到底およばない。そもそも、作り上げる為に必要な材料の数が違う。

 マクロに見れば、肉、骨、内臓、血管……。

 ミクロに見れば、細胞、DNA……。

 さらには、感情、経験、思考などの、不可視なものまでもが、死体にはなくてはならない材料となる。

 組み合わせを考えただけでも、死体の種類は無限に存在する。一つ一つが、唯一無二の芸術なのである。


 老人は一人、建物の中に入り、暗く長い廊下を歩く。アーチ状の鉄扉を押し開けると、見慣れたホールが広がっている。その周囲にある、四つのドア。

 死体は、必ず部屋に安置するよう、コンダクターには伝えてある。

 反時計回りに壁際を歩き、最初のドアを開ける。

 室内は綺麗だった。それに、大抵の場合、独特の異臭や血生臭さが立ち込めて、呼吸も辛い状況にあることが多いのだが、ここに関しては、それもない。

 既に、様々な想像が頭の中に並べられている。

 そのどれもが、好ましくないものだった。

 老人は部屋の奥へと進み、ベッドの上に視線を馳せると、年甲斐もなく舌打ちをした。

「なんということだ……」

 そこには、生きた人間が縛られ、怯えた目をして、もがいていた。

 彼がコンダクターの一人であるという事実が、老人に更なる屈辱を味あわせた。

 老人は、自分のミスであるかのように歯嚙みした。

 ルールの盲点に気付かれる時は、いずれ来るだろうと予想していたが、誰も殺さない、という掟破りまでは想定していなかった。

 興を削がれた老人は、縛られた死刑囚を睥睨してから、用のなくなった部屋を出た。

 死体がないのでは、何の意味もない。

 殺すことは簡単だが、今、自分の手で殺すわけにはいかない。それは美学に反するのだ。


 この分ではここも……次の部屋のドアを開ける。

 ほとんど諦めかけていた。ところが――。

 老人の鼻が、すぐに血の臭いを嗅ぎ付けた。

そして、すぐ目の前の床に、拳銃を手に握った女が、倒れていた。

 血溜りを枕にし、天を仰いでいる青白い顔は、長い黒髪との対比もあり、際立っていて美しい。

「すばらしい……」

 何度も口にしたくなるほど、その死は完璧だった。

 美人だから、美しい死体になるとは限らないのだ。

 老人は、ゆっくりと女に近寄った。

 先程までのことは、すっかり帳消しになった。帳消しどころか、これは――。

「――かつてない死だ」

 肉体的な材料も申し分ない。加えて、生きていたときに備わっていた知性、感情、欲望など、あらゆる無形の材料が見事なまでに昇華され、死の一部となっていた。

 老人は死体の前にしゃがみこんだが、無意識のうちに、敬意を表するように正座していた。

 女の首筋に触れる。冷たく、脈もすっかり止まっている。

 そのまま指を唇へと滑らせた。呼吸もしていない。

 そうか……と、老人は思った。

 神は、この死体との出会いを最上の喜びとなるように、あえて最低なものを先に見せてくださったのだ。

 最高の懇情。

 全身で受け止めても溢れるくらいの至福に、老人は溜息を洩らした。

 ――いま一度。

 神を仰いでいた顔を、再び芸術作品に向けた。

 畏敬の念を込めながら、ゆっくり目を開けていく。

 黒に包まれた、女の顔。

 血色がよく、神秘的な蒼白は失われていた。

 理知的な瞳が、老人を見ていた。


 老人は目を剥いて、その状況の変化に混乱する暇もなく、脳の髄まで固まった。

 女の両手は拳銃を握り締め、銃口を男の首に合わせていた。

 次の瞬間――。

 凶暴な発砲音と共に、強い衝撃が、老人の上体を押し倒した。

 ――バカな。

 叫びたかったが、声にならない。

 血液が溢れ、気管が異物に反応して、強か噎せた。血も、咳も、収まらない。

 女は両肘を付いて、上半身を持ち上げた。

「死んでいたはず……」

 老人の声は、水中で声を出したかのような、ゴボゴボという音でしかなかった。

 女は立ち上がると、耐え難いダメージを受けた、哀れな老人を見下ろした。

「死んでいた? それは、あなたの思い込みでしょう? 私は、心の整理をするために、していただけ。もっとも、周りが見たら、生きながらにして死んでいるように見えるかも知れないけれど」

 混濁していく意識の中で、老人は女の微笑を見た。ままならない呼吸がもどかしい。

「昔から鍛錬していたものが、まさかこんな所で、人生を助ける芸になるとは思ってもいなかったわ」

「血は……」

「血? 血くらい出るわよ。ちょっと頭を切れば、これくらい――生きてるんだから」

 老人は、何も持っていなかった。黒服たちは、生存者とコンダクター――に扮した参加者を送ることになっている。戻ってはこないだろう。

 女は、まだピストルを構えたまま、声を震わせた。

「あなたを罵る悪口はたくさん思い浮かぶ。でもそんな行為に何の価値もないし、あなたに浴びせるだけ、その悪口たちが可哀想。それに――彼もきっと、そんなちっぽけな復讐は望んでいない」

 老人は、今回の参加者が全員、リピーターであることを思い出した。

 ――それで、復讐か。

 傷口にめり込んだ銃弾が、今にも意思を持って次々と急所を貫いていくような錯覚に襲われる。

 老人は、もう喋れなかった。声を絞るごとに寿命が磨り減っていく気がした。

「でも、あなたじゃないわね」

「…………」

「あなたはトップじゃない。あなたが死んでも、ゲームはなくならない。そうでしょう?」

 老人は、無理に苦笑いを浮かべようとしたが、すぐに痛みの方が勝り、顔を歪ませた。

 女は老人を跨がずに、脇を通り抜ける。

「もし、あなたがトップクラスの人間で、地獄のような環境を乗り越えてきた強運の持ち主ならば、こんな所で犬死するなんて、有り得ないわよね?」

 女は、老人を横目で見ながら、そう吐き捨てた。

 意識が急速に蒸発していく。

 老人は、かつてない恐怖を覚えた。

 痛みは麻痺してきたが、血はまだ溢れ出ている。

 ……自分の死は、美しいだろうか。

 最後に、そんなことを思って――。

 老人は、死体になった。


 女は、薄汚い死体に背を向けて、目を細めた。

「今回のゲーム……

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