(9)
クイーンが出て行っても、人の気配が残っていた。
それが誰なのかを、僕はついさっき知った。
彼女――レイを、もう一度ここに呼び寄せた、さまよう魂。
その彼が命を絶ったベッドに寝転がって、僕は白い天井を見上げた。
枕の下から、クイーンにすっかり見透かされていたピストルを持ち出すと、目の前に翳した。
もし……こいつでクイーンを撃っていたら、僕は優勝しただろうか?
黒い凶器が、僕に邪な空想を思い起こさせる。
馬鹿馬鹿しい。
それに、機会はもう逸したのだ。何を今更……。
胸の上にピストルを置くと、僕は目を閉じた。
クイーンを殺していても、僕の優勝はない。
彼女たちは正しい答えを知り、そちらに向かって進んでいるグループだ。最後の最後に、部外者がそんな邪魔を挟んだら、恐らくコンダクターに扮したキングとジャックが黙っていない。ゲームとか、勝敗とか、そんなものは一切関係なく、僕はライフルの的になっていただろう。
これで良かったのだ。
クイーンを信じて待つ、という選択で……。
彼女の、もうひとつの話が嘘である可能性は?
本当に、そんな計画が動いているのか?
クイーンは――帰って来るのか?
どれも確証はない。
唯一の物証は、マージャン牌に書かれたジョウの遺言だけだ。
眠っていた時間があったとは言え、僕に気付かれずに忍び込んで、仕掛けることなど、さすがに出来ないだろう。だから、これだけは、このゲームが始まる前からあったものだと断定できる。
僕は、ジョウを信じる。
ジョウを信じるということは、クイーンを信じることだ。
……信じてはいたけれど、ドアが開いて、クイーンの姿が見えたときは、安堵で全身から力が抜けた。タイマーが『2:00:00』になったときだった。
部屋の明かりを点けたクイーンは、
「少し疑ってたでしょう?」
そう言って、意地悪な笑みを浮かべた。
僕は、肯定も否定もしなかった。
ドアのすぐ向こうに、まだ人の気配があった。
足を小刻みに摺って入って来る人物を見て、僕の心臓は飛び跳ねた。
腕と胴体を一緒に縛られ、足も膝の辺りで自由を奪われた、黒バンダナのコンダクターだった。
顔は相変わらず隠れているが、少し鼻息が荒い。怯えている様子だった。
黒バンダナの後ろには、背の高い赤バンダナがいた。彼は、上半身を縛ったロープを確保している。
参加者とコンダクターが一堂に会している異様な光景だったが、実はこの中で、黒バンダナだけが完全アウェーなのである。
「さあ、これでおしまいよ」
クイーンは、僕の近くに落ちていたピストルを一瞥した。
黒バンダナは、まだ観念できずに、身をよじって抵抗を試みている。
「ジョーカーは?」
状況が飲み込めないまま、僕はポケットからカードを出した。
クイーンの手に渡ると、彼女は指先に挟んで僕の顎のあたりに突き出した。そして、
「もう、謝罪なんていらないから、そのピストルで、私たちへの迷惑料を払ってもらえるかしら? このジョーカーを受け入れて、ジョーカータイムに挑むのよ。ただしターゲットは――」
クイーンは後方を振り返って、ターゲットを見た。
「――あいつ」
視線の先には、囚われの黒バンダナがいた。
ターゲット……つまり、殺せということか?
僕は、黒バンダナの目に意識が釘付けになる。
囚われたコンダクターは、叫びたい気持ちを堪えて、懸命に恐怖と戦っている。
冷静な口調で、クイーンは僕を諭した。
「準備してたということは、やる気になったのでしょう? 遠慮はいらないのよ。さっきも言ったけど、コンダクターは、殺される役も担っているのだからね」
コンダクターは、現役の死刑囚。
ここで殺されたところで、少し執行日が早くなっただけのことである。
だから――殺すのか?
一向に動かない僕を見兼ねて、クイーンは転がっているピストルを手に取り、僕の顔の前に差し出した。
鉄の塊が、硬い恐怖となって視野に押し込まれる。
網膜で波紋が描かれ、僕は軽い目眩に襲われた。
ピストルの先、クイーンの向こう、黒バンダナを通り越して、赤いデジタルのタイマーに逃避する。表示は「1:45:05」を回ったところだった。
覚悟を決めて後じさりし、改めて現状と向かい合う。
僕は今、殺人者になろうとしている。
私利ではなく、他人の復讐の為に。
クイーンの手から、ピストルを受け取った。
ベッドから降りる。引き金の位置を確認しながら、拘束されている黒バンダナとの距離を詰めていった。
絶対に目は合わさず、バンダナで覆われた口元に視線を固定させた。
数センチのところで対峙する。
そこではじめて聞こえてきた、意外な声。
布越しで、くぐもってはいるが、それはまるで、優しい飼い主を探す、捨てられた子猫のような――。
僕は、催眠状態から逃れ、正気に戻った。
顔を寄せ、間近で黒バンダナの目を見つめる。
「そんな……」
死刑囚だから、重装備だから、武器を持っているから、リーダー格だから……。
……と言うのは、偏見だった。
僕は、ピストルを落とすほどに、衝撃を受けた。
「……おんな?」
馬鹿みたいに、それだけを口から洩らした。
「え? 今更?」
横から、クイーンの呆れ声が聞こえてきた。
何からどう訊ねていいのか分からず、僕は行き当たりばったりも甚だしいた愚問を投げた。
「いつから……?」
「最初からに決まってるでしょ。集合場所からずっと、彼女は黒バンダナだったわよ」
「どうして、女性が」
「私みたいな、女性の参加者に対応する為よ。例えば、集合場所でのボディチェック。主催者側の配慮は結構行き届いているから、これくらいは当然」
思い出した。
僕がボディチェックを受けたのは赤バンダナだった。
しかし、クイーンのときは黒バンダナだった。音楽プレーヤーの操作を任された黒バンダナが、わざわざ担当した理由は、行き届いた配慮だったのである。
「それに、参加者が、コンダクターの『身代わり』と言う役割に気付いた場合、女性がジョーカーになったら、男性のコンダクターでは不利な戦いを強いられる。それを互角にしてあげるには、女性が必要なのよ。もっとも……連続でジョーカーになってしまったら、それは不運だったその人の負けだけど」
自分の愚かさに、口がふさがらなかった。
誰も騙そうとしていないのに、僕は、自分で思い込んで、自分を騙していたのだから、話にならない。
あのときの、クイーンの一言もヒントだった――。
早々にゲームへの参加を決め、ボディチェックを受けた後、躊躇している男たちに飛ばされた、あの檄。
――とっとと来なさい。女の子がこんなに頑張ってるのに。
あの「女の子」は、自分のことよりも、黒バンダナの女を指していたのだ。
「でも、女だからって遠慮はいらないのよ?」
ぎりぎりで踏みとどまっている僕を見透かすように、クイーンが力いっぱい背中を押す。
遠慮はいらない――と。
この女は死刑囚なのだから――と。
クイーンたちは、既に二人のコンダクターを殺している。彼らは、恨みを晴らす目的がある。それが心を支えているから、耐えられるのだ。
僕は違う。
何もなかった人生に、何よりも濃く残る染みを残してしまう。
死ぬまで消えない、大きなアザを……。
こんな人生、面白くも何ともない。
面白い人生って、一体何なんだ?
僕は、片手で頭を叩き、髪の毛を鷲づかみにした。
このまま、突っ走ってはいけない。
引っかかったー、と茶化されては、後の祭りだ。
そう……引っかかっているのではないか?
まだ、僕は騙されているのではないか?
「待ってくれ!」
僕は片手を突き出し、低い声で訴えた。
クイーンは微笑んだまま首を傾ける。
「あなたの運命に、選択肢はもうないと思うけど? 第三セットで、ジョーカーを引くか、引かないか、あそこが最後の分かれ道だったんだからね」
「少し考えたい。いや……確認したいことがある」
クイーンは無表情に戻って黒バンダナを一瞥した。苦し紛れの提案は、無言で許可された。
僕は、ベッドにピストルを投げ捨て、六つの目に追われながら部屋を出た。
ホールに出ると、ジョーカーのパネルの下で緑バンダナ――キングがライフルを構えて座っていた。彼は僕の姿を確認するなり、腰を浮かせたが、すぐにまた尻を落とした。
もう分かっています――とテレパシーを送ってから目指したのは、ジャックの部屋。
背中に冷たいドアが触れると、素早くドアノブを掴んで祈った。鍵は掛かっていなかった。
素早く部屋に入る。施錠し、ゆっくり奥に進む。
テレビ、クローゼット、冷蔵庫、掛時計、ランプ、デスク……そして、ベッド。僕の部屋とまったく同じ間取りとインテリア。
その、ベッドの上。
横たわって投げ出された足が、僕の目に飛び込んできた。
息を殺して、足から上を確認する。
両足を膝で縛られ、更に両手が背中に回されて、胸の辺りでグルグル巻きにされていた。黒バンダナに施されていた縛り方と一緒だったから、これもクイーン達の仕事だ。
痩せ細った顔は、未だ凶悪な相が残ってはいるものの、独特な達観した表情をしていた。
口が半開きになっており、目は完全に閉じていた。
ざっと観察したところ、致命傷は見当たらない。
僕はベッドの傍らで中腰になり、コンダクターの頬を打った。
「大丈夫か?」
う――と声が洩れる。目が、静かに開く。意識が戻ってくる。
それで充分だった。
この死刑囚は、生きている。
僕ひとりだけに殺人者の汚名を着せるという罠――クイーンたちの、邪魔をされた復讐という罠を、僕は辛うじて回避したのだ。
長らく安堵に浸る余裕もなく、今度はキングの部屋に急ぎ、収容されているコンダクターを確認した。こちらも憔悴しきっている様子ではあったが、間違いなく生きていた。
――誰も死んでいない。
札束を抱えた死に神が回遊する空間。
そこに存在する、尊い命。
その、どれ一つとして奪われていない結末が、ここにあった。
さっき、クイーンも言っていた――。
人が死なずに終わる、殺人ゲーム。
――それこそが、主催者に最もダメージを与える復讐なのだと。
キングの部屋のタイマーがちょうど『1:10:00』を経過したとき、僕はホールに出た。
テーブルの傍で黒バンダナを取り囲んでいる三人がこちらを向いた。
彼らを見た僕は、強烈な違和感があった。
原因は明白だ。
キングとジャックが、バンダナを外していたのである。テーブルの上に、赤と緑のそれが無造作に置かれていた。
生存確認を済ませた僕を、クイーンはきまりの悪そうな苦笑を作って迎えた。
「最後に、まさかのホームランね」
「キングとジャックの死体を見ていない、って自分で言ったのを思い出して、はっとした。その身代わりになったコンダクターの死体も確認していなかった。危うく、また他人の言うことだけで信じるところだった」
「ちょっと人聞きが悪いじゃない? 私は今回のゲームが始まってから、誰かが『死んだ』とか、誰かを『殺した』って一度も言ってないからね」
「そうだったかな」
僕は、苦笑いで誤魔化した。確かにそうだったかも知れないけれど、記憶は曖昧だった。
クイーンは、二度ほど小さく頷いてから、右手に持っていたジョーカーをヒラヒラと動かした。
「いずれにせよ、私たちへの迷惑料は払えないということね?」
「……悪いけど」
他のコンダクターも死んでいないのだから、黒バンダナだけを殺す理由はどこにもない。
クイーンは肩の力を抜いて、溜息を落とした。
ややあって、彼女はまたポケットに手を入れると、一枚の紙切れが出てきた。賞金の小切手だった。
クイーンは、小切手をジョーカーと重ねた。
「私たちの復讐相手は、あくまで主催者。だけど、さっきも言ったように、あなたは私たちにとっては罪人。だから、この罪は必ず償ってもらう」
殺せなかったら、殺される――それがオールド・メイドの掟。
警戒すべきは、キングとジャックが構えているライフル。
無血開城は、夢想だったのか……?
無念の気持ちに押し潰されかけた時――。
僕に向けられたのは、ライフルではなく、クイーンの両手だった。
彼女は、小切手とジョーカーを一緒に、真ん中から引き裂いた。
更に重ねて、千切る。もう一度……。
最後は、指先の砂を払うように紙吹雪を散らした。
「迷惑料、七億円。もったいないわね。私を殺せば、あなたのものだったのに」
そんなこと、もう、どうでも良かった。
そもそも、七億円なんて僕の身の丈に合わない。
――生きたい。
贅沢な欲望は、それだけでいい。
「終わりにしましょう。ここから出る方法は、このプレーヤーの中に録音されている。コンダクター用の指示としてね」
クイーンは、その音声を聞かせてくれた。確かに、主催者の声でコンダクターへの指示が入っていた。
再生が終わると、クイーンは音楽プレーヤーをキングに手渡した。
「この通りならば、外に出たら、優勝者とコンダクターを連れて行く、主催者側の人間が待っている。私たちとエースさんは、そこでお別れ」
たった一日――。
そんな、人生のほんの僅かな時が、長く、永く、感じられた。
ゲームが、終わる。
その終わりは、クイーンとの別れでもあった。
僕は、無風の室内で、切ない風が頬を掠めていくのを感じた。
「君たちは?」
「さあ、分からない。でも……私たちが思い描いたオールド・メイドの答えが正しいのであれば、どこかで解放されると思う」
「答えが正しければ……」
……間違っていたならば?
僕が零した一言から、考えている不安を察したのか、クイーンが優しく微笑んだ。
「また会えたらいいね。どこかで」
「こんな形では、もう嫌だ」
彼女たちの復讐は、これで終わったのだろうか?
このゲームは、ステップの一つでしかないのではないか?
僕には、彼らの今後の計画は想像も出来ない。
しかし、計画の続きがあったとしても、彼らは――少なくともクイーンは、スロットマシンのコインの如く、命を安易にベットするのだろう。
「じゃあ、彼女は私が部屋に連れて行くわ」
クイーンが伸びをして、仕上げに移ろうとした。
すかさず僕は、一歩前に出て軽く手を挙げる。
「それくらい、手伝うよ。縛ればいいんだろう?」
ジャックとキングが驚いた顔を見せて、すぐさまニヤリと笑う。
クイーンが眉を顰めて、汚らわしいものを敬遠するかのような視線を投げかけた。
「レディー二人の着替えを覗くつもり?」
「……そうか」
僕は、最後まで愚かな頭脳だった。
クイーンは、声を上げて笑った。ゲーム中には見せなかった、満面の笑みだった。
「少し待ってて。ジョーカータイムが残り二十分になったら出てくるから」
片手にロープ、もう片手でピストルを黒バンダナに突きつけながら、彼女は僕の部屋へと向かった。
僕は、その後姿に見惚れた。
黒髪から艶やかさ、背中から優しさ、歩き方から強かさが伝わってくる。
しかして全体は、哀愁が彼女を包んでいるように思えた。
二人が部屋に消えると、ホールに残された二人がライフルを下げた。表情も幾分、穏やかになっていた。
クイーンとはよく話をしたが、キングとジャックとは、殆ど喋ったことがない。僕の中では、彼らは死んでいたのだから当然ではあるけれど。
「あの――」
僕は、どちらにともなく声をかけた。
二人は目だけを動かして、僕に応答する。
「すごく、迷惑をかけてしまったみたいで……その」
ジャックが、ふん、と鼻で笑うと、
「チケットを落としたことが、そもそも大きなミスさ。七億のチケットなんて拾ったら、俺だって狂うさ。な?」
そして、僕へのフォローをキングにも求めた。
キングも苦笑いを浮かべてから、
「あの裏サイトで申し込むに至ること自体、確率の低いことなのに、そのチケットを拾うとなると、それはもう、ワシらがどうかして動かすことの出来る運命ではないだろうな」
それが、僕を許すという意味なのかは少し分かり辛かったが、口調は柔らかかった。
再び部屋の扉が開いて、中から黒バンダナ――いや、クイーン――いや、レイが出てきた。
あのワンピースの上から男物を着ているからだろう、さっきまで黒バンダナだった彼女とあまり変わらない体格だった。手は手袋をはめていて、ピストルは持っていない。
その姿を見て、キングとジャックも改めて気合を入れるようにバンダナを頭に巻いた。
キングが音楽プレーヤーを手にして再確認する。
僕は、そのキングとジャックに連行されるように囲まれた。
クイーンが前を行って、アーチ状の黒扉を開錠する。低い軋みを上げて右だけが押し開かれた。冷たい空気を吐き出す口の奥は、薄暗く、どこまで続いているのか判然としない。
偽のコンダクター三人と共に、僕は洞窟のような道を進んだ。
所々に、蝋燭の小さな明かりが灯されている。それ照らされて、両側の壁にドアが浮かび上がっていた。
通路を三十メートルほど進むと、廊下の突き当たりに辿り着いた。そこにも両開きの扉があって、両側のバーが鎖で乱暴に巻かれ、両端を合わせて、ダイヤル式のシリンダー錠が四つも取り付けられていた。
先頭に立っていたクイーンが、その前で片方の膝を地面に付けてしゃがみこむと、右の手袋だけを外した。そして軽く頷いて見せると、僕の隣でキングが音楽プレーヤーを再生した。
流れてきたのは、暗証番号のトラックだった。
『イチ、ノ、シリンダー、ロク、サン、ロク、ハチ、ハチ――』
その声は、忌々しい主催者の肉声ではなく、ロボットの、無機質な合成音だった。
それを聞きながら、確実に番号を合わせていくクイーン。手元はかなり暗い。しかし、見えない程ではなかった。
クイーンの手も――。
僕は、その手を凝視した。
作業を続ける右手を。
「……違う」
僕は、堪らず声をあげた。
「おい、静かにしろ」
左にいたジャックが僕の腕を押し、小声で怒鳴る。
しかし、僕は抑えられない。
「違うんだ!」
「何が!?」
僕の異変の原因が分からないキングは、どうしようもなく訊き返すしかなかった。
僕は、作業を続ける手を指差しながら訴えた。
「こいつは――クイーンじゃない!」
「何をバカな……」
キングはそう吐き捨ててから、僕の目線の先を見た。
そこには、陶器のように滑らかで細い手とは、おおよそ似ても似つかわしくない、ゴツゴツとした手があった。
「入れ替わってない!」
僕の取り乱しように、作業をしていた黒バンダナも手を止めた。
慌ててキングも、プレーヤーを一時停止させる。
黒バンダナは、僕を見上げて、少しだけバンダナをずらした。
そして、露になった口元が、笑うでもなく、怒るでもなく、極めて事務的な感じで囁いた。
「あの人の希望なの。何を考えているかは知らないけど……あの部屋に残りたい、って言ってた。逆らえないくらい真剣な眼差しで。あとは、私が任されたの」
コンダクターはバンダナを戻し、作業に戻った。
クイーンは……何を考えているのだろう。
あの部屋にいて、どんな復讐が続けられると言うのか。
キングもジャックも、困惑を隠せないでいた。きっと、想定外の出来事なのだろう。
最後の南京錠が口を開き、取り外される。
黒バンダナが立ち上がると、自縛した蛇のような鎖が右に左に解けていく。
それがら金属音を立てて地面に落ちたとき――。
僕は、遠くで銃声を聞いたような気がした。
気のせいかも知れない。
けれど――。
キングとジャックも、同時に後ろを振り返っていた。それを見て、気のせいではないと、僕は思った。
どの部屋にも、ピストルは武器庫に入っている。
でも、軟禁されているコンダクター二人に、引き金は引けない。
引けるのは、ただ一人だけ。
「ク――」
叫ぶ直前に、僕の口は黒バンダナに押さえれた。
まだ間に合う!
クイーンを助けなければ――。
僕は体に力を込めて、来た道を戻ろうとした。
そこへ、キングとジャックも僕の行く手を阻む。
「やめておけ」
「でも!」
「無駄だ! 彼女は、お前の部屋の鍵を持って入った。俺の部屋の武器庫に差さっていたからな」
ジャックの説得が、どう言う意味なのかを理解した僕は、膝から崩れ落ちた。
僕の肩に手を置き、キングが慰める。
「今、おまえが騒ぐと全てが水の泡だ。もうこれ以上、ワシらの計画の邪魔をしないでくれ。今のことは俺も聞いてなかったけど……クイーンは大丈夫だ。きっと、何か考えがあってのことだ。だから、取り敢えずここを出よう」
僕は強く目を瞑って聞き入れると、彼らの手助けを受けて腰を上げた。
彼らの方が、僕よりずっと大きなショックを受けている筈なのに。
これが、地獄を見た人間の精神力なのか。
「クイーン……」
溢れそうになる涙を必死で堪え、僕は逆上せた頭と心を落ち着かせた。
キングの言う通りだ。
きっと大丈夫。
これまでと同じで、僕はまた、騙されているのだ。
銃声が聞こえただけで、誰もその死を確認していないのだから。
クイーンは、死んでいない。
このゲームでは、誰も死なない。
復讐という強い気持ちがある限り。
復讐を果たすまで。
――生きたい。
その欲望は、消え失せない。
地獄へ戻ろうとしていた体が前を向く。
この扉の向こうに、自由がある。
そして、人生の続きがある。
たとえ何があっても、何もなくても、そこに立っているのは、自分の足で歩いてきた、自分だ。
他人の足を引っ掛けるには、自分も足を止めなければならない。
それは、どちらにも利益のない行為だ。
そんな愚行に走るくらいならば、歩く方がいい。
僕は、歩くことにした。
本物の「希望の扉」が、重々しく開かれた。
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