(8)

「あの夜はだった。舞台セットみたいな、まん丸の」


彼女は、アルバムを見て懐かしむような口調で呟いた。

 クイーンの、あまりにも残酷な過去を、僕は口も挟まず聞いていた。

 鉄格子の向こうに、太陽と交代に出てきたを眺めることで、ときどき心を休ませる。

 クイーンの愛する人――ジョウは、この部屋の、そのベッドで命を絶ったのだ。

 僕は何の躊躇いもなく使っていたが、痕跡も残されていないのだから、聞かなければ知りようもない。

 他の部屋もそうだ。

 このゲームが何回行われたかは知らないけれど、必ず誰かが死んで、ベッドに安置されていた筈だ。

 そんな死者たちの無念が、この建物の中に幽閉され、溜まり続けているに違いない。

「その……ジョウさんの頼みごとというのは?」

 訊ねると、彼女は僕とは目を合わさずに、マージャン卓を目指した。

 クイーンは、軽く牌を混ぜ、そこからいくつか拾い上げて牌の面を確認した。そして、赤いボタンを押して、手際よく牌を卓の中へと落とした。

 すぐに新しいセットが卓上に用意される。クイーンはそれを崩して、牌の面を確認していった。

「ほら……まだ残っていたわ」

 あまり期待していなかったのか、クイーンの声は小さく、低音だった。

 落書きされた牌は全部で二七枚。丸の絵柄、竹の絵柄、そして漢数字に「萬」の文字が書かれたもの、それぞれ九枚ずつ。

 クイーンは、それらを数字の順に並べていく。

 丸の図柄が揃うと、そこにはカタカナ九文字で、

 『エイエンニヘラナイ』

 永遠に減らない――と読むことが出来た。

 竹の図柄が揃えられていく。そこにもカタカナが並ぶ。今度は、

 『ヘラシテハイケナイ』

 減らしてはいけない――と読めた。

 そして最後が、一萬から九萬までの九枚。

 最後の一文は、

 『テキハジョーカーダ』

 敵はジョーカーだ――だった。

「これが、頼みごと?」

 クイーンは、力強く頷いた。

「永遠に減らないババ抜きは、このゲーム自体の象徴だったのよ。もしも、コンダクター達を殺していくという方法が、このゲームに用意されていた正解だったとしたら、私たちはどうなる?」

「それは……誰も死なずに」

「そう、死なない――つまり、減らないのよ。減っていくのは、コンダクター達ばかり。エース、ジャック、キング、クイーン……そう名付けられた。そのニックネームと同じサインパネルの部屋が与えられているのも、コンダクター達が待機している扉にジョーカーのサインパネルがあるのも、そういう暗示だったのよ」

「でも、ジョウさんはクイーン」

「レイ、でいいわよ」

「……レイさんに、答えを確認させる為に、もう一度このゲームに参加しろと?」

「そうね。ジョーカーを倒す為に。でも、彼が言うジョーカーは、コンダクターのことじゃないの。憎むべき、あの音楽プレーヤーの中の奴のこと」

 すなわち、それは主催者のことだ。

「そんな……出来るわけがない」

「だから、死ぬよりも辛い、大きな勝負なのよ」

 クイーンの笑みは、武者震いで引き攣っていた。

 減らない――全員が生還できるかもしれないとは言え、もう一度ここに戻って、殺人ゲームに参加する心境とは……理解できない。

 僕からの感想を諦めたクイーンは、先を続けた。

「そして、ジョウの遺志を理解して集まったのが、今回の四人だった。尤も、一人は参加以前にしくじって、チケットを誰かに拾われたけれどね」

 冗談で言ったのだろうけれど、沈めていた罪悪感を釣り上げられて、胸が痛む。

「遺志を理解して、って、他の三人は、どうやってジョウさんと……」

 僕は、話を逸らすように訊ねる。

 クイーンの手が、長方形に並んだ三行メッセージを崩し始める。

「不本意にも優勝して、開放された私は、その日から動き始めた。この牌に書かれたメッセージを利用すれば、共通の暗号になる。この牌が捨てられてしまっている可能性もあったし、主催者側がネットの書き込みに気付く恐れもあった。でも、僅かな可能性に賭けて探し続けるしかなかった。そうして集まったのが、キングさんで、ジャックさんで、そして、チケットを落とした、本来のエースさんだった。この部屋を使って、この牌に気付いて、さらに優勝した、私と同じ境遇に置かれた、奇跡の人たち……ねえ、彼らと出会うまで、どれだけの時間がかかったと思う?」

 僕は、黙して首を横に動かした。

 クイーンは、悔しそうに鼻で笑ってから、牌を一枚、卓に叩き付けた。それは『エ』と書かれた――サンピンだった。

「たったの三ヶ月。早いでしょう? このゲームは、それだけ頻繁に行われていて、が命を奪い合っている、ということ。人間界から欲望がなくならない限り、このゲームはエネルギーを供給され、活動し続ける……そんなこと、絶対に許されない。だから私は、このチャンスを速やかに実行しなければ、っていう使命感に駆られた。それに、これを逃したら、もう二度とないかも知れないと思うと、やらないわけにはいかなかった」

 クイーンの横目が、再び僕の感想を求めてきたが、思考がすっかりフリーズして、応答できなかった。

「ただ……いくら表で出会えたとしても、全員がゲームに参加できなければ、作戦は先に進まない。目隠しで針の穴に糸を通すくらいの確率を信じて、四人でエントリーを繰り返した。チケットが届いたら、連絡を取り合う。他の人が当選していなければ、次に期待する。でも無断欠席は、次の権利を失うかもしれない。だから、チケットが届いた一人は、取り敢えず集合場所へ行くことにした。行くだけなら大丈夫だから。あなたも、もう知ってるでしょう?」

 これには、さすがの僕も頷けた。

 主催者側は、集合場所で、参加、不参加を決めさせてくれる。クイーンは、その仕組みを利用したのだ。

 クイーンは、授業に追い付けた生徒を褒めるかのようにニッコリと微笑んだ。

「ちょっと面倒くさかったことと言えば、集合場所が毎回違ったことね。私が最初に参加したときは、偶然にもだったけれど、その次があっち、その次がこっち、みたいな感じで転々として、そして今回が、でしょう。大変だったわよ」

 田舎と称されて怒る住民もいるのだろうけれど、僕は正しい表現だと思った。

 僕は、そんな田舎から出ることをずっと拒んできただけあって、都会よりも田舎が好きなのである。

 クイーンも、失言したという意識はないらしく、先を続けた。

「でもね、執念が勝ったのよ。四人全員にチケットが届いた。まだ始まってもないのに、もう勝った気分になったわ。これでジョウの頼みごとを引き受けられる。これで、部屋に囚われたままの……ジョウの魂を助けに行ける……自分の命がどうなろうと。だから」

 クイーンの声が石のように硬くなって、僕を睨みつける。

「あなたがいたときは、正直、その場で殺してやりたくなった」

 謝罪どころか、僕はクイーンから顔を背けた。

 彼らが人生を賭した計画に、水を差したのである。謝って許されることではない。

 罵倒どころか、殴られるくらいの覚悟までしたが、聞こえてきたのは、弱々しい溜息だけだった。

「……でも、あなたも主催者側も、こっちの計画なんて知ったことじゃない。だから私は、闖入者が入ろうと、先に進めるべきだと決心をした。ただ……キングとジャックは、少し取り乱したみたいだったけど」

 僕は目を閉じて、記憶を巻き戻す。

 あの集合場所での出来事を思い出す。

 主催者から早々に参加、不参加の選択を迫られたとき、ジャックは慌てていた。


――ま、待ってくれ! わけが分からない!

――おかしいだろう! こんな状況! 納得できるか?


 さらにキングも、頭を抱えて悩んでいた。


――確かに、何がどうなっているのか、ワシもさっぱり理解できん。

――そうだ、行かなくてもいいんだ……行かなくても。と言うか、行けな……。


あれは全て、充分な説明のないゲームへの恐怖心からではなく、奇跡を積み重ねて築き上げた権利に、僕という想定外が起きたことによる混乱だったのだ。

 そんな共謀者たちを尻目に、クイーンは決意を行動に移したのである。

 クイーンは、何かを思い出したかのように天を仰ぎ、ああ、と声を漏らしてから、

「……私も、人のことは責められないかな。取り乱さないようにと、勢い余って失敗したわ。音楽プレーヤーから、参加希望者は左側のドアへ進め、っていう、私、そっちへ向かってしまって……。自分でもびっくりしたけど、どうしようもなかった。まあ、誰も気にしていなかったみたいだし、主催者側は、私をリピーターだと承知していたでしょうから違和感はなかったかもね。あなたも気付かなかったし」

 と、僕を一瞥してから、ふふふ、と笑った。僕を捉える二つの瞳から、怒りは感じられなかった。

「あと、バスの中でもね。自己紹介のとき、つい、彼のことを思い出しちゃって……」

 そのときのクイーンの様子を思い出して、僕はハッとした。


 ――最近はすっかりパソコンの前で座っていることが多くなったかな。彼……彼の――。


 彼女は、彼のことを口にした途端に、単語が舌に絡みついたようになって出せなくなった。

 目隠しをしていたから、表情はどうなっても分からないが、あの声の異変は、確かに不自然だった。

「でも、私の異変を察したジャックが、タイミングよく黒服を呼んで、タバコのことを訊ねてカバーしてくれた。あれは本当に助かった。もっとも……その前にジャックも、私が自己紹介をしようと提案したとき、余計なことを言っちゃったけどね。そのときは私がフォローしたから、まあ、貸し借りゼロで」

――自己紹介?

――ええ、そんなところね……。

――今さら……。

――今さら――そんなことを聞いても、ババぬきには関係ないって言いたいのかしら?……。

 あれだ。あのときのやりとりだ。

 クイーンのフォローは、改めて考えると無理がある。それでも、「今さら……」という小さなミスを放置することで、僕が妙な勘繰りを始めることを警戒したのだろう。僕としては、あの状況で、

「今さら……

 という想像に行き着く可能性は極めて低かったけれど、クイーンは、小さいうちに芽を摘んだのだ。

 どこまでも完璧主義のイメージがあったクイーンも、ミスを犯すし、押し進めることもあるのだと、僕は意外な一面を知った気がした。

 クイーンは、気を取り直すように息を吐くと、

「これらのミスに気付かなかったあなたを、操りやすいと見るか、それとも脅威と取るか、私は少し迷った。あなたは何も知らないから、私たちとは違って、主催者側のルール通りに動くし、ジョーカーになったら、怯えるか、狂うか、諦めるか、どう出るかも読めない。だから、あなたには極力、動いてもらいたくなかった。それで私は、第一セットからここを訪れて、責任を持って。プレイタイムでは、あなたの手元にジョーカーが残らないように操作した。あなたをゲームに――いえ、私たちの計画に参加させるわけにはいかなかった」

 クイーンは、赤いボタンを押して、ジョウの遺言をバラバラにして埋めた。

 新たにセットされた牌には指一本触れずに残すと、溜息を吐いてからベッドに座った。

 僕は、制限時間が気になってタイマーを見た。まだ四時間近く残っている。安心するところなのか、慌てるところなのか、判断が付かない。

「どちらから謝るべきかしらね? 私たちの計画に入り込んできた、あなたか。それとも、計画のことを話さず、死ぬことのない殺人ゲームに、あなたにここまで無駄な恐怖と絶望を味あわせてきた、私たちか」

 選択を迫られているにも関わらず、僕はまったく別のことを考えていた。

 結果的には、今の二択へ繋がることだったが、そこを納得しないと、選べないと思った。

「このゲームへの復讐計画は、もっとシンプルに出来なかったのか? 例えば……第一セットの時点で、すっかりゲームを破綻させることだって出来た筈だ。それなのに、どうして僕というリスクを背負いながら、最後まで続けたんだ?」

「途中でゲームを壊すよりも、ゲームが、っていうシナリオの方が、主催者側に大きなショックを与えられる。だから、ゲームは最後まで必要があった。私が経験した、にして」

「……それなら、僕から謝るべきだね」

 彼女たちの背負った過去は、僕がどんな説得を試みても、肩から降ろすことなど出来ないだろう。

 どの場面でも、彼女の方が先を行っていた。せめて、ここだけは僕が先を越さなければならない。

「余計な手間を取らせて、悪かった」

 僕は、深く頭を下げた。次の瞬間に、強か殴られても文句は言わない。言えない。その程度で、彼女が彼を失った傷は癒えない。

 クイーンの、鼻を啜る音が断続的に聞こえた。

「ジョウも……最後に、ここで謝ってた」

 僕が顔を上げると、薄闇に包まれつつあるクイーンの顔に涙が溢れていた。

「あ、悪いけど、ジョウの方があなたよりもずっと男前だからね。年下だけどしっかり者で、オタクだったけど、あなたみたいに

 懸命に、明るい声を振り絞り、笑おうとする、その表情が、信じられないくらいに、か弱かった。

「世の眼鏡男子を敵に回したぞ」

 僕も、クイーンの痩せ我慢に付き合おうとしたけれど、単に余計なことを口走っただけになってしまった。

 それでもクイーンは乗ってくれて、

「ごめんなさい」

 と舌を出して、首をヘコリと動かした。

 それで、一つのピリオドが打てたらしく、クイーンは涙を拭ってからベッドを離れた。

「どこへ行くんだ?」

 部屋の入り口へと行こうとしたので、僕は慌てて呼び止める。

クイーンは、足こそ止めたものの、心はもう先に行ってしまっているように感じた。

「どこって、決まっているじゃない」

 そう、決まっている。

 まだ、ゲームは終わっていないのだ。

 そして、このジョーカータイムのジョーカーは、僕なのだ。

 タイマーは着実に減って、『3:34:08』を示していた。

「事情は分かったから、もう邪魔はしない。だから教えてくれないか。僕はどうすればいい?」

 クイーンは、振り返らずに答えた。

「とりあえず、ここで待ってて。最後のコンダクターをここに連れ来るから。その先のことは、また後で。それとも……まだ疑っている?」

「いや、大丈夫」

「枕の下のピストルで私を撃つのなら、今が最後のチャンスよ。いい?」

 突然、身体が重くなった。

 まるで、この部屋にとどまり続けている、彼女の彼――ジョウが憑いたかのようだった。

 そこまでお見通しのクイーンを殺す勇気など、僕にはもうなかった。

 黙っていると、クイーンは片手を上げて掌をヒラヒラと振り、悠然と部屋を出て行った。

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