(7)
僕は、冷気に抱き付かれた。
着ているものはすべて凍り、皮膚の上から熱を奪っていき、肉に霜が張っていく。やがて内側まで伝導し、血液が冷却されていく。それが体中を巡ると、五臓六腑を、脳を、脊椎を、余すところなく氷漬けにしていく。
そして僕は、文字通り、冷静になれた。
この大一番で、クイーンは最初からジョーカーを持って行った。そして、ジョーカーの居場所がすぐに分かる、適当なシャッフル。
彼女は、何を狙っているのだ?
クイーンが、稀代の天才マジシャンでなくとも、第一セット、第二セットと同じように、視線の追跡で確かめれば、僕からジョーカーが移ったことは察するに難くない。
しかし、クイーンが稀代の天才マジシャンでない限り、今のシャッフルでジョーカーの位置を摩り替えることは、まず無理だ。
マジックではない――だから、何なのか?
だから――。
もしも、これが二周目以降も続いたならば、クイーンは僕にジョーカーの位置を教えることで、この第三セットの役柄――すなわち守備か、攻撃か――の選択権を、僕に与えた、ということだ。
尤も、この仮説は、三周目まで同じことが行われたときに、はじめて証明される。
今はまだ、様子を見る段階だ。
コンダクターに一度視線を移してから、僕は素直に数字カードであろう側を選んだ。
でも……何かがおかしい。胸騒ぎがする。
二周目も、もはやシャッフルとは呼べない投げ遣りな方法でカードを混ぜた。僕はそこから通常カードを引き寄せた。
そして、ラスト三周目。
クイーンの、緩慢なシャッフルには、タネを仕組む余地も見当たらず、ジョーカーの位置は確保されたまま、僕の前に広げられた。
これで、仮説は正しいと判断して良さそうだった。
間違っていたとしても、そのときは、素直に負けを認めよう。
やはり、相手が悪すぎた、と言い訳を遺して……。
さて、僕はどちらを選ぶべきか――。
それは、明白だったけれど、時間が許す限り、僕はもう一度、順を追って考えた。
クイーンと僕の部屋には、どちらにも鍵が差し込まれている。フェアとは、この状態のことだ。
鍵には触らない、という約束を守るならば、防御力としてはフェアになったのだから、攻撃側になった方が強いに決まっている。
つまり僕は、ジョーカーを選ぶべきなのだ。
ところが、そうではない。
ルールでは、ジョーカータイムは、どの部屋にいても許される。これは、第一セットのときにクイーンが僕の部屋にずっといたことで明らかになっていた。
そのルールを使えば、今この時点で、鍵をかけて篭城できる部屋が、まだ残されている。
それが、ジャックの部屋だ。
彼の部屋だけ、鍵が差し込まれていない。
これは。ジャックの部屋の鍵に限り、触っても問題ない、という伏線が張られていると考えられる。
そのジャックの部屋の鍵は……僕の部屋の武器庫に差さったままだ。
もしも、僕がジョーカーを選んだら……。
クイーンは僕の部屋に飛び込んで、ジャックの部屋の鍵を手に入れる。そして素早くジャックの部屋へと逃げ込み、死体と七時間、共にすれば――優勝。
当然、僕はタイムオーバーで、失格だ。
危うく乗るところだった。
僕は、ジョーカーから数字カードに目を移した。
正解は、こっちだ。
こっちを取れば、僕の勝ち。
しかし――。
そのカードは、まるで磁石のように、僕の手を押し返すのだった。
胸騒ぎが収まらない。
まだだ。
まだ、何かが違う……。
僕でさえ、少しだけ視野を広げれば分かるようなことに、クイーンが気付かないだろうか?
彼女は別格なのだ。辿り着かないわけがない。
その先を行かなければ。僕の負けだ。
もっと、空気の薄い高みへと上らなければ。
クイーンが言っていたことを振り返る。
クイーンが利用してきたものを思い出す。
それらの裏側に、答えがある気がした。
もっと高く飛んで、このゲーム自体を俯瞰する。
すると――。
随所で、映像がぶれる感覚があった。
その場面だけが、スクリーンに焼きついて、残る。
それらが、いくつも重なって、比較されていく。
騒ぎ続ける胸の奥に、電撃が炸裂した。
痺れた僕は、顔を振り上げた。
携帯電話のアンテナマークみたいに並んだ、三人のバンダナ男たちを見る。
僕の目は、彼らから離れなくなった。
さっきのプレイタイムでも感じた、同様の違和感。
ババぬきから離れ、彼らに意識が集中すると、それが更に強く感じられた。
なぜ、こんなことが起こっている?
この事実は一体、何を物語っているのだ?
取り乱しそうになって、慌ててカードに意識を戻すが、逆効果だった。
このババぬきの存在意義すら、蜃気楼のように、今にも溶けて崩れそうだった。
僕が、このゲームに参加しなかったのではない。
僕は、このゲームに参加させてもらえていなかったのだ。
当然だ。
僕は、このゲームに参加する人間ではなかったのだから。
このプレイタイムも、クイーンは、露骨なジョーカーの位置の暴露によって、僕をゲームに参加させないようにしているのだ。
僕が通常カードを選べば、恙無く終わる。
僕が知らないところで、僕が知らないうちに。
「……分かったよ」
参加してやる。
ここで起きている秘密を知る為に。
だから僕は、ジョーカーを引いた。
クイーンの顔色が、一瞬にして変わった。
彼女にとって、想定外の事態が起こったのだ。
やっぱりそうか――僕は確信した。
「君の考えていることは、分かった」
そこからのクイーンは、壊れたゼンマイ仕掛けの人形のように乱れた。
椅子を蹴り倒し、自分の部屋に入り、コンダクターに絡み……。
僕はそれを、ゼンマイが切れた人形のように止まって、眺めていた。
矛先が僕に向いたときも、場の流れに任せた。
『第三セットのジョーカータイムまで、あと二十分』
音楽プレーヤーの声が告げる。
僕は、細い腕に掴まれると、椅子から転げ落ちた。腰に鈍い痛みが広がった。よろめきながら立ち上がろうとする所で、横っ腹に蹴りが入った。また鈍痛が据え付けられる。
クイーンは、怒りに任せて、僕の手に二枚のカードをねじこんだ。そして、鼻息を荒らげて、僕を部屋へと引きずっていくのだった。
部屋に入ってかも、彼女の手の力は緩まない。
ベッドの前まで引っ張られ、いきなり背中を押された。マージャン卓に手を突く。幾つかの牌が床に弾き飛ばされた。
クイーンは、溜息を落としながら、ベッドに身体を沈めた。枕の羽根が低く舞った。
伝えなければならないことが山ほどあるのに、二人の間には、濃い沈黙が横たわった。
僕が、タイマーの「7:00:00」をぼんやりと眺めていると、背後でベッドが軋んだ。
振り返ると、クイーンが上半身を起こして、ワンピースに付いた羽根を払い落としていた。
静寂に隙が出来たと判断した僕は、低い声で切り出した。
「……どういうことだ?」
クイーンは口をへの字に曲げ、首を竦める。
「どういうこと? 決まってるじゃない。エースさんが攻撃側、私が防御側になった。ただそれだけ――」
明らかに、痩せ我慢をしていた。
僕は、クイーンから目を逸らさないように小さく首を振った。そして反論しようとしたが、
「――それに、それはこっちのセリフよ。エースさん、一体どういうつもり?」
クイーンが先に語を継いだ。
「……何が?」
クイーンの、おどけた仕草を真似た。
「どうしてジョーカーを選んだの?」
僕は、手の中にあったカードをマージャン卓に落とした。クローバーの4と、ジョーカーだった。
まただ。ここでもそうだ。
あのときも、そうだった。
僕は、カードを見ながら、クイーンに話した。
「君の戦いに参加できないのならば、僕は僕のやり方で、仲間に入ろうとしたまでだ」
仲間……と言って、クイーンは失笑した。
「それにどれだけの価値があるの? ジョーカーになるリスクと相殺できるほどのものなの? この部屋には、ジャックの部屋の鍵がある、それを使えば」
「それは僕も考えた」
僕はクイーンの言葉を遮ってから、上半身を捻り、武器庫に視線を向けた。
「でも、その正解も、君が考えたシナリオに織り込み済みじゃないのか? 第三セットの、あの環境では、ジョーカーの方が不利だという、こんな簡単な答えに、君が辿り着かないわけがない。にもかかわらず、君は適当なシャッフルで、僕がジョーカーを選ばないように仕向けた。僕がジョーカーを選ぶはずがない、という未来まで、想定済みで」
文字の輪郭が浮き出しそうなくらい、はっきりとした口調で捲くし立てた。
それから僕は、二枚のカードを手にし、クイーンの膝を目掛けて舞い落とした。
クイーンは、着地したジョーカーに指を置いてから、僕を見上げる。
「……それで?」
「ジョーカーを引かなけば、僕はきっと、このゲームを楽に終わることが出来ただろう。楽な分、何も真実を知らないまま。それが嫌だった。最後まで仲間はずれにされたみたいで。だから、わざと君の思惑とは逆のジョーカーを引いて、シナリオを塗り替えてやろうと考えた。塗り替えて、このゲームで何が起きているのかを知ってやろうと思った」
クイーンは、すっかり元通りの理知的なオーラを取り戻している。余裕なのか、観念したのか、無表情で首を傾げた。
「何も起きていないわ。考えすぎよ。考えすぎが裏目に出て、結局あなたは優勝を逃した」
「いや……僕が知らないことが裏で進んでいる。それも、最初の最初から」
僕は、彼女の膝に目を落とした。
「最初の最初?」
「君が知らない所からだ。僕は偶然、このゲームのチケットを拾った。盗んだも同然だけど……兎に角、この部屋には本来、別の人間がいる予定だった」
クイーンは、澄ました顔をしている。聞いているのか、いないのか、定かではなかったが、僕は続けた。
「チケットを落とした男は、こう叫んだんだ――どうしても参加しなきゃいけないんだ、金が欲しいなら言い値で買い取ってやる――って」
そこでようやく、クイーンの表情に微かな翳りが出てきた、気がした。
「いくら必死だからって、金が欲しい人間が、チケットを言い値で買い取るなんて交渉を持ち出すだろうか? 仮に、優勝してから払うと付け加えたとしても、じゃあ僕が七億でチケットを返すと交渉したら、男はこのゲームに参加する意味がなくなってしまう。今更だけど、僕は思った――男の目的は、賞金より、もっと大事な、何かだったんじゃないか、って」
「その人がどう言おうと、私には他人だし、ジャックもキングも、みんな他人。ここに来ればみんな敵。エースが誰であろうと関係ないわ」
頑なに否定するクイーン。彼女の瞳は、僕の背後のタイマーを気にした。
「それは嘘だ」
僕は、話を逸らされないうちに次の手を打つ。クイーンの視線が僕に戻った。
「初対面の他人同士で、あんなことは出来ない」
クイーンは、逃げるように目を閉じた。
そして逃げるように、ベッドから立ち上がった。そのままデスクへ移動し、完全に背を向けた。
真正面から受け止められなくなったのかと思った僕は、一呼吸おいてから、その背中に言った。
「クイーン……僕は、一度も実物を見てないんだ」
暮れなずむ太陽の光を浴びるクイーン。
出来れば、僕が語ろうとしていることを、彼女の口から聞きたかった。
しかしクイーンは、ポツリと「何を?」と零しただけで、また黙り込んだ。
早々に諦めた僕は、クイーンの艶やかな黒髪に向かって答えた。
「失格になった、キングとジャックの死体だ」
クイーンは椅子に凭れ掛かると、息を吐きながら言った。
「それは、コンダクターが言ってたじゃない。各人の部屋に安置しているって。見に行けば済む話よ」
「いや、彼らは死んでいない」
クイーンは首を動かしかけて、途中で止めた。その動作が、僕には図星に見えた。
「死体を見ていないと言ったけど、それ以外にも確認していないことばかりだ。殺される所も、この目で確認したことがない。キングが殺害された……とされる第一セットも、銃声こそ聞こえたけれど、キングは、本当に撃たれたのだろうか? ホールの様子は、キングが置いたカードで遮断されて見えなかったし、ドアを開けようとした僕を遮ったのは、他でもないクイーン、君だ。今思えば、あのときの君の感情の切り替えも不自然だった。怯えていたかと思うと、次のときには、すっかり落ち着きを取り戻していて」
「切り替えないと、生き残れないのよ」
ブツブツと、反論にあまり威勢がなかった。
「違う。阻止できたことに、ホッとしたんだ。ドアを開けさせなかった本当の理由は、キングの死体を見るのが嫌だったのではなく、殺されたように見せかけていることを隠したかったからじゃないのか?」
「状況証拠に過ぎないわ」
クイーンらしからぬ、逃げの答えだった。
僕の問いからは逃げて、まったく別のことを考えている風にも見えた。
気にはなったが、構わず僕は、眼鏡を持ち上げて頷き、続けた。
「そうかも知れない。ジャックのときに至っては、その状況証拠にもならない。ジャックの殺害については、君から話を聞いただけで、見てもいなければ銃声や悲鳴も聞いていない。僕が君を信じて、勝手に思い込んでいるだけだ」
「本当に面白い絵空事ね。じゃあ彼らは、自分の部屋でお茶でも飲んでいるのかしら?」
冗談めかした口調のクイーンに、僕はあくまで真剣な眼差しを緩めず、首を振った。
「違う……彼らは、ずっと僕たちのそばにいた」
クイーンは、口を開けたまま、再び沈黙に転じた。僕が、ここまでの推理を立てているとは想像していなかったのかも知れない。
「ぜんぜん気にも留めなかったけれど、第三セットのプレイタイムのときに、やっと気付いた。僕が感じていた違和感は……身長差だった」
窓の鉄格子を眺めているらしいクイーンは、両肘を突いて、その上に首を休めていた。
「最初、路地裏の一室に集められたとき、三人のコンダクターを初めて見たけれど」
僕は、違和感の断片を見直しする。
自分の記憶に自信を持つ為に。
「三人とも、選考基準があるのではないかと思ったほど同じ背丈だった。ところが、その特徴がおかしなことになった。僕の記憶が確かならば、最初は、第二セットのジョーカータイムのときだ。君が、見事な偽失格者を演じた、あの公開処刑の中継で。蹴り倒された君にライフルを突きつける前、緑バンダナは、黒バンダナを少しだけ見上げて、合図を示していた。更にその後、今度は赤バンダナがナイフを抜いて君に跨る前、彼は黒バンダナと向かい合って、まっすぐにアイコンタクトを送っていた。つまり、緑バンダナの身長だけが、ほんの僅かだけど低くなっていた」
僕は、気が狂いそうになったことを思い出しながら、何も映されていない液晶テレビに目を馳せた。そして、引き寄せられるようにそちらへ歩いていった。
武器庫の前まで来たとき、おもむろにクイーンが口を開く。
「気のせいよ。そんな記憶、当てにならないわ」
僕は、その場でしゃがみ込んで、
「そうかも知れない。でも……」
と、頭の中の台本を確認してから、膝を伸ばした。
「ついさっき――第三セットのプレイタイムの記憶は鮮明だ。あのとき、緑バンダナが右、ライフル銃を持った赤バンダナが左、そして黒バンダナが中央に立っていた。僕はそれを見て思ったんだ――まるで携帯電話の電波状況を示すアンテナみたいだ、って」
マージャン卓を一周し、再びベッドの前に戻る。
「今度は、赤バンダナの身長が、黒バンダナよりも少しだけ高くなっていた。背の低いキングがいなくなって、緑バンダナの身長が低くなった。背の高いジャックがいなくなって、赤バンダナの身長が高くなった。これは見間違いとかじゃない――」
僕は、意図的に間合いを取る。
クイーンは、柔らかい動作で首を横に動かした。やがて、その顔が僕で止まる。
直視することを躊躇ったが、逸らしてはいけないと、僕は延髄に杭を打ち込む。そんな状態で続けた。
「――今も、キングとジャックがコンダクターに扮しているんだ。そして、もしも殺されている人間が存在するならば……それは、もともとコンダクターだった二人だ。ジョーカータイムの時は、一人は見張り役として必ずホールに残る。そこを狙えば可能だ。恐らくは二人がかりで彼らを襲い、凶器で脅してどこかの部屋にでも連れ込めば、入れ替わることなんて難しいことではない。コンダクターたちは一切声で会話を交わさない。それに、顔はバンダナで覆われている。彼らが常にずっと同じ部屋で待機しているかどうかは分からないけれど、おそらく入れ替わっていたとしても、なかなか気付かれることはないだろう。身長の差も、有事以外は座ったり寝転がったりしていれば分からないし、微妙な差は僕のように外野からじっくり比較してみないと簡単には分からない。あと……もっと手っ取り早い方法を取るならば、脅せばいい。第一セットでキングが入れ替わって、第二セットは別のコンダクターがホールの見張りに入る。そうなると、キングはもう一人と二人きりだから、隙を見てどうにでも出来るだろう」
僕はベッドに移動し、堂々と座った。
クイーンは、相変わらず僕の話を聞いているのかどうか判然としない様子で、僕の更に向こう、入り口の方を眺めていた。
「コンダクターを、殺してもいいと思っているの?」
クイーンの声色は、怒りを抑え込んでいるようにも、何かに怯えているようにも取れた。僕は顎を引いて僅かに俯いた。
「殺してもいい、とは思わない……たとえ死刑囚でも。でも、参加者は、彼らをそういう風に使っても許されるのだと、考えれば考えるほど思えてきた」
そう、例えばこの会場へ来るまでのバスの中――。
集合場所で仕切っていたのはコンダクターたちであったにも関わらず、バスの中の御用聞きは黒服が行っていた。
そして到着後、この建物まで誘導したのも、声が出せる二人の黒服だった。
つまり、コンダクターたちもバスの中では目隠しをされ、この会場の場所も知らされておらず、バスを降りてからも、僕たちと同じくムカデのような行列に加わっていたのだろう。
それは、参加者もコンダクターも同等の扱いを受けているということだ。
更に、このこと以上に重要だったのが、主催者からのルール説明である。
ジョーカーになった者に与えられる、ジョーカータイムでのミッションを、僕は諳んじた。
「ミッションは……制限時間内に、他の誰かを殺す。そして、手持ちのジョーカーを、殺した相手に押し付けること……主催者は決して、参加者の誰かとは言わなかった。このゲームの場にいる他人ならば誰でもいい、ということだったんだ。主催者自身が音楽プレーヤーから指示を出していることも、引率してくれた二人の黒服たちが、この場にいないことも、殺される対象から外れる為だろう」
クイーンは瞳を閉じ、天を仰いでいた。肩を大きく持ち上げて、深い呼吸を繰り返している。
僕は、ベッドに捨てられていたカードを手にする。
「このカードも、そういうことを堂々と伝えてくれていた」
僕が最後のプレイタイムで与えられた、クローバーの4と、ジョーカー。
「僕が思う限り、このゲームで使われたカードは全部、クローバーの連番」
やはりクイーンは既に知っていたのか、しなやかな動作で首肯する。それでも僕は、僕自身を納得させる為に続けた。
「この第三セットであれば、二人の戦いでジョーカーが一枚入るから、クローバーの4は、枚数的に有り得ないカードだ。第二セットでもそうだった。僕はクローバーの6を持っていた。どちらのセットも、数字カードが一枚、溢れていることになる。その余ったカードは、どこにあったのか――」
答えのタイミングを待っていたとしか思えない、室内に号砲が響き渡った。
ジョーカータイムのタイマーが動き出す。
ラッパの残響が耳から遠ざかっていった後、僕は自問に答えた。
「――ジョーカータイムが始まったあとは、一人しかいない。見張り役のコンダクターが持っていたんだ。ジョーカー役が、コンダクターが持っているカードと取り替えることも可能なように」
クイーンは、刻一刻と変化する赤いデジタルで追っていた。秒数を数えているのか、口元が微かに動いている。
僕もは、自分がジョーカーであることを思い出す。
けれど、もう怖くなかった。
「このゲームは、死刑囚たちを殺すことで、参加者は全員、生きて帰れる仕組みになっていた……」
僕の耳の奥から、主催者の声が聞こえてくる。
――権利を得たからには、諸君にも、か義務というものが発生する。
その義務とは――自らの命を賭けることではなく、拘置所に溢れかえってきた死刑囚を、僕たちが代わりに執行すること……だったのではないか。
クイーンは腰を上げ、華奢な体を半回転させると、再び僕と対峙した。
肩を持ち上げてから、彼女は口を開いた。
「つまり……私たちは正しかったと、肯定してくれているのね?」
僕は、クイーンの寂しげな眼差しに、たじろいだ。
その質問こそ、僕の推理を肯定したことになる。
僕は、肯定も否定もせず、しばらく呆然とした。
クイーンは、その顔に悲しげな笑みを浮かべた。
夏の日は長い。
窓の外から差し込むオレンジ色の夕日がクイーンを朱色に染める。神々しい光の中へ、そのまま消えてしまいそうだった。
彼女の体は、本当にここにあるのだろうか。
残像だけを残して、既に逃げてしまっているのではないか。
「クイーン……」
存在を確かめるように、僕は彼女を呼んだ。
その直後、クイーンは音もなくマージャン卓へと移動し、卓上に並んだ牌を乱暴に叩き崩した。
ガラガラと、その音に紛れて、彼女の声がした。
「私も、知っていた」
聞いてもらいたいのか、独り言なのか。
無機質な雑音は鳴り続ける。僕は、そこからクイーンの声を聞き分けた。
「あのときも、クローバーの8があった。私のカードじゃなかったけれど、キングが小窓に置いて、その後、ジョーカーが交換して持ち帰った」
僕は、眉をひそめた。
知っている景色とは違っていたのである。
キングが小窓に置いたカードは、プレイタイムで、始めに僕の手に配られた、二枚の奇数のカードだった。
死者が自分のカードを持っていたことに、良い心地がしなかったことを覚えている。だから断言できるのだ。偶数の8は、なかった。
そんなことを気にする様子もなく、彼女は続けた。
「おかしいことには気付いていた。コンダクター達も、かなりの範囲まで協力してくれることも分かっていた。でも、彼らを殺して、彼らのカードを摩り替えるという方法までは、考えが及ばなかっ……」
震えた声が消え入って――次の瞬間。
握り込まれたマージャン牌が、礫のごとく飛んで行った。いくつかが、デジタルタイマーとテレビに直撃した。
僕は思わず腰を浮かせて、慰めようと声を上げる。
「違うだろう? 出来たじゃないか。君は、そこまで見抜いて、キングとジャックをコンダクターと入れ替えて……」
――違う。
違っているのは、僕の方だ。
彼女の脳裏に蘇っている景色は、虚構でも妄想でもない。
すべて、真実なのだ。
真実だけれど、それは別の世界の真実。
「そう。ちゃんと出来たわ――今回はね」
僕は、ベッドに崩れ落ちる。
軽い眩暈がした。
今回、今回、今回……頭の中で、こだまする。
「まさか……」
聞くまでもなかった。
それに、僕もその単語を、何度も聞いていた。
――今回集まってくれた四名に、まずは感謝しよう。
――それではこれより、今回の会場となる建物へと案内する。
――では、今回の記念すべき第一セットを開始する。
僕は、眦を強張らせて、クイーンを凝視した。
正気の沙汰ではない……。
別格も、ここまで違うと、もう理解する気力すら削がれてしまう。
クイーンは、ようやく全身から、怒りを抜いて、フワリと窓際に移動した。
そして、遠い太陽に向かって、告白した。
「私は――いえ、私たちは、このゲームのリピーターなのよ」
……そこから彼女は、語り始めたのだった。
永遠に、色褪せることのない、後悔の過去――
――彼女の、もうひとつのゲームの、一部始終を。
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