三章 孔雀姫

三章 孔雀姫 1

 天都の翡翠玉殿に、青の幟が立つ。孔雀姫くじゃくひめが玉殿に入ったというしるしだ。姫付きの侍従――小鳥ことり少年は幟の位置を直すと、姫好みの茶を持ち、玉殿の奥の院へと向かった。

「おはいり」

 先年で二十五になった姫は、凛と背を正して青墨を擦っていた。書簡をしたためている最中であったらしい。

「茶をお持ちしました」

「さよか。置いていけ」

 小鳥は書物の散らばった室内を器用に渡り、見つけ出した小机に茶碗を置いた。孔雀姫は天帝に仕える天の一族の姫である。女人ながらも頭脳は明晰で、一族の長とともに天都を取り仕切っている。

「それとこれを。大地将軍からの御文です」

 小鳥が携えていた文を差し出すと、孔雀姫は一瞥したきり、「捨ておけ」と手を振った。

「山犬退治のあいまに女人を誘うとはせわしないことよ。山犬様の血で汚れた手など虫唾が走るわ。焼いて清めておけ」

「仰せのとおりに」

 大地将軍がかつて天都を追放された壱烏皇子を保護してしばし。孔雀姫のもとには、時折大地将軍からの鳥文が届く。天の一族と事を構えられるだけの軍勢を用意するかたわら、こちらにつかぬか、と遠回しに姫を誘ってくる。まったく厚かましい、と孔雀姫はまるで取り合わなかったが。

「侍従」

 はるか年下の小鳥のことを孔雀姫は常に役職のほうで呼ぶ。それが面映ゆく、小鳥少年は恭しく頭を下げて、「なんでございましょう」と言った。

「香炉を持ってこい」

招魂香ショウゴンコウでございますね?」

「ああ」

 心得た小鳥は香炉を運び、招魂香を焚いた。これは天上にのみ伝わる技で、孔雀姫は天都から離れられない代わりに、香炉にさまざまな地神を呼んで会話することができた。祖母に鳥化生を持つ小鳥少年は、耳と目が常人よりも少しだけよいので、香にゆらりとよぎった影のかたちがなんとなくつかめる。今日は狐のようだった。

「孔雀姫」

 きぃきぃ、と甲高い声を立て、すがりつくように狐が言った。

「新月山の狐神か」

 対する孔雀姫はそっけない。書き終えた書簡を小鳥に乾かすように言って、再び青墨を擦り始める。

「かしましく何度も呼びおって。早く用件を言え」

「一大事にございます。わたくしめの餌……もとい菟道の娘が盗まれました。若い男とともに西をめざしている模様」

「ほう?」

「こしゃくで浅はかな娘ではありますが、莵道の血を引く者です。何かが起こってからでは遅いと、姫のもとへこうして参った次第」

「そなたはいつも困ったときばかり、きぃきぃと泣きついてくるな?」

「ま、まさか。天帝への年参りを欠かさぬわたくしではありませんか」

 狐は慌てた様子で声を裏返らせた。喉奥で忍び笑いを漏らし、孔雀姫は脇息に腕を乗せる。思案するときの姫の癖だ。新月山の狐は、些事でもいちいち姫のうかがいを立て、事をおさめようとする賢しいところがあるので、小鳥は好いていなかったが、今日ばかりは少し様子がちがうようだ。

「一緒に男がおるとな?」

「はい。もとは輿担ぎをしていた男のようですが、聞けば流れ者だとか。特徴は、黒髪金目」

「金目」

 長い睫毛を伏せて、孔雀姫は呟いた。

「その男、金のまなこをしていたと?」

「は。わたしもこの目で見ました。この意味、姫ならわかりましょう?」

 孔雀姫の双眸もまた、金色をしている。神々や天都の者しか知らぬことではあるが、金とは天帝のことほぎを受けた――天の一族をあらわす色だった。しばらく沈思していた姫は、「あいわかった」と簪で結い上げた重たげなかむりを振った。

「この件は、孔雀姫から長へ伝えよう。そなたは戻り、菟道の者に仔細を伝えよ」

「ははっ」

 頬を上気させて、狐が額づく。己の訴えが姫に届いたことが誇らしいのだろう。恭しく礼をして長い口上を始めたが、少し聞いたところで姫は香炉を指で撫で、狐の幻影を消してしまった。

「金目の男か」

「心当たりがおありで?」

「数日前にアルキ巫女から報告があった。取るに足らぬことと放っていたが……、何でも霧隠山のふもとの木道を補修していた折、十三、四の少女と男が道を外れたらしい。その後の行方は知れぬようだが」

「もしや姫は、狐が報告した男が同じ者であるとお考えなのですか?」

「まだわからぬ」

 口元に苦い笑みを浮かべ、孔雀姫は新しい文を広げた。

「だが、金目といえば、天の一族のあかし。そして地に落ちたわが一族は、壱烏をおいてほかにおらぬ」

「されど、壱烏皇子ならば、大地将軍が擁しておるのでは」

「さよう。まったく今になってあちらこちらへ現れるとはほんに手を焼かせるおひとだ。わたくしのどのは」

 姫の声にうっすら氷が張った心地がして、小鳥は背を震わせた。それでも侍従の少年は笑顔をつとめて提案をする。

「各地のアルキ巫女へ伝令を?」

「ああ。ふたりを見つけ出せ。手段は問わぬ」

「仰せのままに。我が姫」

 こうべを垂れると、小鳥は部屋を辞去して、「鳥見とりみ」と呼ばれている櫓にのぼる。胸元の口琴を引き寄せ、唇をあてた。

 ひょろろろろろ……

 アルキ巫女たちの飼いならす鳥たちに向けて、孔雀姫の命令を放つ。

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