白兎と金烏

序幕 天都探索編

一章 うさぎの嫁入り

一章 うさぎの嫁入り 1

 つづらかさねのかさねみち

 つづれて つづれて かさねみち

 さあ はなもて かさをもて

 はなよめごぜんを あないせよ

 つづれて つづれて かさねみち


 四道の外れ、莵道ウジの里。その領主筋の屋敷で今朝がた、花嫁行列を知らせる旗が立った。紋入りの赤提灯に、花嫁御寮を乗せる輿を並べて、外では大賑わいであるというのに、当の莵道のお屋敷はといえば、朝から通夜のように静まりかえっている。それもそのはず。今宵の花嫁御寮――莵道の末姫かさねは、不機嫌極まりない顔で唇を尖らせていたから。

「かさねは嫁入りなど、せぬ!」

 白無垢を裁いて、かさねはつんとそっぽを向いた。

「お聞き分けくださいませ、姫さま」

 化粧筆を持った侍女の亜子あこがこれみよがしに嘆息する。

「あなたさまがそっぽばかり向くせいで、化粧がちっとも進まぬではありませんか」

「これはあのたぬきの父上への反抗なのだ。つねづね、かさねを目に入れても痛くないと言っておきながら、勝手に狐との婚姻をとりつけてきた父上へのな」

「お狐さまへの嫁入りは、菟道では名誉なことでございますのに」

「かさねは毛深いのはきらいゆえ」

 亜子がとりなすことを言うが、かさねの返事はそっけない。かさねは菟道を統べる領主家の生まれで、今年十四になったばかり。初潮は二年前にやってきていた。嫁ぎ先はしばらく決まらなかったが、不作が続いた今年の夏、急きょ新月山に棲む狐神のもとへ輿入れることになった。莵道では時折そのような異界へ娘を送ることがある。

「めでたきことですよ。お館さまも喜んでおられます」

「嘘じゃ。たぬきの父上ときたら、婚姻が決まってから、ろくにかさねと話さない」

「お館さまにはお館さまの心痛があるのでしょう」

「かさねのほうにだって、心というものがあるのだ」

 ようやく嫁ぎ先の決まったかさねを屋敷の者は皆祝福してくれる。けれど、「めでたい」と繰り返すとき、亜子の目に隠しきれない翳りがよぎることにかさねは気付いていた。

「のう、亜子」

 幼い頃から世話をしてくれたこの乳母をかさねは好いている。だから、むくれていた気持ちを少しおさめて、俯きがちの乳母の手を握った。

「輿入れは嫌じゃ。嫌だが、これも莵道の娘のつとめ。仕方のないことだと心得てはおる」

「姫さま」

「ゆえ、そなたこそ、そう暗い顔をするでない。今生の別れではあるまいし、次の春になれば、また会いにゆくぞ。のう?」

「……ほんにいとけない姫さまですこと」

 しかし、亜子は袖を目元に押し当ててさめざめと泣き始めた。気丈な老侍女に、こんなことは今まで一度たりともなかった。

「亜子、泣くでない」

「いいえ、姫さま。どうか、亜子らを許されますな。決して……」

 激しい嗚咽を始めた亜子の背を途方に暮れながら擦る。亜子が何故そうも己を責めるように泣いているのか、このときのかさねにはてんでわからなかったが――。

 朝もやの中、花嫁のあない歌が響き渡る。


「御出立! 花嫁御寮の御出立ー!」

 昼下がり、家族や亜子たちに見送られ、かさねを乗せた輿は菟道の館を出発した。

豪奢に飾り立ててあるものの、輿の中は狭い上に薄暗い。おまけに慣れていない担ぎ手がいるのか、ときどき左右に大きく揺れるから、余計に乗り心地が悪かった。

「おい、輿担ぎ」

 輿についた小窓から顔を出し、かさねは間近にいた担ぎ手に声をかける。

「なんでえ、うさぎの姫さま」

 莵道の領民は親しみをこめて、かさねを「うさぎの姫さま」と呼ぶ。苗字に「莵」の字が入っていることと、かさねの容姿が皆とはちがい、白銀の髪に赤目をしているためらしい。

「あとどれほどで、今日の宿に着く?」

「今がちょうど木道きのみちの四分目だからなあ。あと三刻くらいかね」

 輿担ぎはのほほんと言った。

 この国には四種の道があり、そのうち樹木神が守護する道を木道と呼ぶ。広く使われている道で、ほかには大地女神の地道ちのみち、天帝の天道てんのみち、神々の領分である神道しんのみちがあり、後ろ三つは普通は踏み入ることすらできない。道を外れることは魔物の領分に踏み入れることと同義で、輿担ぎたちもことのほか注意をしている。

「……つまり、まだ半分以上あるということか」

 魔除けの朱が塗られた柱に「四分目」の字を見つけて、かさねは肩を落とした。そのとき輿が再び左右に揺れ、低い天井に頭をぶつける。

「ええい、がたごとがたごとと揺らしおって。なんぞ慣れない奴がおるな」

「ああ、すんません。ありゃあ、きゆ様の拾いもんの仕業ですよ」

「きゆの姉上の? どれじゃ」

「ほら、前方の」

 担ぎ手が顎で示した先には、同じようにハレの日の装束に身を包んだ青年がいた。担ぎ棒を肩に乗せているが、他の慣れた担ぎ手たちに比べると肩のすわりが悪く、ときどきよろめいているのがわかる。

「ふうむ……」

 うなずき、かさねは目を細めた。菟道は周りを囲む山々によって閉ざされた小国で、主要路からも外れているから、よそものはほとんどやってこない。「拾いもん」はその珍しいよそものらしい。

「めぐりの芸座からはぐれた芸子なんだってさ。河原で倒れていたのをきゆ様が拾って連れ帰った。見目うるわしいから、半化生じゃないかって」

「けしょうだと?」

「だってあいつ、金目だぜ」

 にやりと八重歯をのぞかせ、担ぎ手が囁いた。

「金目なんて珍しいからねえ、きゆ様が気にかけられるのもわかるよ。うさぎの姫さまもそう。俺らとちがう見た目のもんは神さまに近いから大事にしねえと」

「そういうものかのう?」

「そういうものさ」

 他の担ぎ手より幾分華奢な背を眺めていると、だしぬけに金色のまなこと目が合った。かさねを見定めるように眇められた眸は、しかし目が合ったときと同様、唐突に離れた。

「……なんじゃ、あやつ。ほんに、獣のようではないか」

 身体から急に力が抜けてしまって、かさねはへたりこむ。とたん輿が大きく弾んだので、むうと眉根を寄せ、天井から垂れたつかまり紐を握った。


 *


「ようお越しになられた、花嫁御寮。ささ、中へ」

 夫となる新月山の狐神は薄くらがりの中、赤提灯を掲げて待っていた。背後には今晩の宿となる御殿がそびえている。輿から降りたかさねは、金箔でも貼られているのか、宵闇に淡い光沢を放つ御殿を目を丸くして見上げた。

「なんと絢爛な……」

 貧しい莵道の土地とは比べるべくもない。

 御殿はかさねたちの住まう莵道と、神々の住まう異界とのちょうど狭間に立っている。この場所で一晩休んだのち、明朝輿の担ぎ手たちはかさねを置いて、橋の向こうの莵道へと戻る。かさねが向かうのは無論、狐たちの住まう異界のほうだ。

「お気に召されましたか」

 花嫁は異界に渡るまでは、夫になる狐神と口を利いてはならない。狐もそれは心得ているので、かさねの返事を待たずに歩き出した。左右にずらりと並んだ侍女たちが「ようこそ」と一斉に頭を下げる。ひとと変わらぬ姿を装っているが、正体は狐だろう。

「今度の花嫁御寮はずいぶん小さいこと」

 侍女の前を通り過ぎるとき、面につけた白布の下から、くすりと笑う声が聞こえた。

「ほんにうさぎのようで可愛らしゅう」

「ぺろりとできてしまうわね」

「ぺろりとするには、少々物足りないのでは?」

「ねえ……」

(ぺろりと?)

 ひそひそとかわされる侍女たちのささめき声に、かさねは眉根を寄せる。

(狐たちの言葉はようわからぬ)

 侍女のひそひそ話が聞こえぬわけではなかろうに、先導する夫の狐は構うそぶりも見せず歩いている。白布を掛けた面からのぞく耳はひとの形をしており、手や足もかさねと少しも変わらない。ただ、浅葱色の狩衣からぷうんと漏れるにおいはいやに獣くさく、かさねを落ち着かなくさせた。

「ささ、かさね殿。今晩、花嫁御寮がお泊りになる部屋はこちらです」

 狐はそう言って、襖を引き開けた。几帳で区切られた畳には褥が敷かれ、その脇に折り畳まれた夜着が用意されている。

「あ……、」

 お礼を言いかけて、そういえば口を利いてはならぬ決まりだったのだと思い出す。白布の下で、狐がうっすら笑ったのがわかった。

「かさね殿はわたしどもの仰ぐ天帝に嫁いだ姫君のすえ。天帝は自ら花嫁行列の道をひらいてやるほど、姫君を愛しておられたと聞きます。証拠に、かさね殿にも天のことほぎを感じられますよ」

 舐めまわすようにかさねを検分して、狐は顎を引いた。

「明日が楽しみでございます」

 じゅるり。去り際に舌なめずりのようなものが聞こえたのは気のせいだろうか。

(……狐はやはり苦手じゃ)

 衣の下で立った鳥肌をさすって、かさねは狐神を見送った。 

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