わだつみの宝石 2

 初夏の強くなり始めた陽が、少女の髪をいっとう輝かせている。

 かさねの結んだ髪が風になびくさまを眺めているのが、イチは結構好きである。紡いだばかりの絹糸が風と遊んでいるようで、愛らしい、と思う。――が、本人に言ったことはない。調子に乗られると面倒くさい。


「碧水にはあとどれほどでつく?」


 ふわりと風に舞う白銀の髪を目で追っていると、当人が急に振り向いたので、イチは若干面食らった。「ん?」とかさねは瞬きをしてから、あっ!という顔をする。


「もしや今、かさねに見惚れておった!?」

「見惚れてない」


 見ていただけである。

 碧水に向けて莵道を発ち、五日ほど経ったろうか。天候は安定していて、今のところ順調に進んでいる。かさねはいつものように高い位置でくくった髪に組み紐を結び、白の小袖に茜の切り袴をつけている。機嫌よさそうに鼻歌をうたう少女の歩みに応じて、首にかけた口琴が時折揺れる。祝言の日に、イチがかさねに贈ったものだ。


「もう折り返しを過ぎた。あと三日もあれば、つくんじゃないか」

「紗弓どのは元気かのう。イチは一度、漂流旅神と紗弓どのには会ったのだろう?」

「あいつはぜんぜん変わっていない。漂流旅神のほうは人間の赤子になっていたが」

「それはさぞかわいかろう」


 かさねは目を細めたが、正直あのときはかさねを取り戻すことのほうに必死で、紗弓と漂流旅神のようすについてはあまり覚えていない。イチが碧水で紗弓たちに再会してから一年が経った。あのとき乳飲み子だった漂流旅神ももうすこし大きくなっているかもしれない。

 考えてから、イチは横を歩くかさねに目を移した。


「あんたは出会ったときからあまり変わらないな」


 イチがかさねと出会ったのは、かさねがまだ十四のときである。

 今は十九。五年が経った。けれど、相変わらずちいさいし、目の高さもさほど変わらない。


「何を言うか」


 かさねは不満そうに頬をふくらませた。


「そなたが大きいせいでわからぬだけじゃ。背丈だけでなく手足もすらっと伸びたし、おむねさまだって多少……たしょうは……。まあそれはともかく、今は誰もが振り向く美女に育ったではないか! もっとしっかりかさねを見よ!」


 どん、と己の胸を叩いて、えらそうにする。

 さっき結構長いあいだ見ていたので、もう見飽きたし、無視を決め込む。

 この娘は出会った頃からこんなかんじで、イチは面倒くさい、と思うことが多い。ふつうの出会い方をしていたら、絶対にちかづくのを避けている。こういうよくしゃべって、うるさくて、感情の起伏が激しい人間は、イチは苦手なのである。

 昔はそのうえ、今よりもっと世間知らずで甘えたで、よく泣くし、駄々をこねるし、かと思えば、思いもよらぬ大胆なことをしでかしたもりして、振り回されて疲弊したり、苛立ったりしていた。


「前から訊きたかったのだが」


 新緑の木々に囲まれたなだらかな道を歩きながら、かさねはイチを見上げた。


「イチはいったいかさねのどのへんがさように好きなのだ?」


 また妙な質問を思いついたらしい。イチは呆れた。


「やっぱりかさねが美少女であるあたりか?」

「……おまえはいつも外見のことばかりを言うな」

「んんー。だって、かさねはかわゆいし」

「そうか?」


 愛らしいとは思うけれど、それはこの娘が見せる表情や仕草に対してであって、顔の造作に起因するものではない、とイチは思う。むしろ内側から生じるものだろう。


「顔だけなら、孔雀姫のほうが整っているだろう」


 外見なんて些事だろうに。

 と思って言ったのだが、かさねは盛大に顔をしかめた。


「そなた、そこは世辞でもよいから、かさねのほうがかわいいくらい言え! 失礼ぞ!」

「なら、あんたは俺の顔が好きなのか?」

「はあ? まあきらいではないが……」


 なぜかさねのほうが褒めているのだ、とかさねはぶつくさと文句を言った。

 まだなにがしか言っている少女の背で、くくった髪が揺れている。伏せがちの睫毛に宿ったひかりが雪のしずくのようだった。ずっと見ていたくなって、イチは一度目を伏せた。

 


  ***



 碧水には予定どおり三日後についた。

 街の門まで迎えにきてくれた娘にきづき、「紗弓どの!」とかさねは大きく手を振る。

 もとは六海領主の姫であり、龍神の娘でもある紗弓は、ひとごみでも目を惹く美貌を持っている。緩く波打つ長い髪は耳の下で束ねられ、南方の海を思わせる濃紺の小袖をまとっていた。その足元にぎゅっとしがみつく二歳くらいの幼子を見つけ、かさねは「あっ!」と口元をほころばせる。


「もしやそなたが漂流旅神か?」


 腰をかがめたかさねから逃げるように紗弓の背に隠れ、「だれ……?」と幼子はかぼそい声で尋ねる。極度の人見知りであるのか、耳の端まで赤く染まっている。おや、と首を傾げたかさねに、「赤子の頃はむしろよくしゃべっていたんだけどね」と紗弓は肩をすくめた。


「長じるにつれ、逆にしゃべらなくなっちゃったのよ。たぶんりゅう――ああ、この子の名前ね。流個人の自我が芽生えてきたからだと思うんだけど。そのうち、また戻るかもしれないしね」

「ふうむ、流というのか。よい名じゃ」


 漂流旅神は天帝の兄神でありながら人身に転生し、生まれ変わりを繰り返す異端の神である。神器を探す旅のなかで、紗弓の胎に宿った漂流旅神は、今生は彼女の息子として生を受けた。紗弓とよく似たぬばたまの髪に、ほっそりと伸びた手足、幼いながら賢げな面差しをした子どもだ。切れ長の眸は銀色をしている。

 夜空の星にも似た輝きにかの神を重ね、かさねは微笑んだ。


「莵道かさねじゃ。そなたの母君の友人で、そなたには昔、命を救ってもらった。こちらはイチ。そなたが赤子の頃に一度会ったことがあると聞いた」

「うん。覚えてる……」


 けふん、と咳き込み、流はむずがるように紗弓の腰に腕を回した。

 風邪をひいているのだろうか。流の背をすこしさすり、「この先にわたしと流が暮らす庵があるわ」と紗弓が促す。


「積もるはなしはそちらでしましょ」

「紗弓どのはウネたちとともに暮らしているのかと思っておったが」

「この子が乳飲み子だったうちはね。ただ、わたしは半分龍の血が流れているけれど、この子はいちおう人身でしょう。陸の暮らしのほうがよさそうだから、今は碧水で機織りの仕事をしながら暮らしているのよ」

「そうだったのか」


 紗弓の後ろについて、海沿いの道を歩く。

 かさねには新鮮に感じられる潮を含んだ風が吹き、滄海を波立たせている。青みを増した空では海鳥が鳴き合いながら飛んでいた。湊には漁をするための小舟が何艘も泊まり、網を曳く漁師のすがたも見える。

 前に碧水を訪れたときは、秋から冬にかけてだった。初夏の海は、あのとき見たよりも穏やかで、豊潤なみどり色をしている。


「ヒトたちはどうしておる?」

「あの子たちはすうが引き取って面倒をみているのよ。住んでいるのはここからはすこし離れているのだけど、あとで会いに行く?」

「うむ!」


 しばらく歩くと、なだらかに続く浜のそばにぽつぽつと茅葺の庵があらわれる。ひとひとりが暮らせる程度の質素な庵だ。出入口となる木戸には、白い貝殻が連ねて吊るしてあった。しゃらしゃらと貝殻を鳴らして戸を引き開けると、紗弓はふと思い出したようすでかさねを振り返る。


「そういえば、あんたたち結婚したんでしょ。遅くなったけど……おめでとう」

「紗弓どのも手紙をありがとう。祝言当日はのう、前日までイチが行方知れずになってたいへんだったのじゃ」

「行方知れずではないし、朝にはちゃんと帰っただろう」

「ぬけぬけと。かさねは婿どのなしで祝言を挙げることになるのではとひやひやしたぞ」

「……あんたたちって結婚してもぜんぜん変わらないわよね」


 呆れたようにつぶやかれ、「そ、そうなのか?」とかさねは動揺する。

 もっと旦那さまと妻っぽさを出したほうがよいのだろうか。新婚だし。と思ってイチの腕にぎゅっとしがみつくと、「それ余計、子どもと保護者みたいに見えるからやめたほうがいいわよ」とぴしゃりと言われた。紗弓は相変わらず毒舌である。


「なぜじゃ……。かさねがちいさいのがいけないのか?」

「つきあいが無駄に長いせいじゃない?」

「無駄ではない。長い時をかけて愛を育んだのじゃ」

「育まれた愛の方向が人間愛なんじゃない?」


 人間愛……。深い……。

 首をひねってイチのほうをうかがうと、流に手を引かれて浜を歩いていた。まるで聞いていない。この男は無愛想なわりになぜか動物や子どもに好かれるのである。


「紗弓どのはいじわるじゃ」


 息をつくと、紗弓はしてやったりという風に微笑んだ。


「その能天気そうな顔を見ていると何か言いたくなるのよね」


 イチは一途で愛情深いと思うけれど、かさねのように打算ややましさが混じらないので、確かに人間愛っぽい。しかし相手を女として見ていないのに、結婚するなどありえるのだろうか。ふつうならありえないが、相手はイチである。あの朴念仁なのである。


(祝言を挙げるまえにもっときちんと確認しておくのだった!)


 そこまで考えて、かさねははっと思い至る。

 いたしたいたさなかった以前の問題で、もしやあの男、初夜に何をするのか自体を知らないのでは? 祝言を済ませたらすべて終えたことになっているのでは。


「いやいやさすがに……あやつもそこまで大ぼけでは……」

「あんたはまたひとりで何を言ってるのよ」


 庵のまえにはあまり広くはないが濡れ縁がしつらえてある。

 旅のあいだ背負っていた行李を外して縁に腰掛けると、「じつは……」とかさねはごにょごにょと事の顛末を明かした。

 話を聞き終えた紗弓は呆れを通り越して、げんなりとする。


「つまり、あんたはその晩のことを何も覚えていないわけ?」

「そうなのだ」

「そんなことってある?」

「いや、ほんに……そんなことってあるのか?」

「わたしに訊かないでよ……」


 草履を脱いだ足をぶらぶら振って、ううむ、とかさねは考え込む。


「それっぽい痕跡がないか、あとで探してみたのだが、ようわからぬのだ」

「そういうの、さっさと本人に訊いたほうがいいと思うわよ。こじらせるまえに」

「しかし機を逸すると逆に訊きづらいではないか……。あとさすがのかさねも、それを相手に訊くのはどうかと思うぞ!」

「じゃあ、道中でそういう雰囲気にはならなかったわけ? ふたりでここまで旅してたんでしょ」

「うーん、旅のあいだはふつうに寝てしもうたし」


 運よく山小屋が見つけられても、ほかの旅人と一緒に雑魚寝をするわけだし、野宿をしたときも、イチの隣で上着にくるまってぐうぐう寝ていた。多少体力がついたといえど、歩き通しは疲れるのである。

 ついでにいうと、かさねは寝相が奔放なので、朝起きると、腕と足がイチの身体のうえにのっていて文句を言われた。――よく考えたら夫婦になってはじめての旅だったのに、やっていることがいつもとあまり変わらない。


「もっと色気を出しておくのだった……」


 頭を抱えて呻いていると、「あんたに出せる色気があるの?」と冷静に突っ込まれた。


「そりゃあ、紗弓どのほどではないが、かさねだって本気を出せば」

「――あら?」


 話のさなかに紗弓はなにかにきづいたようすで立ち上がった。

 浜で貝を拾っていた流とイチも海のほうを見ている。目を凝らすと、滄海にぽつりぽつりと黒い点があらわれ、ぐんぐんこちらにちかづいてくるのがわかった。和邇わにの群れ、それに海神の眷属――人魚たちだ。そのなかに見知った顔を見つけ、「ウネ!」とかさねは声を上げる。

 銀の鱗を持つ少年の人魚はひときわ泳ぎがうまく、岩がちの浜にあとすこしでたどりつきそうだ。

 濡れた岩に足をとられながら海面のそばに下りると、「かさね!」と前に聞いたときとはちがう声が響き、上半身が人身、下半身が魚である少年が海面から半身を出した。別れたときは、十三、四の少年であったが、あれから一年以上が経ったので年相応に成長して見える。以前より妖艶さが増した美貌に、子どもらしい笑みを浮かべて、ウネはかさねの首に腕を回した。


「ほんとうに来てくれたんだね!」

「……そなた、また誰ぞやから声を奪っただろう」

「大丈夫。用が済んだら持ち主に返すから。それより、文をちゃんと見てくれたんだ」

「文?」


 眉をひそめたかさねに、「わだつみの宝石をあげるってやつだよ」とウネが囁く。


「いや、あの文をくれたのは紗弓どのだろう」

「わたしは文なんか出してないわよ。結婚祝いはしたかったけど、流のことでちょうど忙しかったし。あんたのほうからこっちに来たいって言ってきたんじゃない」

「ええ?」


 状況がつかめず、ぱちぱちと瞬きを繰り返すと、「だって俺が呼んでも来てくれなさそうだったから」とウネはかさねの首に手を回したまま悪びれずに言った。

 ウネの濡れた銀の頭髪からは、潮のにおいと水魔らしい甘い香りがする。ふつうの女子であれば、たやすくよろめきそうな魅惑の香りである。


「じゃあ、あの文はそなたが紗弓どのを騙って出したのか?」

「うん、そう」

「あっさり認めよるな……」


 痛んできたこめかみをかさねは手で押さえた。

 イチの言うとおり、紗弓にしては妙に手が込んでいるとは思ったが、まさかウネの文だとは。


「さようにまどろっこしい真似をせんでも、かさねは呼ばれればどこへでも行くのに」

「かさねはそうでも、男のほうが止めそうだもの」


 追いついてきたイチにちらっと視線を向けて、ウネは肩をすくめた。

 燐圭りんけいが有する船上で出会ったときから、ウネはあまりイチを好いていない。あのときのかさねはウネに声を奪われており、イチは出会いがしらにウネを脅しているので、いたしかたなくはあったが。


「わだつみの宝石は、水魔が生涯に一度しかつくれないんだ。だから、かさねにあげたくて」

「そんなたいそうなものをかさねがもらってよいのか?」

「うん」


 花がほころぶような笑みでうなずかれる。

 かわいらしい。つられて微笑みかけたが、なぜか周りの視線がつめたい。具体的にいうと、紗弓と流とイチの視線がつめたい。さように夫のまえで不貞を働く妻を見るような眼差しをしなくてもよいではないか。人間愛なのに。いや、ウネは水魔なので正確にいえば種族を越えた愛だが。


「知らないようだから、いちおう伝えておくけど」


 深々と嘆息し、紗弓が口をひらいた。


「わだつみの宝石というのは、人魚が成人するときに『妻』に対して渡すものよ」

「つ、妻!?」

「宝石をもらうというのは、つまりそういうことよ。あんたってほんと……昔から神もひともたぶらかしまわるひどい女だったけど、行きつくところまでたどりついたわね……。重婚か……」

「いやいや、なにを言うておる! もらわぬ! そんなものはもらえぬ!」

「もらってくれないの……?」


 涙ぐんだウネに見つめられ、かさねはあわてた。年下の子どもの涙には弱い。

 ええと、としどろもどろになって、視線を横にそらす。


「も、もらうだけなら……」

「そういうところよ、あんた」

「だが、泣かれると無下にはできぬもの!」

「どうせ嘘泣きでしょう」

「うう」


 追い詰められて、かさねはウネに向き直った。


「そなたには前にかさねの気持ちを伝えただろう」


 かつて海に連れていきたいと言ったウネにかさねはこたえた。

 それはできないと。イチのことが大事で放っておけないから、ウネと海で生きていくことはできないのだと。

 あのとき、ウネは不承不承わかったと言ってくれたはずだった。一年以上も時を経て文を出してきたということは、きっとやむにやまれぬ事情があったのだろう。

 ばつが悪そうなウネの目の高さにかがんで、「何か困っていることがあるのか?」とかさねは尋ねる。


「かさねにできることなら、力になろう。いつでも呼んでくれてかまわないのだぞ。ほかの者の名を騙らずとも」

「でもずっと一緒にはいてくれないじゃないか」

「まあ、かさねもただびとゆえ、できることとできないことはある。しかし皆で考えれば、妙案を思いつくということもあるだろう。何があったかだけでも話してはくれないか、ウネ」


 首から腕を外した代わりにつないだ手を擦ると、しばらく時間をかけてから、ウネは観念したようすで息を吐いた。


「じつは――」

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