閑話休題

里帰り

 ※序幕「天都探索編」と一幕「六海龍神編」の間の時間軸



 目の前に広がる花霞に包まれた里を見渡し、かさねはほうと息をついた。

「やはり莵道ウジはよいのう。春らんまんじゃ!」

 出ていくときはまだ初春の様相だった里は、いまや木々の若芽が生えそろい、花は一斉に咲き綻んで、短い春を謳歌していた。野花の香をふんふんと機嫌よく嗅いで、「のう、イチ」とかさねは馬の轡と取る男を見やる。

「そなたが前に来たときは初夏の頃だったから、少しちがうであろう?」

「何か変な花が群れ咲いてるな」

「どれじゃ」

「あれ」

 イチが示した先には、螺旋を描く黒い花が艶光りしている。おお、とかさねは眉を上げて、花のひとつを摘んだ。

「これはなあ、ちょっとかさねの口からは言えぬ効能がな……」

「薬草か」

「びやく」

 花の先をイチの額につんつんと押し当てて、かさねは口端を上げる。

「ほーら、かさねにうっとりしてきたであろ?」

「乾いた馬の糞みたいなにおいがするな」

「詳細な感想はよい!」

 ぺいっと花でイチをはたき、かさねは道果てにようやく見えてきた屋敷を前に馬から降りた。莵道屋敷は背に鬱蒼とした林を抱え、春めいた外の世界をよそに、ひっそりたたずんでいる。

「かさねが帰ったぞー!!!」

 かさねが生まれたときから働いている老門番は近頃耳が遠い。ゆえ、腹に力を入れて大声を出すと、屯所からいそいそと老門番が出てきて、「末姫さま」と破顔した。

「おかえりなさいまし。また見違えるように麗しくなられて」

「であろう? であろう?」

「おおい、皆のもの、末姫さまが帰られましたぞー!」

 門番が声をかけると、屋敷の母屋や庭から次々に使用人たちが顔を出した。どれもかさねが幼い頃から馴染の顔ばかりである。

「おかえりなさいませ、末姫さま」

「いつ見ても、ほんにかわいらしゅう」

「うむ、だろうだろう」

「心なしか、女武者の凛々しさまで漂っておいででは」

「ふっ、惚れるでない」

「しかし、発育のほうはいささか……」

「あほう、希望に満ちたお胸さまだと言えい」

 ひとりひとりに律儀にうなずいて返し、かさねは旅の間付き合ってくれた栗毛を馬子の少年に預けた。草鞋を解きながら、「それで、たぬきの父上はどこにおる?」と尋ねる。

「お館様なら、出かけられておりますよ。夕刻には戻るそうですが」

「ふうむ、すれ違ってしもうたか……」

「ところで姫さま」

 取り囲む使用人たちの期待に満ちた眼差しを受けて、かさねは瞬きをした。

「なんだ?」

「そこな栗毛とともにおる男はどういう……?」

 イチを視線で示され、おお、と手を打つ。

「忘れておった。紹介しよう。こやつはイチ」

 イチの腕を引き、使用人たちに紹介すると、かさねは胸を張った。

「かさねの未来の婿どのじゃ!」


 というかさねの願望は、「何だそれは」というイチの冷ややかな突っ込みで瞬殺された。残念だ。かさねとしては、かさねについてくると言った時点で、こやつさてはかさねに惚れたな……と思っていたのに。

「うちの姫さまときたら、少々せっかちでいらっしゃいますので」

 ふかした饅頭に茶を出しながら、侍女の亜子アコが肩をすくめた。

「よいではないか。こやつもすぐにかさねの魅力にめろめろになるに決まっておる」

「どれどれ、かさねの未来の婿どのはどこにおる?」

 言い返していると、襖が引かれて長兄が顔を出した。一の兄さま、とかさねはぱっと顔を輝かせる。

「戻られていたのか」

「おい、聞いたぞ!」

 そこへさらに別の兄が床板を踏み抜く勢いで現われた。

「かさねの未来の婿を名乗る不埒者がいるというではないか! どこだ!」

「お変わりないようだのう。――三の兄さまじゃ」

 イチにもわかるようにかさねは紹介する。

「かさね! 聞きましたよ、ついに嫁ぎ先が決まったとか」

「一の姉さまと」

「末妹の晴れ姿を見られる日がようやっと」

「二の姉さま」

「かさねはいつ見ても愛らしいなあ」

「四の兄さまじゃ。二の兄さまは今日は不在のようだが……そなたも知っておるな。いざりの兄さまだ」

「………………多いな」

 沈黙の末、イチはそれだけを言った。

「かさねには四人の兄さまと三人の姉さまがおってな。莵道家のいちばん末っ子がかさねなのよ」

 それにしても、とかさねは集まった兄姉たちを見回し、首を傾げる。

「今日はどうしたのだ? 兄さまも姉さまも家を出て久しいではないか」

「今日は春来シュンライの祭日ゆえな」

 一の兄が重々しくうなずいた。

「そなたは運がよいぞ、かさね。春来の日にちょうど帰ってくるとは。皆で春を迎えることができるもの」

「そうか、そうであったな」

 莵道の里において、春を迎える日を春来と呼ぶ。春来には一族郎党が集まって天帝に感謝の祈りを捧げ、舞や供物などの饗応をして、春の女神にお越しいただく。大事な祭事のひとつだ。莵道に散らばる兄姉たちが屋敷に戻っていたのはこのためらしい。

「せっかく戻ったのだ。春の女神を招く舞はそなたのを期待しておるぞ」

「任せておけ」

 一の兄や二の兄がくしゃくしゃとかさねの頭を撫ぜる。我関せずといった様子でひとり饅頭を食らうイチに、何やら敵愾心たっぷりの視線を送り(といってもそれは草食獣の気弱さが勝るものだったが)、部屋を出ていく。次いでかしましい姉たちも皆はけると、イチは少々ほっとした様子で湯呑を手に取った

「あんたの兄姉ってあんなにいたのか?」

「皆、かさねの幼い頃には屋敷を出ておったゆえ、ともに育ったわけではないがな。ときどき帰ってくると、かさねを可愛がってくださるのだ」

「ああ……」

 遠い目をして、イチは顎を引いた。

「あんたの形成過程が今見えた気がした」

「けいせいかてい? 美少女のか?」

 眉根を寄せると、「……」イチは返答も面倒くさくなったらしく茶を啜った。

「まあよい。そなたもそのうち、この美少女に腰くだけになるのだからな。長旅で疲れただろう? 少し休め。かさねはあちこちに用があるから」

「姫さま。おともを呼びますか?」

「よい。母上や姉さまに会いに行くだけじゃ」

 空にした茶碗を亜子に返すと、かさねは立ち上がった。



「母上のぶんにひとーつ。姉さまのぶんにひとーつ」

 緑の萌ゆる山に向かって、かさねは懐から取り出した饅頭をひとつふたつと投げた。残った三つめは手を合わせてから、自ら食らう。セワの幹に背を預けて、もふもふとひとり饅頭を食らうていると、足元から銀灰色の狐が現れた。

「おかえりなさいまし、かさね嬢。よい時期に戻られましたな」

「新月山の狐か。元気にしておったか」

「上々というところでしょうか。かさね嬢は?」

「おお、それだが。ついにイチを見つけたぞ! かさねの粘り勝ちじゃ!」

 こぶしを握ると、「なんと」と朧は絶句し、何故か肩を落とした。

「あの愚図め……もちっと手こずらせよというに……くそう」

「何か言うたか?」

「いやいや」

 器用に前脚を振って、朧はかさねの頭に飛び乗った。

「かさね嬢がご機嫌なら、わたくしも機嫌はよいですよ」

「さよか」

「こうしてひとりのあなたと秘密の逢瀬もできましたしね」

 こめかみに鼻面を擦り寄せてきた朧に、くすぐるでない、と顔をしかめて、かさねはセワの幹から背を離す。この高台から莵道の里は隅々まで見渡せた。白い花群れがそよぐ里は春めいて、一層うつくしい。

「かさねはあちこち旅をしておるが、やはりここからの眺めがいちばん好きじゃ」

「ほう、どうして?」

「帰ってきたかんじがするからかのう」

 穏やかに目を細め、かさねはやがて山の端に日が沈むまでそこにいた。


 *


 春の女神をつつがなく迎えることはその年の農耕にも通じる。ゆえ、春来は莵道において、とても大事な祭事のひとつである。――らしい。すべてかさねからイチが聞いたことだ。

「春来で奉納する舞は、毎年莵道の娘が行うのがならわしなのだ」

 舞の装束をひらりと振って、かさねはイチに言った。緋袴に、朱の胸紐をゆるりと合わせた白無地の千早。くくった髪には芽吹いたばかりの花挿をさす。旅装ではないかさねはイチには珍しい。

「あんた、舞なんか舞えるのか」

「わかってないのう、そなた。かさねをただのお転婆娘だと思うておるな。むしろ、これがかさねの本業じゃ」

 ようく見ておけ、と指を突きつけ、かさねは莵道の者たちが待つ舞台に跳ねるように出ていった。四方に木々を立て、注連縄を張っただけの簡素な舞台である。しかし、扇を挿して立つかさねはさすがに慣れたもので、イチは離れた樹上から興味深げにそれを眺めた。

 どん、と重い太鼓の拍子に合わせて、少女が飛び出す。かさねの舞は優美ではないがしなやかで、艶やかさにはほど遠いが楽しげで、何よりひとの目を惹いてやまない熱があった。伸ばした指先が風をまとい、踏みしめられた地が冬の眠りから覚めて脈動する。春。噎せかえるような春が一斉に目覚めるまぼろしをイチは見た。目元を和ませて、つかの間春風の音を聞く。

 聞いていたが。

「はああ、やはりかさねの舞は愛らしい……」

「天女と見まごううつくしさだ……」

「どうしてうちのかさねはかように愛らしく美しく性格まで完璧なのだろう」

「これほどかわいいと神にまで愛されてしまうから困る」

 感嘆の吐息を漏らした四人の兄とふたりの姉が額を寄せてうなずき合っている。いさめてしかるべき年長の親族も、惚れ惚れと顎を引くありさまだ。

『いやあ、かさねときたらば、美少女なうえ、性格もよく――』

 したり顔でうむうむとうなずいている少女の姿が脳裏によぎり、あああの根拠が不明のすざまじい自信はこの兄姉たちによって十年以上かけて形成されたのかとイチはなまぬるい目で思ったのだった。


 *


「だーかーらー、きのうのかさねときたらば、ほんに天女のごとき美しさであっただろ?」

 さあ褒めよ讃えよさあさあ、と期待をこめてイチを見上げると、眠そうな顔であくびをされた。まるで聞いてない。もともと莵道は東に渡るついでに寄っただけなので、翌日の早朝にはかさねはイチと屋敷を出た。たぬきの父上は春来には同席していたが、結局話さないまま終わってしまった。

「せっかく渾身の舞を披露したというに」

 イチがさして褒めてくれないので唇を尖らせ、かさねはぶつくさと呟く。

「きれいだな」

「えっ、やはり!?」

 勢いよく振り返ると、イチの金のまなこはかさねのほうではなく、光がこぼれ始めた山の端を見つめていた。夜が明けようとしている。みどりの山野が黄金に輝くこの瞬間は、確かにこわいくらいに美しい。颯となだらかな草野を風が駆け抜けた。舞い上がった髪を押さえ、かさねもまた目を細める。

「うむ。そうだな」

 ――いってきます。

 山と里に向かって頭を下げ、かさねは荷を背負い直した。

「さあ、出発じゃ!」

 そうして光射すみどり野に駆け出した少女にひととき目を奪われた男がいたかもしれなかったのは、また別のはなし。



【閑話休題・完】

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