第2話 セーブしてみた

 画面自体はGoogleのトップ画面並にシンプルだ。画面中央、大きめの【セーブポイント】というロゴの真下に「ここで人生をセーブしますか?」というふざけた一文。その下に新規登録もしくはログインの設置ボタンがある。


 ふだんならネタサイトにしてもつまらないと思ってスルーしていただろう。実際、無気力になっていたのもあってそうしかけた。わざわざ登録などかったるい。下手に個人情報を渡すとスパムが来るかもというリスクもこの手のサイトにはあった。


 それでも最後に背中を押したのは、ひとつには少しでも現実逃避したかったこと。そしてもうひとつは、サイトの内容がまったくわからず、ひょっとしたら愚痴くらい聞いてくれる場所かもしれないという程度の、一抹の期待があったからだ。タイトルからは人生相談サービスみたいなものをぼんやりと予想していた。


 メールアドレスを打ち込むとすぐに承認メールがやってきた。即クリックしてURLから飛び、サイトに戻る。ログイン後の画面もほとんど変わらなかった。大きな手書き風ロゴ、真下にここで人生をセーブしますか、ここまでは全く同じ。唯一の変化は、新たに登場した「はい/いいえ」のボタン。


 これだけ?


 小さく裏切られたような気分がして、ぼくはやけくそ気味に「はい」を押した。


 すると画面が切り替わり、アカウント画面らしきものが表示された。項目の中に「現在のあなたのセーブポイント」というのがあり、「1」の横に今日の日付のタイムスタンプが押してある。つい今しがたにセーブした地点、ということだろう。「2」「3」というのもあるが、これはグレーアウトされていた。


 【人生をロードする場合は、セーブポイントを選んでください】という但し書きがあった。


 イタズラにしては手が込んでいる。これだけのサイトを作るのにどれだけの労力が必要になるのだろう。半分あきれながら、ぼくは「セーブポイント1」を選択して実行ボタンを押してみた。五秒。十秒。待ってみるがなにも起こらない。


 ま、そりゃそーだ。


 あきらめてパソコンをスリープさせ、もはや何もかも嫌になってすぐ傍のベッドに身体を投げ出す。心労と疲労のせいかすぐに睡魔が襲ってきた。晩飯食わなきゃ、勉強しなきゃ。頭の中で抵抗の声がする。けれども抗えなかった。


 やがてすべてがどうでもよくなり、ぼくの意識はそこで途切れた。




 目を覚ますと朝になっていた。


 一瞬青ざめ、すぐに感情はちょっとした逆恨みに変わる。母さんごはん時に起こしてもくれなかったのかよ。一夜漬けさえできなかったじゃんか。これでもう完全にアウト。どうしてくれんだ。


 とはいえもうどうにもならない。ほとんど理不尽な言いがかりなのもわかっていた。原因はすべて自分なのだ。そう思うと怒りすら長続きせず、もはや投げやりの境地になる。いいや、もう。どうあがいたって時間は戻せない。


 どうあがいたって時間は戻せないのだ。


 覚悟を決めて、登校の準備をする。とりあえず着替えなきゃ。ラモーンズの古着のパーカーに下はアディダスのスウェットという、ふだんの部屋着のままで寝ていた。洗濯のローテーションにもよるが、寒い時期はだいたいこの格好でいることが多い。


 昨日はこの上に、そのまま制服の学ランを引っかぶせて登校したが、さすがに二日連続でそれは憚られる。たまたまラモーンズを知っていたロック好きの友達に気づかれてもいたので、お前今日もまたそれかよと突っ込まれるのは明白だった。


 適当に厚手のカットソーに替え、眠気の余韻が収まって頭がはっきりしてきた頃、ようやくそれに気づいた。


 何かがおかしい。


 部屋の中に微妙な違和感がある。だけどそれが何かはわからない。ともすれば見逃してしまいそうな程度の、なのに確実に存在するこの感覚は何だ。


 デジャブにすごく似てる。けれども同時に、履き慣れていない靴に足を合わせているような、奇妙なズレのようなものがある。しかもデジャブなら一瞬で通りすぎるのが常なのに、このフィーリングは消えずにずっと持続していた。


 既視感のようなもののくせに、それでいて初めての感覚だった。ぼくは若干の混乱を覚えつつも、ひとまず頭を振り、洗面所に行き顔を洗うとそのままキッチンに向かった。おかしな寝方をしたせいで睡眠が浅かったのかもしれない。


「おはよ」


 キッチンでは母親が朝食を作っていた。トーストとサラダがすでに食卓に並んでいる。ぼくは和食のほうが好みなのだが、どうやら昨日と同じく本日も洋食メニューだ。卵か何かを焼いている途中らしく、こちらに背を向けたまま挨拶が返ってきた。


「おはよう。早いね」


「母さん、ゆうべ起こしてくれなかったんだね」


「ゆうべ?」


 ぼくは冷蔵庫から牛乳を取り出し、マグカップに注ぎながら応える。


「寝てた。帰ってから」


「ああそうなの。知らなかったから」


「晩メシ食い損ねた。俺さ、メシって呼んでも起きなかったの?」


 恨みがましい口調にならないように、あくまで淡々と呟くようにぼくは言った。カップにポットの湯を注ぎ足し、インスタントコーヒーを入れてかき混ぜる。


「夕ごはん?」そこでやっと首だけこっちに振り向いた。「何いってんの。食べてたじゃない。とんかつ」


「とんかつはおとといだよ」


「おととい? とんかつはきのうだよ」


 どうも話が噛み合わない。昨晩のメニューもおとといのとんかつの残りだったのだろうか。そんなに量はなかったように思ったのだけれども。


 でも勘違いを朝っぱらからしつこく訂正するのも億劫で、ぼくはそこで切り上げてテーブルについた。マグカップのコーヒーを一口。それから椅子に置かれていた新聞を広げる。


「あれ」とぼくはすぐに気づいて言った。「新聞屋さん、間違えてる。きのうの新聞が届いてるよ」


「本当?」


「うん。番組表で気づいた」ぼくは日付や一面をチェックしながら言った。

「火曜日のが届いてる。ほら、このニュースも昨日もう見たし」


「ねえさっきから大丈夫?」と、母は今度は体ごと振り向いて言った。「まだ寝ぼけてるの」


「大丈夫って何が」


「だって今日は火曜日じゃないの」

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