二日目から四日目

 ぼくは今、ようやく落ち着いて、こうして筆をとっている。昨日、無事にヴィアパーンの辺境などではなく、都にあるきちんとした宿屋に入ることができた。出立から五日目のことである。

 特別、進路を阻む事件があったわけではない。追っ手の影も形も見えなかったしーーきっと、どこか別のところを探しているのだろうーー身元だって照会されなかったし、都では、少々奇異な目で見られたものの、ダヴィウォアを所持していることに対して宿泊拒否もされなかった。

 そもそも、この知識の谷には、あらゆる国からやってきた人間がひしめき合っている。聞いたことのない音を立てて滑るように空を走る乗り物だってあったからーー彼らは、高い塔のてっぺんの窓に乗り付けていたーーぼくのダヴィウォアの脚について異論を唱える者なんていないのだ。

 問題はーーぼく自信の調子が少しもよくならなくて、あの宿屋で二日も寝ていなくちゃならなかった、ってだけだ。熱が出なかったのは幸いだった。

 ようやく昨日、旅の続きが始まった。続く以前は、何もないのだけれど。


 辺境の宿を出てみると、村は、大きな湖の畔とそびえる山の間にあるのが分かった。空気は澄んで冷たく、ぼくはいささか不安な気持ちになりながらも、ダヴィウォアを歩かせた。宿屋の女主人が、無理矢理持たせてくれた毛織物を抱える。少なくとも、山を越えたときよりは、ましだろう。

 小さな舟がいくつか浮かんでいるのを横目に見ながら、ぼくは湖を迂回するように進んだ。湖の上を飛んでいけば、もっと早く進めるのは分かっていたが、石を使う勇気はなかった。そこまでぼくも、勇敢じゃない。ちょっと、家出を企てる程度しか、力なんてないのだ。

 ヴィアパーンは、我が国に比べて国土がかなり広い。もう一つの隣国、ルギウス=デ=シュル=ぺに比べたら、どちらも微々たるものではあるが、一日、ダヴィウォアを走らせれば端から端まで行けてしまう我が国とは違う。

 湖から流れる谷川を越え、一つ目の山脈を回り込んで都に着くころには、空は夕焼けになっていた。

 春は、夕焼けもどこか儚げだ。それに、我が国で見るのと比べるとーー切なかった。

 眠たげな空の色に誘われるように、町には灯りが点るところだった。国の中心も我が国より栄えている。もう夜が来るというのに、我が国の人間を皆集めたのではないか、と思うほど、人が溢れていた。店の外ーー広場にも、裏道にも階段にもーー椅子と机があって、誰もが陽気に飲んで食べて騒いでいる。町全体が、飲食店のようだ。

 いや、実際、驚いた。

 ぼくはもっと、静かな町を想像していたのだ。確かに、各国から大勢が集まるのだから、人は多いだろう。しかし、知識の谷と言うくらいだから、本も人も、寡黙に暮らすとばかり思っていたのだ。まあ、本が騒ぐことは、ないだろうけれど。

 宿屋もたくさんあった。にもかかわらず、ほとんどが埋まっているようで、断られている客も何人か見かけた。

 泊まるところがないのは困る。体力は万全ではないし、万全だったとしても一日、ダヴィウォアを動かしたら疲れる。座っているだけで石も使っていないけれど、もうへとへとなのだ。暖かく柔らかい布団で眠りたい。昨日まで、充分すぎるほど寝ていたとしても、だ。

 ただ、ぼくが看板を見て選んだ宿には空きがあった。ぼくは、しばらくこの想像よりも騒がしい知識の谷に滞在するつもりだったから、そのように告げると、相手は快く承諾してくれた。

 ついでに、ダヴィウォアを預かって、面倒をみてくれるとも言ってくれたが、それは断った。有能な技師が修理や調整をしてくれるらしい。興味はあるが、あれはぼくのだ。停めさせてくれたら構わないのだ。


 通された部屋は、建物の四階にあった。我が家のもっとも高い部分に近い場所だ。ぼくは初めて昇降機に乗った。どうしても気になって、尋ねてみたら、後日、その例の技師が点検に来るときに、からくりを直接見せてもらえることになった。

 このとき、ぼくは旅に出て本当によかったと思っていた。幸福と充足感の波間に漂いながら、しばらくの自室となる部屋に入り、荷物を解いた。

 部屋は快適に整えられていた。旅人たちが普段と変わらずに過ごせるよう、隅々まで配慮が行き届いている。窓の向こうには、闇夜に浮かぶ建物の群が見えた。

 ぼくを部屋に案内してくれた若い男が言うには、右手奥に見える建物のほとんどが、書物で埋まっているらしい。

 また、彼はぼくにとって一番大事なことも教えてくれた。図書館の建ち並ぶ一角をさらに北に抜けると、政治的にも中心部に達する。

「北東の端、山裾にこのあたりでは大きな三日月湖がございまして。その対岸にあるのが、宮殿です。毎月二回ほど、一般にも解放されております。何しろ、あちらでしか閲覧できない書物も多いものですから」

 そういって、彼は何か身内特有の冗談を言ったかのように、笑ってみせてくれたので、ぼくもぎこちなく笑みを浮かべておいた。そして、心の中では誓っておいた。

 絶対に行くもんか。近付きすらもしないさ、その一角には!


 ぼくが一息ついたのを見計らったように、別の若い男が、暖かいスープと飲み物を載せた盆を持ってやってきた。彼は、本当にこれだけでいいのかとしつこく聞く。ぼくは、愛想笑いを浮かべながら、焼いた何かの肉を皿に盛ってこようとする彼を一生懸命に落ち着かせた。

 そりゃあ、君のような若い男は、旅の疲れを癒すために子豚を丸ごと焼いたやつにかじりつくのかもしれない。だけどね、残念ながら、ぼくの胃腸は繊細なんだ。(年はーーぼくのが若いかもしれないけど)そんなもの、食べられるわけがないじゃないか。むしろ、具なんて存在しないくらいに煮込んでほしい。頼むから。

 存在していたけれど、とろけるように煮込まれていたスープは、大変においしかった。家で食べるのに比べると、少し酸味と塩気が強い気がする。何点か、見たことのない野菜も入っていたが、特に気にならなかった。市場にでも行って、この辺りの特産を聞いてみるのもおもしろいだろう。

 何より、この食事にぼくの胃が納得してくれたみたいだったのはいいことだ。それが何よりだ。


 そうして、とりあえず、ぼくはもう、眠ることにした。これを書かなきゃならないことは分かっていたが、明日ゆっくり書こう、と思ったのだ。

 だって、ようやく目的地に到着できたのだ。あとはそれこそ、だらだらと好きなように過ごせばいいじゃないか。そうしているうちに、体調の方も万全になるだろう。

 ぼくは、新しい町に期待を込めて、横になった。

 まどろみの中で、だけど、と考える。

 家を飛び出してみて、知らないことはたくさんあった。ぼくの家だってある程度の書物はそろっていたし、なにしろ隣国だから、聞いて知っていたことは多かったのだ。

 しかし、実際に体験してみるのとは全く違う。人が生きて動いてしゃべって暮らしているのを、生で感じるのは違う。

 本当は、世界有数の所蔵を誇る本の町にあこがれていたけれどーーぼくがふと思ったように、町の中をあてもなく歩く方が、いくらも新鮮で刺激的かもしれない。


 そんな風にして、ぼくが夢の世界に片足を突っ込んでいたときだった。

 ガラスの割れる音がした。

 それはほんの小さな音だったが、ぼくを起こすには充分だった。

 寝台の上で半身を起こしてみると、窓辺にーーというか、窓枠のところに黒い人影が立っている。ぼくは眠い目で、ぼんやりとその人物を見た。小柄で華奢な体つきをしていることだけは分かる。全身黒い服をまとっていて、頭も何かーー頭巾のようなものをかぶっていた。

 しかし、なんだって、こんな夜更けに窓から人が入ってくるのだろう。さすがに、我が家でこんなことはなかった。それとも、ヴィアパーンでは、よくあることなのだろうか。

 人影は、ぐるりと室内を見回して、寝台にいるぼくに気がついたようだった。制するように片手をあげて、しっ、と小さく声を上げる。

「黙っていれば悪いようにはしない」

 それは若い女の声だった。くぐもって聞こえるのは、口元にも黒い布を巻いているせいだろう。話に聞く、盗賊のようだ。

 そこで、ぼくはようやく、恥ずかしながら気がついた。この部屋は襲撃を受けたのだ。ああ、どうしたらいいのだろうか。ぼくは大したものを持っていない。そのように主張しようかとも考えたが、黙っているように言われたのだから、それが賢明というものだ。

 盗賊は、ぼくの方へ一歩、近付いた。そして、

「あぇっ?」

変な声を出して、さらに近寄ってきた。動くなとは言われていなかったぼくは、寝台の上でごそっと身をよじった。盗賊が怖かったんじゃない。何かものすごく嫌な予感がしたからだ。

 いや、本当のところは分からない。実際に、その一瞬の間に何があったのかーー自分が今、いいように書いているのかもしれない。

 ただ一つ確かなことは、この国で滞在するにあたって、ぼくがもっとも恐れていて、避けるべきだった事態が起きてしまったということだ。

 なぜなら、盗賊は、言ったのだ。自分の口を覆った布を外しながら。

「キクス!?」

 こともあろうに、ぼくは、その声と顔と、発言に、思わず反応してしまった。

「・・・・・・ティナ」

「あんた、こんなところで何やってんのよ?」

 ティナはものすごく不審なものを見るように、ぼくを眺め回した。ちょうど、あの辺境の宿屋の女主人がやったように。

「だいたい、来たなら来たって言えばいいじゃない。何なの、わたしたちに挨拶する気なんて無かったってわけ? こんな宿屋に泊まっちゃってさ。わざわざ、お金を出すなんてバカみたい、うちに部屋があるのに」

 ぼくは、何から反論すべきかものすごく迷った。早口でまくし立てたティナは、そこで、すっと眉をひそめた。彼女が片手で頭巾を外すと、少し明るめの栗色をした巻き毛がふわりと肩に落ちる。

「ちょっと待ってよ・・・・・・」

 彼女はぼくの寝台に腰掛けて、ぐっとこちらに顔を寄せた。ぼくはますます仰け反った。

「あんた。ホントに何してんの? 探されてんの、知ってる? うちにも通達が来てたわよ。ある朝目覚めたら、末の息子が消えていたって。絶対あれ、シュルペにも出されたわね。聞いたところによると、あなたのご家族は大層な取り乱しぶりらしいわよ。何しろ末っ子は、こんな寒い季節に外を出歩いて無事でいられるはずがないから、って」

 なんと答えたものか、いや、今すぐ逃げるべきか、結局ぼくは呆然とティナを眺めるしかなかった。

「確かに、顔色はよくないわね。それで寝てるのね?」

「夜だからだろ」

 ようやく、ぼくは呻いた。

「ぼくの顔色なんてどうでもいいじゃないか」

 しっかりと身を起こして、ティナに向き直る。

「それならこっちだって言わせてもらうけど、君こそ、何やってるんだ。ぼくの批判なんてできるわけないだろ」

「あら、じゃあ、つまり、本当に家出してきたのね」

「一国の王女が宿屋に乱入して許される国だとは思わなかった」

 ティナは怯むどころか、反対に偉そうに胸を反らした。

「わたし、王女は廃業したの。今は、怪盗よ」

 ばかじゃないのか。

 ぼくはあきれて言葉もなかった。そして思った。これは、夢だ。ティナに会っちゃいけないって思う余りに見てしまった悪夢だ。

 そうか、とぼくは言った。突然、眠気が襲ってきた。夢なのに眠いのは理不尽だと思ったが、正しい夢の道に戻る時間が来たのだろう。

「ぼくは寝るから・・・・・・ぼくの荷物にはめぼしいものはないと思うし・・・・・・」

 少なくとも、ティナがほしいのはお金じゃないはずだし。

「宿の人や家族に迷惑をかけないように、さっさと帰るんだよ」

「何言ってるのよ? ってホントに寝ようとしないの!」

 きんきんした声で、ティナはぼくの夢の旅まで邪魔してくる。

「うるさいよ。もう、ぼくのことは放っておいてよ。『黙っていたら悪いようにはしない』から」

「そうね・・・・・・黙っておいてあげるわ」

「ありがとう」

 ぼくはほっとして、布団の中に戻った。

「そのかわり、キクスに手伝ってほしいことがあるの」

 耳元でささやくように言われて、ぼくはぎょっとして目を開ける。ティナは、すぐそばで、非常にまじめな顔でぼくをのぞき込んでいた。

「本当は、どうにかしてあなたにお願いできないかって考えてたのよね。それを、こうしてあなたのほうからのこのこ家出をしてきてくれたわけでしょう。その上、わたしはあなたの秘密を握ってしまった・・・・・・」

「嫌だって言ったら、ぼくを突き返すの? でも、王女じゃないならそんな権利はないはずだ」

「バカね。匿名の通報って手があるでしょ。だけど、ねえ、キクス、考えてもみて。そんなこと、されたくないはずよ」

 ティナにつきあうのも、嫌だけど。

「わたし、あなたのことを高く買ってるのよ。確かに・・・・・・小さい頃からひ弱で、変な本ばかり読んでて、せっかく同い年のいとこなのにちっとも一緒に遊べなかったけど」

 それが嘘だということを、今ここに、はっきり記しておく。

 ぼくは、何度もティナのへんてこな遊びにつきあわされた。彼女が我が家に遊びに来るたびに。

 毎回、ぼくにとってあまり喜ばしくない結果に終わるのに、なぜか両親はしょっちゅうティナをうちに呼んだ。確かに、ぼくの兄たちは年が離れていて一緒に遊ぶような相手ではなかったし、ほかにもいる親戚の子は、気軽に我が家に呼べる相手じゃなかった。

 そしてーーぼくはこの年になってもまだ、同じようにティナの罠にかかっていることに、気付かされる。

 いつだってそうだった。ぼくは・・・・・・ぼくは、何も反論できないうちに、彼女に巻き込まれて、気が付いたら、強引に何か怪しい活動をさせられているのだ。最終的に行き着くところは、だいたい体調不良で、そうでない場合は、大人に怒られる羽目になる。ティナが始めたのに、ぼくが。

「嫌だよ。何か知らないけど、絶対に、嫌だ」

 ぼくはできるだけきっぱりと宣言した。なのに、ティナは勝手に続けた。

「ね、キクスは石を使えるでしょう。あの力をちょっとだけ貸してほしいの」

「嫌だ」

 断固として断っているのに、どうしてティナはちっとも堪えないんだ。

「だって、わたしにはそんな不思議な力はないのよ。キクスの力があれば・・・・・・わたし・・・・・・」

 それまで、調子に乗っていたティナが、思い詰めたように口を閉ざした。珍しく、何かを言い淀んでいる彼女に、ぼくは思わず言ってしまった。

「どうかしたの?」

 うん、とティナはそれでもまだ口ごもる。ぼくから目を目を逸らして、くるくると自分の髪を触り始めた。

「変な話なんだけど・・・・・・ねえ、わたし、夢を見たの」

 はあ、とぼくは気の抜けた声を出した。どんな悩ましげな夢を見たっていうんだ。

 ティナは思いきったように、ぼくを見た。

「わたしね、本当は、この世界の住人じゃないの、本当は、本当の本当は、別の世界から間違ってここに来ちゃったの」

 はあ、とぼくは再び気の抜けた声で応えてしまった。だって、どうしたらいいんだ、こんな子。

「だから、どうしても帰らなくちゃいけないの。だって、向こうにはわたしの本当の家族がいて、本当の生活があるんだもの」

 なぜだかティナは、本当に泣きそうな顔をして言った。

 反対にぼくは、本当に眠くなった。ぼくも何か、平和な夢が見たい。

 ぼくの瞼は、半分閉じていたんだと思う。

 彼女はしばらく、切なげな顔をして(ぼくにそんな顔をしたって仕方がないって気付いてほしい)ぼくを見ていたが、ため息をついて立ち上がった。

「分かったわ」

 あきらめてくれたんだ・・・・・・。

「今晩は帰る。そもそも・・・・・・部屋を間違えちゃったみたいだし。キクスがいるなら、作戦を練り直してくるね」

 え・・・・・・。

「お休み、キクス。ごめんね、具合が悪くて寝てるところ。だけどできたら、早く元気になってね」


 その後、どうなったのか、ぼくは知らない。

 朝、あまりに寒くて目が覚めた。暖かく柔らかな布団にくるまっているはずなのにおかしい。これでは、またこの前の夜みたいになりかねない。

 起きあがってみたらぼくの部屋の窓は見事に割れていて、夢じゃなかったって判明した。窓辺の小さな丸机の上に置いてある、花瓶も割れている。そこに、紙切れが一枚、載せられていた。丁寧に、花が添えられているが、それは単に割れた花瓶に入っていたものだろう。紙には見覚えのある独特な字で、何か書いてあった。

 ああ、夢ならよかったのに本当に。

 ティナの連絡先なんて知りたくない。書いていったところで、ぼくが連絡するわけないじゃないか。それにーー放っておいたところで、また勝手に来るんだ。

 ぼくは、紙を裏返して、椅子に座り込んだ。このまま、もう一度寝台に戻って、寝てしまいたかった。だが、それでは体が冷えてしまう。

 といってーーここで、宿の者を呼んでだ。どうして窓やら花瓶やらが割れたのか聞かれたらどうすればいい?


 悩んだ末に、ぼくは人を呼ぶことにした。

 どちらにしても、宿の者はいずれぼくの部屋に何か用がないかと来るに決まっている。来ないでくれとは言っていないからだ。何か暖かい飲み物だってほしいし、それを持ってきてもらえば、窓を見るだろう。

 まあ、そこで何事もないかのように振る舞ってもいいのだがーーそれじゃあ、寒いから。ぼくは、寒いのは嫌いじゃないけれど、ぼくの体の方はあんまり歓迎していないみたいだから。どうにか、修理をしてもらわなくてはならない。

 やってきたのは、また別の若い男だったが、さすがに窓をみてちょっとびっくりした顔をした。だが、よほど訓練されているらしく、何も詮索されなかった。

 部屋を変わるかと聞かれたが、それは面倒くさい。寝室の隣に、少し小さめの書斎があるのは知っていたから、ぼくは窓が修理されている間、そこでこうしてこれを書くことにしたってわけだ。


 だけど・・・・・・ぼくは旅に出たんだ。

 旧知のいとこが窓から問題を持ち込んできて、それに巻き込まれるために隣国にやってきたわけではない。

 だけど、ああ、そういえば、ティナは言っていたじゃないか。ぼくはついに手配犯になったって。国際手配だ。そこまでするか? するだろう。我が国は狭いんだから、すぐにいないことは分かるだろうし。

 それを考えたら、スパスィラーヴォ方面に出なかったのは賢明な判断だった。シュルペは大国だが、それだけに統率がとれている。中央と地方の関係も良好だ。特に、スパスィラーヴォなんてだめだ。

 どっちにしたって、我が国の周りは、たいてい我が家の親戚が住んでいる。だから、ぼくの味方なんてどこにもいないんだ。

 とすれば、ものすごく嫌な考え方だけれども、ティナの言うとおり、彼女のへんてこな遊びにつきあっているのが、もっとも安全かもしれないのだ。


 ぼくは、これでも辺境の宿を意気揚々と出立したつもりだ。だというのに、またしても、足止めを食らう羽目になった気がする。

 ぼくとティナのつきあいは長いんだ。もうかれこれ、17年にはなる。だから、分かっている。今更、ティナはあきらめないし、情けないぼくは、彼女の言いなりになってしまうんだって。

 旅の記録が、途中からおかしな方向に転がってしまうことは否めない。

 いや、もうすでに、か。

 どうやら、窓の修理が終わったらしい。

 ぼくは、もう少し考えてみることにする。ティナからも、追っ手からも、うまく逃げられる手があるかもしれないから。

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