第45話
「……お腹空いた」
空腹を告げる音が耳に響くと同時に、夜の闇に包まれた一室にいる幸太郎は目を覚ます。
見慣れた白い天井と微かに香る消毒液のにおいで、度々世話になっているセントラルエリアの大病院の一室であることに幸太郎はすぐに気がついた。
「――よぉ、お目覚めか」
「ファントムさん、それに、ヘルメスさんもどうも」
不機嫌そうなファントムの声に一気に目が覚めると同時に、幸太郎は自分が眠っていベッドの隣に立つファントムと、出入り口の扉の前に立つヘルメスの存在に気づいた。
「まだ眠いんですけど、僕、どれくらい眠ってました?」
「八時間程――今はもう深夜だ」
「それじゃあ、まだまだ眠れそうですね」
「……状況を知らないとはいえ、呑気な奴だ」
まだ眠る気でいる幸太郎に、ヘルメスは心底呆れて苛立ったように、それ以上に何も知らない幸太郎を憐れむように小さくため息を漏らした。
「まさかお前がアルトマンと賢者の石を消滅させるとは思いもしなかったぜ。まったく……あのクソ親父を始末するって言っておきながら、倒れているだけで何もできなかったこっちは無様だぜ」
「……あ! そういえば、そうでした!」
アルトマンの力を受けて気絶していたファントムだったが、幸太郎とアルトマンとの決着だけは何とか目を覚まして見ていたファントムは、偉そうなことを言っておきながらもアルトマンを倒せなかった自分を心底情けないと思い、悔しく思っていた。
忌々し気に放たれたファントムの一言で八時間前の出来事を一気に思い出す幸太郎は安堵するとともに、複雑な表情を浮かべた。
「アルトマンさん、やっぱり消えちゃいましたか?」
「お前が気にすることはねぇよ。アイツの自業自得だ。それに、アイツを完全に倒すためには、あれしか方法はなかっただろうな」
「そうだとしても、止められることができたのかなーって思います」
「……アルトマンのことよりも他のことを気にしろよ」
「あ、ヘルメスさんとファントムさん、無事でよかったです。セラさんたちも無事ですか?」
「そういうことじゃねぇよ!」
自分よりも他人、敵であったアルトマンのことでさえも気遣う幸太郎の姿に、ファントムは募っていた苛立ちを爆発させる。
「お前、自分がどんな状況になったのか、わかってんのか? ……お前、オレとヘルメス以外の――セラたちの記憶から……存在が、思い出が、全部抜け落ちちまってんだぞ! 半年前と同様に! もう賢者の石がねぇから元には戻れねぇんだぞ!」
「そうですか」
何も理解していない幸太郎に苛立ちを爆発させて、悲痛な叫び声にも似た怒声を張り上げて、ファントムは幸太郎にとって厳しい現状を伝えた。
しかし、それを聞いた幸太郎は特に驚くわけでも、ショックを受けることも嘆き悲しむこともなく、ただただ平然とした様子で現状を受け入れた。
そんな幸太郎に苛立ちを爆発させたファントム――ではなくヘルメスが詰め寄る。
「お前はそれでいいのか? もう、賢者の石もなく、記憶を戻す手立てを失った……お前は再び孤独になったのだ」
「ヘルメスさんやファントムさんが覚えていてくれているので、いいです」
自分のことを覚えていてくれている、自分のために怒ってくれる二人を見れただけで幸太郎はよかった。
それに何より、幸太郎は――
「僕が選んだことなので、後悔はしていません」
すべてを失っても、それが自分の選択だからこそ後悔しなかった。
平然とした様子で相変わらず能天気な、しかし、若干いつもよりも力のない笑みを浮かべる幸太郎に、苛立ちも忘れてヘルメスとファントムはただただ脱力していた。
「……そんなもの、ただの自己満足だ」
「そう言われると、ぐうの音も出ません」
自身の決断を自己満足であると評するヘルメスに、幸太郎は何も反論できない――しかし、これでよかった。
「でも、これで賢者の石でみんなが縛られることがないからいいです。確かに、セラさんたちから僕の記憶がなくなって残念ですけど、いつかきっと取り戻してくれるって信じてますから」
「不可能だ。もう賢者の石もなければ、自分たちの記憶に違和感を抱いている節はない――記憶を取り戻そうとどんなに足掻いたところで、無駄に終わるだけだ」
「無理に思い出させなくても、大丈夫です」
「どうしてそこまで言い切れる」
「みんなを信じてますから」
セラたちの記憶は絶対に戻らないとヘルメスは言っているのに、幸太郎は一歩も退かず、ただただ能天気に、希望に満ちた力強い笑みを浮かべているだけだった。
普通なら絶望してもおかしくない状況だというのに能天気な笑みを浮かべて絶望せず、むしろ希望に満ちている様子の幸太郎を、ヘルメスとファントムは心底理解できなかった。
「どうしてだ? どうしてだよ……どうして、お前は絶望しないんだ?」
「みんなを信じてますから」
「どうしてそこまで信じられるんだよ」
「賢者の石を倒したのはみんなの力のおかげです」
心底幸太郎の気持ちを理解できないファントムの問いに、幸太郎はついこの間のことを思い出しながらそう言った。
「半年前失った記憶を、賢者の石で作られた偽物の記憶だっていうのにセラさんたちが取り戻したのは、賢者の石の力のおかげじゃありません。あれはセラさんたち自身の力だから、セラさんたちがいつか必ず記憶を取り戻してくれるって信じてます」
賢者の石に打ち克ったセラたちならば、いつか必ず自分のことを思い出してくれると信じていたからこそ幸太郎は絶望せず、いつか来るその日を思いながら期待と希望に満ち溢れることができていた。
「そんなもん、当てにならないだろうが」
「それでも、僕は信じます」
「……お前はホント、バカだよ」
「ありがとうございます?」
「褒めてねぇよ、バカ」
何を言っても絶望することなく、セラたちを信じ続ける幸太郎の意志の強さに、ファントムは呆れるとともに、降参の意を示した。
「……お前はこれからどうするつもりだ。まさか、ありもしない希望に縋って、ただ呑気に待っているだけではないだろうな」
ファントムとのやり取りを黙って眺めていたヘルメスは、純粋な疑問を幸太郎にぶつけると、幸太郎はしばし考えた後に――
「どうしましょう?」
今後についてまったく何も考えていない様子で苦笑を浮かべながらそう答え、ヘルメスとファントムを脱力させた。
「まったく……お前と話をするのは本当に疲れるし、バカバカしくなるな」
「ありがとうございます?」
「それがお前の選んだ道ならば、もう我々は何も言うことはないだろう」
「まあ、セラさんたちを信じてますし、何よりも僕も諦めませんから」
「理解ができないな、まったく」
希望がないというのにセラたちが記憶を取り戻すと信じ、自分も記憶を取り戻すことを諦めていない様子の幸太郎と話すのがバカバカしくなったヘルメスはおもむろに幸太郎から離れて窓を開け、涼しい夜風が熱くなっていた室内とヘルメスとファントムを冷ます。
「――さてと、そろそろ行くか。これ以上長居してたら怪しまれるからな」
そう言って、ファントムも窓を開き、開いた窓から身を乗り出した。
「そこから飛び降りたら危ないですよ」
「バーカ。アカデミーとは一時的に協力し合っていただけで、オレたちはアカデミーにとってはお尋ね者だ。だから、アルトマンの一件が終わったら、オレたちはアカデミーに監視される生活が待ってるんだよ。そんなのごめんだから、監視部屋から抜け出してここまで来たってわけだ。だから、このまま姿を消させてもらうぜ」
「それじゃあ、ここでお別れってことですか?」
「当たり前だろうが」
「また、会えますか?」
「フン! 一緒にいるだけで疲れるお前となんざ二度と会いたくなんかないっての」
「……そうですか」
「ま、まあ、暇があったら会いに来てやるよ。お前には色々と借りができたからな」
別れ際に少しだけ沈んだ表情を浮かべる幸太郎に、ついファントムは庇護欲を駆られてしまう。
「ヘルメスさんもお別れですか?」
「ああ。もう、アカデミーには何の未練もない」
「ノエルさんとクロノ君に挨拶しないんですか?」
「……必要ない」
「それなら、また会えますか?」
「どうだろうな、わからん。個人的には会いたくないほどウンザリしているが」
「じゃあ、また会いましょうよ」
「鬱陶しい奴だ」
馴れ馴れしい幸太郎の態度に押されながらも、ヘルメスは悪い気はしていなかった。
さっさとこの場から立ち去らないと、幸太郎がウザいと思ったヘルメスとファントムは早急に窓から飛び降りようとすると――
「ヘルメスさん、ファントムさん、ありがとうございます」
幸太郎の心からの感謝の言葉が、ヘルメスとファントムの背中にぶつけられた。
「ヘルメスさんとファントムさんを信じて本当によかったです……それじゃあ、また」
心からの言葉とともに再会を約束する別れの言葉に、ヘルメスとファントムは何も答えなかったが――二人はどこか清々しい微笑を浮かべて窓から飛び降り、幸太郎と別れた。
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