第44話
「ノエル、今日の夕食はどうする。リクトに夕食を誘われたのだが」
「迷惑でなければ、いただきたいのですが……どうでしょう」
「フム……リクトならば迷惑とは言わないだろうが、リクトと夕食をともに食べるのはこれで四日連続だ。そろそろ、申し訳ないぞ」
「では、久しぶりに私が手料理を振舞いましょう」
「なるほど、それならリクトを呼んでオレたちの修行の成果を見せるのはどうだ?」
「ええ、そうしましょう」
夕暮れ時――制輝軍の活動を終えたノエルとクロノはノースエリアにある公園内で休憩しながら、夕食についての話をしていた。
淡々とした短い会話でリクトに教えてもらった料理の技術を、彼の前で披露することに決める二人。
「胃袋を掴むことができれば、狙った異性はイチコロだと美咲は言っていたが――ノエル、オマエは狙っている異性はいるのか?」
「いいえ。特には……クロノ、あなたはどうなのでしょう」
「……特に」
「美咲さん曰く、色恋は人を変える力があるというので我々も色恋について考え、学ぶべきなのではないでしょうか」
「確かにそうだな……しかし、相手をどうする」
「難しいですね。中途半端な気持ちでは相手に迷惑がかかるので、適当には選べませんし」
「これからリクトに会うんだ。詳しいことはリクトに聞いてみよう」
「ええ。そうですね」
今よりももっと自分を変えるために色恋について学んで実践しようとするノエルとクロノはさっそくリクトに連絡して、彼の元へと向かおうとするが――
「行方不明の危険人物がいるというのに、呑気なものだな」
呑気に会話を繰り広げている二人を嘲笑う言葉とともに、一人の気配が近づいて来た。
圧倒的な力を放つ、しかし、それ以上に懐かしい気配に、ノエルとクロノの警戒心は一気に極限までに高まり、輝石を武輝に変化させる――アルトマンと決着をつけて以降、行方不明となっていた人物が現れたからだ。
「久しぶりだな」
警戒心を限界までに高めている二人に、呑気に挨拶をするヘルメス。
平和ボケしているノエルとクロノを嘲笑う嫌味な笑みを浮かべているヘルメスだが、その雰囲気は今まで以上に柔らくなっていた。
しかし、そうだとしても危険人物であることには変わりないため、自分たちを生み出した父も同然の存在を今すぐに捕える覚悟をノエルとクロノは決めていた。
「……まさか、こんなに早く現れるとはな」
「バカを言うな。ここで騒ぎを起こしたらどうなるかくらい、誰でも理解できる」
いつかアカデミーの、自分たちの前に現れると思っていたが、想定以上よりも早く自分たちの前に現れたことをクロノは驚いていた。
そんなクロノを嘲るように、ヘルメスは何もするつもりはないと訴えた。
「それでは、何のつもりでアカデミーの――我々の前に現れたのですか?」
「変な期待はするな……ただ、私は最後の確認をしに来ただけだ」
何もしないと言っても、抑えない警戒心をぶつけながらもヘルメスに若干の期待を抱くノエルの思いを簡単に崩して、ヘルメスはどこか切なげな表情でそう答えた。
「アルトマンとの決着の後、何かお前たちの中に違和感はあるか?」
「……何が言いたい」
「その様子だと、何もないようだな」
質問の意図を理解していないクロノと、深く思案しているノエルの様子を見て、ヘルメスは有益な情報は得られないと判断し、小さくため息を漏らした。
最後の確認を終えたヘルメスはノエルとクロノの前から背を向けて立ち去ろうとする。
聞きたいことだけを聞いて去っていくヘルメスに、「……待ってください」とノエルは呼び止めた。
「あなたはこれからどうするつもりなんですか?」
「アルトマンはもういない……奴の呪縛から逃れることができたんだ。アルトマンのイミテーションではなく、一人の人間として――お前たちのように好きに生きるだけだ」
「また……また、会えますか?」
「今更アカデミーに手を出す気はない……私はアルトマンではないのだから」
アルトマンの呪縛から逃れることができたからこそ、ヘルメスは一人の人間として生きることに決め、アカデミーに手を出さないと決めていた。アカデミーに手を出してしまえば、それこそアルトマンのようになってしまうと考えたからだ。
ここで引き留めなければ、二度とヘルメスと――父と会えないような気がしたノエルは、突き動かされる感情のままに彼に駆け寄ろうとするが、クロノに制された。
「今更オマエのことを信用できると思うか?」
「信じるか否かはお前たち次第だ」
「オレたちはオマエによって生み出されたイミテーションだ」
「いまだに私を父と呼び慕うとは、相変わらず愚かだ」
「オマエがどう思っているかは知らないし、興味はない……だが、父であるからこそ、オレたちはオマエを止める責任がある」
「できるものならな」
「だから……だから、いずれ、オレたちの前に現れたら必ずお前を捕える」
「……そうか」
かかってくるならいつでも来い――そんな挑戦状を叩きつけてきたクロノを嘲るように、それ以上に満足気にヘルメスは頷いた。
そして、今まで振り返らずに二人の言葉を受け止めていたヘルメスは、ゆっくりと振り返ってノエルとクロノを――自分の子の姿を見た。
「今でも私はお前たちのことを子だとは思っていないし、これからも思わないだろう――だが、今だけは別だ……」
心底不承不承といった様子でヘルメスは最初で最後の父としての言葉を二人に放つ。
「何事にも何者にも、自分たちにも、それ以上に私にも縛られずに好きに生きろ」
真っ直ぐと二人の子を見据えてそう言ったヘルメスは、再び二人に背を向ける。
今度は振り返ることなく、二人の子の前から迷いのない足取りで去って行った。
「また、会いましょう」
再会を思うノエルの言葉を背に受けてもヘルメスは振り返ることはしなかった。
二人に父としてかけた言葉と同様、何者にも、子にも縛られずに生きるために。
――――――――――
「――やっぱりダメだったみたいだな」
夜――日がすっかり沈んでしまっているアカデミー都市から外部に繋がる出入り口に向かって歩いているヘルメスに、一人の少女――ファントムはウンザリしたようなため息を漏らした。
「予想はできていた……七瀬幸太郎や賢者の石のことを覚えているのは、賢者の石の力を僅かに注入されて生み出された我々のみ。賢者の石に関することはすべて別のことに書き換えられてしまっている。アルトマンの目的だった七瀬幸太郎の持つ『賢者の石の観察』が、輝石や煌石の力の更なる探求に変わってしまっていた。以前のように記憶の改竄に関して違和感を抱いている気配すらない。七瀬幸太郎がアルトマンとの決戦の場に居合わせたことに関して若干の違和感はあるようだが、以前のように自分たちの記憶そのものに違和感を抱いている様子はない」
「いずれ思い出すかもしれないって可能性は? というか、本当に消滅したのか?」
「祝福の日以降、生み出された賢者の石の影響で毎年増加傾向だった輝石使いの数が減っているのだ、間違いなく消滅した。だから、記憶を取り戻すのは難しいだろう。我々が記憶を元に戻そうと足掻いたところで無駄だ」
「……胸糞悪いな」
「本人が満足しているのだ……自己満足にしか過ぎないがな」
淡々としたヘルメスの答えを聞いたファントムは吐き捨てるようにそう言い放ち、ヘルメスもそれに同意をした。
二人はアカデミー都市内で――いや、世界で七瀬幸太郎の活躍と、賢者の石の力について知っている存在だった。
アルトマンとの決着以降、世界は幸太郎を中心として大きく変わった。
アルトマンが様々な騒動の裏で暗躍し、消滅したという事実は変わっていないが、彼の持っていた賢者の石、そして、彼と同じ力を持っていた七瀬幸太郎に関しては別だった。
賢者の石は元々存在していなかったものとされており、アルトマンの目的はただ輝石と煌石の力を限界までに引き出し、その力の観察と研究を目的としており、自身の研究心を満たすために大勢の人間を巻き込んで暗躍し続けていたということになっていた。
賢者の石の力を持っていた幸太郎に関してはいっさいアカデミーに関係ない人物で、アルトマンとの決戦の場に居合わせたのは、アカデミーに容易に手を出せないようたまたまアルトマンが見繕った憐れな人質ということになっていた。
アルトマンとの決着を終えたヘルメスとファントムだが、幸太郎が今の状況を自ら選んでしまったことに関してだけは気に入らなかった。
「……このままでいいのかよ」
「人知を超えた力に太刀打ちはできない」
「でもよ……」
「自己満足だとしても、これが奴の選択だ」
「――チッ! 幸太郎はバカだし、セラたちは薄情だし、なんでこんなにムカつくんだよ!」
どう足掻いても、自分たちのようなちっぽけな存在が賢者の石の力に対抗できるわけがなく、それ以上に今の状況が幸太郎の選択だということをヘルメスに指摘され、ファントムは何も反論できず、ただただ苛立ちを募らせて舌打ちをした。
「どんなに納得できなくとも、自己満足だと非難しようが、結果的に彼はアルトマンを、賢者の石を消滅させたことに変わりはない。ああしなければ、アルトマンを倒すことはできなかっただろう……胸糞悪い結末だがな」
「わかってるよ! わかってるっての! ああ、クソ! どうしてこんなにムカつくんだよ! アイツ! どうして、こんな状況になっても平然としていられるんだよ! 自分の思い出が、存在が、全部消えちまったってのに! 意味がわからねぇ!」
気に入らない結末に胸の中に駆け回る理解不能な感情に、ヘルメスとファントムは苛立ちを募らせることしかできなかった。
特にファントムは自分の存在を犠牲にしたというのにもかかわらず、平然としていられる幸太郎の様子を思い返して理解できない感情が更に強くなり、周囲のものに八つ当たりをして憂さを晴らしていたが、それでも苛立ちは収まらなかった。
「後悔をしないのは、自分の選択だからだろう」
「その選択が自己満足だってんだろ! どうして希望が持てるんだよ!」
「奴が言っていただろう……我々を信じているからだと」
「……意味がわからねぇよ」
「同感だ」
最後に顔を合わせた時に幸太郎が何気なく言い放った言葉が、苛立つヘルメスとファントムの心を僅かにだが落ち着かせた。
落ち着きを取り戻した二人の間に沈黙が訪れるが、「……なあ」と何気なくファントムがヘルメスに話しかけて、沈黙が破られた。
「お前、これからどうするんだ?」
「何者にも縛られず、好きに生きるつもりだ……お前はどうするつもりだ。まだ、自分の存在を刻むことに、セラたちに復讐するために生きるつもりか?」
「当然だろうが。まだまだ暴れ足りねぇんだよ」
ヘルメスの問いに、言葉通り当然だと言わんばかりの力強く、好戦的な笑みを浮かべるファントム――だが、すぐに沸き立つ自分の心を抑えるように小さくため息を漏らす。
「――と言いたいところだが、正直教皇庁と鳳グループが協力している今のアカデミーは簡単に崩せねぇからな。それ以上に、今のセラたちと張り合っても面白くねぇ」
守るべき幸太郎のために戦う、セラたちを含めた大勢の幸太郎の友人たちの強さを思い浮かべながらファントムは退屈そうに鼻を鳴らした。
セラたちと行動をともにして、何度も戦ったことがあるからこそ、彼女たちがもっとも輝く瞬間は大切な誰かを守るということをファントムは知っていたから、今のセラたちの相手をするのは面白くないと思っていた。
「加えて、まだその体型に慣れていないみたいだからな」
「う、うるせー! 別に全然、セラたちなんて余裕で倒せるんだからな! とにかく! それ以上に今のセラたちと戦っても絶対に面白くねぇんだ……だから、しばらく待ってやるってんだ! そんでもって、オレという存在を世界に嫌というほど刻んでやる! まあ、それまでは好きに勝手にやらせてもらうさ」
ヘルメスの余計な一言にプリプリかわいらしく怒りながら、自分の目標を掲げて前へ進もうとするファントム。
「しばらく待つ、か……本当に記憶が戻ると思っているのか?」
「アイツは戻るって言ってたんだぜ? ……オレはそれに賭けてみる」
期待と希望に満ちたファントムの力強い笑みを見て、ヘルメスは「……そうか」と降参と言わんばかりに微笑を浮かべた。
「……それなら、その時が来たら私も協力してやろう」
「ケッ! 期待は全然できねぇけどな」
「記憶が戻るよりは期待はできるとは思うがな」
「どうだかな! お互い利用しようとするから信用できねぇんじゃねぇのか?」
「それはそうだな」
お互いの一言に、お互いがひとしきり笑った後――ヘルメスとファントムはお互い真っ直ぐと見つめ合った。
お互い気に食わない相手だと思っているが、今だけは真っ直ぐと見つめる二人の目には邪な気持ちはいっさいなかった。
「それじゃあ、またな」
「ああ。また会おう」
別れと再会を約束する言葉を交わすと――
ファントムは夜の闇と同化するように消え去り、ヘルメスはアカデミー外部へとつながる道――アルトマンから解放され、自分が選んだ、誰にも縛られない道へと歩きはじめた。
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