第36話

 ――フム……素晴らしい……

 痛い目にあった甲斐があった……

 しかし――ヘルメスとファントム。二人とも良い顔をしている……

 状況を理解できず、僅かに絶望が込み上げてきている……実に良い顔だ。


「今のは明らかに賢者の石の力……お前、一体何をした」


「クソ……意識が一瞬飛びそうになったぞ……どうなってんだ?」


「さすがは賢者の石を僅かに注がれて生み出されたイミテーション――ある程度は賢者の石の力に耐性があるようだが……ファントムの意識が飛びかけたのを察するに、出力を上げれば君たちにも影響を与えることができるのだろうな」


 大勢の味方たちが倒れている状況にただただファントムは困惑し、ヘルメスはこの状況の原因を作り、賢者の石の力に耐性がある自分たちを分析しているアルトマンに気丈に振舞いながらも動揺しきった視線を向けた。


 賢者の石はセラの一撃を食らって砕かれたはずだというのに、賢者の石の力を行使させたアルトマンにヘルメスは理解が追いついていない様子だった。


「賢者の石の力は抑え込んだはず……だというのに、なぜ……」


 すっかり動揺しきっているヘルメスとファントムを一瞥したアルトマンを勝ち誇ったように微笑み、幸太郎に含みのある視線を向けた。


 その瞬間、ヘルメスは「ま、まさか……」すべてを理解するとともに、絶望した様子で口を開けて驚愕していた。


「君の想像通り、私は幸太郎君と同じく身体の中に賢者の石の力を取り込んだのだ。少々取り込むのに時間がかかり、痛い目にあってしまったが成功してよかったよ」


「……今までの長い戦いはすべてお前が仕組んでいたことだったのか」


「そうなるように仕向けたが、追い詰められて苦戦したのは事実だよ。さすがに冷や冷やした場面もあったよ」


 戦いの最中に取り込んで圧倒するつもりだったということは隠しておこう……

 まさか、あれほどまでに輝石使いたちの力が向上しているとは思いもしなかった。

 だが、結局は神に等しい力には敵わないということだ。


 アルトマンは疲労感たっぷりなため息交じりに賢者の石が砕かれた状況で、賢者の石の力を扱うことができた理由を説明した。


 アカデミー側と同じく、アルトマンもまた最悪の事態を想定していた。


 だからこそ、アルトマンは保険として賢者の石を幸太郎と同じくその身に宿して、賢者の石を守ることを考えた。


 裏をかいて賢者の石の力を弱体化させたと思ったら、それすらもアルトマンの想定内だということを知ったヘルメスは悔しさとともに絶望感が更に強くなった。


「研究用と観察用に賢者の石の実物を取っておきたかったというのが本音だが、君たちを相手にそうは言ってられない。君たちは確実に賢者の石の機能を弱体差化させるために動くと思っていたからね。この際よかったと思うことにするよ――これで、私は賢者の石と真に一体化になることができたのだからね。まあ、物体に戻すことも可能だろう、賢者の石の力ならば」


 そう言って、全身に賢者の石から放たれる赤黒い光を纏ったアルトマンは自身の中に取り込んだ賢者の石の力を見せびらかすように、雨を降らし、大気と大地を揺らして天変地異を起こした。


 賢者の石と一体化したアルトマンか放たれる得体の知れない圧倒的な力の気配にアルトマンとファントムは怯んでしまう。


「ほう、中々調子がいいようだ。どうやら、君たちが賢者の石を強化された際の力がそのまま私の中に取り込まれてしまっているようだ」


 素晴らしい……

 賢者の石と一体化したことで、更に力が向上したように感じられる。

 もっと早くにやるべきだったが――仕方がない。

 想定外の連続続きだったのだからな。


 全身に賢者の石が行き渡る快楽にも似た全能感とともに、アルトマンは感情を昂らせながら賢者の石の力を一気に解放すると、その力の余波がヘルメスとファントムに襲った。


 それだけだというのに、二人の中にある決定的な何かが砕け散り、全身にガラスのようなヒビが入ると同時に膝をつき、消滅の危機に瀕してしまう。


「おおっと、すまない。ついつい興奮し過ぎてしまったよ……どうやら、私の中にある賢者の石は、私に痛い目をあわせた君たちを敵とみなしているようだ」


「これが……これが、賢者の石の力……」


「ふざけんな! こんなの……こんなの認めねぇ! ……クソ……意識が……」


 つい力を込めてしまって一撃で二人を消滅させことになってしまい、おどけるアルトマンを見て、賢者の石の力を受けて意識が飛びそうになっているヘルメスは賢者の石の力を改めて身を以って思い知らされて絶望感に打ちひしがれ、ファントムは賢者の石への恐怖感を怒りの声を上げて誤魔化して意識が失いそうになるのを堪えた。


 意識が朦朧として今にも消滅しそうなヘルメスとファントムの前に、今まで黙っていた幸太郎はゆっくりと庇うようにして立った。


 その瞬間、ヘルメスとファントムの全身に入っていたヒビが消え、消滅の危機を回避するが、飛びそうになる意識だけは戻らなかった。


「……お前は逃げろ……お前だけが……お前だけが、切り札……お前さえいれば、活路は……」


「チクショウ……おい、幸太郎……逃げて、絶対に……」


 再び幸太郎に助けられたことに自分への情けなさと、アルトマンへの怒りを募らせ、アルトマンを倒すために今は撤退をしろと幸太郎に促す二人。


 幸太郎だけがアルトマンを倒せる唯一の希望だからこそ、情けないと思いながらも二人は後のことを彼に任した。


 しかし、幸太郎は逃げるつもりはなかった。


「ドンと任せて」


 意識を失う二人に向けて幸太郎は力強く笑って、そう告げた。


 逃げずにアルトマンに立ち向かうつもりの幸太郎を愚かしく思いながらも意識が失いかけている二人が声を出すことができなかったが――彼の言葉に安堵して、彼にこの場を任せられるという思いが二人には僅かに芽生えていた。


 心強い味方であるヘルメスとファントムが意識を失い、いよいよ幸太郎はアルトマンと二人きりになった。


「二人の言う通り、今逃げればまた私に立ち向かえるチャンスが生まれるかもしれないぞ? 今回の戦いを経て君の力は更に高まった……その力を観察できるいい機会だからね。逃げてもらった方がこちらとしては都合が良いのだが――」


「逃げるつもりはありません」


「まあ、君ならそう言うと思っていたよ。君は私を倒したいのだからね」


「はい。僕、アルトマンさんを倒すって決めたので、もう逃げません」


 この期に及んで逃げるつもりはない……実に勇ましく、実に愚かだ。

 これも賢者の石の導きなのだろうか……二つの賢者の石などいらないという。

 だが――


 いっさい逃げるつもりなく、孤立無援の絶望的な状況だというのに力強い笑みを浮かべ続ける幸太郎に、アルトマンは呆れたように深々とため息を漏らした。


「しかし、どうするつもりかな? 君の頼みの綱はもうない――心強いお友達もいなければ、必殺の一撃を放たれるショックガンもない、あるのは力強くも不安定な力しか放てない賢者の石のみ。一方の私は、強化された賢者の石を取り込み、身体が順応して今尚も賢者の石の力が高まり続けている……誰がどう見ても君に勝ち目はない」


「そうですよね」


「神に等しい、いや、神をも超えた力を持つ私に、賢者の石を持つ以外、平凡な一般人と変わらぬ君がどう立ち向かうというのだ」


「どうしたらいいでしょう」


「私なら諦めるか、逃げて反撃の一手を探すか――そのどちらかだろう」


「でも、逃げるつもりはありません」


「……揺るがぬ君の意志は立派だが、困ったものだな」


 ちっぽけな存在であるというのを自覚しながらも、神にも等しい賢者の石の力に対抗するつもりであることに、アルトマンは困り果てた様子でため息を漏らした。


 そんなアルトマンに、幸太郎はふいに「アルトマンさん」と呑気に話しかける。


「アルトマンさんは、そんなすごい力で何をするつもりなんですか?」


 ふいの幸太郎の質問が、良い質問だというようにアルトマンはにっこりと微笑む。


「ないよ」


 短く、平然とアルトマンは幸太郎の質問に答えた。


「賢者の石があれば何だってできるし、すべてを与えてくれる。やりたいことなんてすべてできる――だから、もうないんだよ。やりたいことなんて。全能感を得たところで得られるのは一瞬の快楽だけで、後は何もない。力を持つのは飽きるんだ」


 賢者の石の持つ力を素晴らしいと思いつつも、賢者の石によってすべてが満たされてしまうからこそ、欲がすべて消失して乾ききった様子のアルトマンはそう答えた。


「だから、私は力をどう扱うのではなく、ただ観察したいんだ。ここにいる君のお友達のように、人がどう賢者の石に抗うのかが見たかった。それに何より、君のように賢者の石を偶然にも得たただの人間がどう動くのかを見たかった――それを実践したら心が満たされたよ。賢者の石が見せる決まりきった未来の光景が、君が持つ賢者の石の力によってすべて崩れ去っていくのを見ていたらね」


 幸太郎が持つ賢者の石によって引き寄せられた事件が、思いもよらぬ手段で解決し続けていたことを思い出し、アルトマンは心の底から満たされた笑みを浮かべていた。


 アルトマンにとっては幸太郎は最高の暇潰しも同然だった。


 そして、アルトマンは幸太郎を懇願するような視線を向けた。


「だから、幸太郎君。お願いだよ。君がこれから先も私に抗い続けて、私を満足させてくれ……そうしてくれるのなら、私は君を見逃そう」


「それは無理ですよ」


「どうしてもかな? やろうと思えば、祝福の日を再現して君のように偶然賢者の石を得た人間を生み出せるのかもしれないが、出会うのには時間がかかりすぎる。その間、私は暇で仕方がない……今、私を満たしてくれるのは君だけなんだよ。だから、お願いだよ幸太郎君。ここで君は逃げてくれ」


「それは無理です」


「どうしてもかな?」


「どうしでもです」


「わかった、君がそう望むのなら、これも賢者の石の導きというわけか……」


 仕方がない――一瞬で終わらせよう。

 そして、また探そう――いや、生み出そう。

 新たな賢者の石の器を。


 梃子でも動かない幸太郎の意志に、アルトマンは諦めた様子でため息を漏らした。


 これ以上幸太郎を説得しても無駄だと思って会話を終わらせるアルトマンに、幸太郎はふいに「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。


「礼を言うのはこちらの方だよ。君との時間は本当に最高だったよ」


「いえいえ、こちらこそ――おかげで、やっぱり賢者の石はいらないって思いました」


 賢者の石が不必要だと前にも同じことを言っていた幸太郎が、改めてそう思っていることに、アルトマンは勝ち誇ったような嘲笑を浮かべた。


「もう賢者の石の力でこの場にいる君のお友達たちの記憶改変は終了している。今君が賢者の石を捨て去った場合、前のようにお友達の記憶が戻ることは絶対にありえないだろう。それに、賢者の石を捨てることなどそんな真似君にできると――」


「――できますよ」


 平然とした様子でそう答えた瞬間、幸太郎の言葉に応じるように全身に赤い、太陽を思わせるような暖かな光に包まれた。


 その光から放たれる力が賢者の石によるものだと感じたアルトマンは、自身も邪な気配を感じられる赤黒い光に包まれた。


 アルトマンが賢者の石の力を纏うと同時に、再び空には雷鳴が轟き、大気と大地が震え、雨が降り注いでくる。


「あの兵輝を搭載したショックガンの力に当てられてある程度自由に力を解放できるようになったようだが、まだまだ足りない。私の力は超えられない……さあ、見せてくれ! 前にお友達たちの記憶を取り戻した時のような力を!」


 徐々にだが確実に進歩している幸太郎の力を感じ取り、乾いていた心に潤いを感じてアルトマンは興奮を抑えきれなかった。


 そんなアルトマンを見た幸太郎は、フッと意味深な笑みを浮かべた。


 普段の能天気な笑みとは違う、どこか打算的で冷酷な幸太郎の笑み見て背筋に何か冷たいものが走ると同時に、僅かな息苦しさを感じはじめるアルトマン。


「欲しいならあげますよ」


 ――なんだ、これは……

 急に胸が……いや、全身が熱い。


 呑気な調子で幸太郎はそう言い放つと、彼の全身に纏っていた赤い光が更に強くなる。


 それに呼応するようにアルトマンの息苦しさが上がるとともに、体温が上昇する。


 息苦しさも体温の上昇も気にしなければ、幸太郎など一瞬で倒せるほどの体調なのだが、それでも違和感を拭うことができなかった。


 気にせずにアルトマンは一瞬で決着をつけるために、彼と同じく自身も賢者の石の力をこれまでにないほど解放する。


 その瞬間――想定以上の力が一気に引き出されてしまい、力を放出した解放感とともに身体の内側から激しい衝撃が走り、声にならない苦痛の声を上げる。


 アルトマンの全身のみならず、周囲から炎のように赤黒い光が立ち昇った。


 力を一気に引き出した衝撃がアルトマンの身体を襲いかかり、激しい頭痛に襲われるとともに鼻から血がぽたぽたと数滴流れ落ちた。


「……これは……」


 そうか……そういうことか……


 息苦しさが全身に伝わり倦怠感に支配されるアルトマンだが、同時に身体の熱が更に上昇すると同時に、激しい頭痛がする頭が更に冴え渡ったような気がした。


 その冴え渡った頭が今自分の身体に起きている異変を瞬時に察知する。


「ま、ま、まさか、き、君は……」


「大丈夫ですか、アルトマンさん。鼻血が出てますけど……」


 頭が冴えに冴えているせいで言葉を上手く発することができず、頭の処理が人間の力では追いつかないほど速くなってしまった負荷で鼻血を垂らすアルトマンを心配する幸太郎。


「け、賢者の、い、い、石を、ほ、ほ、本、当に、捨てる、つも、り、なのか?」


「はい、そのつもりです」


 まさか、本気だとは……

 いや、その前にこの力はあまりに大きすぎる……危険だ。

 今思えば、得意だった――だから、何度もヘルメスやファントムの消滅の危機から救うことができたんだ……早く、早く――

 だ、ダメだ……思考が――早すぎる……

 余計な、い、イメージが……


 消滅しかけたヘルメスやファントムを救う時のように、アルトマンは幸太郎が自分に力を与えていることに気づく。


 強化された賢者の石に幸太郎の力で負荷がかかり、今までにないほど力を得る代わりに、急激に上昇した力を制御できないアルトマン。


 対策を練ろうと思考しようとすると、賢者の石によって垣間見えた膨大な数の未来予知のイメージが一気に頭に叩き込まれ、一気に頭がパンクしてしまってまともに思考ができなくなってしまっていた。


「アルトマンさんなら、力を捨てられるんじゃないんですか?」


「そ、それ、よりも、き、き、君は、どうす、するんだ? ち、力を、捨て去れば、お、お友達、の記憶が――」


「みんな――アルトマンさんも、ファントムさんも、ヘルメスさんも、宗仁さんも、


 賢者の石の力で改竄されたセラたちの記憶を戻さなくてもいいのか?

 賢者の石を捨て去ればそれができなくなる、記憶を戻したいのだろう?

 それが君の望みなのだろう?


 ――アルトマンが何を言わんとしているのか何となく理解した幸太郎は覚悟を決めた笑みを力強くも儚げに浮かべた。


 その言葉の意味をアルトマンは理解できなかった。暴走する賢者の石のせいで思考がまともにできないという理由もあるが、それがなくともアルトマンには理解できなかった。


「アルトマンさんと出会ってから半年間、僕はずっとアルトマンさんをでしたし、それが僕の一番の『望み』でした」


 半年間の自分の思いを告げた幸太郎は、もう必要ないと言わんばかりに賢者の石をアルトマンに更に与えた。


「確かにセラさんたちの記憶が戻ればいいなと思いましたけど、それだけです。賢者の石で作られた偽物の記憶にセラさんたちが縛られるくらいなら記憶を戻さなくていいと思いました。実際、セラさんたちは半年間楽しく過ごしていたみたいでしたし。それでセラさんたちが幸せなら別に記憶なんて戻らなくてもいいと思いました」


 自分がいなくとも楽しく過ごしていたセラたちのことを思いながら自虐気味に、しかし、それ以上にセラたちが笑って過ごせる日常を思い浮かべて楽しそうに幸太郎は笑っていた。


「だから、僕は半年前から今まで――セラさんたちの記憶が戻ってほしいなんて一言も言っていませんし、望んでいませんでした」


 それならば、どうして――


 自身が望まないことで、無意識に放たれる賢者の石の力を抑えていたという幸太郎の言葉にアルトマンは僅かに残ったまともに動く頭が激しく反応する。


 自分の勘違いに気づくと同時に、疑問が溢れ返った。


「この前賢者の石の力を打ち破って記憶を取り戻したのは、賢者の石の力でも何でもなく、みんなの力のおかげです」


 そう言って、自分の記憶を自力で取り戻してくれたセラたちに幸太郎は心底嬉々とした笑みを浮かべて、喜び満ちていた。


 だから、幸太郎はアルトマンと対峙しても、絶対的な力の差を見せつけられても、天変地異さえ引き起こせる賢者の石の力を目の当たりにしても、余裕でいられた、


 この前セラたちが世界中を縛っていた賢者の石の力を自力で打ち破り、自分と過ごした思い出を取り戻してくれた時点で、幸太郎はアルトマンに――賢者の石に勝てると確信したからだ。


 賢者の石の力を打ち破ったセラたちを信じていたからだ。


 ただ、それだけで幸太郎は勝利を確信していた。


 だからこそ、ヘルメスやファントムや大勢の人に呆れられながらも、幸太郎はただ信じ続けていた。


「ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 賢者の石が幸太郎の、彼の友人たちの――人の意志によってすでに打ち破られていたことを知ったアルトマンは、賢者の石の負荷を忘れて自棄気味に大笑いした。


「賢者の石の力を捨て去れば、もう元の日常に戻れなくなるぞ! それで君はいいのか? もう、元には戻れなくなるんだぞ!」


「そう言われると、ちょっと迷いますけど、セラさんや麗華さんたちは、僕と出会ってよかったって後悔してないって言ってくれたんです。それを聞けただけでも、よかったと思うし、後悔もしません」


 暴走する賢者の石の力に呑まれそうになるのを必死に堪えてアルトマンは最後の抵抗で幸太郎の動揺を誘おうとするが、一瞬友達たちと過ごした思い出が頭の中に過ったせいで逡巡しながらも自分の決めた目的に愚直に突き進む迷いもない彼には無意味だった。


「ならば、君たちのお友達たちはどうするのだ? 偽りであっても君との思い出を選んだ、お友達たちの思いを! 君はそれを無駄にするつもりなのかな?」


「ここで退いたらそれこそ、アルトマンさんを倒すって決めたみんなの思いを無駄にすることになります。それに、セラさんや麗華さんには勝手なことをするなって怒られると思いますけど、あの二人なら――いや、みんなならいつか必ず記憶が戻るって信じてます――あ、でも、戻ったら戻ったで怒られそうな気が……」


「ならば……君はこれからどうするつもりだ……」


「普通に生きていきますし、待ってますみんなの記憶が戻るのを」


「いつになるのか、いや、それどころか確証などはないのに?」


「はい」


「愚かだ……実に愚かだよ、幸太郎君」


「ぐうの音も出ませんけど、僕が決めたことですから」


 確証がなくとも、きっと賢者の石を打ち破ったセラたちなら、何とかして記憶を取り戻してくれると幸太郎は信じていたからこそ、自分の決断に何の迷いもなかったし、希望を抱き続けることができた。


 一人になっても決して絶望するつもりがない、むしろ希望に溢れている幸太郎の姿に、アルトマンは先程までの余裕が嘘のように弱々しくなってくる。


 激しい戦いを繰り広げているわけではないのに、アルトマンの心が幸太郎の覚悟に敗北を認めてしまっていたからだ。


「そんなことよりもアルトマンさん、そろそろ賢者の石を捨てないと危ないですよ」


「ああ、よくわかっているよ……君がそこまで必要ないというのならば、頂戴しよう」


 普通にアルトマンは喋っているが、幸太郎は今引き出せる限界までの力を与えており、相当アルトマンの身体に負荷がかかっているはずだった。


 実際、アルトマンは身体の中にある賢者の石の力が膨れ上がり、暴れ回って、その負荷で全身が張り裂けそうになり、絶え間なく未来の光景を見せてくる頭は今にもパンクしそうだったが、アルトマンは必死に堪えていた。


 それどころか、アルトマンは幸太郎から与えられる力を進んで受け入れ、彼の力を無理矢理吸い上げていた。


 先程以上の負荷が全身にかかるが、アルトマンは構わなかった。


「ダメですって、アルトマンさん。このまま続けたら大変なことになりますよ?」


「いいのだよ! このまま私は賢者の石と真の意味で一体化になろう! そして、私は世界のすべてを見続ける! もちろん、君のこともずっと!」


「なんだかちょっとエッチです」


「ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッ! 賢者の石が失われれば、もっと退屈な日々を過ごすことになるだろう! 賢者の石という最高傑作は私に渇きとともに潤いをもたらせたのだから! だから、私は賢者の石は絶対に捨てるつもりはない!」


 アルトマンに制止を促す幸太郎だが、アルトマンは構わずに吸い続ける。


 賢者の石を捨て去るくらいなら、アルトマンはこのまま幸太郎の持つ賢者の石の力を吸い続けて、更なる力を得ることを選んだ。


 賢者の石の力は全能感とともに退屈をもたらすものだが、捨て去ったらそれ以上に退屈が待っているからこそ、アルトマンは自分の身体よりも賢者の石を選んだ。


「私は君のことを、世界をずっと見守っていよう! だが、忘れるな、幸太郎君! 君の決断は自己満足の産物であるということを! 私は待っているぞ! その自己満足の結果、君が後悔する日を! その誰よりも気高い覚悟が崩れ去る瞬間を! ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 幸太郎の決断を自己満足と切り捨て、哄笑を上げるアルトマン。


 咄嗟にアルトマンを助けるために幸太郎は力を与えるのを止めようとするが、それができない――止めようにも止めるための力はもう残っていなかったからだ。


 幸太郎の持つ力をすべて吸い上げたアルトマンの全身が赤黒い光と一体化をはじめ、彼の全身が足元から徐々に赤黒い光に覆われる。


「ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 いつか訪れるであろう、幸太郎が絶望する日々に期待しながら、賢者の石と本当の意味で一体化できることへの喜びに満ちた笑い声を上げるアルトマン。


 だが、顔全体までに光が覆われた時、笑い声は止まる。


 一瞬、アルトマンを中心として赤い光が放たれると同時に、賢者の石と一体化した彼は光の粒子となる。


 ――そして、アルトマン・リートレイドという人間はこの世界から消えた。

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