第21話

「昨日はよく眠れたか、セラ」


「それなりによく眠れたよ。ティアは――って、聞かなくてもいいか。リビングでぐっすり眠ってたみたいだし」


「お前の部屋は相変わらず居心地が良かったからな。よく眠れたよ」


「よく眠れたのは良いけど、布団も敷かずに床の間で寝るのはどうかと思うよ? 肝心な時に風邪引いちゃうからね」


「問題ない――それよりも、幸太郎はどうなのだろうか」


「それは問題ないよ。だって、幸太郎君だから」


「そうだな。幸太郎だからな」


 全員がまだ寝静まっている早朝――


 ティアとセラは迫る決戦のためにアカデミー都市内を走り回って身体を温めるとともに、身体を強張らせている緊張を解いていた。


 賢者の石の力を自在に操るアルトマンに対抗する確実な手段はない状況だが、不思議と二人の中には不安はなかった。


 幸太郎が傍にいるからこそ、幸太郎のためだからこそ、二人はアルトマンに立ち向かう勇気をもらい、不安を取り除くことができたからだ。


 セントラルエリア周辺を走り回り、スタート地点であるセラが暮らす高層マンションの前へと戻って一旦立ち止まると――


「お、もう一周したの? 二人とも早いなぁ。はい、お疲れお疲れ」


「お姉様、お疲れ様ですわ! さあさあ、このふわふわなタオルで汗をお拭きくださいな! ああ、それとも私がじっくりと拭いて差し上げましょうか?」


 走り終えたセラとティアを、さっきまではいなかった大和と麗華が出迎え、そんな二人たちの一歩後ろにはノエルが眠そうにかわいらしく欠伸をしていた。


 軽く息を切らしている二人にスポーツドリンクを大和は投げ渡すと、発情しきった動物のようにタオルを持ってティアに擦り寄ってくる麗華。


「いや、いい。自分で拭ける」


「ああ、遠慮なさらずに。これから決戦なのですから余分な体力の消耗は禁物ですわ」


「確かにそうだが――……麗華。なぜ、胸と腰ばかり重点的に拭うんだ」


「汗がたまっているのですわ! お気になさらずに……ハァハァ」


「んっ……腋はやめてくれ……自分で拭ける」


「んほぉっ! 良い反応ですわぁ! 汗に塗れたタオルも――クンカクンカ」


 ティアの服の中に手を入れて無遠慮に弄りながらタオルで汗を拭き、完全にセクハラをしている鼻息を荒くして盛り上がっている麗華だが、自分のために身体を拭いてくれているのでティアは何も文句は言わずにただただ受け入れていた。


「三人はどうしたんですか? もしかして、一緒に運動でもするつもりで?」


「こんな朝早くから勘弁してよ。僕、ちょっと寝不足気味なんだからさ」


「珍しいですね。もしかして大和君、緊張して眠れなかったんですか?」


「以外に僕は遠足やイベントの前日は眠れなくなる繊細なハートの持ち主なんだよ――まあ、隣でグーグー鼾をかきながら寝ている麗華のせいってのもあるんだけどさ」


「鼾なんてかいていませんわ! 失礼ですわよ!」


 セラと雑談しながら麗華にセクハラを受けているティアに大和は助け舟を出すと、大和の目論見通り麗華は激しく反応してくる。


「冗談冗談――僕も麗華も緊張してそんなに眠れなくて気分転換に朝の散歩を楽しもうと思ってたら、セラさんたちが部屋から出て行くのが見えたから、何かなーって思ってついてきたわけ」


「フン! 私は別に緊張なんてしていませんわ!」


「まあ、麗華は無神経なくらいに図太いからね」


「ぬぁんですってぇ!」


 まったく……相変わらず朝から騒がしいな……

 でも、何だか安心するな……


 決戦が目前に迫っているというのに、朝っぱらから騒がしい麗華と大和を見て、セラは僅かに纏っていた緊張が解れたような気がした。


「そういえば、ノエルさんも僕と同じで眠れなかったのかな」


「寝不足は体調を悪くさせるので、睡眠はしっかりと取るようにしました」


「さすがはノエルさん。僕も見習いたいよ。僕なんてどうも夜更かししちゃうからね。いつものように幸太郎君のベッドに潜り込まないのかい?」


「ファントムさんが一緒に眠っていたので、問題ないと思ったので外で待ってました。そうしたらあなたたちが出てきたので、時間まで会話をしようと思いました」


「幼女のファントムさんと一緒に睡眠かぁ……絵面的に逮捕案件だね」


「問題ないでしょう。美咲さんが、ファントムさんは合法ロリだと言っていました」


 ノエルから幼女を連れ込んで青春思春期真っ盛りの青年が一緒の布団に眠っているという状況を聞いて、大和はニタニタと煽るように笑いながらセラと麗華に視線を向けた。


「あの男は一体何を考えていますの! 風紀委員の恥ですわ!」


「れ、麗華の言う通り問題大ありだよ! というか、どうしてファントムが幸太郎君の部屋にいるの? ファントムとヘルメスの二人は制輝軍本部の地下で軟禁されているんじゃないの?」


「あの二人をずっと軟禁できると思っていますか?」


「思ってないけど、もう少し対処しようよ!」


「難しいです」


「諦めるの早いよ!」


 早々にファントムとヘルメスの軟禁を諦めるノエルに呆れるセラ。


「ど、どうしよう、麗華……やっぱり、幸太郎君の部屋に言った方がいいかな。ファントムと一緒だなんて危険だよ。何をされるかわかったものじゃないよ」


「私的には、死神と恐れられたファントムと言えど、年端のいかない外見の少女が、獣欲溢れる男とともにいる絵面が非常に危険ですわ!」


「そういえば、幸太郎君って前から妹が欲しいと言っていたけど、幸太郎君の好みは年下なのかな……考えてみれば、リクト君やサラサちゃんに懐いてたな」


「愛があれば年齢や性別など些細な問題! ですか、下手な真似をすれば風紀委員のスキャンダルになり、アカデミーの支配者になる私の夢が潰えてしまいますわ!」


「ど、どうしよう、ティア……幸太郎君が、幼女に手を出した犯罪者に……」


「そんなことよりも――大和、ノエル。アルトマンを倒すための人員はどうなっている」


 勝手にパニックになっているセラと麗華を軽く無視して、アルトマンについての話に換えたティアは大和とノエルに、彼を倒すための人員について尋ねた。


「かき集めましたが、状況を考えれば正直芳しくありません。旧教皇庁本部にいる輝士や聖輝士、世界各地にいる鳳グループに所属する輝石使い、アカデミー都市内にいるまだ賢者の石に操られていない有志で集まってくれた輝石使いの方々のおかげで、ようやく相手の数と同等になりましたが、賢者の石の力によって肉体が強化された相手の輝石使いのことを考えれば、戦力差はこちらが圧倒的に不利だと思われます」


「集まってくれたのはありがたいけど、麗華とセラさんの攻撃を何度か食らってようやく倒れるタフな輝石使いが大量にいるって考えると、正直状況的には絶望だね」


 ティアの質問に淡々と正直ノエルは告げ、大和は仰々しくため息を漏らした。


 取り戻せない圧倒的な戦力差を突きつけられても、ティアは特に気にすることなく、むしろ静かに燃え上がっている様子だった。


「それなら、私が一人でも多く制圧して一人一人の負担を軽減させるだけ。アルトマンと決着をつけるということに、何ら支障はない」


「さすがお姉様ですわ! お姉様がいるのならば百人力、いいえ、万人力ですわ!」


「わかったから引っ付くな」


 ティアの言う通りだ。

 それに、どんな状況でもこのまま諦めておめおめ逃げるつもりは毛頭ない。

 アルトマン、賢者の石と決着をつける、それだけだ。


 絶望的な状況を前にしても怯まないティアの言葉に感銘を受け、頬を紅潮させてティアの身体に纏わりつく麗華。セラも心の中でティアの言葉に同意して気合が入る。


「だが、問題は賢者の石の力を打ち破る方法だ。確固たる方法がいまだにない。唯一の希望としては、昨日、幸太郎は勝算があると言っていたが――」


 ……不安しかない。


 勝算があるらしい幸太郎のことを考え、ティアはため息を漏らす。


 不安しかないティアの気持ちに心の中で同意し、セラも心の中でため息を漏らした。


「どうせ、期待するだけ無駄ですわ」


「昨日ファントムさんから話を聞いたんだけどさ、幸太郎君の勝算はただ、僕たちを『信じている』、それだけなんだってさ」


「そんなもの、勝算と何も言えませんわ! あの大バカモノは何を考えていますの!」


 ただただ自分たちを『信じる』――それだけが幸太郎の勝算であるということに、怒れる麗華に同意するように、不安が的中してセラとティアは深々と嘆息する。


 しかし、一方の大和とノエルは特に気にしている様子はなかった。


「それが幸太郎君の勝算だっていうなら、僕は幸太郎君の信頼に全力で応えるだけだよ。ノエルさんもそう思うよね」


「ええ。七瀬さんが信頼してくれている――それだけで、不思議と力が沸きます」


「おおっと……やっぱり、ノエルさんが一番のライバルなのかな?」


 ……むぅ……

 私だって……私だって同じだし……


 無表情で淡々と大胆なことを言ってくるノエルに不意を突かれながらも、大和はニタニタと心底楽しそうな笑みを浮かべて、煽るようにセラたちを一瞥した。


 ノエルの言葉と、大和の視線を受け、セラは少しだけムッとする。


 反論したい衝動に駆られるが、麗華たちがいる手前思い切って反論できないセラ。


「相変わらず幸太郎は何を考えているのかいまいちよくわからんが……幸太郎が私を信用するならば、私も幸太郎を信用するだけだ。それで幸太郎が考えている勝算になるのならば、至極容易い――私は幸太郎のために尽くす覚悟はできているし、アイツが無茶をしないよう全力でフォローするだけだ」


 うぅ……ティア、結構、大胆だ……


 強い覚悟と、情熱的な何かを感じられるティアの言葉に、セラの対抗心が徐々に燃え上がってくる。それは麗華も同じだった。


「ふ、フン! 別にあんないい加減な平凡男の勝算などどうでもいいのですわ! しかし、勝算があるというのならば、心底不承不承で、まったく期待しなければ、期待するだけ損だとは思いますが、期待しないで待っていますわ! 別に、幸太郎のためなんかではありませんわ! ただ、アカデミーのために身を尽くすだけですわ!」


 れ、麗華も……

 わ、私だっ――私だって!


「わ、私も、幸太郎君のことは誰よりも信じてるから! その気持ちは誰にも負けていないから! 幸太郎君のためなら私は誰よりも尽くせるから!」


「いやぁ、セラさんは大胆だなぁ。なんだか、それ、告白みたいだね。麗華も何だかんだ言って幸太郎君を気にしてるみたいだし――いやぁ、幸太郎君はモテモテだ。大勢のライバル登場に僕も何だかやる気満々になってきちゃうよ」


「ち、違うよ! 別にそう言うことじゃないから!」


「シャラップ! おだまり! そんなことあるわけありませんわ!」


 し、しまった……乗せられた……

 不覚……


 ニタニタと煽るような笑みを浮かべる大和に、自分や麗華が乗せられていたことに、ようやく気づくセラと麗華と必死に否定する。


 そんな二人の反応を見て心底楽しそうに笑う大和。


 朝っぱらから更に騒がしくなるセラたちだが――


 幸太郎のために戦うという思いだけはこの場にいる全員の思いは変わらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る