第20話

「うわー、本当に何もない……あ、あんなものや、こんなものが……」


 セラたちと夕食をたっぷりと食べ終えた幸太郎は、明日に備えるために、セラの隣の部屋――かつて自分が暮らしていた部屋に入った。


 ティアから教えられた通り、かつて幸太郎が暮らしていたものはいっさいなくなってしまっており。誰も暮らしていない空き部屋であり部屋の中には、幸太郎がここで休むと決まってアカデミーが即席で用意したベッド以外何も置かれていない寂しい部屋だった。


 漢の思い出の数々がいっさい失ってしまっていることに落胆しながらも、そんな気分をサッパリさせるためにさっそく風呂に入ろうと思い、服を脱ごうとすると――


「明日が決戦だというのに、随分と楽しんだみたいだな」


「ヘルメスさん……えっち」


「気色が悪い!」


 服を脱ごうとした瞬間にファントムとともに部屋に入ってきたヘルメスに話しかけられ、幸太郎は服を脱ぐのを中断した。


「二人ともどうしたんですか?」


「お前と話をするために数時間前から待っていた」


「ここ、オートロックなんですけど」


「そんなものは私の前では無意味だ」


「オートロックの扉の開錠方法、ノエルさんやクロノ君に教えたの、ヘルメスさんですね」


「情報収集をする上での基本だからな。何か問題でも?」


「とても感謝しています!」


 ノエルとクロノに開錠方法を教えてくれたおかげで、二人が良くベッドに忍び込んでくれているので幸太郎は心の底から、そして、凄まじい熱量でヘルメスに感謝すると、感謝された本人は幸太郎の熱に圧されて「そ、そうか……」と若干困惑していた。


「明日はいよいよ決戦――だってのに、確実な対抗策もなく、いよいよ数時間後に迫ってる。そんな中でのセラたちとの最期の語らいはどうだったんだ? 楽しめたか?」


 決定的な対策を練らないまま強大な敵との決戦が迫り、セラたちとの会話を終えた幸太郎にファントムは嫌味な笑みを浮かべてそう尋ねるが、幸太郎は特に気にしている様子なく「楽しめました」と心からの笑みを浮かべて頷いた。


 決戦が迫っているというのに呑気な様子の幸太郎を、ファントムは心底理解できない様子で見つめ、呆れたように小さくため息を漏らしていた。


「明日、頑張りましょうね」


「どうやら、戦う意思は変わらねぇようだな。怖気づいていないようで安心したぜ」


「ドンと任せてください。というか、それを聞くためにここに来たんですか?」


「まあ、それもあるけど、お前に聞いたところで返ってくる答えは決まっているようなものだったからな。他にも聞きたいことがあったんだよ」


「それなら、ファントムさんたちも一緒に晩御飯を食べればよかったのに」


「絶対嫌だね! どんな空気でアイツらと一緒に飯を食わなきゃならねぇんだよ……というか、こんな時でもどんな時でも相変わらず呑気な奴だな。確実な勝算がねぇのに」


「勝算ならあります」


「それも聞くためにここに来たんだが――……お前に勝算があるってヘルメスに聞いたけど、そんなのホントにあんのかよ」


「もちろんです」


「ヴィクターからもらった玩具が切り札っていうことじゃねぇだろうな」


「違いますよ。前から勝算はありましたから」


「ホントかよ……お前が言うと、不安しかないんだが」


「それを言われるとぐうの音が出ませんが、大丈夫です!」


 アルトマンや賢者の石に対して確実な対抗策がないというのに、堂々と頼りないくらいに華奢な胸を張って勝算があると言い切る幸太郎をファントムはじっとりとした目で見つめて訝った。


「前は邪魔が入って聞けなかったからな……聞かせてもらおうか」


 幸太郎だけが考えている確実な勝算を、大した期待をせずにヘルメスは尋ねる。


 ヘルメスに尋ねられ、相変わらず「もちろんです!」と自信満々に頷く幸太郎。



 堂々と頼りないくらいに華奢な胸を張って、能天気な笑みを浮かべて幸太郎は自信満々にそう言い切った。


 それだけだった。


「……おい、まさか、それだけじゃねぇだろうな」


「それだけです」


「ほんの、1ミリでも期待したオレたちがバカだったよ……」


 ファントムの質問に元気よく頷く幸太郎に、ほんの僅かでも、ほんの一瞬でも、期待したヘルメスとファントムは同時に深々と嘆息した。


「お前なぁ! それは勝算って言えるもんじゃねぇだろうが! 信じて勝てるなら、誰でもアルトマンに勝てるし、賢者の石なんて意味がなさねぇんだよ!」


「同感だな。能天気のバカだとは思っていたが、ここまで来ると真のバカだな」


 怒声を上げながら幸太郎の自信満々な勝算を否定するファントムに、同意するヘルメス。


 だが、そんな二人の言葉を受けても幸太郎は能天気な笑みを浮かべて、気にしておらず、自身の勝算に絶対的な自信があるようだった。


「でも、絶対に大丈夫です」


 根拠のない言葉を無責任にも幸太郎は言い放つが――その言葉には、強固な意志が宿っていることに気づいたヘルメスとファントムはため息を漏らす。


 どんなにバカにしても、否定しても、こうなった幸太郎の意志は揺らがないからだ。


「……勝手にしろよ。ただ、オレはお前と心中するつもりはねぇからな」


「ドンと任せてください」


 相手にするのに疲れ、無駄だと思ったファントムはため息を漏らしながら幸太郎の勝手にさせることにして、ヘルメスも心の中で同意した。


 何の対策も勝算もなく迫る明日の決戦に、不安な空気が流れはじめるが、そんな空気など気にすることなく「そういえば――」と幸太郎は呑気に話をはじめる。


「アルトマンさんを倒したらどうしますか?」


「まだアルトマンを倒していないというのに、むしろ、倒せるかどうかもわからないというのに随分余裕だな」


「大丈夫ですよ。ヘルメスさんを信じてますから」


「くだらないな。信頼だけで勝てる相手ではないとファントムが言ったばかりだろう」


「絶対に大丈夫ですから――それで、ヘルメスさんはアルトマンさんを倒したらどうするんですか?」


「くだらないな……」


「でも、少しでも考えたことはあるでしょう? それ、聞きたいです」


 質問に答えるのがバカバカしいと思いながらも、改めて幸太郎に質問された時、頭に自分の未来が何も浮かばなかった。


 くだらないと言って誤魔化したが、心の中では動揺していた――今の今まで、ヘルメスは自分の未来のことなどいっさい考えたことがなかったからだ。


 アルトマンの駒であった時はただただ『アルトマン』の役割通りに動き、『ヘルメス』となってからただアルトマンを倒すためだけに動いていたからだ。


 アルトマンを倒すためなら自分の命すらも捨て去る覚悟であり、アルトマンを倒した後のことなんて考えたことはなかった。


「ヘルメスさん、考え中ですか……それじゃあ、ファントムさんはどうしますか?」


 今まで考えたことない問題に直面して難しい顔を浮かべて思案しているヘルメスから、幸太郎はファントムに視線を向けてヘルメスと同じ質問を改めてぶつけてみた。


 幸太郎の質問にファントムは歯をむき出して力強く、邪悪で、何よりもかわいらしい笑みを浮かべた。


「そんなの決まってんだろ。世界中にオレという存在を刻み付けてやるんだよ!」


「かわいいファントムさんの姿なら、みんなメロメロにできますよ」


「う、うるさーい! そ、そういうことじゃねぇんだよ! 久住優輝でも、エレナ・フォルトゥスでもねぇ! オレはオレ自身の、今のオレという存在を刻み付けるんだ! この力で、恐怖で、嫌というほどな! オレはもう確固たる自分を得たんだ! 世界中の人間にオレという存在を刻んで、忘れなくさせてやるよ!」


「それからは?」


「あぁ? そんなの――」


 自分の存在を刻んだ後のこと――幸太郎にその先のことを尋ねられた瞬間、今まで饒舌だったファントムの口が止まり、答えに窮してしまう。


 久住優輝の遺伝子を元に生まれたファントムの元々の姿は、久住優輝にそっくりだった。


 最初は何も疑問が浮かばなかったが、自分と同じ優輝の姿を見た時に徐々にファントムの中で狂気にも似た自我が芽生えた。


 その自我が暴走した結果、ファントムは生み出した親であるはずのアルトマンを手にかけ、それ以降久住優輝に成り代わり、教皇エレナにも成り代わって生きてきた。


 だが、所詮は他人のふりをして生きてきただけであり、確固たる自分の姿がなかったファントムは満足できなかった。


 だから、今日まで自分の存在を刻み付けるために暴れてきたし、確固たる自分の姿を与えなかったアルトマンに復讐するために幸太郎に協力していた。


 しかし、自分の望んだ姿ではないが、確固たる自分の姿を得た自分にファントムは若干だが満足していた。満足していたからこそ、ここまで幸太郎たちについてきた。


 もちろん、世界中に自分の存在を刻み付けるという大きな目的は変わらないが――明確な目的があるだけでアルトマンを倒した後に何をするのかは考えていなかったし、目的を達した後も何をするのか今まで考えたこともなかった。


「ファントムさんも、ヘルメスさんも好きに生きればいいじゃないですか」


 答えに窮する二人を見て、幸太郎は正直な感想を述べた。


「ファントムさんはもう優輝さんやエレナさんじゃないですし、ヘルメスさんだって、アルトマンさんじゃないんですから、本当の自分の心に従えばいいんですよ」


 何者にも、自分自身も縛られずに生きていけ――幸太郎のその言葉に、答えに窮していたヘルメスとファントムの表情が若干弛緩するとともに、数時間前にノエルとクロノに言われた言葉が頭の中で蘇った。


 二人から言われた自分たちが『特別な存在』――その言葉を受けたからこそ、幸太郎の言葉を素直に受け入れることができた。


「そうだな……そりゃ、そうだ! 好きに生きなければ面白くねぇからな!」


「それじゃあ、ファントムさん、これからどうするんですか?」


「オレの存在を世界に刻み付けながら考えることにするよ! それが今のオレが考えることができる唯一の選択だからな!」


 邪悪に力強く、それ以上にかわいらしい笑みを浮かべるファントム。


 目的が達成した後、何を、どうすればいいのかわからないが、それを探す楽しみができたことにファントムは喜んでいた。


「ヘルメスさんは、ノエルさんたちと一緒に暮らさないんですか?」


「どうしてそうなる」


「ヘルメスさん、二人のお父さんですから」


 邪気のない幸太郎の質問に、ヘルメスはウンザリした様子でため息を漏らした。


「アルトマンを倒してからどうするのか、目的はまだ見えないが――それだけはないだろうし、今後も父と名乗ることはないだろう」


「そうなんですか?」


「好きに生きろと言ったのはお前だぞ」


「ぐうの音が出ません」


 ノエルとクロノのために、ヘルメスを二人の父に戻したかった幸太郎だが、それが叶わずに残念そうにため息を漏らした。


「好きに生きる権利があるというのならば、好きに選択できる権利もあるということだ。私にも――あの二人にも」


「じゃあ、いつかは二人のお父さんに戻る選択ができるかもしれないってことですか?」


「それじゃあ、オレはお前のことを『お兄ちゃん』とでも呼べばいいか?」


「勝手に期待して、勘違いするな」


 自分の言葉に勝手に期待して盛り上がる幸太郎と、煽るような笑みを浮かべるファントムに、ヘルメスは呆れたように小さくため息を漏らす。


 今のところ、ヘルメスの中ではノエルとクロノの父になるという選択肢はなかったし、二人を子として認めることもなかった――今のところは。


 しかし、ハッキリとどうなるのかはわからなかった。


 かつての仇敵同士が協力し合っている現状で、未来のことは何一つわからないからだ。


 だからこそ、ヘルメスは――ファントムも、胸の中で決意を新たにする。


 ありとあらゆるものすべてを引き寄せる、自分の都合の良い未来すらも引き寄せる賢者の石を破壊しなければならないという、決意が。


「改めて、アルトマンはボコボコにしねぇとな……アイツはオレの未来にとっては邪魔だ」


「同感だな。奴の掌で踊らされるのはもうウンザリだ」


 アルトマンを、賢者の石を倒すことを改めて誓うファントムに、同意するヘルメス。


 まだ確かな不安はあった――だが、ヘルメスとファントムは自分の未来のために、アルトマンを倒すという目標が生まれたおかげで、抱いている不安をある程度は抑えることができた。


 それ以上に、まだ見えない、わからない未来のために前に進むという期待と希望に満ちた思いも新たに生まれた。


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