第16話

 逃げるように幸太郎の前から麗華が立ち去ると同時に、ヴィクターの元へと向かう幸太郎の護衛をするために現れたティアとともに、セントラルエリアの病院近くにあるヴィクターの秘密研究所へと向かっていた。


「随分と麗華が慌てていたようだったな」


「はい、とってもかわいかったです」


「……あまり麗華をからかってやるな」


「ごめんなさい」


 つい先程幸太郎の前から逃げるように立ち去った麗華の姿を思い返すティアに、かわいらしい姿の麗華を思い出して幸太郎は楽しそうに笑っていた。


 麗華について正直な感想を述べる幸太郎に、ティアは表情には出さなかったが少しムッとした様子で幸太郎を注意した。


「ヴィクターの元へと連れて行くが、何かあるのか?」


「検査を受けている時に薫先生から、博士のところに行ってくれって頼まれたので、詳しいことは聞いてないんです。ティアさんも聞いていませんか?」


「何も聞いていない――ロクなことではないと良いのだが」


「同感です」


 ヴィクターの実験に付き合わされてきた幸太郎だからこそ、ため息交じりに放たれたティアの言葉に深く同意を示した。


 話が一段落すると、幸太郎とティアの間に沈黙が流れる。


 妙だ――沈黙には慣れているはずなのに……

 どうして、こうも胸がざわついて、僅かな焦燥感が芽生える……

 幸太郎と二人きりでいるだけなのに、どうして……


 常にクールで口数が多くないティアだからこそ沈黙には慣れていたのだが、幸太郎と二人きりの状況というだけなのに胸が焦燥と緊張でざわざわしてしまっていることに、ティアは不思議に思うとともに落ち着かず、すぐに沈黙に耐えられなくなったティアは、「……幸太郎」とおずおずと会話を再開させた。


「ヴィクターとの話し合いが終わったら、セラが料理を振舞うそうだ」


「本当ですか? 嬉しいなぁ。セラさんの料理、普通に美味しいから」


 ……妙だな。

 妙に、胸がざわつく。


 自分からセラの名前を出したというのに幸太郎が喜ぶ様を見て、セラの話題を出して胸がざわつき、若干後悔してしまっている自分がいることに気づくティア。


 そんな自分に芽生えた気持ちを無視して、ティアは幸太郎との話を進める。


「病院食、美味しいんですけど、健康的な淡白なものばかりでちょっと飽きてきちゃって」


「お前がそう言っていたから、今日はガッツリしたものを用意しているらしい」


「すごく嬉しいです。ありがとうございます」


「礼ならセラに言え」


「わかりました」


 ……やはり、妙だ。


 セラに心から感謝している様子の幸太郎を見て、ティアの胸が一瞬だけ締め付けられたような気がしたが、特に気にしなかった。


「明日は決戦だ。今日は病院ではなく、別の場所で落ち着いて過ごしたらどうだ?」


「セラさんのところで夕食を食べるのなら、久しぶりにセラさんの部屋の隣――前に僕が住んでいた部屋がどうなっているのか、確認も兼ねてそこで休みたいんですけど……もしかして、もう誰か住んでいますか?」


「それくらいならば許可してくれるだろうが――半年前にお前がヘルメスとともにアカデミーを去ってから誰も住んでいないし、部屋の中にも何もない。完全な空き部屋だ」


「ええ? そ、そうなんですか? そ、それじゃあ、僕の大切なあんなものやこんなものが、なくなっているってことですか?」


 ティアの答えを聞いて、棚の裏や押し入れの奥底に隠していた思い出――というか、漢の思い出の数々が失われてしまったことにショックの声を上げる幸太郎。


「そのようだ。ヴィクター曰く、賢者の石の力によってお前の記憶が全世界の人間から消され、改竄された時、同時にアカデミーにいたお前の痕跡を消すために、賢者の石の力に操られた誰かが部屋のものをすべて撤去したのだろうとのことだ」


「うぅ……あ、あんなものや、こんなものが……」


「それほどまでに大切なものなら、誰かに頼んで探してもらえばどうだ? 私も協力しよう」


「あ、い、いや、だ、大丈夫です!」


「遠慮するな。お前のためなら何でもやろう」


「ほ、本当に大丈夫です! 見られたら、色々と困るものが……」


「そうか……何か役に立てることがあるのならば言ってくれ」


 漢の品の数々を、同性ならまだしも、異性であるティアに見せるわけにはいかないので、ここは涙を呑んで幸太郎は堪えることにし、同時に大切な漢の思い出を捨て去ったアルトマンへの怒りが沸々と湧き上がってきた。


「僕、やっぱりアルトマンさんを許せません」


「その怒りは明日に取っておけ。今日は身体を休ませることだけを考えろ……それ以上に、無理はするな」


 やる気を漲らせているとは、心強い限りだ……

 ……やる気が空回りして、無茶をしなければの話だが。

 しかし……今までにないほどの強敵だというのに……

 毎回、この男には驚かされるな。


 アルトマンへの怒りを滾らせ、今までにないほどの強大な力を持つ相手に恐れることなく立ち向かう固い覚悟を決めている幸太郎の姿を見て、ティアは心から彼を頼っていた。


「幸太郎、お前は本当に強くなったな」


「ティアさんにそう言われると本当に嬉しいです」


 輝石を反応させることができても武輝に変化させることができなかった自分のため、何度も一緒に訓練に付き合ってくれて、時には厳しい修行を与えたティアからの心からの言葉だからこそ、幸太郎は心からその言葉を喜んでいた。


 無邪気な幸太郎の笑みを見て、ティアは一瞬だけ微笑んだ。


「でも、あんまり強くなった気がしないんですけど……」


「アルトマンに恐れずに立ち向かうことができるからこそお前は強い――情けない話だが、正直、私は怖いんだ」


「そうなんですか? ティアさん、いつも通りに見えますけど」


「ただ気丈に振舞っているだけだ」


 アルトマンに、賢者の石に対して抱いている恐怖心をティアは正直に告げた。


 周りを不安にさせないために今まで恐怖心を抱いていることなど一言も言わなかったし、言えなかったのだが、ティアはつい口に出してしまった。


 幸太郎に甘えてしまう自分を嫌悪しつつも一度本心を口にしてしまったら、もう止められなかった。


「アルトマンだけじゃない……私は誰よりも、敵を恐れていた」


 数多くの人間と対峙し、戦ってきた記憶を振り返りながらティアはそう告げた。


「だから、私は恐怖心に打ち克つため、誤魔化すために誰よりも自分を鍛えた。そして、今回もアルトマンを倒すために、いつものように訓練を行っていた」


 今日行ったファントムとの実戦形式の訓練を思い出すティア。


 まだ少女の姿になって戦い慣れておらず、セラとの訓練のすぐ後で全力ではなかったとはいえ、何度も自信を苦しめたファントムに圧倒して自分の実力が向上したことをティアは実感したが――


「だが、ダメだ。どんなに訓練をしてもアルトマンに、賢者の石を倒せるとは思えない……恐怖心は募るばかりだ」


 どんなに訓練したところで、ティアには賢者の石に勝てるとは思えなかった。


 あんな人知を超えた力にどう立ち向かえばいいのかもわからなかった。


 賢者の石を、アルトマンを打ち倒すための手段をアカデミーが考えているらしいが、それが上手く行く保証がないこともよく知っており、余計に不安や恐怖心を煽っていた。


 本音を口にしてしまったことで、ティアの中で無理矢理抑え込んでいた恐怖心が膨れ上がり、無意識に手が、身体が震えた。


「大丈夫」


 恐怖心に打ちのめされているティアに、特に何も考えている様子も、根拠もなく、ただの『大丈夫』と軽く一言だけ言い放ち、震えるティアの手を両手で優しく包んだ。


 軽すぎる幸太郎の一言だが、それと、自身の手を包む彼の体温だけでティアの抱えていた不安と恐怖心を吹き飛ばすには十分だった。


 同時に、マイナスの感情を忘れるほどに、ティアの胸が高鳴り、身体が熱くなっていた。


「お前は本当に強い」


 改めてティアは幸太郎の強さに触れたような気がして、しみじみとそう呟くが――幸太郎は苦笑を浮かべて「そうでもないです」と否定した。


「僕だって怖いです。アルトマンさんや、賢者の石の力」


「そうなのか?」


「それはそうですよ。アルトマンさん僕と違って賢者の石を自在に操れますし、賢者の石は何だってできますからね。とっても怖いです」


 ……意外だ。

 だが、それならどうして――……


 アルトマンや賢者の石に対して自分と同じ感情を抱いている幸太郎を、ティアは意外そうに見つめるとともに、一つの疑問が浮かんだ。


「でも、僕はティアさんを、みんなを信じてます」


 そうか……

 一人で戦っているわけではない、そういうことか……

 当たり前だというのに、そんなことを忘れていたとはな。


 当然と言わんばかりにそう言って、力強い笑みを浮かべる幸太郎。


 その言葉を聞いた時、ティアの抱いていた疑問は晴れるとともに、どうしてアルトマンへの恐怖が拭えなかったのか理解した。


「やはり、お前は強い」


「そうですか?」


「ああ、お前は強い。私よりも遥かに」


「ティアさんにそう言われると嬉しいです」


 幸太郎の強さの原動力を理解したティアは改めて心から彼を認めた。


 自分よりも強いことも、彼のすべてを、そして、自分の弱い思いもすべて認めた。


 認めると同時に、熱くなっていた胸の奥が更に熱くなった。


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