第2話

「何だか元気がなさそうですけど、大丈夫ですか? 幸太郎さん」


「う、うん、ちょっと……朝から調子に乗りすぎちゃっただけだから……」


「ダメですよ、幸太郎さん。目覚めて数日とはいえ、まだ本調子というわけではないんですから――はい、あーん。しっかり朝食を食べて元気になりましょうね」


「ありがとう、リクト君。本当に男母おかあさんだ……」


「はいはい、よしよし。ちゃんとよく噛んで食べましょうね?」


 まったく、リクト君は幸太郎君を甘やかしすぎだ。

 幸太郎君も幸太郎君だ。あんなにデレデレしちゃって……情けない。

 記憶が戻って嬉しいけど、戻ったら戻ったで情けなくデレデレしちゃんだから……

 久しぶりに記憶が戻ったみんなと話せて嬉しい気持ちは理解できるけど、少しは自重してくれないかな……幸太郎君だけじゃなくて、周りの人も。


 つい先程春が来たと思い込んで調子に乗っていた自分を、セラと麗華の二人がかりで説教され、すっかり意気消沈している幸太郎に、スプーンに掬った病院食を幸太郎の口に運んで食べさせているのは、癖のある栗色の髪、折れそうなくらい細い華奢な体躯、少女と見紛うほどの可憐な少年――アカデミーを運営する組織の一つであり、教皇庁のトップである教皇の息子であり、次期教皇最有力候補であるリクト・フォルトゥスだった。


 リクトに甲斐甲斐しく世話をされている幸太郎の姿を、幸太郎の警備のために出入り口の扉の前に仁王立ちしているセラは面白くなさそうに眺めていた。


 そんなセラ以上に面白くなさそうに二人の姿を見つめているのは――長い髪を煌びやかな装飾のされた髪留めでツインテールに結った、この場にいる誰よりも年下の小生意気そうな顔立ちの美少女だが、この場にいる誰よりも偉そうな雰囲気を放っている、リクトと同じく次期教皇最優良候補の一人、プリメイラ・ルーベリアだった。


「むー、リクトよ! 少しコータローに甘やかしすぎではないのか?」


「そんなことはないですよ。それに、まだ幸太郎さんは本調子じゃないんですから、これくらいは当然です」


「フン! 私にはもうすっかり本調子に見えるがな!」


 年下のリクトに情けないほど甘えている幸太郎を見て、リクトに対して淡い気持ちを抱いているプリムにとって嫉妬心を露にしていた。


「いいか、リクトよ! 甘やかしすぎてもこの情けない甘えんぼ―にとって、何の得にもならんぞ!」


「でも、昨日プリムちゃん、食べさせてくれたよ」


「き、昨日は昨日! ええい! リクトの前で余計なことを言うな! バカコータロー!」


「プリムちゃん、お母さんみたいだった」


「ふ、フン! 当然だ! 私は大人のレディーなんだからな!」


 プリムちゃんもプリムちゃんだ……まったく……むぅ……

 というか、年下の子に甘えて恥ずかしくないのかな、幸太郎君は……


 何だかんだ言いつつプリムも幸太郎を甘やかせていたことに、リクトは微笑ましく思いつつも、少しだけ嫉妬心を露にしていた。


「どうでもいいが、さっさと食い終わってくれ。話が進まない」


「まったく、ホント情けない……」


 騒々しくなるリクトとプリムを制するのは、今まで二人のやり取りを呆れたように見つめていた二人の人物だった。


 一人は姉のノエルと似ている外見で、姉と同じく感情をまったく感じさせない無表情で、感情を宿していない目つき、それ以上に姉以上に少女と見紛うほどの外見の持ち主である、白葉クロノ。


 そんなクロノの隣で、年下二人に甘えている幸太郎に心底呆れているのは、プラチナブロンドの髪をショートボブにした、人形と見間違うほどの可憐な外見の、しかし、身に纏っている冷たい雰囲気と冷めた顔立ちでその外見を台無しにしている華奢な体躯の少女、アカデミー都市の治安を守る国から派遣された組織・制輝軍せいきぐんを束ねているアリス・オズワルドだった。


「でも、朝御飯はよく噛んで、しっかり食べましょうね、幸太郎さん」


「サラサちゃん、やっぱりお母さんみたい」


 そして、そんな二人の一歩後ろにいて、二人とは対照的に元気そうな幸太郎を鋭い顔つきを柔らかくさせて慈愛の表情を浮かべて見つめているのは、セラと同じく麗華が設立したアカデミー都市の治安を制輝軍とともに守る風紀委員に、中等部でありながらも所属して活躍している、赤茶色の髪をセミロングに伸ばした褐色肌の少女、周囲を圧倒する強面で、鋭い目つきをしているが、心優しい性格をしているサラサ・デュールだった。


「今日の予定を話すわよ。今日も七瀬には検査を受けてもらうわ」


「また?」


「わけのわからない、それも人知を遥かに超えた力を持っていて、その力を数日前に一気に解放して世界を変えたんだから、経過を見るのは当然……わかって」


「うん、いいよ」


「素直ね。よしよし」


 自分の言うことを素直に聞く幸太郎の頭を、アリスは従順なペットの頭を撫でるように軽く一撫でする。


 連日モルモットのように検査を受けている幸太郎君には申し訳ないな……

 でも、アリスちゃんの言う通り、幸太郎君の力は強大過ぎる。

 その力の影響で何か体に悪影響を及ぼしているのかもしれないんだ。

 本人はかなり元気そうだけど、念には念を入れないと……


 目覚めてから毎日行われる身体検査に心底ウンザリしている様子の幸太郎を見て、セラは申し訳ないと思いつつも、彼のためにその気持ちを口には出さなかった。


 一週間前、幸太郎の持つ力で世界は大きく変わった――いや、元に戻った。


 幸太郎の持つ、すべてを支配する『賢者の石』の力で。


 十年以上前にアカデミーが保有する輝石以上の力を持つ煌石こうせきの力が暴走したせいで、大勢の輝石使いたち――実際は『賢者の石』と呼ばれる、おとぎ話に出てくる伝説の煌石を名前と同じ力を持つ者が大勢現れた。


 しかし、ここにいる幸太郎以外、賢者の石の力を発現することなく、大勢が輝石使いとなり、その力の影響でいまだに輝石使いの数が増え続けていた。


 祝福の日を引き起こし、アカデミーで発生した多くの事件の裏で糸を引いていた黒幕、アルトマン・リートレイドも幸太郎と同じ力を祝負の日で得ており、半年前に彼と幸太郎はぶつかった。


 だが、賢者の石の力を持っていてもまともに力を扱えない幸太郎はアルトマンに敗れた。


 幸太郎の力をもっと観察したいアルトマンは、彼を窮地に立たせることによってその力を見れると信じ、周囲にいるセラたち友人、アカデミー都市内にいる人間だけではなく、世界中の人間、そして、機械、ありとあらゆるものから七瀬幸太郎に関する記憶をすべて消し去り、改竄した。


 しかし、幸太郎は世界中の人間を支配していたアルトマンの力を打ち破り、元の日常に戻した。


 アルトマンに変えられた世界を元に戻す大きな力を使ったせいで、幸太郎の身体は消耗して、数日間眠り続けていた。


 命には別条ないと診断されていたが、それでも体力大きく消耗する賢者の石の力に、身体に何らかの影響があるかもしれないと考えられ、連日幸太郎の検査は続いていた。


 今のところ何も問題はないが、それでもセラたち幸太郎の友人は心配していた。


 もし、また世界を大きく変える力を振るえば幸太郎の命に関わるのではないかと。


「今日は検査の他に、アルトマンと賢者の石に関することで今日は鳳グループと教皇庁の会議に出てもらうわ。その後は教皇エレナと、鳳大悟があなたに話したいことがあるそうよ。すべては午後からだから、その間は好きにしていいわ」


「それならどこかに食べに行ってもいい? 不味くはないけど、病院食には飽きちゃって」


「我慢しなさい。というか、自分の状況を考えなさい」


「アリスちゃんもリクト君とは違う意味で、お母さんみたい……やっぱり教育ママ?」


「……意味がわからないから」


 むっ……アリスちゃん、ちょっと照れてる。

 幸太郎君、いつも正直なことを言って人を困らせるんだ。

 正直なのはいいけど、もうちょっと言葉の意味を考えてくれないかな……


 淡々と自分の予定を話しながらも、言葉の端々から自分を気遣ってくれるアリスの気持ちを感じた幸太郎は正直な感想を述べる。


 幸太郎の感想に意味がわからないと言いつつも、アリスは少しだけ照れていた。そんなアリスの様子を見て、セラは少しだけムッとしていた。


「病院食に飽きたのなら、僕がお弁当を作ってきましょうか?」


「リクト君のお弁当、楽しみだけど――そういえば、みんなは料理できるの?」


 リクトの提案に歓喜する幸太郎は不意の疑問をアリス、クロノ、プリム、サラサに向けた。


「卵焼きとか、目玉焼きとか、スクランブルエッグとか、ゆで卵なら余裕」


「おお、それはすごいなアリス! 私は玉ねぎとジャガイモの皮を剥けるぞ! それと、トーフも切れるぞ!」


「それは、基本的だと思うんですが……い、一応、カレーと肉じゃがは作れます」


 幸太郎の質問に答えて盛り上がるアリスとプリムの会話を聞いて、二人の料理の腕に関して嫌な予感がするサラサ。


「セラに負けじとノエルもリクトに頼み込んで料理の修行をはじめて、それに付き合っているおかげで、オレも簡単なものだが作れるようにはなっている」


「ノエルさんとクロノ君、本当に料理が上手くなっているんですよ。今度食べてみてくださいよ。目標とするセラさんにはまだ遠いですけど、それでも確実に腕は上がっています」


「半年間でクロノ君の男母オカンレベルが更に上がってる」


「何だ、それは……」


「やっぱり、クロノ君も男母さんの一人だね」


「誇るべきことなのか? それは」


「もちろん! クロノ君の手料理、楽しみ」


「では、光栄に思うことにしよう」


 男母レベル――……やっぱり、男の人は母性に弱いのだろうか……

 私、幸太郎君に頼ってばかりだからな……

 それにしてもノエルさん、料理の腕を上げたのか……私も頑張らないと。


 半年間の間にクロノの男母レベルに磨きがかかっていることに感嘆する幸太郎。


 無表情ながらも誇らしげにするクロノの様子を見ながら、自分に母性が足りていないことを実感するとともに、自分もノエルに負けないように料理の腕を上げることを誓うセラ。


「まったく、余計なことをクロノに教えるな、コータロー! だが、確かにクロノの手寮問いというのは楽しみだな。是非とも一度味わいたい」


「栄養食ばかりを食べていたクロノが、こんなに成長するなんて意外。私も食べてみたい。ここのところ忙しくてちゃんとした食事をしていないから」


「アリスさん、栄養の偏りはよくない、です」


「サプリメントで補ってるから問題ない」


「……それでも、ダメ、です」


「うっ……わかったわよ」


 プリムの意見に同意するアリスの何気ない一言に反応するサラサ。


 問題ないと言っても納得しないサラサから放たれる圧力に、アリスはすぐに降参した。


「それで、幸太郎さん。どんなお弁当が食べたいですか? 少しお肉を多めにしますか? それとも、サッパリしたおかずにしますか?」


「お肉もいいけど――あ、久しぶりにセラさんの手料理が食べたい」


 不意に言い放った幸太郎の一言に、今まで会話に入らなかったセラは「ふぇ?」と素っ頓狂な声を上げて驚き、そして、すぐに喜んだのだが――


に美味しいセラさんの料理、久しぶりに食べてみたい。セラさんの料理、に美味しいんだよね、に」


 ――まったく、幸太郎君はいつもいつも……


 普通普通と褒められてるのかよくわからない言葉を連呼する幸太郎に、苛立つセラ。


「ええ、わかりました! 普通に美味しい料理でよろしければ、作りましょう! 普通に美味しい料理ならいくらでも作れますからね!」


 若干感情的になって吐き捨てるようにそう言い放つセラ。


 珍しくムキになった子供のように感情的になるセラの様子を、リクトたちは意外そうに見つめていた。

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