第一章 戻ってきた日常

第1話

 こうしてお天道様の元、堂々と歩くのは久しぶりだ――

 実に気持ちがいい。


 歳を重ねてすっかり白くなった髪、しかし、歳を感じさせない皴のない整った顔立ちと、細身だが身体の中心に心が通った体格の初老の男――アルトマン・リートレイドは、平日の昼間だというのに大勢の通行人たちが賑わう通りを堂々と、春を感じさせる暖かい日の光を浴びて気持ちよさそうに歩いていた。


 今アルトマンがいるのは、輝石きせきという扱える資格を持つ者に武輝ぶきと呼ばれる力を与え、その力を扱うことができる輝石使いと呼ばれる人間を世界中から集め、学業と同時に輝石の扱い方を教えるアカデミーを中心として形成している世界最大規模の学園都市である、アカデミー都市だった。


 五つの区画に分かれているアカデミー都市の中でもアカデミー校舎や、アカデミーを運営する組織、鳳グループと教皇庁の本部があるセントラルエリアにアルトマンはいた。


 朝、遅めに起きたアルトマンは、アミューズメント施設が立ち並ぶイーストエリアに出向いて、朝昼兼用の食事をカフェで取り、ピリッと苦いコーヒーと、頬が落ちそうなほどに甘いハニートーストを食べた後は、あまりにも気持ちの良い陽気に連れられて、イーストエリアからセントラルエリア間にある大型商店街内を散歩していた。


 時折屋台から漂ってくる美味しそうな匂いに誘われ、食べ歩きをしながらアルトマンは散歩を心行くまで堪能していた。


 軽快な足取りでアカデミー都市を満喫しているアルトマンだが――そんな彼を見た通行人たちや、アルトマンが出向いた先の店の店員たちは、彼の顔を見て驚き、警戒し、敵意を露にしていた。


 それはもちろん、今やアルトマンは誰もが知る犯罪者だからだ。


 輝石や、輝石以上の力を持つ煌石こうせき研究の第一人者であると同時に、アカデミー都市内で数年間発生する事件の裏にいた人物を操っていた、本当の黒幕だったからだ。


 しかし、それを知っても誰もアルトマンを呼び止めることをしなかった。


 自分一人では、自分たちが束になっても敵わないと知っていたからだ。


 そんな彼らの情けない気持ちを嘲笑うように、アルトマンは堂々と散歩していた――アカデミー都市中に張り巡らされている監視カメラ、アカデミー都市中を徘徊している監視カメラがついた大量の清掃用兼戦闘用ガードロボットの前に出ても。


 仮に、大勢に囲まれたとしても、アルトマンは守られているので問題なかった。

 

 それに、もうどこにも隠れる必要はないからだ。


 さあ、私はここだ――いつでも私は君を待っているし、いつでも君を迎え撃とう。

 さあ、君の持つ力を早く私に見せてくれ。

 私は待っているし、知っているぞ――君が目覚めていることも。

 さあ、早く来るんだ……

 ――七瀬幸太郎ななせ こうたろう君。

 

 アルトマンの頭の中にあるのは、一つだけだった。


 自分と同じ力――神羅万象すべてを思うままに操ると同時に、すべてを、運さえも引き寄せる『賢者の石』の力を持つ少年・七瀬幸太郎と決着をつける、それだけだった。




――――――――――




 セントラルエリア内にあるアカデミー都市内で一番大きく、世界の中でもトップクラスの医療技術を持つスタッフや、医療機器が供えられた、わざわざアカデミー外部から入院してくる患者が多い大病院――


 その中でも個室としては広すぎるほどのVIP専用の病室の中央に置かれたキングサイズのベッドで、平々凡々で、無個性な顔立ちの少年・七瀬幸太郎はだらしなく大口を開いて大きな欠伸をしながら目が覚めた。


 最初は広すぎて落ち着かない病室だったが、数日寝泊まりしてすっかり慣れた幸太郎は、カーテンの隙間から入る日の光を浴びて気持ち良く目覚めていた。


 よし、今日も頑張ろう!


 そう気合を入れて起き上がろうとする幸太郎だが――


 ……柔らかい。


 両腕が何かにしがみつかれているせいで上手く起き上がることができなかった。


 同時に、両腕全体に伝わる柔らかく、気持ちの良い感触に気づいた幸太郎。


 気色悪く鼻息荒くしながら、唯一自由にできる足を使って布団をゆっくり剥ぐと――


 二人の少女がまるで愛しの王に奉仕する女王のように、幸太郎の腕に絡みついて無防備な姿で気持ちの良い寝息を立てていた。


「今日は大和君、ノエルさん……いつの間に……」


 幸太郎の右腕を抱いている薄手のシャツとショートパンツを履いている、中性的な少年――ではなく、少女の伊波大和いなみ やまとは、普段さらしをきつく巻いて隠している豊満な胸をさらしから解放し、惜しげもなく幸太郎に押し当てていた。


 一方の左腕には、いつも髪を束ねている赤いリボンを解き、普段は無表情で近寄りがたい雰囲気を放っているが、少女のように可憐な寝顔の、大和と同じく動きやすい薄手のシャツとショートパンツを履いて、甘えるように無意識に幸太郎の左腕に絡みついて大和と同じか、それ以上の大きさの胸を押し当てている白髪の髪の少女・白葉しろばノエルだった。


 寝る前は一人だったのに、いつの間にか二人の美少女がベッドの中に潜り込んでいるという漢であるならば誰もが羨む状況にいるが――数日前に目が覚めて以降、朝起きれば必ず誰かがベッドの中に忍び込んで眠っているため、この状況に慣れてしまった幸太郎は、何かしでかしてしまったのではないかという驚きも、美少女二人と同衾している状況に歓喜の声を上げなかったが――


「……もうちょっとこのまま」


 二人の美少女から伝わる柔らかな感触と、良い匂いを健全な青少年としてもっと堪能したい幸太郎は、すぐに起きるのをやめて、無防備な少女たちの姿をじっとりと見つめる。


 ……ノエルさんと大和君、キレイ。

 柔らかいし、足長くてきれい……あ、今日は二人とも『白』なんだ……

 眼福眼福。

 みんなが記憶を取り戻してくれて、みんなの様子が少し変わった気がする。

 春が来ているのかな……モテ期到来なのかな……


 丈がかなり短いショートパンツから伸びる長く、白い脚、太腿からは乙女を守る白い布地が垣間見え、薄手のシャツから突き出た豊かに実った極上の果実――幸太郎は元の日常に戻ったことを改め痛感すると同時に、元の日常に戻った途端周囲にいる友人たちの雰囲気が変わったことを感じ取って、春が来たと調子に乗っていた。


「見るだけでいいのかい?」


「おはよう大和君……もしかして、ずっと起きてた?」


「幸太郎君が起きると同時に僕も起きたんだよ――幸太郎君が朝っぱらから、ギラギラしたえっちな目で僕たちを見つめていたってことも全部ね」


「何だか恥ずかしい」


 ねっとりとした幸太郎の視線を茶化すように、寝たふりをしていた大和はいたずらっぽく、それ以上に艶やかに笑うと、一部始終を見られていた幸太郎は羞恥で頬を赤らめる。


 しかし、スケベな幸太郎の姿を見ても、大和は特に嫌がることも退くこともしなかった――その証拠に依然大和は幸太郎の腕に、いや、寝たふりをしていた時以上にギュッと強く抱きしめていた。


「ごめんね、大和君。でも、きれいだった」


「正直な感想、ありがとう」


 素直に謝り、正直な感想を述べる幸太郎に、大和は照れ笑いを浮かべる。


「別に謝らなくてもいいよ。むしろ僕としては嬉しいよ。女の子として見られてるから」


「大和君は女の子だよ」


「ずっと男装していたからね、周りからはそう見られていないよ」


「かわいいのに」


「嬉しいなぁ、すごく嬉しいよ――まあ、本当に嬉しいのは、君に女の子に見られてるってことなんだけどさ」


「何だか照れる」


 ……大和君、かわいい……

 やっぱり春が来てるのか? いや、そう考えるのは早い、早いぞ、幸太郎。


 大和の言葉に心から照れて、少しだけ調子に乗る幸太郎。


 しかし、誘っても特にリアクションをしない幸太郎に大和は小さくため息を漏らし、抱えている彼の腕を更に自分の身体に密着させ、情熱的で妖艶な眼差しを向ける。


「大和君、すごく当たってる」


「すごく当ててるんだよ」


「そうなの?」


「……ねえ、幸太郎君……僕のこと、好きにしてもいいって言ったらどうする?」


「ノエルさんが近くにいるよ」


「ここで女の子の名前を出すなんて野暮だなぁ、まあ、幸太郎君らしいけどさ――でも、僕は別に見られたっていいんだよ?」


「大和君、ちょっとえっち」


「僕は結構大胆なんだよね。麗華たちと違ってさ」


 大胆な大和君……ちょっと興奮してきた……

 やっぱり、春が来てるのかな……


 一気にヒートアップしてきた大和は、このままトドメに彼を押し倒そうとする――


「ストップ! ストップですわ! 朝っぱらか何をしていますの!」


 大和から放たれる甘い雰囲気を打ち消すように、病室だというのにも関わらず、室内に怒鳴り声が響き渡った。


 その怒鳴り声の主――一部が癖でロールしている、朝日を浴びて煌く金糸の髪をロングヘア―の美しい顔立ちと、抜群のスタイルの持ち主・鳳麗華おおとり れいかの登場に、大和はやれやれと言わんばかりにため息を漏らした。


「おはよう、麗華さん」


「少しは空気を読んでよ、麗華。後一歩だったのにさ」


「シャラップ! 不純異性交遊はアカデミーの規則で禁止されていますわ!」


 呑気に挨拶をする幸太郎を無視して、大和に詰め寄る麗華。


 朝っぱらから不純な真似をしようとする自分への怒りではなく、嫉妬が入り混じった幼馴染の反応を見て、大和は煽るように笑みを浮かべる。


「恋や愛は規則で縛られるものじゃないと思うんだけどな」


「節度は必要ですわ!」


「恋愛もしたことがない君に言われても説得力がないなぁ」


「わ、わたくしだって恋愛の一つや二つ、ありますわ! 大人のレディーですわ!」


「それなら、その恋愛の一つや二つの経験談を教えてもらおうかな?」


 麗華さん、かわいい……


 挑発的な大和の言葉に、顔を怒りと羞恥で真っ赤にして「グヌヌ……」と悔しがる麗華。そんな麗華を見て、かわいいと思ってしまう幸太郎。


 反論できない麗華を見て、更に追求しようとする大和だが――ここで、今まで気持ちよさそうに眠っていたノエルが目覚めたおかげで、麗華に助け舟が入る。


「……騒々しいですね」


 ノエルさん、起きがけは機嫌悪いから……


 眠り目を擦りながら、気持ちの良い睡眠を中断させた朝っぱらから騒々しい麗華と大和を無感情ながらも恨みがましい目で睨んだ。


 起きがけのノエルの機嫌があまりよろしくないことをこの数日間、一番ベッドの中に忍び込んできた人物だからこそよく知っている幸太郎は、あまりノエルを刺激しないようにするが、構わず麗華はノエルに厳しい目を向ける。


「ノエルさん! 毎回言っていますが、無防備すぎますわよ! あなたと一緒にいるのは欲望に塗れた獣なのですわ!」


「護衛のためです。それに、七瀬さんが下手な真似をしても、容易に制圧できるので問題ありません」


「そういうことを言っているのではありませんわ! それに、大和よりも目覚めが遅かったのに、護衛をするとは片腹痛いですわよ!」


 麗華の指摘に「それは、その……」と無表情ながらも痛いとことを突かれたノエルは言い淀み、感情をまったく感じさせない目で幸太郎を見つめた。


「七瀬さんのにおいが心地よかったので、身を委ねてしまいました」


「僕、そんなににおいする? 昨日、優輝さんと刈谷さんと大道さんの三人で一時間じっくり銭湯に浸かってたんだけど……」


「体臭という意味ではなく、七瀬さんのにおいを嗅ぐと不思議と安心してしまいます。体臭はどちらかといえば、汗臭いです」


「おっと、これは意外なところから強敵出現かな?」


 何気なく幸太郎と会話をするノエルの純真無垢さから感じられる強敵の気配に、大和は楽しそうに、それでいて、ちょっとムッとしたような表情を浮かべる。


 幸太郎、ノエル、大和――自分を無視して好き勝手に会話をする三人に、麗華の怒りは沸々と湧き上がる。


「いい加減にしてください」


 そんな麗華の怒りを代弁するように、凛とした声が病室内に響く。


 麗華が怒りの声を上げている最中に、ひっそりと病室に入ってきた声の主――かわいいというよりも美しく、凛々しい大人びた外見のショートヘアーの少女、セラ・ヴァイスハルトは混沌としている状況に割って入った。


「麗華、ここは病院なんだからもう少し声のトーンを抑えないと。それと、大和君もノエルさんも毎回言っていますが、幸太郎君を守りたいって気持ちはわかります。ですが、もう少し節度を考えてください。かえって幸太郎君の負担になるかもしれないんですよ」


「僕なら大丈夫、というか、大歓迎」


「とにかく! 幸太郎君は自分の状況をもっとよく考えてください」


 能天気な幸太郎の言葉を遮り、この場にいる全員に釘を刺すセラ。


 セラの言葉が効いた――わけではなく、大和は相変わらずニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。


「そういうセラさんだって、本当は幸太郎君とあんなことやこんなことをしたいんじゃないのかなぁ♪」


「か、勘違いしないでください! 私は幸太郎君を思っているだけです!」


「おおっと、今、爆弾発言をしたんじゃないの? ねぇ、ノエルさん」


「公私混同?」


「ち、違いますから!」


 セラさん、そんなに僕のことを……

 これは間違いない、認めざる負えない……

 ついに……ついに春が! モテ期が来たんだ!


 大和の一言で冷静だったセラの表情が一気に崩れて、彼女たちのペースに乗せられる。


 一方、幸太郎は自身のモテ期到来を実感して歓喜していた。


「冷静を装ったふりをして一気に急接近――中々策士だね、セラさん」


「な、なんですかそれ! 意味がわかりませんから!」


「一方の麗華は馬鹿の一つ覚えにツンツンデレデレ戦法――もう少し頭を使わないとね」


「ぬぁんですってぇ!」


 火に油を注いで状況を更に混沌とさせる、心底楽しそうな笑みを浮かべる大和。


 セラも麗華も一気にヒートアップして収拾がつかなくなる状況の中、幸太郎は――


「みんな! 僕のために喧嘩はやめようよ。取り敢えず身体は一つだけだから順番に――」


 調子に乗って仲裁を試みる幸太郎だが――調子に乗りすぎた。


 勘違い男を射貫くような目で睨むセラと麗華。


 その瞬間、大和とノエルに向けられた二人の怒りと苛立ちはすべて幸太郎に向けられた。

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