第四章 準備完了?

第35話

 暗い空間に、一人? 二人?

 どちらでもいいが、ずっと漂っていた――


 自分が何者かわからなくなるくらい、ずっと……

 暗い空間の中で自分の意識や身体が溶け込んでしまうほど、ずっと……

 最初に抱いていた感情は怒りと悔しさだった。

 ここから抜け出してやろうと、必死に足掻いた。


 だが、自分の身体がわからなくなってしまった状態では何もできなかった。

 そして、何もできずにただただ闇の中に堕ちていく中で生まれるのは恐怖と寂しさと絶望。


 助けてくれ、まだ終わってない、こんなところで終われない――

 そう叫ぼうとするが、言葉も発することができず、ただただ闇の中に意識が呑まれるのを待つだけだった。

 抵抗することも、考えることもやめて、ただ闇の中を漂っていた。

 身体はもちろん、意識も完全に闇の中に溶け込んでしまっていた。

 だが、そんな時に赤い光が現れ、闇の中に消えていた意識を照らし出した。


 そして、手が現れた――


 頼りないくらいに細く、華奢な腕だった。

 その手は自分の意識を掴み、赤い光の中に引きずり込んだ。

 そして、目の前に広がるのは――




――――――――――




「君たちのミスのおかげで、土壇場で大幅な計画修正をせざる負えなくなったんだ! それがどれだけ危険なことなのかわかっているのか!」


 アカデミー都市外部にある場所に、怒声が響き渡った。


 一日かけて完璧に追手から逃れてアジトに戻った瞬間に響く怒声に、白髪交じりの長髪を結った、彫が深い顔立ちの壮年の男――久住宗仁は顔をしかめて、適当に聞き流していた。


 そして、怒りを向けられているもう一人の人物――七瀬幸太郎は、カップラーメンの完成を今や今かと待っていた。


 そんな二人の様子に彼、アルトマン・リートレイド――ではなく、アルトマンのイミテーションであるヘルメスは更に怒りと不満を募らせた。


「本来ならば目的達成の確実性を高めるために結界が張られている煌石展示会場には君が向かうはずだったのだ! ――だというのに、君は弟子たちと無用な争いをして、時間を無駄に費やした! わかっているのか、久住宗仁!」


「仕方がなかった。弟子たちに早々に出会い、気づかれるとは想定外だった」


 ヘルメスを落ち着かせるために申し開きをする宗仁だが、謝罪の気持ちはいっさいなかった。


 そんな宗仁の態度に、怒るヘルメスは彼に詰め寄って不満を並べる。


「それだけじゃない! 君は騒動前に自分の息子に連絡して自分が疑われる理由を作った! 誰が情報を漏らしたのかわからない状況を作り、アカデミー内部を疑心暗鬼にさせれば、今後も楽に行動できたというのに!」


「事前に状況がどうなっているのか確認を取るのは当然だ。それも、今の上層部は教皇と鳳大悟が直々に選んだ優秀な人材たちが揃っている。一人一人が動いて調べれば、誰も情報を漏らしていないことに気づくだろう」


「まだあるぞ! 君たちが土壇場で爆発騒ぎに使う爆薬を花火に替えた結果、本気でアカデミーに恨みを抱いている協力者たちは話が違うと言って、私を裏切者だと罵って襲ってきたのだ! これで、今後外部との協力は取り付けられなくなった! 多少の被害は覚悟して爆発騒ぎを起こせば、苦労することなく、今後もっと楽に行動できたはずだったんだ!」


「お前のお得意な話術で解決するべきだったな」


「純粋にアカデミーに恨みを抱いている彼らに一度でも敵意を向けられて、それも複数から向けられ、それができると思うか?」


「しかし、結局煌石一般公開はアカデミー側は、輝石と煌石の存在を世界中に宣伝するのと同時に、アカデミーに恨みを抱く組織を一網打尽にするつもりで開いた。だから、成功しても失敗しても、お前が必死に集めて協力関係を結んだ有象無象は消える運命だった」


「それならば、君が弟子たちと遊んでいた件はどう申し開きをする? あの一件で狂っていた歯車に更に狂いが生じ、リスクを抑えてスムーズに進むはずだった計画が大きく破綻し、私が消滅する危険があったのだ!」


「先程も言った通り仕方がなかったのだ。早々に出会って気づかれるとは思いもしなかったし、まさかあれほど力を向上させているとは想定外だった……どうやら、弟子たちは私を既に超えてしまっているようだ」


「君の言い分はよくわかったが……一言ぐらい、謝罪をしたらどうかね?」


「私とお前は目的が――アルトマン・リートレイドを倒すという目的が共通しているだけ。お前の指示につもりはないと言ったはずだ。それに、計画の破綻に焦ったお前は、計画の修正に焦ると同時に、一石二鳥の都合の良い状況に計画を早めようと考え、あえて危険な真似をした――違うか?」


「……アルトマンの記憶通り、実に腹立たしい奴だ、君は」


 ……それは、こちらの台詞だ。

 その高慢で卑怯な戦法を得意とするその性格――兄弟子にそっくりだ。

 実に腹立たしい限りだ。


 昨日の騒動についての不満を並べるヘルメスを軽く受け流し続ける宗仁。


 ヘルメスの言う通り、確かに自分のせいで彼の思い描く計画が破綻してしまったのだが――共通した目的があるだけで、仲間ではなく、目的に向かうまで思い描いている家庭が彼とはまったく異なっている宗仁にとって罪悪感はいっさいなかった。


 というか、そもそも今回の騒動に宗仁は気乗りせず、すべてが気に入らなかった。


 それでも憎たらしい兄弟子の若い頃と同じ顔をしているヘルメスと行動を共にしているのは、アカデミーで発生するすべての事件の元凶である宗仁の兄弟子、アルトマン・リートレイドを倒すという目的のためだった。


 だが、兄弟子は『賢者の石』と呼ばれる、伝説の煌石と同じ名を冠する力を所持しており、迂闊に近づくことはできなかった。


 賢者の石の力――ヘルメス曰く、簡単に説明すると幸運操作のようなものであり、自分が思う都合の良い展開を引き寄せ、すべて自分の都合の良い結果を得ることができる力だった。


 それだけではなく、人の行動や思考を好きに操作でき、人だけではなく機械にも影響を与え、やろうと思えば神羅万象あらゆるものに干渉できるというとんでもない力だった。


 そんな神にも等しい力を持ったアルトマンに対抗するために、彼と同じ力を偶然にも得てしまい、その力によって家族や友人たちが持つ、自分がアカデミーにいた頃の記憶を奪われた七瀬幸太郎という少年を主軸にして今回の計画を立てた。


 今回の計画を果たすためにはまずは味方が必要だった――そのために、ヘルメスは世界中からアカデミーに対して恨みを持つ人間を集め、協力させた。


 彼らを使って煌石一般公開で騒ぎを起こしてもらい、その隙に自分たちの計画を果たす――それが、今回の計画だった。


 一応は成功したのだが――過程はヘルメスの言う通り散々だった。


 騒ぎが大きければ大きいほど計画の成功率が高くなるのだが、ヘルメスが集めた有象無象の協力者たちが用意した爆弾を、危険だという理由で宗仁と幸太郎は直前で爆薬を花火に替えて、それを知らなかった協力者たちに裏切者と判断されたヘルメスは襲われた。


 その騒ぎを聞きつけた制輝軍や輝士たちの相手をすることになり、予定は更に狂いはじめる。


 さすがにノエルやセラたちが現れた際は、彼女たちの相手をしなければならないと思って肝を冷やしたが、自分が生きていたことに気づいて驚愕している彼女たちの隙をついて何とか逃げ出すことに成功したヘルメス。


 想定外の展開が続いたので、缶ジュースを飲んで休憩しようとしたヘルメスだったが、一難去ってまた一難。


 トドメに、弟子の相手に気を取られて十分に役割を果たすことができない宗仁に代わって、アルトマンが幸太郎の元へと向かうことになってしまう。


 一応、宗仁の正体がバレて、そっちにセラ、優輝、ティアというアカデミートップクラスの実力者たちの注意が向いてくれたので、煌石展示会場に大勢の実力者たちが殺到することはなかったのだが――それでも、自分の計画を滅茶苦茶にして、自分を散々な目に合わせた宗仁たちをヘルメスは許せなかった。


 準備は完了して、本番はこれからだからだ。


 そして、これからは失敗は許されないからだ。


 本番を目の前にして険悪なムードのなる宗仁とヘルメスの間に入って、出来上がったカップラーメンをズルズルと啜りながら、「まあまあ」と幸太郎は諫めた。


 呑気な様子で登場した幸太郎を見て、ヘルメスの苛立ちは限界を突破する。


「七瀬幸太郎! 君が一番の役立たずだった! 自分の失敗をわかっているのか!」


「昨日から散々ヘルメスさんに言われたので」


「わかっていてどうしてそんな呑気でいられる!」


「ありがとうございます?」


「褒めてはいない! いいか、全員が揃ったところでもう一度君の失敗を説明しよう! 君の不用意な発言のせいで私の計画が完全に破綻したのだ!」


 ビシッと音が出る勢いで、ラーメンを啜っている幸太郎を指差すヘルメス。


「まだ爆発騒動の原因がわかる前に、君は爆発の原因を『花火』だと言ってしまった! それも、あろうことかリクト・フォルトゥスの前でだ! それによって穏便に済ませるはずの計画が脆くも崩れ、君の存在が大きく知れ渡ったのだ!」


「結局落ち着かせるのに手間取ったので、知れ渡りますよ」


「結果としてはそうかもしれないが、問題は過程だ!」


「次頑張りましょう」


「次が本番だ!」


「何だか気合が入ってきました」


「遅い! ……まったく、君と相手をしているとバカバカしくなってくるな」


 ……やはり、不思議な少年だ。

 アルトマンのイミテーションであるヘルメスは、若い頃のアルトマンにそっくりだ。

 容姿だけではなく、人を駒として扱い、平然と利用して裏切る性格も同じだ。

 ――だが、七瀬幸太郎と接している時のヘルメスは違う。

 アルトマンのイミテーションではなく、ヘルメスという一人の人間になっている――

 ……本当に不思議な少年だ。


 これ以上能天気な幸太郎と相手をするのは時間の無駄で、面倒になったヘルメスは、疲れたように大きくため息を漏らす。


 そんなヘルメスと幸太郎のやり取りを眺めていた宗仁は、容姿と性格ともに複製された元であるアルトマンと同じであるにもかかわらず、新たな一面を引き出す幸太郎を感心していた。


「今回運良く目的が達成できたが、これからはわからない――今回の件でアルトマンは確実に我々がアカデミーに戻ってきたと気づくだろう。いや、もう気づいているかもしれないな」


 不安そうにため息を漏らしながら、ヘルメスはそう呟いた。


「ここに来て、七瀬君とアルトマン――二人の力がぶつかり合い、どう転ぶのかわからないのだ。そのためにも、今回の件は次回につなげたかったのだが……まあいい。過程はどうであれ、目的は達成できたのだからな」


 そう言って、昨日の一件で失態を犯した幸太郎と宗仁をねっとりとした嫌味な目で一瞥するヘルメス――もちろん、宗仁は反省する気はなく、幸太郎はカップラーメンのスープまでを飲み干して満足そうにしていた。


 そんな二人を見て腹立たしくなる気持ちを抑えて、ヘルメスは幸太郎に――いや、厳密には彼に視線を向けてはいなかった。


「……いい加減に出てきたらどうだ」


 視線は幸太郎に向けたまま、幸太郎ではない何者かに語りかけるヘルメス。


 しかし、ヘルメスの言葉に誰も反応せず、ただ宗仁が身に纏う警戒心が高まっただけだった。


「七瀬君、器を出すのだ」


 食後のデザートとしてメロンパンを頬張っている幸太郎にヘルメスは指示を出す。


 メロンパンについた砂糖に塗れた手で、幸太郎はポケットの中からヘルメスが言った『器』――自身の輝石を取り出した。


「昨日から話しかけてるんですけど、反応なくて……本当にいるんですか?」


「問題ない。昨日からヒシヒシと君の輝石から殺気が伝わってきているからな」


「もしかして、昨日、ラーメンの蓋押さえにしたの、怒っているんでしょうか……」


「ハーッハッハッハッハッ! それは傑作だ!」


 間違いなく、それで怒っているだろう。

 これは、荒れそうだな……


 申し訳なさそうに放った幸太郎の告白に、ヘルメスは心底楽しそうに笑い、嫌な予感しかしない宗仁はチェーンに繋がれた自身の輝石を手に取って臨戦態勢を整える。


「いいのか? これ以上黙っているのならば、お前は一生蓋押さえのままだ! いや、私が漬物石代わりに使ってやろうか? さあ、いい加減姿を現したらどうだ? ――ファントム」


 幸太郎の持つ輝石にファントム――何度もアカデミーを苦しめ、死神と呼ばれて恐れられた輝石使いであり、優輝の遺伝子を基に作られたイミテーションと呼ぶヘルメス。


『……チッ』


 ヘルメスの脅しに屈し、幸太郎の輝石から禍々しい雰囲気を放つ赤黒い光が放たれ、忌々し気な舌打ちが響く。


 数瞬後、赤黒い光を纏った輝石が浮かび上がり、幸太郎の手から離れた。


 昨日の騒動で自分たちの目的が果たされたことに、喜びの笑みを浮かべるヘルメス。


 警戒心を極限まで高まらせた宗仁は輝石を武輝である刀に変化させるが――今すぐにでも飛びかかりそうな宗仁を満足気な笑みを浮かべているヘルメスが制した。


「お前はどのファントムだ? 二度目に敗北した時か? それとも、三度目か? どっちだ」


『さあな……俺は俺だ――だが、どっちの記憶も持っているようだ』


「なるほど……七瀬君の記憶の中にあるお前と、ティアストーンの中に記憶していたお前の思念が反応して一つに統合し、二つの記憶を持って生まれたということか」


『詳しいことはわからねぇけどな』


「それならば好都合、無駄な話は省けられそうで何よりだ」


 ……この殺気、間違いない、確かにファントムだ。

 三度も倒した相手を復活させるとは……これが、賢者の石の力、か……

 やはり、手を貸すべきではなかったか……


 浮かんだ輝石――ファントムの答えを聞いて、満足そうに頷くヘルメス。


 長年息子や弟子たちを苦しめた仇敵が蘇ってしまったことに、警戒心を高めるとともに後悔する宗仁。


 これが、ヘルメスの計画に乗り気ではなく、気に入らない宗仁の理由だった。


 煌石一般公開の情報を知っていた七瀬幸太郎の話を聞いて、アルトマン打倒のためにヘルメスはファントムを復活させることを提案した。


 三度の敗北で完全に消滅したファントムだが、消滅の危機に瀕したイミテーションのノエルを蘇らさせた幸太郎の持つ賢者の石の力ならば蘇らせることができると確信していた。


 エレナの精神を乗っ取るために、ファントムは自分の意識をティアストーンに潜ませた。輝石から生まれたイミテーションだからこそ、輝石を生み出す力を持つ、輝石の母とも呼べる存在はファントムの意識を受け入れた。


 完全に消滅したファントムだが、人知を超えた力を持つティアストーン内にはまだファントムの意識が僅かに残っているのではないかとヘルメスは考えた。


 煌石一般公開の情報を世間に流して、外部の圧力に屈したアカデミーに無理矢理煌石を公開させ、そんな状況で過激な思想を持つ人間たちをアカデミー都市内で暴れさせれば、ティアストーンに制御された無窮の勾玉の力で煌石展示会場周辺に、輝石の力を抑制させる結界のようなものが張られるとヘルメスは予想した。


 結界を張るためにティアストーンと無窮の勾玉に力が込められている状況なら、自身が持つ大きすぎる力を上手く扱えない幸太郎でも、イミテーションを生み出すことができるのではないかとヘルメスは考えた。


 ヘルメスの提案にもちろん、ファントムが息子や弟子たちに何をしたのかよく知っている宗仁は強く反対した。


 イミテーションとして生まれた際にヘルメスは僅かにアルトマンから賢者の石の力を注がれており、イミテーションを生み出す力を持っているヘルメスが、ファントムではない他のイミテーションを作るべきだと宗仁は妥協案を出したが、あえなく却下された。


 自身と同じくイミテーションとして生まれた際、僅かに賢者の石の力を注がれているファントムこそがアルトマン打倒の要の一つになると、ヘルメスは信じていたからだ。


 そして、自分のように中途半端な賢者の石の力ではなく、真の力を持つ幸太郎ならば、完璧な状態でファントムを復活させられると確信していた。


 結局はアルトマンを倒すためならと、幸太郎の後押しもあって復活させることになったのだが――


 煌石から放たれる肌を刺すような殺気を感じ取り、早々に宗仁はファントムを復活させたことを後悔しはじめていた。

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