第31話

 セントラルエリアの大病院――特別な患者専用の一人部屋の病室に、昨日誘拐され、優輝たちに助けられたプリムは大事を取って入院していた。


 宗仁に米俵のように抱えられたまま激しく動かれたので、助けられてしばらくしてからは乗り物酔いのような症状に苦しんでいたが、大道と沙菜の介抱のおかげですぐにすっかり治り、その後病院に連れられて一日休んで心身ともに健康を取り戻して絶好調だった――のだが……


「つ、ついさっき、アリスとヴィクターが見舞いに来て、フルーツをくれたのだ……せっかくだから、その……リクト、母様と一緒に食べようではないか!」


「ええ、構いません――、ちょっと待っていてくださいね?」


 恐る恐る放たれたプリムの提案に、傍にある椅子に座っていたリクトは『勝手な真似をしないで』と強調し、眩いほどの光を放つ笑みを浮かべて、アリスたちが見舞いの品として持ってきたフルーツバスケットの中からリンゴを取り出し、果物ナイフできれいに皮を剥きはじめた。


 優しい笑みを浮かべているリクトだが、プリムは彼から静かな怒気が溢れ、彼の笑みも激情を必死に抑えるための仮面であることも気づいており、恐れおののいていた。


 先程見舞いに来たアリスからもクドクドと昨日の騒動で勝手な真似をして、状況を更にややこしくしたことへの文句述べて、謝ることしかできなかったプリムだが――目の前にいるリクトの怒りはアリスとは次元が違った。


 それは、昨日の騒動の後処理を大方終えて、勝手な真似をした挙句に誘拐されて状況を複雑にした娘に一言文句を言ってやろうと思って病室に訪れたアリシアも同じだった。


 ここに来るまで抱いていた娘への苛立ちと怒りは、リクトから放たれる静かな怒気と威圧感によってかき消されてしまい、アリシアはただ窓際に置いてあるソファに座ることしかできなかった。


「――はい、どうぞ!」


「う、うむ、礼を言うぞ、リクト」


「僕よりもドレイクさんやジェリコさん、共慈さん、沙菜さん、優輝さんに感謝してください」


 リンゴの皮をきれいに、ウサギ型に剥き終えたリクトは、再びあからさまな嫌味を放ちながら、紙皿に並べてプラスチック製のフォークを勢いよく、汁が飛び出るほどの強さでリンゴに突き刺してプリムに差し出した


 自分の無茶な我儘を戸惑いながらも最終的には優しい笑みを浮かべて聞いてくれて、怒りの感情を露にすることは一度もなかったリクトだが――目の前のリクトは誰が見ても怒りを抱いていることは明白だった。


「り、リクト……その……怒っているのか?」


「ええ、怒っています」


 恐る恐る訪ねたプリムの問いに、口調と笑みは優しくしてリクトはそう答えると同時に纏っていた静かな怒気を溢れさせ、それを肌で感じ取ったプリムは「ひぃ」と小さい悲鳴を上げた。


 すっかり怯えきったプリムを見たリクトは、やれやれと言わんばかりに小さくため息を漏らし、怒れる自分を落ち着かせ、優しくも厳しい目をプリムに向けた。


「暇潰しという事実を隠すためとはいえ、優輝さんたちの陣中見舞いをしたプリムさんの気遣いには感心します――ですが、その結果どうなったのかわかりますね?」


「わ、わかっている……先程アリスにも言われたばかりだからな」


「それじゃあ、プリムさんがまた敵に利用されるかもしれないこともわかっていますか?」


「あ、ああ……ヴィクターから聞いたぞ。何をするつもりだったのかはわからぬが、相手は煌石の制御役として私を使うつもりだったのだろう?」


「そう思われていますが、それだけじゃないかもしれない――また、セイウスさんの一件のように、命なんて何とも思われずに道具として扱われる可能性だって十分にあったんです」


 セイウス・オルレリアル――かつて教皇庁で枢機卿を務めていた男であり、枢機卿という立場を利用して私腹を肥やしていた人物だった。


 アリシアに裏切られた結果枢機卿としての立場が悪くなり、結果としてアルトマンたちに利用されて暴走、恨みのあるアリシアの娘を誘拐して道具として扱おうとした人物だった。


 セイウスの一件の話を持ち出されて何も反論できなくなるプリムだが――今回の騒動の当事者として一つだけ確信はあった。


「だ、だが、リクトよ……誘拐された時、私はソージンからは不自然なまでに敵意のようなものがまるで感じられなかったのだ。お、おかしいとは思わないか?」


「宗仁さんに敵意はなくとも、アルトマンさんは別です。今、話題を替えようとしませんでしたか? ……僕の気持ちと自分の立場、わかっていますか?」


「も、もちろん理解しているぞ! 私が愚かなことも、愚かな私のせいでリクトが怒っていることも! 話題を替えるつもりなんて毛頭ないぞ! ただ私は事件に巻き込まれた身として、真相が知りたかっただけなのだ!」


「……本当ですか?」


 宗仁から感じなかった敵意について話、話題を替えてリクトの怒りを忘れさせようとするプリムだが――そんな彼女の魂胆などリクトに読まれており、更にプリムは窮地に陥る。


 温厚さを取り戻しつつあったリクトの目が更に鋭くなったのを察知して、必死に申し開くプリムだが、そんなことでは今のリクトは納得しなかった。


「そ、そうだ! リクトよ! 私に煌石の制御を任せて、煌石の力を使って闘技場内を破壊し尽くし、その力を受け止めて、力を得たのかもしれないナナセコータローという人物をどう思っているのだ?」


 七瀬幸太郎――秘めた力では次期教皇最有力候補である自分たちや、教皇であるエレナを超えるかもしれない力を持った少年について、実際彼の力を目の当たりにしたリクトに尋ねた。


 性懲りもなく話題を替えたプリムだが、リクトは文句を並べることなく、それ以上に彼女への怒りを忘れて頬を僅かに紅潮させ、昨日の出来事ともに七瀬幸太郎を想いながら、嬉々とした表情を浮かべた。


「え? ……あ、それは、その……素敵な人――ではなく、すごい力を持っていると思います。母さんの言った通り、秘めた力は僕たちを超えているのかもしれません」


「そんな力を持った人間が一体何をしていたのだ? 話で聞いた赤黒い光とは何なのだ?」


「それについてはわかりません……ただ、あの光を受け止めて力を得たとは感じられませんでした。まるで、何かに吸い込まれるようにして……すみません、今は何もわかりません。でも、あの場にいた全員がどうすることもできなかった光を対処した彼の姿はカッコよかったです」


 まるで恋する乙女のような表情で七瀬幸太郎を語るリクトに、自分の怒りを忘れてくれたことへの安堵感よりも、気に食わなさの方が勝り、今度はプリムが不機嫌になる番だった。


「……随分と、ナナセコータローとやらに入り込んでいるようだな、リクトよ」


「え、ええ? そ、そんなことはありませんよ! と、というか、話を替えないでください!」


「どの話に戻る? 勝手な真似をした挙句に誘拐された愚かな私の話か? それとも、お前が入れ込んでいるナナセコータローの話か? どっちにする?」


 じっとりとした目でプリムに睨まれ、リクトは我に返って厳しい態度に戻すが――もうこの場でリクトの威厳は取り戻すのは不可能だった。


 形勢を逆転させたことへの安堵感よりも、随分とリクトに入れ込まれている七瀬幸太郎への嫉妬心にプリムは溢れていた。


「と、とにかく、反省したならこれからは自重した行動を心がけてくださいね」


「肝に銘じておくが、ナナセコータローに入れ込み過ぎて油断をするなよ、リクト」


「だ、大丈夫です! ――……後は任せてもよろしいでしょうか、アリシアさん」


 すっかりリクトにマウントを取れていい気になっているプリムだが――ここで、リクトの怒りを受けてすっかり忘れていた人物のことを思い出す。


「ええ、ウチのバカが世話をかけたわね、リクト」


「今回ばかりは世話がかかりましたが、自分勝手な行動とはいえプリムさんが他人を気遣ったのは事実なので、そこだけは認めています。そこだけは」


「別に気遣わなくてもいいのよ――じゃ、後は任せていいから」


 そう言って、アリシアは急かすようにしてリクトを病室から出て行かせると、にんまりとした満面の笑みを――ではなく、抑えきれない怒りのあまり引き攣らせた顔をぴくぴくさせた表情を娘に向けた。


「か、母様、と、取り敢えず、リクトの剥いてくれたリンゴを食べようではないか、な?」


「……さあ、やってくれたわね、このバカ娘!」


 取り敢えずリンゴを食べさせて落ち着かせようとするプリムだが、無駄な努力であり、母の怒りが爆発する――

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