第14話
――異常なし、か……
このまま何事もなく終わればいいんだけど……それは無理か。
ウェストエリアの煌石一般公開場である闘技場の前――会場周辺の警備を任されている大道、沙菜というお馴染みのメンバーとともに、周囲を見回っていた。
煌石が公開されて迷子の世話や、観光客同士の軽い喧嘩の仲裁などが多々あったが、それ以外何事もなく午前中が過ぎて、優輝は少し安堵していたのだが油断はしていなかった。大勢の人間にアカデミーが狙われている以上、何か騒動が起きるのは確実だと思っていたからだ。
みんなが協力してくれるから大丈夫だと思うんだけど――
ああ、もう! まったく……しっかりしないとな……
大丈夫――どんなに言い聞かせても生まれる過剰な不安感に優輝は苛立ち、それを発散させるように大きく深呼吸した。
自分を落ち着かせる優輝の頬に冷たいものが走り、優輝は素っ頓狂な声を上げる。
「優輝さん、お疲れのようですが……これを飲んで少し休憩しませんか?」
「あ、ありがとう、沙菜さん――さっそくいただくね?」
自身の頬に缶ジュースを押し当てて、心配そうに自分を見つめるのは――三つ編みおさげの、眼鏡をかけた地味目な、しかし、よく見れば整った顔立ちをしている女性であり、優輝とは清い関係である
差し出されたジュースを優輝は手に取り、蓋を開けて一気に飲んだ。
沙菜の気遣いと喉の潤いで、自身の中の焦燥感と苛立ちが一気に霧散して、僅かにだが晴れやかな表情になった優輝を、沙菜は安堵したように見つめていた。
「さあ、これで休憩は終わりだ。午後からは一緒に行動しないかい、沙菜さん」
「す、すごく嬉しい提案ですが……もう少し休憩してもいいと思います。休憩もしないでずっと気を張り詰めっぱなしだったと他の人から聞いています」
ジュースを飲み干すと同時に休憩終了を宣言する優輝に待ったをかける沙菜。
しかし、優輝は構わずに「大丈夫大丈夫」と軽い調子でいた。
「午前中は平穏無事に過ぎたけど油断はできないよ。油断をしていたら、相手は隙をついてくるんだから。それにまだまだ先は長いしね。この程度で疲れるほど軟な鍛え方はしていないよ」
「ティアさんみたいなことを言わないでください」
「……ムキムキプロテインミート脳のティアみたいに言われるのはすごくショックだな」
「とにかく、優輝さんの言う通りまだまだ先は長いんです。いくら鍛えていても、少しくらいは休憩しないと心身の健康を保てません。だから、休憩しましょう、ね?」
意固地になって言うことを聞かない子供を諭す母のような物言いの沙菜の言葉に一理あると思いつつも、「で、でも……」とまだ優輝は呑気に休憩することに罪悪感を抱いていた。
そんな優輝に、「君の負けだよ、優輝君」と優しく諫めるように声をかける、大道共慈。
「すまない、沙菜。二人の邪魔をするつもりはなかったのだが、君たちの話に聞き耳を立てていたらついしゃしゃり出てしまった」
「そ、そういう気遣いは大丈夫ですから!」
「しかし、未来ある若人たちの語らいを邪魔するわけには……」
「若人って、共慈さんと私たちはそんなに歳が変わらないでしょう。それよりも、共慈さんからも優輝さんに無理は禁物だと言ってください」
「おおよその筋は知っている――沙菜の言っていることは正しい」
「し、しかし、大道さん――」
「君一人がここにいるわけではない、そうだろう?」
沙菜の味方をする大道に反論しようとする優輝だが、自分でも十分に理解していることを言われてすぐに何も反論できなくなる。
自分一人で警備をしているわけではない、そんなこと優輝には十分に理解していた――
しかし、一般公開を何としてでも成功させなければならない気持ちが優輝を突き動かし、焦燥感を生み出している元凶だった。
「何かあったのなら、聞こう。話せばスッキリできるかもしれないぞ?」
「そ、そうです! 何があろうと私は優輝さんの味方ですから迷惑なんて思わないでください」
……まったく、何だかセラとティアに問い詰められているみたいだな。
でも……何だか嬉しいな。
優輝が何かを抱えていることなど一目瞭然の大道は、優しい口調でそう言った。
沙菜もまた大道と同じく優輝が何かを隠していることに気づいていると同時に、自分たちに遠慮していることも何となく察しており、話を聞く気でいた。
お節介な二人が、幼馴染二人の姿と重なって見えてしまった優輝は降参と言わんばかりに深々とため息を漏らし、自分の抱えているものを吐露する。
「一人でやっていることではないというのは十分に理解しています――ただ、一週間前に口うるさい人から連絡が来まして、少し気合が入っているんですよ」
――一週間前、煌石一般公開に反対する父からの連絡を思い出す優輝。
ティアやセラには父から連絡が来たとだけ伝えたのだが、まだ伝えていないことがあった。
時期尚早、危険、無理、お前は未熟――久しぶりに連絡が来て散々なことを言われてついカッとなった優輝は、思わず反論してしまったことだった。
絶対に成功させてやる――そう啖呵を切ったからこそ、優輝は過剰に気合が入っていた。
「……お父様と何かあったんですね」
「まあ、その……意思表示というか……別に心配しなくても大丈夫だよ」
多くは語らなかったが、優輝が父と喧嘩をしたことを沙菜は何となく察し、誤魔化した優輝の反応でそれが確信に変わった。
「宗仁殿も今回の件を注視しているのか……隠居したと聞いているが、聖輝士としてアカデミーの行く末を気にしているということか。君の気合が入るのも無理はないな」
「買い被り過ぎです、大道さん。確かに伝説の聖輝士と評されている人物の通り、輝石使いとしては申し分ない実力を持っていますが、実際のところは人間嫌いの偏屈な頑固親父です」
「そんな、ダメですよ優輝さん……お父様のことを悪く言ったら。お父様――宗仁さんは優しくて気が利く人ですよ。話してみて、そう感じました」
「沙菜は宗仁殿と会ったことがあるのか?」
「前に優輝さんたちと水月家に戻った際に、一度だけ――とても良い人でした。ちょっと怖いところもありましたけど、私の緊張を解きほぐしてくれましたし、優輝さんをとても心配しているようでした」
「それは羨ましい。一度お会いしたことがあるが、喋ったことはなかったからな」
……みんな、買い被り過ぎだ。
伝説の聖輝士と会って話したことのある沙菜を羨む大道――大道のみならず、数十年も前に隠居して滅多に人前に現れることがなくなった、数々の活躍譚がある伝説の聖輝士・久住宗仁は世界中の輝石使いの憧れだった。
しかし、息子の優輝としては全員伝説の聖輝士である父を過大評価していると思っていた。
「まったくホント、みんな買い被ってるよ。あの人はそんなに偉大な人じゃないのに……喧嘩した母さんとは長年別居中だし、自ら動こうとしない割には一々口うるさいし、修行は厳しいし、手料理はマズくて食えたものじゃないし、古臭いセンスだし、部屋は汚くて清潔感ないし――正直、今のあの人は隠居したって理由だけで傍観者に徹している卑怯者だよ……だから、みんな買い被り過ぎなんだ」
伝説の聖輝士である父を卑怯者だと吐き捨てた優輝の刺々しい雰囲気から、沙菜と大道は二人の関係が険悪な理由がかなり根深いものであり、安易に口出しできないと思ったのだが――
「コラ、ユーキ! 少し言い過ぎなのではないか?」
刺々しい空気を放つ優輝で険悪になっているムードをぶち壊すような明るい声が響く。
護衛であるジェリコ・サーペンスとともに現れた声の主――煌石展示会場内にいるはずである、会場周辺に並んでいる屋台で買った大盛り焼きそばを持って、口元にソースがついているプリメイラ・ルーベリアの登場に、刺々しい空気を放っていた優輝は脱力するようにやれやれと言わんばかりにため息を漏らして、刺々しい空気を霧散させる。
「プリムちゃん、どうしてここに……会場内で煌石の力のコントロールをしているんじゃなかったのかい?」
「交代は一時間後だ。待っている間、暇だから陣中見舞いに来たというわけだ!」
「……それ、ティアたちは知っているの?」
「もちろん秘密だ! ティアにバレたらうるさいからな! あ、もちろん、このことは秘密だぞ? 母様にバレたら大変なことになるからな!」
「それなら、勝手に行動したらダメだよ。アリシアさん、怒ると面倒だから……」
陣中見舞いと言っている割に、会場周辺に立ち並ぶ屋台で買った食料の数々をジェリコに持たせているプリムは、お祭り騒ぎとなっている煌石一般公開の時間を満喫しているようだった。
プリムを勝手に行動させているジェリコに優輝たちの責めるような視線が集まり、ジェリコは何も言わずに疲れた様子でため息を漏らして軽く頭を下げた。
必死にプリムを止めたが、自分ではどうにかできなかった――何も言わないジェリコから、そう言っているような気がした優輝たちは、彼を責められるはずはなく、ただただプリムに振り回された彼を心から憐れんだ。
「それよりも、ユーキよ。お前は父との仲が悪いのか?」
「えっと……別に仲が悪いわけじゃないんだ」
父の話題を出されて、空腹を忘れて一瞬ムッとする優輝だが、年下のプリム相手が目の前にいるので、不機嫌そうになる自分を抑えてそう答えた。
「しかし、お前の話では仲が良さそうには聞こえなかったぞ」
「一応、輝石使いとしては尊敬しているからね」
優輝にとって、父ほどの優秀な輝石使いは知らなかった。
父として、人間としては尊敬していないが、輝石使いとしては心から尊敬していたからこそ隠居して他人と、家族でさえも関わりを極力避ける父に失望し、昔から口論ばかりしてきた。
今まで何度も言い争い、時には激しくぶつかり合った父の思い出が頭に過り、プリムが目の前にいることを忘れて優輝は苛立ち、刺々しい雰囲気を身に纏っていたのだが――「ウム! それなら何も問題はないな!」と、空気を読まないプリムの溌溂とした声が響く。
「どうやら、ユーキ、お前は父上を尊敬しているだけではなく、かなり好きなようだな! 輝石使いとしてではなく、自分の父として」
どんなに嫌っていようとも尊敬できるところが一つでもあれば、その人物が好きである――大勢の人を利用し、そのツケが回ってどん底に落ちた、尊敬している母・アリシアのことを一途に思い続けたプリムだからこそ、父に対する優輝の想いをプリムは理解していた。
豪快な笑みを浮かべたプリムの一言に、露骨に嫌そうな表情を浮かべる優輝だが――彼女の言葉に何も反論することができなかった。
必死にプリムの言葉を否定しようとしても、否定できずにいる優輝の様子を見て、プリムの言う通りであると確信した大道と沙菜は安堵したように笑っていた。
言いたいことを言い終えて気が済んだプリムはおもむろに沙菜に駆け寄り、彼女の豊満過ぎる胸に顔を埋め、全身の力を抜いて彼女に寄りかかった。
突然抱き枕代わりにされて戸惑いながらも、自身の胸に顔を埋めるプリムに母性本能をくすぐられた沙菜は何も言わずに、自分に身を預けるプリムを受け入れた。
「……ふぅ、サナは柔らかいな。それに、母様と同じ匂いがするぞ」
「あ、ありがとうございます……」
「そうだ! それよりもサナ! そ、その……相談があるのだが、いいだろうか……」
「は、はい、私でよければ何でも答えます」
「その……わ、私はこれからリクトと二人きりで煌石をコントロールすることになるのだが……何か、いいアドバイスはないのだろうか」
「わ、私なんかがアドバイスしてもいいのですか?」
「もちろんだ! サナは憧れのユーキをメロメロズッキュンにしたんだからな! 是非ともその手腕を参考にさせてくれ!」
頼られている沙菜にプリムの相手を任せ、大道はプリムの言葉を受けて思い詰めた表情で考え込んでいる優輝に近寄った。
「……見事に言い負かされてしまったようだな」
「ええ、情けない限りですよ――でも……やっぱり、俺は父を好きになれません」
大道の言葉にただただ乾いた笑みを浮かべることしかできない優輝。
プリムの言葉に反論できなかった自分を情けないと思いつつも、優輝は彼女の言葉をすんなりと受け入れることができなかった。
「今はそれでいいのではないか? ――何を言われても、今は気持ちの整理ができないだろう」
「……そうですね」
「だから、今度面と向かって一対一でゆっくりと父上と話すべきだろう」
「あっちがまともに取り合ってくれればいいんですけどね」
「それは君も同じなんじゃないか?」
「……善処します」
「これで、少しは落ち着いたかな?」
「ええ。すみません、あなたや沙菜さんに気を遣わせてしまって」
「沙菜が言っただろう? どんな時でも我々は君の味方なんだ。だから、頼ってくれ」
お互いに素直になれ、か……難しいな。俺にとっても、あの人にとっても――
しかし、せっかく久しぶりに、それも珍しくあちら側から連絡がきたんだから、こっちも二人きりで腹を割って話す機会を自分から設けてもいいかも……
でも、その前に、まずは目の前の問題を片付けないと。
大道のアドバイスを難しいと思いつつも、実践する価値はあると判断し、まずは目の前にある問題、煌石一般公開を無事に終わらせようとするが――
突然、どこからかともなく軽快な爆発音が複数響き渡った。
連続して響き渡った爆発音に周囲は一時騒然となるが、何かイベントが起きたのかと思っている観光客が大半であり、幸いにもパニックになっていなかった。
しかし、警備を任されている優輝たちは別だった。
「今の音は一体……爆発音のように聞こえましたが……」
「わからない――アカデミー都市内の複数エリアから響いたように聞こえた」
「取り敢えず、近くの現場に向かってみますか?」
「我々は会場周辺の警備を任されている。観光客がパニックになった場合、彼らが何者かに襲われた場合に備えて持ち場を離れないようにしよう。原因究明はアカデミー都市全域の警備を任されているセラさんたちや、各エリアにいる狙撃違反に対処を任せよう。協力を求められた際は動き出せばいい」
「わかりました。それでは、克也さんに連絡します――その前に、ジェリコさん」
突然の爆発音の対応を大道との短い会話で決めた優輝は、ジェリコに目配せをする。
ジェリコは優輝の目配せに静かに頷き、沙菜を抱き枕代わりにしているプリムに近づいた。
「プリム様、この場は危険です。一旦会場に戻りましょう」
「う、し、しかし、まだ沙菜と話が……それに何より、大勢の人がいる中、私一人が避難するというのは、次期教皇最優良候補の身としては納得できん」
「プリムちゃん、爆発音の原因が掴めていない中、無駄に騒げばパニックになって状況がもっと混乱します。今はとにかく避難してください――わかりましたね?」
ジェリコに避難を促されるプリムは、この場から自分一人だけが安全圏に避難することに後ろめたさを感じて動けなくなるが、沙菜に諭され、「わ、わかった……」と不承不承ながらも納得し、ジェリコとともにこの場から離れた。
「これで、本当に休憩終了だね――……さあ、どうなることやら……」
休憩終了を待ち望んでいた優輝だが――騒動が起きてこれから何が起きるのかわからない状況に、嬉しくも何ともなかった。
しかし、大勢の味方がいる今なら、何でも解決できると確信していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます