第7話

 セントラルエリア内にある風紀委員と同じくアカデミーの治安を守る、国から派遣された組織である制輝軍の本部――煌石一般公開が開かれると決定してから、当日の警備について国とアカデミー上層部の人間を交えた会議が行われており、数分前にようやく会議が終了した。


 元制輝軍を束ねていた身として、制輝軍側に協力を求められたノエルは弟の白葉クロノととも制輝軍本部で行われた会議に出席しており、会議を終えたノエルは本部から出て外の空気を吸っていた。


 煌石の一般公開が決まった――時期尚早だが、ちょうどいい機会でもある。

 まだ細かく脅威は存在するが、もう、アカデミーに大きな脅威は存在しないから。

 でも……本当に、本当にそうなのだろうか。


 大きな災いは去ったが、それでもいまだに大勢の人間から狙われている状況だというのにもかかわらず、煌石の一般公開を推し進めようとするアカデミーを時期尚早だと思っているノエルだったが、彼女が気になっているのはそのことではなかった。


 ノエルの頭の中にあるのは、半年前までアカデミーの大きな災いとして暗躍していた、自分とクロノを作り出した父のことだった。


「ウサギちゃーん☆ ボーってしてるとぎゅーってしちゃうぞ❤」


 背後から響く甘ったるい猫撫でボイスとともに、ノエルは後ろから抱きしめられる。


 後頭部に心地良い柔らかい感触が広がると同時に、ノエルは無表情だがあからさまに嫌な顔をして振り返る。


 振り返るとそこには、所々に穴が開いたトレンチコートを着た、寒さの極みにある二月だというのに健康的で艶めかしい生足が生えるホットパンツを履いた、ボサボサでありながらも艶のあるロングヘア―の美女・銀城美咲ぎんじょう みさきが全身に伝わるノエルの感触に酔い、彼女から放たれる体臭を鼻孔の奥まで嗅ぎ取って、心底悦に浸っているようなだらしない顔を浮かべていた。


「毎回言っていますが、挨拶代わりに抱きしめるのはやめてください。それと、『ウサギちゃん』と呼ぶのもやめてください」


「フフーン、私の一族では抱きしめることが挨拶なんだよ?」


「確かに抱きしめて挨拶する文化いくつかの国ではありますが――ついでに胸と下腹部を触る挨拶は聞いたことがありません」


「それはおねーさんオリジナルの挨拶方法だよん❤」


「結構です」


 下品な笑みを浮かべて自分の身体を無遠慮に弄ってくる美咲から離れたノエルは、乱れた制服と、小さく深呼吸して弄られて僅かに熱を持った身体を落ち着かせた。


「もー、つれないなぁ。もっとおねーさんに甘えていいのに」


「今は結構です」


「それじゃあ、ウサギちゃんがおねーさんを甘えさせてくれる?」


「必要な場合は」


「それじゃあ、今必要♪ うぇーん、ママァ!」


 甘ったるくて気持ちが悪くなるほどの声を出しながら、目にも止まらぬスピードでノエルに向かってダイブしてセクハラをしようとする美咲だが――横から現れた人物が迫る美咲から守るようにしてノエルに飛びかかり、目の前にノエルがいなくなった美咲は無様に地面にキスをしてしまう。


「ノエル、大丈夫?」


「ありがとうございます、アリスさん」


「ん、変態から守るのは当然」


 美咲の魔の手からノエルを守ったのは、プラチナブロンドの髪をショートボブにした、人形のような可憐さを身に纏う冷たい空気で台無しにしている華奢な体躯の少女、アリス・オズワルドだった。


 ノエルから感謝され、頭を軽く撫でられると同時に、抱きしめているノエルから伝わるにおいが鼻孔を刺激し、アリスの表情が一瞬美咲のように締まりのないものになるが、すぐに心身を引き締めて、抱き着いていたノエルから名残惜しそうに離れた。


「うぅ……あ、アリスちゃん、せっかくの憩いの一時を……」


「大丈夫か、美咲。気色悪いぞ」


「心配しているのか、貶しているのかわからないよ、弟君……」


「どちらもだ」


「うぅ……む、無念」


 地面とキスして地面に突っ伏している美咲は、ノエルとの甘い一時を邪魔したアリスを恨みがましく睨みながら、生きる屍の動きのような緩慢な動きで這い上がろうとするが――そんな彼女を冷酷なまでの正直な感想がトドメを刺した。


 正直な、それでいて厳しい言葉で美咲にトドメを刺したのはノエルの弟であり、姉と同じように美しく整った顔立ちをしながらも、れっきとした少年である白葉クロノだった。


 クロノが美咲にトドメを刺したのを確認したアリスは、小さく咳払いをして話をはじめる。


「ノエル、会議が終わったばかりで申し訳ないけど、また会議に参加して。アカデミーから提示された警備案は隙がないけど、当日の警備についてもう少し煮詰めたいの」


「わかりました」


 アリスの頼みに二つ返事で快諾するノエル。父が引き起こした事件の責任を取って制輝軍を去ったノエルの代わりに今はアリスがアカデミーに駐屯している制輝軍を束ねているが、今日のように時折制輝軍を長く束ねていたノエルに協力を頼んでいた。


 すぐに本部内に戻ろうとするノエルだが――「待て」とクロノは姉を呼び止めた。


「ついでにオマエの様子も見たかった――変な期待をしていないか、気になったんだ」


 厳しい視線を向けながら放たれたクロノの言葉に、胸の奥底に隠してしまい込んでいたものが刺激され、無表情だがノエルの中で僅かに動揺が走る。


 そんな僅かな姉の変化を察したクロノは小さくため息を漏らす。


「もうアルトマン・リートレイドはいない――十分に理解しているはずだ」


「ええ、理解しています」


「……そうは見えない」


 自分でも十分にわかっていることを改めて指摘され、ノエルは無表情ながらも少しムッとして理解していると答えるが、理解しているようには見えなかった。


 アルトマン・リートレイド――輝石・煌石研究の第一人者であり、輝石や功績に関しての研究を記した本を何冊も出版し、自他ともに認める天才マッドサイエンティストであるヴィクター・オズワルドの学問の師だった。


 輝石と煌石研究の第一人者であると同時に、教皇庁に認められた輝士きしと呼ばれる輝石使いの中でも、実力と実績が認められたものにしか与えられない聖輝士せいきしの称号を与えられていた。


 そして、アンプリファイアと呼ばれる無窮の勾玉の欠片と、ティアストーンの欠片の力を用いて、セラ・ヴァイスハルトの遺伝子で輝石からイミテーションと呼ばれる新たな生命――ノエルとクロノ、そして、死神と呼ばれた輝石使い・ファントムを生み出した、二人にとって父も同然の存在だった。


 アルトマンはノエルとクロノを利用してティアストーンと無窮の勾玉の在り処を見つけ出し、その二つの力で『賢者の石』と呼ばれる伝説の煌石の力を作り出そうとアカデミー内で発生した多くの大事件の裏で暗躍していたが、賢者の石は実在せず、教皇庁が信者獲得のために作り出したおとぎ話であることを知るとともに、自分の協力者たちが次々と捕まって自暴自棄になり、が、寸でのところでノエルや風紀委員の尽力があって阻止。


 アルトマンは一人で自爆してしまい、生死不明のまま半年が過ぎた――そんな時に煌石の一般公開が決まり、ノエルは不安とともに、不謹慎ながらも淡い期待を抱いてしまっていた。


「もう一度言うが、あの男はもういない。期待を抱くだけ無駄だ」


 淡い期待を抱くノエルを見透かしたように、クロノは念を押した。


「この半年間アカデミーはアルトマンの足跡をすべて洗った。あの男の協力者だったアルバート・ブライトが取調べに橋梁してくれたおかげで、あの男と関係していた企業、組織、人間は摘発された。しかし、その間、いっさいアルトマンの生存情報はなかったし、アカデミーがすべての力を持ってあの男の行方を探したが、影も形もなかった。だから、半年前のあの自爆事件で生死不明とされていたあの男は、もう……――」


「わかっています……わかっているんです。期待をするだけ無駄だということも」


 クロノとともに厳しい現実を突きつけてくるアリスの言葉がノエルの胸を抉る。


 言われなくともノエルにはわかっていたが、信じたくはなかった。


 しかし、父の協力者が破壊した鳳グループ本社、教皇庁本部が解体され、外部の圧力で強引に開催が決定されたとはいえ、父が狙っていた二つの煌石の一般公開がされることが決まったことで、父への脅威がすっかりと忘れ去られ、アカデミーが未来へと前進していることで、改めて父はもういない――ノエルは現実を思い知らされた。


 叩きつけられた現実に打ちひしがれても、それでもまだノエルは父が生きているという僅かな希望に、無駄だと思っても縋りたかったが、いい加減前に進まなければならない、そんな気持ちも存在していた。


「まあ、ウサギちゃんもちゃんとわかってるなら、それでいいんじゃないかな☆」


 淡い期待を抱きながらも父・アルトマンがこの世にいない厳しく、悲しい現実を必死に受け入れようとして、前へ進もうとしているノエルの背中を押し、フォローをするように、暗い雰囲気に明るい美咲の声が響き渡った。


「でも、今までウサギちゃんが抱えていた期待を無駄だって言ったら、思ったらダメだよ? 確かにアルトマンちゃんは悪い人だったけど、ウサギちゃんや弟君のお父さんだってことには、ウサギちゃんが尊敬していたことには何も変わりないんだから――そのお父さんが無事だと信じたいって気持ちは決して無駄なんかじゃないと思うよ? それを無駄だって言ったら、今までウサギちゃんが抱えていた気持ちが、そんなウサギちゃんのために動いたアタシたちの想いがバカみたいになっちゃうからね♪」


 おどけながらも、ノエル、アリス、クロノが忘れかけていた想いを思い出させる美咲の一言に、半年前のアルトマンが暴走した事件で、ノエルは大勢の人に迷惑をかけながらも父のために事件解決に奔走した自分の姿、アリスとクロノは悩みながらもそんなノエルを支えた自分たちの姿を思い出す。


「美咲の言う通りにするにはまずは現実を受け入れる――そうするべきなんじゃないの?」


「……難しいですね」


「私もそう思う――でも、私がいるから」


「一人でできないのなら、オレも協力する――オレも一人ではできないからな」


「おねーさんだって、手取り足取りその他諸々使って協力しちゃうからねぇ♥」


 ……父がいない現実を受け入れるのは時間がかかるだろう。

 でも、私にはクロノ、アリスさん、美咲さん――大勢の人がいるんだ。

 彼女たちは現実にいる――父と違って。

 彼女たちがいるのなら、前へ進むことができる――


「……ありがとうございます」


 父がいない現実を受け入れるのは難しそうだったが、アリスたちがいるのなら何も問題も不安もなかった。


 現実を受け止めきれていない不甲斐ない自分を支えてくれる友達たちへ、心からの感謝の言葉を述べるとともに、無表情のノエルの顔が解れて、天使のような笑みを浮かべる――そんな彼女の笑みに見惚れてしまうアリスと美咲。


「ノエル、かわいい……」


「おねーさん、ジュンと来ちゃった」


 ノエルの滅多に見れない笑顔を見て、恍惚とした笑みを浮かべる美咲と、頬を染めるアリス。


「ノエル、二人がだらしなくて、みっともない顔で呆けているぞ」


「何かあったのでしょうか」


「わからん――とにかく、みんなが待っているんだ。戻ろう」


「わかりました」


 勝手に盛り上がる美咲とアリスを放って、ノエルは前へ進むための一歩として一週間後に開かれる煌石一般公開の警備についての会議に出席するために、クロノとともに本部へと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る