第36話
視界を覆った赤い光が収まると――
激しい戦いの痕跡が生々しく残る半壊状態の庭園内には、幸太郎、ヘルメス、アルトマン以外は誰も立っていなかった。
「みんな、どうしたの? 大丈夫?」
現状に驚いてはいるが、相変わらず呑気な声音で倒れているセラたちを心配する幸太郎。
そんな幸太郎とは対照的に、彼の肩を借りて立っているヘルメスは一筋の冷や汗を垂らし、誕生日が間近に迫って期待に満ち溢れた子供のような表情を浮かべている何かを仕掛けたアルトマンに警戒していた。
「これで、賢者の石を持たなければ関わることのなかった彼女たちの君に関わる記憶はすべて失われた――というよりも、都合の良いように改竄されたと言うべきかな?」
「それって……――どういうことですか?」
「あの男の持つ賢者の石の力によってこの場にいる全員の記憶から君の存在が消去された――私が無事だったのは、私を生み出す際に使用した賢者の石のおかげ、というわけか」
アルトマンの言葉の意味がわからずに小首を傾げている幸太郎に、やれやれと言わんばかりに小さくたため息を漏らして隣にいるヘルメスは説明した。
ヘルメスの説明を聞いて「その通り」とアルトマンは満足そうに頷き、幸太郎も「なるほどー」と他人事のように呑気に納得していた。
「この場というよりも、世界中の人の記憶から君の存在が消去されたはずだ。人だけではなく機械にも影響を及ぼすから、君の記憶が残っているのは、君と繋がりが深い肉親のみだろう――まあ、そんな彼らもアカデミーに君が通っていたことも忘れているだろうがね」
「実感がないのでよくわからないんですけど……本当なら困ります。夏休み、セラさんたちとプールに行く約束していたんですけど……み、水着が……」
「それは君の力次第だろう。まあ――」
セラたちだけではなく世界中の人から自分の記憶を奪ったと言われてもしっくりこない幸太郎――そんな能天気な彼の眼前まで、突然、アルトマンは現れた。
隣にいるヘルメスが注意する間も、幸太郎が気づく間もなく、アルトマンは幸太郎の胸に優しく触れるようにして自身の手を置いた。
――……あれ?
一瞬の違和感と脱力感の後、幸太郎は膝をついてしまい、肩を貸していたヘルメスとともに地面に突っ伏してしまった。
「今、私は君の力の大半を奪った――これで、彼女たちの記憶が戻る心配はもうない。そして、夏休み中の約束はすべて無駄になってしまっただろう」
高らかにそう言い放ったアルトマンの手――幸太郎の胸に触れた手には、彼から奪った力が赤い光として纏っていた。
「素晴らしい、素晴らしいよ……これほどまでに君の中にある賢者の石が成長を遂げていたとは――これは、今後が期待できる!」
手に纏っていた赤い光はすぐにアルトマンの身体に吸収されると、アルトマンから放たれる力の気配が更に強くなり、全身を駆け巡る快感にも似た賢者の石の力を全身に感じて感じて打ち震えていた。
幸太郎の力を吸収したことで、更にアルトマンの持つ賢者の石の力が膨れ上がったことをヘルメスは感じ取っていた。
「私はもっともっと、もっと、見たいのだよ! 君の中にある賢者の石の力を、賢者の石の真なる輝きを! だが、さっきまでの君――ある程度賢者の石の力を高めていた君なら、簡単に私の元まで辿り着くことができるだろう。それでは面白くない!」
「そうなんですか?」
「もちろんだとも! だから、君に最大級の試練を用意したのだ――誰一人として味方のいない状況で、君はどうやって私の元に辿り着くことができるのか、を」
「それって厳しくないですか?」
「大勢の味方を頼りにしてきた君だからこそ、今回の試練は君や私の想像を超えるほど厳しいものになるだろう。しかし、それを乗り越えようとすれば、自ずと賢者の石は輝くのだ! そして再び私の前に現れた時、今までにないほどに賢者の石の力が高まっているはず! 私はそれを見たいのだよ」
「ちょっと面倒そうです」
「しかし、君は必ず立ち向かうだろう? 賢者の石によってもたらされた偽りの絆だとしても、アカデミーで大勢の味方や友と過ごしてきた時間は嘘偽りではないのだから! それを取り戻すために、君は絶対に私に立ち向かう。違うかね?」
「そうですよね――わかりました」
はじめから、幸太郎がアルトマンの用意した舞台を降りることなど許されなかったし、ありえなかったし、本人もそんな気はなかった。
だからこそ幸太郎は脱力しきって動けない身体を無理矢理起こし、何度か倒れそうになりながらも、力が出ない膝に喝を入れてゆっくりと、フラフラと立ち上がった。
そして、ようやく立ち上がった幸太郎は相変わらず覇気のない能天気な、それでいて、決して折れない強い意志と真っ直ぐな光を宿した目でアルトマンを見つめた。
「アルトマンさんを倒します、絶対に。僕、そう決めました」
「……ああ、楽しみにしよう。再び君と相まみえる日を」
大勢の味方を失い、持っていた力の大半を奪われ、かつてないほどの絶望的な状況だというのに、不思議なほど尚も溢れ出んばかりの希望を宿している幸太郎の力強い双眸に、アルトマンは思わず気圧されていた。
自分を倒すと決めた幸太郎に余裕な笑みを浮かべて応えたアルトマンだが、内心では賢者の石以外、何の取り柄のない普通の少年から感じる得体の知れない力に怯えている自分がいた。
その恐怖心を隠すように幸太郎から背を向け、この場から立ち去ろうとするアルトマンだが――そんな彼の隙をついて、地面に突っ伏したままだったヘルメスは立ち上がり、輝石を武輝に変化させて襲いかかった。
背後から迫る凶刃に、アルトマンはやれやれと嘆息し、悠々と振り返って――赤黒い光を纏った片手でだけで飛びかかってきたヘルメスの顔を掴み上げた。
老体であるというのに、メキメキと頭蓋骨が軋むほどの力で掴み上げられ、苦痛の声を上げながらも、ヘルメスは怯まずに攻撃を仕掛ける。
だが、それよりも早くもう一方の手にも赤黒い光を纏わせ、その手をヘルメスの鳩尾目掛けて突き出して、吹き飛ばした。
賢者の石の力を宿す幸太郎が近くにいたおかげで消滅寸前だった身体が修復しかけていたのだが、今のアルトマンの一撃を受けて再び消滅の危機に瀕してしまう。
「創造主に不意打ちを仕掛けるとは、何たる不届き――いや、創造主に反抗するのは世の摂理か? まあいい――ヘルメス、君には感謝するよ。君のおかげで幸太郎君の賢者の石が更に輝くさまを見届けることができるのだからね。その褒美として、私を表舞台に引きずり出したのは不問にしよう」
「くっ――……い、今の力、貴様、人間か?」
「もちろん、人間だとも――少々弄ってしまったがね」
自分の顔を掴み上げた力は老人ではありえないほど強かったアルトマンの力に、ヘルメスは彼が人間であることに疑問を抱く。
そんなヘルメスの疑問に答えるように、アルトマンは自身の胸元を開けた。
開けたアルトマンの胸についている物体を見て、ヘルメスは驚愕で目を見開く。
アルトマンの胸――ちょうど、心臓の位置には機械が埋め込まれていた。
その機械には淡く光る四つの石が埋め込まれていた。
一つは白い光を放つ輝石。
二つ目は緑白色に淡く光るアンプリファイア。
三つ目は青い光を放っているティアストーンの欠片。
そして四つ目――炎を彷彿とさせる赤い光を放つ・賢者の石だった。
「賢者の石の力で九死に一生を得たが、ファントムにやられた時の傷が思ったよりも深くてね、延命装置を作ったのだ。傷を癒すためと、老いた身体を強化するために輝石を埋め込み、その力を常時反応させるためにティアストーンの欠片、そして、輝石の力を増幅させるアンプリファイア、その二つの煌石の欠片で賢者の石の力を安定して引き出しているというわけだ。そうだな――君の協力者であった北崎雄一が考案した兵輝の雛型のようなものだ」
「化け物め……」
嬉々とした様子で自身の力の源を語るアルトマンに、ヘルメスは心の底から思った感想を述べた。
賢者の石によって旺盛な研究心を刺激され、それを満たすために、大勢の人間を自分の目的のために利用するだけではなく、自ら進んで後悔することなく、喜びに満ちた様子で自分の身体を改造さえもするアルトマンの姿は、ヘルメスには化け物しか見えなかった。
そんなヘルメスの感想に、わざとらしく肩をすくめてみせるアルトマンだったが、悪い気はしていない様子だった。
「創造主を化け物呼ばわりするとは失礼な奴め――まあいい、すべてを支配する賢者の石の力を得た私を傍から見れば、そう見えるからね。さて――ここまでご苦労だったね。ありがとう、そして、さようならだ、我が息子よ」
多少の不測の事態はあったが、最後の最後まで自分の掌で踊ってくれたヘルメスを皮肉るように自分の息子と呼び、彼にかざした手から赤黒い光弾を放つ――
消滅の危機に瀕して動けないヘルメスはただただ自身に迫る光弾を、無力感に苛まれた心底悔しそうな表情で見ていることしかできなかったが――脱力していた身体に鞭を打って飛び込んできた幸太郎とともに、地面に突っ伏した。
九死に一生を得たヘルメスだったが――飛び込んできた幸太郎の肩が、アルトマンが放った光弾を掠めたせいで血が流れていた。
「どうして、私を助けた……」
「ノエルさんとクロノ君のお父さんだからです」
「くだらない、そして、実に愚かだ……それだけのために怪我を負い――唯一アルトマンを倒すための力をも消費するとは……実に愚かだ」
身を挺して庇った理由を当然だと言わんばかりに答えて能天気な笑みを浮かべる幸太郎を忌々しく一瞥して、彼から視線を外すヘルメス。
ヘルメスは消滅の危機に瀕していた身体が再び回復をはじめたことに気づき、アルトマンから吸収されて僅かしか残っていない賢者の石の力を幸太郎が使っていることに心底愚かであると評し、その様子を見ていたアルトマンもまた深々と嘆息した。
「僅かに残った賢者の石の力をヘルメスに捧げるとはもったいない。これでますます私から遠のいて、私を倒すという君の目的を果たすのが難しくなるというのに」
肩の傷の痛みで意識が朦朧として返答する気力もない幸太郎だが、後悔はまったくなかった。
それを察したアルトマンは再び深々とため息を漏らしながらも、旺盛な好奇心と期待に満ちた目でヘルメスとともに地面に突っ伏している幸太郎を見下ろした。
「まあいい、それが君の選んだ選択なら、賢者の石が選んだ選択であるということ、これから先どうなるのかを期待しようじゃないか!」
そう言って背を向けてこの場から堂々と去ろうとするアルトマン。
「絶望的な状況に打ちひしがれ、苦悩し、怒り、悲しみ、傷つき――それらに抗い! それらを乗り越えた先にこそ、賢者の石は真なる輝きを放つ! ……幸太郎君、君の賢者の石が真なる輝きを宿すのを私は楽しみに待っているよ。それでは、さらばだ。また会おう……」
狂気と期待に満ちた言葉と、心底愉快そうな笑い声を残してアルトマンは赤黒い光を残してこの場から消え去った。
現状で何も太刀打ちできないヘルメスと幸太郎はアルトマンを追うことなく、ただただ彼の笑い声を聞きながら無力感を味いながら、彼が消え去るのを黙って見ていることしかできなかった。
そして、この日から――七瀬幸太郎という存在は世界から孤立した。
しかし、世界にとってあまりにも小さな存在が孤立しても、誰も気づかず、何も変化することなく、ただただ、彼らはいつも通りの日常生活を送っていた。
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