第20話
香ばしく焼けたリンゴとパイ生地のにおいが漂うホテルの一室で、大悟、エレナ、アリシア、プリム、麗華、リクト、ジェリコ――彼らはエレナ手作りのアップルパイと、ジェリコが淹れた紅茶を飲んで優雅に軽食を済ませていたが――
「――って、こ、こんなことをしている場合ではありませんわ!」
――と、アップルパイを食べ終え、紅茶を飲み干して、すべてを堪能したところで本来の目的を忘れていた麗華は声を上げた。
そんな麗華の怒声にリクトとプリムも本来の目的を思い出す。
「お父様、エレナ様! お二人はここにアルトマンが近づいていることはご存知はずですわ!」
麗華の指摘に大悟とエレナは優雅で落ち着き払った様子で紅茶を飲みながら頷いた。
「それならば、他の方々と同じくお二人も避難をするべきですわ!」
鳳グループと教皇庁が仮の本部として使っているこのホテルへとアルトマンが向かっていることがわかり、鳳グループと教皇庁の幹部はすぐに避難をしたのだが――組織のトップであるエレナと大悟はこの場所に残り、優雅なティータイムを満喫していた。
「母さん、お願いします……この場から離れましょう」
「まだアップルパイが残っているのですが……」
「それよりも、避難を優先させてください!」
「しかし、冷めてしまっては味が落ちてしまいます」
アカデミーの上層部に頼まれてエレナと大悟を説得して非難を刺せるように頼まれたリクトだが――アルトマンよりも大量に作ったアップルパイを気にする呑気で、避難する気のない母に苛立ちと呆れの声を上げるリクト。
避難する気のない二人を見て、プリムはワインを開けようとしている母・アリシアに縋るような目を向ける。
「母様も何か言ってください。この場に残るのはあまりにも危険です」
「私が何かを言って聞くような連中じゃないわ。そんなこと、知ってるでしょ」
娘にエレナたちの説得に協力するように求められるが、アリシアは軽くスルーしてワインのコルクを抜いて、自分、大悟、エレナのグラスにワインを注いだ。
「ですが、状況が状況です! 何とかしてお父様たちをこの場から避難させますわ!」
「心配してくれているのは理解できるが、我々はこの場から立ち去るつもりはない」
「私たちの気持ちを理解していただいているのならば、言うことを聞いてください」
「悪いが、今の状況ではそれができない」
自分を避難させるのなら何でもしそうな勢いの娘を見て、アリシアがグラスに注いでくれたワインを一口口に含み、じっくり香りと味を堪能して飲み干した大悟は、断固とした決意を宿した言葉で避難するつもりがないことを告げた。
「大悟の言う通り、アルトマンを止めるために大勢の人が傷つき、倒れている中、私たちがおめおめ逃げてしまっては彼らに合わす顔がありません」
「でも、母さん! アルトマンがここに来る以上、狙いは母さんたちかもしれないんですよ? そんな状況でトップとしての責任感を感じる必要はないと思います」
「そうであるのならば、私たちが逃げればその分被害が拡大する可能性が大いにあります」
「だからこそ、ここに僕たちや優輝さんたちが集まって相手を迎え撃とうとしているんです」
「心強い限りですが、私と大悟は迎え撃つべきではないと思っています。おそらく、彼は――」
「いい加減にしてくださ――」
「まあ、喚くのはこのアホ二人の意見を聞いてからでもいいんじゃないの?」
「一言余計だが、母様の言う通りだぞ! さあ、お二人とも。申し開きをしてもらいましょう」
説得に応じない大悟とエレナに、徐々にヒートアップしてくる麗華とリクトだが、そんな二人をせせら笑いながら制止するアリシアは挑発するような目でエレナと大悟を見つめた。
そんなアリシア以上に有無を言わさぬ迫力を宿しているプリムの鋭い双眸を受けたトップ二人は、ワイングラスをテーブルに置いて淡々と説明を開始する。
「誰もが思っていることだろうが――今まで裏で動いていたのにも関わらず、表立って動いているアルトマンの行動は妙だ。まるで、自分に注目を集めているようだ。それに加えて、迷いのない足取りで堂々と正面切ってこの場所に向かうアルトマンの姿は妙な使命感を感じる」
「同じことを大和も言っていましたが――私には使命感、というよりも、幸太郎という賢者の石を得るのが難しくなって自暴自棄になっているように思えますわ。大勢の人間から注目を集め、最終的には彼ら諸共自滅する覚悟でいるとするなら、最悪ですわ」
「僕もそう思いますし、もっと最悪なのは、この場所を目指すと言って注目を集め、他の重要な施設に向かうことだと思います。だからこそ、一旦作戦を練り直すためにも母さんたちはここから離れて、上層部の人たちと合流すべきです」
最悪な事態を想像しているからこそ麗華、リクトは今すぐにでも大悟たちを避難させたかったのだが、そんな二人の意見に「一理あります――」とエレナは理解を示したが、相変わらず二人の指示に従うつもりはなかった。
「アルトマンが冷静であるということは交戦した刈谷さんや、大勢の輝石使いの方々から聞いていますので、自棄になっていることはないでしょう。それに、現時点でもアルトマンは真っ直ぐとこちらに向かっているという情報があります。確証はありませんが、大悟の言う通り使命感を抱いている今の彼なら真っ直ぐとこちらに向かってくると私は思っています」
「ここに来て何をするのかわからないというのにそれでも避難をしないんですか?」
「今回のアルトマンは無駄に策を弄している様子もなく、協力者もいる気配もなく、行き当たりばったりのように思えます。何かのタイミングを見計らっていたようですが、七瀬さんたちと出会ったことでそのタイミングが早まり、今回のような騒動になったと思います。目的は漠然としませんが、ハッキリとしているのは自分に注目を集めて真っ直ぐとこちらに向かって大勢の人を集めているということ。そして、大勢の注目を集めてこの場に向かう彼は、まるで何か、重要な何かを打ち明けるつもりでいる、そんな気がします」
断定はしていないが、今のアルトマンの目的が何かを自分たちに伝えたいのではないかというエレナの推測に、大悟は「同感だ」と頷いて同意を示した。
「それでは、お二人はアカデミーが用意した追手を、野蛮にもわざわざ相手にして倒し続けるアルトマンが呑気に話し合いを求めていると思っていますの?」
「確証はないが、私とエレナはそう思っている。大勢の人間から注目を浴びている現状で、何かを伝えるのには絶好の機会だ」
「確証がないのであれば、私はお父様たちを無理矢理にでも避難させますわ」
「僕も、麗華さんと同じ意見です」
何かの使命感に突き動かされているアルトマンが何をしようと、父と母を守るためなら麗華とリクトにとってはどうでもよく、今すぐにでも二人をこの場から避難させるつもりでいた。
だが、そんな二人を「勝手にさせておきなさいよ」とアリシアが制止させた。
「この場に居残るって言った頑固なこいつらには何を言っても無駄だし、それが最大限の譲歩――アンタたち、ここで止められたらアンタたち直々にアルトマンに会いに行って、話を聞くつもりじゃないの? それが一番手っ取り早い方法だからね」
アカデミーを運営するトップ二人の次なる強引な手を読みきっているアリシアに、隠すことなくエレナと大悟の二人は同意を示した。
「そ、そんなことさせられるわけないでしょう!」
「リクト様の言う通りですわ! いくら何でも無茶苦茶ですわ! 認められませんわ!」
「だから、何を言っても無駄だって言ってるでしょ? 最終的には白葉ノエルに対して、アンタたちがしてきたことを並べて、それを脅迫材料に使ってくるわよ」
アリシアの言葉に今までエレナと大悟を止めるために騒いでいた麗華とリクト、そして、プリムも静止する。
そんな二人の様子を見て、大悟とエレナは小さく呆れたように嘆息する。
気づかれないようにアカデミーをコントロールして、逃亡中のセラたちに情報を亭起用していた麗華とリクトだったが、そのすべてを大悟とエレナ、そして、アリシアは見抜いていた。
「見抜かれていないとでも思った? というか私たちだけじゃなくて、上層部の何人かはアンタたちの行動に不信感を抱いていたわよ――まったく……やるなら、もっと上手くやりなさい」
自分の言葉に何も反論できなくなった三人を一瞥した後は、最終的にはノエルの件を使って麗華たちを従わせるつもりでいるほど追い詰められていた、大人気ないアカデミートップ二人を呆れたように、それ以上に嘲るように見つめた。
「ガキたちはバカだけど、アンタたち二人はもっとバカよ――アルトマンの目的について確証がないのにここに居残るとか何考えてんの? 確かにアンタたちの説明には説得力があるけど、少しは人の不安も考えなさいよ――まあ、アンタたちに何かあれば、私は一気にアカデミーのトップに上り詰められるのだから好都合だわ。骨は拾ってあげるから、勝手にしなさいよ」
「素直ではないな、母様は。素直に母様も心配していると言えばいいのに」
「うるっさいわね、アンタは! 余計なことは一々言わなくてもいいのよ!」
娘の余計な一言に忌々しく舌打ちするアリシアは一気に不機嫌になり、仏頂面を浮かべたままグラスに注がれたワインを味わうことなく一気飲みした。
そんな母の子供のような態度に母性的な微笑を浮かべた後、プリムは縋るような目を大悟とエレナに向ける。
「母様の言う通り、あなたたちはもう少しレイカとリクトのことを考えて、無茶をするべきではないかと思います」
この場にいる誰よりも年下であるにもかかわらず、冷静で、客観的に見ているプリムの当然の一言に、大悟とエレナは降参と言わんばかりに頷いた。
「今回のアルトマンの動きは明らかに不自然だ。その真意を問うためにも、我々は一度アルトマンと会って話したいと思っている――多大な迷惑と不安をさせてしまっているのは重々承知の上だが、頼む。協力してくれ」
「私からもお願いします……今回の一件、漠然としないながらも何か嫌な予感がするのです」
真摯な態度でトップ二人が頭を下げて、協力を求める姿に麗華とリクトは諦めたように深々と嘆息する。
「わかりましたわ――でも、今から直接アルトマンと会うのは禁止します。それは最終手段であり、基本的にはアルトマンを拘束してから話をするのを前提にしますわ」
「それが僕たちのできる最大限の譲歩であり、抵抗です」
これ以上は一歩も退けないという意思を見せるリクトと麗華に、エレナと大悟は頷く。
黙って自分たちの言葉に従う意思を見せたトップ二人を確認して、すぐに麗華とリクトは迫るアルトマンに対抗するため、すぐに部屋を出た。
騒がしい二人がいなくなって静寂が戻る室内に、二本目のワインのコルクをアリシアが開ける軽快な音が響いた。
「母様、いい加減飲み過ぎです。状況を考えてください」
「このホテル、外観が古臭い割には結構いい酒が揃ってるのよね。だから、私たちが貸し切っているせいで客もいない状況で酒を腐らせないようにしてんのよ」
「ちゃんと保存をしているから、母様が心配しなくとも大丈夫です。それと、このホテルは――」
「一々うるさいわね。酒の味も知らないお子様は黙ってジュース飲んでなさい」
「味わうことなくガバガバ飲んでいる母様には言われたくはありませんな!」
大悟とエレナのいる部屋で、プリムとアリシア母娘は子供のような口論を繰り広げていた。
そんな二人の口論を無表情ながらも微笑ましく眺めていたエレナは、「アリシア」と娘の余計な一言に苛立っているアリシアを落ち着かせるような涼しげなトーンで声をかけた。
「ここからは危険です。プリムを連れて避難してください」
「もう少し飲んでもいいでしょ? 最近忙しかったから飲む暇なかったのよ」
「しかし、アリシア、私と大悟がここに残る以上、アカデミーをあなたが――」
この場が戦場になるかもしれないというのに呑気なアリシアを何とかして説得しようとするエレナを、「エレナ様、気にしないでください」とプリムは満面の笑みを浮かべて制した。
「母様は素直ではない態度を取っているだけで、エレナ様を心配しているのです」
「うるっさいわね! 違うわよ! 私はただアルトマンが近づいて慌てふためくこいつらの様子が見たいだけよ! というか、アンタはいつまでいるのよ! 邪魔なのよ!」
「次期教皇最有力候補である私がおめおめと教皇を残して逃げられません」
再びはじまる母娘の口論に、二人がまったく非難する気がないと悟ったエレナは縋るような目をアリシアのボディガードであるジェリコに向ける。
「……申し訳ない。二人がここに残る以上、私はこの場に残って二人を守らなければならない」
ため息交じりに放たれたジェリコの言葉に、諦めたエレナは二人の好きにさせることにした。
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