第16話

「そこ、右――じゃなくて、左にあるパン屋さんの裏に入って」


「わかりました。次は?」


「えーっと、しばらく狭い裏道を真っ直ぐに行くと大通りに出るよ」


「その次は?」


「ノエルさん、ちょっと待ってね。思い出してるから」


 幸太郎に美咲が渡した小さなバッグの中には絆創膏や消毒液などの医療品や、替えの服、よくわからない道具の数々の他に、いくつかのメモが入っていた。


「ここから離れたらバッグに入ってる『おねーさんの秘密のお家』のメモを読んでね♪」


 公園から逃げる寸前、美咲からそう耳打ちされた幸太郎は、後方に迫る制輝軍たちから逃げながら、バッグの中から『おねーさんの秘密のお家』と意外にきれいな字でそう書かれたアカデミー都市内の地図を取り出した。


 地図には、アカデミー都市内で複数個所ある美咲のキャンプ地の場所が記されていた。


 同時に美咲は現状をメモで記しており、イーストエリアにいるアルトマンは逃げも隠れもしないで襲ってくる追手を振り払ってセントラルエリアに向かっているとのことだった。


 メモを見たノエルたちはアルトマンに先回りするために追手から逃げながら、美味しい飲食店を探すためにアカデミー都市中を歩き回ってアカデミー都市内の地理に詳しい幸太郎が知る裏道を使って、できるだけ監視カメラも避けてセントラルエリアに向かっていた。


 左にあるパン屋の裏に入り、人一人分の狭い道を通るノエルたち。


「それにしても、みんなから追われるの久しぶりだよね、セラさん」


「そうですね。この状況も段々慣れてきました」


「僕、アカデミー都市内で鬼ごっことか、かくれんぼ大会が開かれたら逃げ切れる自信がある」


「面白そうですね、それ。体力がつきそうです」


「今度、大悟さんかエレナさんに言ってみようよ。以外にあの二人、乗ってくれるかも」


「……楽しんでいる場合ではないと思いますが」


 相変わらず呑気だ――……特に、セラさんは不自然なほど。


 追われているのに呑気に話を弾ませているセラと幸太郎に呆れながらも、こんな状況でも幸太郎と同じく呑気でいるセラに対しての違和感が徐々に増してくるノエル。


 しかし、今は疑念を振り払って逃げることに集中して、狭い道を抜けて大通りに出ると――


「やーっぱり、逃げ道はここだって思ったよ」


 ノエルたちを出迎えたのは、軽薄な笑みを浮かべ、武輝である大型の手裏剣を担いでいる伊波大和と、厳しい表情を浮かべて武輝である十文字槍を持っている巴だった。


「幸太郎君の逃走ルートは長年の研究で僕は知り尽くしていたんだよね」


「大和君、すごい。それじゃあ、僕の考えていることとかわかる?」


「うーん、『お腹が空いた』、なんて思ってるのかな?」


「惜しい。お腹が空いたから、これが終わったらみんなで親睦会も兼ねてご飯食べたいって思ってるよ」


「なるほど、いいね、それ。どこに食べに行こうか」


「大和君、食べたいものある?」


「幸太郎君の好きなものなら、僕は何でも構わないよ――って言っても、限度はあるよ? 前に美咲さんと行ったゲテモノ料理フルコースは嫌だからね。あれでしばらく蛙と卵を見ると気持ち悪くなったんだから」


「この前見つけたお店でモパネワームっていうのがあったんだけど、食べてみない?」


「ワームって……名前からして嫌な予感がしないんだけど」


 ――まさか、七瀬さんの複雑な逃走ルートを把握しているとは思いもしなかった。

 それに、御柴巴と伊波大和……この組み合わせは危険すぎる。

 最悪な状況だ。


 呑気に幸太郎と会話をしている大和、そして、そんな二人に呆れている巴を眺めながら、一難去ってまた一難の状況にノエルは嘆息したい気持ちを抑えて、状況を打破する手段を考える。


 幸太郎と大和の会話のせいで弛緩した空気を戻すために、「コホン」と小さく、かわいらしく巴は咳払いをした後に、一歩前に出てノエルたちと対峙する。


「申し訳ないけど、これ以上君たちが行動すればアカデミーは更に混乱する。だから、ここで拘束させてもらう――大和、わかっているわね? 手加減無用よ」


「はいはい――そういうことだから、ごめんね。僕たちにも立場があるんだ」


 ――交戦は不可避。

 やるしかない……


 私情に流されない厳しい態度の巴に気合を入れられた大和は、心底不承不承といった様子で溢れ出るほど輝石の力を引き出して、武輝である手裏剣を大量に複製させて自身の周囲に浮かび上がらせた。


 一気に巴たちとの間に緊張感が増したことを察したノエルは、戦闘は避けられないと判断して輝石を武輝に変化させた。


「七瀬君、セラさん、状況を複雑にしているのはノエルさんだけではなく君たちのせいでもある。だから、二人とも大人しくこの場から離れなさい」


「ごめんなさい、御柴さん。僕、ノエルさんの味方をするって決めたんです」


「……セラさん、君も七瀬君に何とか言ってあげて」


「ごめんなさい、巴さん……こんな危険な状況で幸太郎君を放るわけにはいかないので」


 幸太郎に説得が通用しないことを十分に理解している巴はセラに助け舟を求めるが、幸太郎を守ると誓った以上、彼の傍から離れないセラは輝石を武輝に変化させて抵抗の意志を示した。


 何を言ってもノエルの味方をするつもりでいるセラと幸太郎に巴は深々と嘆息したが、対照的に大和はケタケタと心底愉快そうに笑っていた。


「幸太郎君なら説得しても無理だって思ってたし、セラさんもそんな幸太郎君の味方になるって思ってたよ――だから、やるしかないよね? みんなも来たみたいだし」


 一歩も退く気がないノエルたちと、彼女たちの背後から来た追手を見て、戦闘は避けられないと判断した大和は、戦闘開始の合図を告げるように指をパチンと鳴らすと、彼女の周囲に浮かんでいた大量の手裏剣からレーザー状の光が一斉に発射される。


 即座にセラは幸太郎に飛びかかって迫る光から守り、ノエルも二人に降り注ぐ光を手にした武輝である二本の剣を振るって撃ち落としていた。


 迫りくる光にノエルたちを追ってきた制輝軍やアカデミーの人間は一歩も近づけず、ただただ彼女たちの戦いを見ていることしかできなかった。


「大和、七瀬君がいることを忘れないで」


「もちろん、ちゃーんと計算してるから大丈夫。それに、セラさんだっているんだからね」


「それでも、もしもの場合があるかもしれないんだから、気をつけなさい」


「まあ、確かに――それなら少し戦略を変えようかな? 巴さん、フォローは任せて前に出て」


 巴の注意に大和は大量の手裏剣から発射されるレーザーを止め、その代わりに大量の手裏剣を自由自在に操る。


 縦横無尽に暴れる手裏剣の合間を縫って、巴は静かな足取りでセラたちとの間合いを詰める。


「ノエルさん、お願いします」


「わかりました」


 短いやり取りと目配せで、お互いが何を考えているのか把握したセラとノエル。


 セラは暴れ回る手裏剣から幸太郎を守りながら接近してくる巴を迎え撃つことに集中し、ノエルは大きく一歩を踏み込んで大和との間合いを一気に詰めた。


 軽く跳躍して宙に浮かんだノエルは舞うような動きで一方の手に持った剣を薙ぎ払い、もう一方の剣を振り下ろした。


 静かに舞うようでありながらも的確に隙をついてくるノエルの攻撃に、大和は仰々しく慌てた動作で回避した。


 続けて攻撃を仕掛けようとするノエルだが、大和の操る手裏剣が四方八方から襲いかかってきたので攻撃を中断し、淡々としながらも華麗に後方に身を翻して攻撃を回避しながら大和との間合いを取った。


「ノエルさんが相手かぁ……いやぁ、一度戦って負けたことがあるからなぁ」


「……私は一度もあなたが本気を出したところを見たことがありません」


「そうでもないよ? 結構本気だよ――今もね?」


 そう言い終えると同時にノエルの背後から複数の手裏剣が襲いかかってくる。


 背後から襲いかかる手裏剣の気配を察知していたノエルは容易に回避し、武輝で弾く。


 回避され、弾かれた手裏剣はそのまま軌道を変えて再びノエルに襲いかかる。


「ふふーん、近づけさせないもんねー♪ ほれほれー、動いてないと大変だよー? いや、でも動いてもらった方が色々と眼福かな? 激しく動くとノエルさんのスカートの中身が見えちゃうよー♪ お、意外に黒とは結構ノエルさんって大人っぽい? ちょっと背伸びしちゃった? ちなみに麗華の下着も今日は黒で、セラさんと巴さんは白。僕は――ひ・み・つ♪」


 ……ウザい。

 でも、さすがは無窮の勾玉を自由に扱う資質を持った『御子』・伊波大和――いや、天宮加耶たかみや かや

 輝石の力を完全に使いこなしている……これではまともに近づけない。

 だが、こうまでして近づけさせないということは相手は接近戦が苦手ということ。

 間合いを詰めれば状況は一変するが――しかし――……


 煽ってくる大和を小賢しいと思いつつも、冷静に彼女を分析するノエル。


 四方八方から襲いかかる手裏剣に四苦八苦して防戦一方になっている現状だが、接近戦に持ち込めば一気に状況は変わると分析したノエルだが――


 大和の攻撃を回避し、防ぐ中で、ノエルは漠然としない違和感を抱いていた。


 大和の攻撃を凌ぎながら、ノエルは巴と戦うセラの様子を確認する。


 ティアリナ・フリューゲル、銀城美咲と肩を並べるアカデミーでもトップクラスの輝石使い・御柴巴を相手に、セラは互角の戦いを繰り広げていた。


 巴は相手がどんな攻撃を仕掛けても最小限の動きで回避し、受け止め、的確なカウンターを決める戦法を得意としており、それ以外にも迂闊に手を出せない相手に攻撃を仕掛け、回避や防御や反撃をしようとした隙を的確につく戦法も得意としていた。


 巴の戦法を熟知しているセラは相手が自分にカウンターを仕掛けるのを承知で攻撃を仕掛けるとともに、自分の隙を狙う巴の動きを読んでカウンターを防いでいた。


 お互い一瞬でも気を抜けば強烈な一撃を食らうという状況で、セラと巴はお互いに一歩も退かずにぶつかり合っていた。


 そんなセラたちを、下手に手を出したら足手纏いになると思って制輝軍やアカデミーの人間は感心と憧れを抱いた視線で眺めていたが――ノエルは違った。


 ……やはり、何か妙だ。


 息もつかせぬ戦いを繰り広げているセラと巴だが、ノエルの目にはお互い示し合わせたような攻撃を仕掛け合っているようにしか見えなかったからだ。


 抱いていた違和感が確かなものになった時――


「ちょっと卑怯だけど――ごめんね」


 ――警告。


 大量の手裏剣を操って遠距離から攻撃を仕掛けていた大和だが、いたずらっぽく笑いながらノエルに謝罪すると同時に目にも映らぬ素早さで急接近してきた。


 自分が得意とするテリトリーから、わざわざ相手のテリトリーに入ってきた大和の行動に虚をつかれながらも、嫌な予感がして即座に彼女から距離を取ろうとするノエル。


 しかし、不意をつかれたノエルの行動は僅かに遅れてしまう。


 何かを握り締めた大和の拳がノエルに近づいた瞬間、拳から緑白色の光が放たれ、それがノエルの身体を一瞬だけ覆った。


 光が収まると同時に脱力感に襲われたノエルは苦悶の表情を浮かべて膝をつく。


「こ、これは……」


「そう、輝石から生み出された君たちイミテーションが嫌う、無窮の勾玉の欠片・アンプリファイアさ。これでしばらくはまともに動けないんじゃないかな?」


 ――アンプリファイアの力が身体に沈殿している。

 しばらくはまともに動けない――……が……

 なるほど、すべては……


 輝石の力を増減させる無窮の勾玉の欠片、アンプリファイアにもその力は備わっており、輝石使いにとって力を向上させるドーピングのようなものだが、リスクもある危険物だった。


 彼ら以上に、輝石から生み出されたイミテーションであるノエルにとって、アンプリファイアは水と油の関係であり、その力を浴びたら消滅の危険性もある危険物以上の劇物だった。


 そんな力を受けてノエルはまともに動くことができなかったが――何度かアンプリファイアの力を使ったことがあるからこそ、ノエルの身体は理解していた。


 今受けたアンプリファイアの力の効力はすぐに消え、消滅の危険性は皆無であると。


 そして、違和感の正体にようやく気づくことができた。


「ノエルさん!」


 膝をついたノエルに駆け寄ろうとするセラだが、巴に阻まれてそれができない。


 セラの代わりに、彼女に守られていた幸太郎がノエルの傍に駆け寄り、抱き起した。


「大丈夫、ノエルさん」


「ええ、七瀬さんが来てくれたおかげでだいぶ楽になりました……ありがとうございます」


 生命を操るとされている賢者の石を持つ幸太郎の薄い胸板を顔に感じて安心感を得るとともに、アンプリファイアの影響を受けた身体が楽になるノエル。


 そんな二人の様子を見て、子供っぽく嫉妬で頬を膨らませる大和。


「いいなー、ノエルさん。僕も幸太郎君に抱き起されたいよ」


「ドンと来て」


「お言葉に甘えたいところだけど、今はそんな余裕はないんだ」


「ちょっと残念」


「それじゃあ、これでおしまいだね――……使


 意味深な笑みと言葉を大和が言い残すと同時に、巴の妨害を切り抜けたセラが大和の背後から飛びかかる。


 後方に大きく身を翻してセラの攻撃を回避しながら、間合いを取る大和。


「巴さん、今の内」


「わかったわ――大きいのが来るから気をつけなさい!」


 大和の指示を受けて、ノエルたちに注意を促しながら巴が穂先に光を纏わせた武輝である槍を大きく薙ぎ払った。


 薙ぎ払うと同時に巴の宣言通り、強烈な光を纏った巨大な衝撃波がノエルたちを襲い――


 鼓膜を揺るがす轟音とともに目が眩むほどの強烈な光が周囲を包む。


 しばらくは何も聞こえず、何も見えない状態が続いたが――この場を取り囲んでいた制輝軍、アカデミーの人間たちの視界が回復すると、ノエルたちの姿は跡形もなく消えていた。

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