第11話
不測の事態があったがどうにかして逃げられた……
しかし、状況は最悪――アカデミーは私を完全に敵と判断した。
おそらく、これからアカデミー中の人間に狙われることになるだろう。
動き辛くなるが、これでいい――これで、もう誰かの足手纏いにはならない。
それに何より、第三者を巻き込まなくて済む。
問題はこれから、どう行動するか――
「ノエルさーん、待ってー!」
……しつこい。
追われる立場になってこれからどうするべきなのか、涼しげな表情で走りながら考えているノエルだが、そんな彼女の思考を邪魔するように後ろから呑気な声が響いてくる。
屋敷から逃げ出してからずっとついて来て、自分の名前を呼んでくる声の主・幸太郎をノエルは無視を決め込み、走る速度を上げているのだが、しつこく幸太郎はついて来ていた。
「ノエルさーん、そ、そろそろ疲れてきたんだけど……」
鬱陶しい。
息切れで苦しそうに喘ぎながら離れる自分を呼び止め続ける幸太郎のしつこさに、無表情ながらもノエルは苛立つとともに、縋りたいという気持ちも生まれてしまっていた。
しかし、誰も巻き込みたくないノエルは、その気持ちを必死に抑えて無視を決め込んだ。
「ノエルさ――ぬぁっと! ぶべぇらっ! ふんぬぅ!」
……今が絶好の機会。
後ろの方から聞こえる情けない素っ頓狂な悲鳴とともに、盛大に何かにぶつかる音ととともに離れ行く幸太郎の声に、今がチャンスと思ってノエルは全力疾走でしようとするが――
「の、ノエルさーん……い、イタタタっ……ちょ、ちょっと、待ってー」
警告――……巻き込むべきではない。
自分以上に足手纏いになるのは明白……だから、巻き込むべきではない。
アルトマンの最終目的は彼、だから、絶対に彼を――
頭の中で警告されるノエルだが、無意識に身体は前ではなく後ろに進んでいた。
そして、ゴミ捨て場に盛大に激突して若干異臭を放ち、立てないほど疲れ切りながらも這ってでも自分を追おうとする諦めの悪い幸太郎に、ノエルは手を差し伸べた。
「立てますか」
「う、うん、立てるけどちょっと待って……い、息が――……う、うん、もう大丈夫。ありがとう、ノエルさん」
上がった息を整えた後、幸太郎は差し伸べられたノエルの手を掴んで立ち上がった。
……取り敢えずは、特には問題ない――少しにおうが。
問題なく立ち上がった幸太郎の身体を観察した結果、転んだせいで身体に数ヵ所擦り傷を負っただけで、特に体に異常はないと判断してノエルは「それでは――」とさっさと幸太郎の前から立ち去ろうとする――が、そんなノエルの手を幸太郎は離さない。
「……離してください」
「僕も一緒に行くよ」
「心遣いには感謝しますが、余計なお節介です」
協力すると言ってくる幸太郎を拒絶しながらも、振りほどこうと思えばすぐに振りほどける彼の手を、ノエルは強引に放すことができなかった。
「僕も一緒にアルトマンさんを止めるからって前に決めたから」
そういえば――
『僕もノエルさんと一緒にアルトマンさんを止める。そう決めた』
口約束だというのにまだ覚えていて、それを実践するとは……
それに、つい先日人質にされたばかりだというのに……
理解不能、心底、理解不能だ。
真っ直ぐと自分を見つめる幸太郎の言葉に、ノエルは進級直後に行われた身体検査の際に彼に言われたことを思い出し、その誓いを忘れずに有言実行しようとする彼を理解することができずにただただ首を傾げるとともに呆れていたが――無意識にノエルは放そうとした彼の手を握り返していた。
――どうして……
誰も巻き込みたくないのに、誰の足手纏いになりたくないのに、無意識に幸太郎の手を握り返してしまう自分の無意識の行動と、輝石の力をまともに扱えず、アルトマンに狙われているというのに自分以上の足手纏いである彼に縋りたい気持ちが生まれたことにノエルは困惑する。
「――見つけましたよ、二人とも」
困惑するノエルを現実に引き戻す冷たい声が耳に届くと同時に、ノエルは咄嗟に幸太郎を自身の後ろに下がらせ、ポケットの中にある輝石を取り出して握り締めた。
ノエルたちに声をかけたのは、腕を組んで呆れと怒りに満ちた険しい表情を浮かべるセラだった。
「二人とも勝手な真似をしていいと思っているんですか? 先程の件でノエルさんは完全にアカデミーから敵とみなされ、そんなノエルさんをショックガンで援護して逃がした幸太郎君にアカデミーは混乱していますし、麗華はかなり怒っています」
「どうしよう」
「大人しくノエルさんとともに投降してください。でないと、状況は更に混沌を極めます」
「ごめんなさい、セラさん。僕、ノエルさんの味方をするって決めてたから」
厳しい現状を幸太郎たちに説得するように伝えて大人しく自分に従うように求めるセラだが、ノエルはもちろん、幸太郎は説得に応じるつもりはなかった。
気まずい沈黙が三人の間に流れ、ノエルは輝石を握り締めている手に更に力を込めて静かに臨戦態勢を整え、幸太郎はセラを縋るような目で見つめ、セラはそんな二人を厳しい目で睨む。
そんな三人の間の沈黙を破るように、遠くからノエルたちを探す大勢の人間の忙しない足音と、切羽詰まった声が響きはじめた。
時間がない――ここで、衝突するしかない。
しかし、相手が相手――勝率は五分五分……
どうする……
応援が訪れるまで時間が差し迫ってくる中、ノエルはセラという障害を乗り越えるための手段を考えていると――目の前にいるセラは脱力するように深々と嘆息する。
「応援が来ます……取り敢えず、追手と監視の目から逃れられる場所に向かいましょう」
警告――……罠の可能性がある。
「時間がありません。私の気持ちが変わらない内に早く行動しましょう」
「ノエルさん、行こうよ」
突然のセラの提案に不信感を抱きつつも、ノエルは疑うことなくセラが自分たちの味方になってくれたと簡単に信じた幸太郎に手を引っ張られるままに走りはじめる。
……理解不能。
孤立無援の状況で味方になったセラと幸太郎を心底不可解だとノエルは思いながらも――
嬉しく思っている自分が確かに存在していた。
―――――――――
まさかあの場に現れるとは、想定以上に事態は急激に進んでいるようだ。
これも、あの出来損ないのおかげというわけだろうか。
いや――それすらも利用したということか?
いずれにせよ良い状況になってきたが、まだ早い――しかし、もう少しだ――……
自分の思い通りになっていることに、アルトマンは笑みを抑えきれなかった――周囲に自身を捕えようとして、敵意を向ける大勢の人間がいる状況で。
「アルトマン・リートレイド! 無駄な抵抗はしないで大人しく投降しろ!」
数はおおよそ百以上――願ってもない素晴らしい機会だ。
しかし、まだ足りない、まだ機は熟していない。
だが、この場を切り抜ければ目的に一気に近づく――絶好の機会だ。
百人以上いる中にいる一人の輝士に投降を促されるが、アルトマンは応じることも、退くこともなく無言で輝石を武輝に変化させながら彼らに近づいた。
投降するつもりがないと判断し、大勢の輝石使いたちはアルトマンに飛びかかる。
四方八方から襲いかかる大勢の有象無象の輝石使いたちに、アルトマンの歩みは止まらない。
大勢の輝石使いたちの視界に映るアルトマンの姿が一瞬ぶれると――囲んでいたはずのアルトマンが消え、元居た場所よりも前方にいることに気づいた。
それに気づいた瞬間、見えない斬撃が彼らを襲い、アルトマンを囲んでいた輝石使いは一斉に吹き飛び、強烈な一撃を食らって気絶してしまった。
一瞬で十人以上の輝石使いが倒され、アルトマンの実力に圧倒される輝石使いたちだが、彼を拘束しなければアカデミーに、世界に悪影響を及ぼす最悪の未来を想像して、折れそうになる心を奮い立たせて強大な敵に立ち向かう。
しかし、そんな彼らを嘲笑うかのようにアルトマンの蹂躙がはじまる。
まだだ、まだ足りない――
もう少し、後もう少しだ――
これを乗り越えれば、もう目の前だ――
自身の目的が目の前に近づいていることに、嬉々とした笑みを浮かべながら襲いかかる大勢の輝石使いたちを一撃の下でアルトマンは倒し続けていた。
十分も満たない時間の後――アルトマン以外に立っている輝石使いはいなかった。
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