第3話

 アカデミーの校舎や重要施設が立ち並ぶセントラルエリアに建つ、高層マンションの一室。


 空がうっすらと明るくなりはじめた朝の五時――登校時間にはだいぶ余裕はあるが、ショートヘアーの可憐、というよりも美しく凛々しい容姿の少女、セラ・ヴァイスハルトは起床した。


 起きたセラは軽くストレッチをした後、すぐに台所へと向かって朝食の支度に昼食の弁当を手早く作る。


 朝食と昼食の支度を終え、朝食である昨夜の残りであるカレーとサラダを食べ、ゆっくりと食事をしながら牛乳と砂糖たっぷりのコーヒーを飲んだ後、洗い物をする。


 洗い物を終えて脱衣所に向かい、着ていた部屋着を脱いで生まれたままの姿になったセラは、それを洗濯機に放り込み、洗濯機を起動させて朝のシャワーを浴びる。


 食事をする時間よりもゆっくりと、まだ眠気が残る頭を覚醒させる熱々のシャワーを浴びた後、アカデミー高等部女子専用のブレザータイプの制服を着たセラは、洗濯が終わるまで室内を軽く掃除する。


 三十分程経った後に、洗濯が終わってすぐに洗濯物を外に干そうとするが――今日は夕方から雨が降るという予報なので、外には出さずに部屋干しにする。


 朝の支度が終わり、もう六時半近く――登校時間にはまだまだ余裕があるが、早起きは三文の徳があり、だらだらし過ぎると良くないと判断したセラは、学生鞄を持って部屋を出た。


 すぐに登校する――わけではなく、隣に暮らす同級生・七瀬幸太郎ななせ こうたろうの部屋のチャイムを鳴らしたが、反応なし。何度もチャイムを鳴らしても反応しないので、小さくため息を漏らしたセラは合鍵を使用して部屋に入ろうとするが――鍵は開いていた。


 ノエルさん? ――いや、彼女は今、不用意に行動できないはず……

 それなら……


「お邪魔しますよ」


 すでに扉が開いていたことに警戒をしつつも、毎朝のように勝手に侵入する白葉ノエル、そして、もう一人の人物を思い浮かべて必要以上に警戒心を高めなかった。


 寝室の扉をノックをして「失礼します」と一言声をかけてから、先日自分が片付けたばかりなのに、漫画やゲームが散乱した敷布団が敷かれた寝室に入ると――毛布に包まれた物体が鎮座していた。


 布団を中心として漫画が散乱しているので、徹夜で読書をしていたのだと容易に察し、少し早めに起こしてきて正解だったと悟るセラ。


「起きてください、幸太郎君。もう朝ですよ」


 毛布をゆさゆさと優しく揺らすセラだが、物体は何も反応はしない。


 何度か揺らしても起きない幸太郎に業を煮やしたセラは、「起きなさい!」と声を張り上げ、毛布を引っ剥がすと――


「んにゃ? ――ああ、おはようセラさん」


「おはようございます、大和やまと君」


 毛布にくるまっていたのは幸太郎ではなく、眠り目を擦っている中性的な外見の美少年――ではなく、少女の伊波大和いなみ やまとだった。


 幸太郎の部屋によく大和は侵入しているので特に驚かなかったが、少し胸がじりじりと熱くなるとともに、友人とはいえ異性の布団に平気に潜り込む大和に呆れるセラ。


 そんな彼女の気持ちなど露も知らない大和は猫のように欠伸をしながら身体を伸ばして目を覚ました。


「いやぁ、少しだけゆっくりするつもりだったんだけど昨日の夜からぐっすり寝ちゃったよ」


「き、昨日の夜からここにいたんですか?」


「うん――と、言ってもセラさんが邪推していることなんて一つも起きてないから安心してね。僕としては残念だったのかも♪」


「じゃ、邪推なんてしません! それよりも他人の、それも、一晩中異性の布団に潜り込むのはどうかと思います!」


「僕も朝まで眠るつもりはなかったんだけど、布団に染み込んだ幸太郎君のにおいを嗅いでいたら、安心してつい寝ちゃったんだ」


 毛布のにおいを嗅ぎながら恍惚の表情を浮かべている大和に、心の中で同意し、においを嗅ぎたい衝動に駆られるセラだが、それをグッと堪えて「コホン!」とわざとらしく咳払いする。


「それよりも、幸太郎君はどこにいるんですか?」


「リビングのソファで眠っていたと思うんだけど――」


「あ、おはようセラさん、大和君」


 部屋の主を探すセラの前に現れて挨拶したのは、安物のジャージに身を包み、眠そうに大きく、情けなく大口を開けて欠伸をしている平凡な顔つきの少年・七瀬幸太郎だった。


 いつもと変わらぬ平々凡々の幸太郎を見て、脱力感と安堵感を得ながら、セラは「おはようございます」と笑顔で挨拶をした。


「今日は珍しくちゃんと起きたんですね。いつもそうしてくれるとありがたいのですが?」


「ぐうの音も出ない」


「起きてたのなら、チャイムを鳴らしてすぐに出てくださいよ」


「ごめんね。チャイムの音は聞こえていたんだけど、トイレでスッキリ――」


「それ以上は言わなくていいですから」


 朝食にカレーを食べた身としては、何気ない幸太郎の会話をセラは無理矢理中断させた。


「それよりも、幸太郎君の布団で寝ちゃってごめんね」


「大和君の寝顔かわいかったから、結果オーライ」


「何だか恥ずかしいなぁ……もしかして、エッチなことしちゃった?」


「したかったけど、我慢したよ。眠かったし」


「ホント、正直だなぁ。でも、そういうところが君の美点であり、僕の大好きなところさ」


「そう言われると、何だか照れる」


 妖艶な笑みを浮かべている大和の一言に頬をほんのりと主に染めて照れている幸太郎に、セラは「呑気に会話をしているよりも――」と二人の間に無理矢理割って入った。


「早めに起こしに来たとはいえ、そろそろ準備をしなければ遅れてしまいます。さあ、早く着替えて朝食を食べてください」


「朝御飯……あ、昨日買った新商品のカップラーメン食べよう。二人も食べる?」


「それじゃあ、僕もお願いしようかな? 塩系があると嬉しいんだけど」


「ずっと言ってますけど、朝からインスタントで済ませるのはどうかと思います。栄養バランスを考えないと――わかりました、私が作ります」


 朝っぱらからインスタント食品で簡単に朝食を取ろうとする幸太郎たちのために、仕方がなく、それ以上に少し気合が入った様子でセラは朝食の支度をはじめる。


 セラの手作り朝食が食べられることを知って「わーい、ありがとうセラさん」と喜ぶ幸太郎と大和。そんな二人の喜ぶ姿に、セラは改めて気合が入って台所へ向かおうとすると――


「失礼しますわ! 大和! いるのはわかっていますわよ! さあ、出てきなさい!」


 けたたましく玄関の扉が開く音ともに、朝っぱらから近所迷惑なほどキンキンした怒声が響き渡り、ドスドスと怒りに満ちた足音が幸太郎の部屋へと接近してくる。


「やはりここにいましたわね! 大和! 今日の食事係はあなただというのに、サボるとは良い度胸していますわね! 罰として一週間ゴミ当番ですわ!」


 朝っぱらから元気の良い怒声を張り上げるのは、一部の髪が癖でロールした美しい金糸の髪を怒りで逆立てて怒り心頭といった様子の鳳麗華おおとり れいかだった。


 そんな幼馴染を見て、ニタリと悪い笑みを浮かべた大和は、「ああ、ごめんごめん」と軽い調子で謝罪して反省の意を示した。


「幸太郎君のにおいが染みついた布団に包まって一夜をともにしていたら、余計な雑務をすべて忘れちゃってたよ。いやぁ、昨日は気持ちの良い想いをしたよ。ありがとう、幸太郎君」


「ぬぁんですってぇ! アカデミーの学則では不純異性交遊は禁止されているはずですわ! どういうことか説明をしなさい! このケダモノ!」


「れ、麗華さん、く、首、首が締まってるから、ぎ、ギブギブ」


 あざとい乙女のように頬を染めて、思わせぶりな態度の大和に、思い切り勘違いをした麗華は怒りの矛先を彼女から幸太郎の変え、凄まじい力で胸倉を掴んで怒りをぶちまける。


 大和君はまた麗華をからかってる……

 麗華も麗華で朝っぱらか近所迷惑なほど声を張り上げて元気がいいし。

 幸太郎君も幸太郎君で呑気だし――まったく……


 騒がしい一日のはじまりに、セラは疲れたようにため息を漏らしながらも、どこか楽しそうに幸太郎たちのやり取りを眺めていた。




――――――――




 騒がしい一日にはじまりから数分後――


 結局セラは幸太郎、麗華、大和の三人分の朝食を作ることになった。


 幸太郎の家にある賞味期限が間近に迫っている食材を使って、トースト、スクランブルエッグを作り、厚みのあるベーコンをカリカリに焼いた。


 食欲をそそる香ばしいパンとベーコンが焼けるにおいに腹を空かしていた三人は、朝食が完成してすぐに「いただきます!」とガツガツ食べはじめた。


「朝はご飯派なんだけど、久しぶりにパンを食べるのもいいね。僕としてはもうちょっとトーストはカリカリにしてほしいんだけどなぁ。スクランブルエッグももう少し甘い方がいいかも。ベーコンに至っては満点だね。やっぱり、ベーコンは分厚くてカリカリじゃないと」


「文句を言うなら食べなくても結構ですわ! さすがはセラさんの手料理、安物の食材でここまでの味が出せるとは大したものですわ! しかし、この家にはまともなものはありませんの? わたくしはパンにはオレンジマーマレードというのが鉄則だというのに、バターだけとは。それに、バターもバターでべちゃべちゃして、バターくさいですわ。それに、私の朝の飲み物は美容のために数種類のフルーツを混ぜた特製ジュースと決まっているのですわ」


 ……まったく、本当に二人は勝手気ままだ。


 鳳グループのご令嬢と、そんな彼女とともに暮らしてきたお嬢様育ちで勝手気ままに感想を言う大和に呆れながら、セラは幸太郎に視線を移した。


 幸太郎は「普通に美味しい!」と、『普通』を強調して、褒められているのかよくわからない感想を並べながら、無邪気な笑顔を浮かべて食べていた。


 そんな幸太郎を見ていたら、セラは自然と柔らかな笑みを浮かべてしまっていた。


「そうだ、幸太郎君、この前麗華と一緒に、君に紹介されたラーメン屋に行ったんだけど、美味しかったよ。替え玉二回頼んじゃったよ」


「フン! 庶民の味の割には大したものでしたわね」


「そう言ってるけど、麗華は替え玉三回と餃子三人前を平らげてたよ。それに、あの後何回か一人でこそこそ行っているみたいだし」


「よ、余計なことはいいのですわ! それよりも、ノエルさんはどうしましたの? いつもなら誰よりも早くここに来ているというのに、珍しいですわね」


「僕も気になってたんだよね。セラさんよりもノエルさんに起こされると思ってたからさ」


 確かに……ノエルさんらしくない。

 ……大丈夫だろうか。


 優雅にトーストを食べながら、いつもなら誰よりも早く幸太郎を守るためにここに来ているはずの、ノエルがいないことを怪訝に思っている麗華に、同意を示す大和。


 二人と同様にセラもこの場にいないノエルに対して疑問を抱くとともに、連日発生している騒動を思い浮かべて嫌な予感が頭を駆け巡った。


「まあ、今のノエルさんとクロノ君が好き勝手に行動できない立場だから仕方がないとは思うけど、この前の事件からセラさんと麗華と一緒に、まるで熱々の恋人のようにずっと幸太郎君の傍から離れていなかったから、ちょっと不自然だよね」


「か、勘違いしないでください! 幸太郎君を守るために一緒にいるだけですから」


「そうですわ! アルトマンにはたっぷりと仕返しをしなければならないのですわ! だからこそ、恥を忍んで凡骨凡庸のこの男といるだけですわ!」


 適当に放った自分の言葉に過剰に反応する二人を、ニタニタと大和はいやらしい笑みを浮かべながら「はいはい」と軽く流した。


「でも、ちょっと心配だよね。何があったのかは知らないけど昨日の一件で、ノエルさんとアリスちゃんが軽く揉めたらしいし。美咲さんから聞いたけど、ちょーっと険悪だったらしいよ?」


 ……そういえば、あの時の制輝軍内の空気が少し悪かった気がする。

 ノエルさんの姿もあの時から見なくなったし……


 昨夜の一件――アカデミー都市内でも研究施設が立ち並ぶサウスエリアでアルトマンが発生させた爆発炎上事件を思い出すセラ。


 この一週間、連日アルトマン・リートレイドがアカデミー都市内で事件を起こしていた。


 制輝軍とともにアカデミーの治安を守っている風紀委員に所属しているセラは、昨夜の騒ぎを聞いて麗華とともに現場に到着した頃にはすでに事態は沈静化しており、現場からアルトマンは逃げてしまっていた。


 その一件で確固たる信頼関係を築いているノエルとアリスが揉めたという話を大和から聞いて、セラの嫌な予感が更に強くなる。


「今日、リクト君とクロノ君とお昼を食べるからノエルさんの様子を聞いてみる?」


「もしかして、昼食も手軽にコンビニで済ませるつもりなんじゃありませんか?」


「リクト君、お弁当作ってくれるって言ってたから楽しみ」


 リクト・フォルトゥス――アカデミーを鳳グループとともに運営する教皇庁のトップの息子であり、少年であっても少女と見紛うほどの可憐な外見だった。


 そんなリクトの手作り弁当を満面の笑みを浮かべて心待ちにしている幸太郎を見て、セラの胸がジワリと熱くなったが、すぐに軽く流した。


「ノエルさんはどう思っているかはわからないけど、アリスちゃんはヴィクターさんが襲われたから、本気でアルトマンを捕まえようと躍起になってるから焦ってるから衝突したのかな?」


「……博士と薫先生、大丈夫かな」


「まだ予断を許さない容態だけど、取り敢えずは薫さん共々峠を越したみたいだよ」


「ちょっと安心」


「大丈夫だって。アカデミーの医療は最先端だし、二人が入院しているセントラルエリアには縫い目が厳つい黒い医者も真っ青になるほどの名医も揃ってるからね」


 大丈夫だとは思うけど……幸太郎君……


 不安げな表情を浮かべてヴィクターと萌乃を心配する幸太郎を、大和は二人の容態を教えて安心させようとするが、幸太郎の表情は暗いままだった。


 一週間前――ヴィクターがアカデミー都市内に勝手に作った秘密研究所で火災が発生し、煌石こうせきと呼ばれる輝石以上の力を持った石であり、伝説の煌石と呼ばれている賢者の石の研究をしていたヴィクター、そして、そんな彼の研究に協力するとともに警護を行っていた萌乃が襲われた事件が発生した。


 犯人は事件前後に研究所周辺の監視カメラに映り込んでいたアルトマンと断定されていた。


 炎上した研究所から鳴り響く火災ベルのおかげですぐに人が駆けつけたので、大事には至らなかった二人だが重傷を負っていた。


 実力者である萌乃は輝石を武輝に変化させる前に不意打ちを仕掛けられ、刺された腹部から大量の出血をしており、まだ意識不明の重体だった。


 一番ひどい怪我を負ったのはヴィクターであり、萌乃以上に失血し、呼吸も何度か止まって生死の境を彷徨ったが、初動の応急処置がしっかりしていたおかげで何とか生還した。


 二人とも命からがら生還したが、一週間経ってもいまだに意識不明の重体だった。


 賢者の石――輝石を武輝に変化させることのできないアカデミーはじまって以来の落ちこぼれであるのにもかかわらず、幸太郎はその力を宿しているとされており、自分のために研究をしてくれていたヴィクターと萌乃が襲われて、若干責任を感じていた。


 普段無神経なほど呑気で、難しいことはいっさい考えない明るい幸太郎が、二人が襲われた一件について責任を感じており、風紀委員の活動を終えた際は必ず二人の見舞いに行っていた。


 いつも幸太郎の言葉で助けられているにも関わらず、彼に何と声をかけていいのかわからないセラは、彼を心配するとともに、何もできない自分に苛立った。


 室内の空気が若干暗くなるが、「とにかく!」と、そんな空気を軽く吹き飛ばすほどの声量の声を上げて話を替える麗華。


「連日私たちを嘲笑うかのようにアカデミー都市内で騒動を起こしているアルトマンに対して、お父様はもちろん、エレナ様もお冠ですわ! アカデミーの怒りの全戦力で追われれば捕まるのも時間の問題! そして何より、この私たちがいればアルトマンなどけちょんけちょん!  いままでの借りを何百倍で返してやりますわ! オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!」


「一週間前にも同じセリフを聞いたんだけどなぁ」


「シャラップ! というか、あなたも幸太郎と同様もう少し真面目に事件に取り組みなさい!」


 相変わらずうるさいけど……さすがは麗華だ。

 私も、気合を入れ直さないと。


 近所迷惑なほどうるさい高笑いを上げる麗華に、若干沈んでいた幸太郎の表情は明るさを取り戻し、セラも自分自身に喝を入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る