第32話

 賢者の石――伝説とされていた煌石だが、実際は旧教皇庁・レイディアントラストが信者獲得のために作り出したおとぎ話であり、実際は存在しない。

 しかし、その存在しない賢者の石を、我が師、アルトマン・リートレイドは完成させた……

 我が師が完成させた賢者の石は生命を操るとされており、その力で輝石から白葉ノエル、白葉クロノ、ファントムという三人のイミテーションという新たな生命体を生み出した。

 そして、今回の騒動でモルモット君が肉体と精神を分離させ、精神を無機物である輝械人形へと定着させた。

 それに加えて、輝械人形・メシアの予測を上回る、行動予測を賢者の石の力を使った北崎雄一が行ったことを我が友・アルバートは目撃した――これらもまた、賢者の石の力……


 ――もう少し、もう少しなのだ。

 もう少しで、すべてが解明する。


 北崎、アルバートが捕らえられてから一週間、ヴィクターは教師の仕事を休み、愛する妻のいる自宅にも帰らずに、アカデミー都市内で勝手に作った秘密研究所にこもって賢者の石についての研究に没頭していた。


 ヴィクターは興奮の絶頂にいるといった様子の恍惚とした面持ちで、彼から放たれる熱気渦巻く地下研究所内の壁全面に張りついている膨大な数の資料を眺めながら、賢者に石について考えていた。


 目前へと迫った真実追及に集中するため、幸太郎の主治医を務め、賢者の石の秘密を狙う輩から自分を護衛するため、ともに賢者の石の謎を解明しようとしている萌乃を別室に下がらせてヴィクターは一人で考えていた。


 今回の騒動で――いや、今までの騒動を経て、ヴィクターは真実に確実に近づいていたのだが、後一歩のところで解明できていない謎があり、それに加えて、どうしても自身の出した結論に自信がなかった。


 もしも自分の出した結論が正しければ――師であるアルトマンが作り出した賢者の石というのはあまりにも、いや、言葉で言い表せられないほど危険で、強大な力を持っているからだ。


 ――取り敢えず今は、賢者の石の力は置いておこう……

 だが、どうやって、彼は賢者の石を手に入れたのだ?

 それに、彼ならば、私と同じ結論に至ったはず。

 ……だとするなら、一体何が目的なのだ?

 わからん……後一歩だというのにわからん!


 自身が導き出した賢者の石の力についての結論は一旦放って、解明できていない謎と疑問について考えるが、後一歩のところで最後の疑問が解決できなかった。


 その答えを導き出すために、再び壁全面に張りつけられた膨大な数の資料とにらめっこをはじめるヴィクター。


 十分、三十分、一時間、二時間――飲まず食わずで石像のように動かずに、腕を組んで資料とのにらめっこを続けるヴィクターだが、答えは何も出てこない。


 後一歩だというのに、答えが何も出ないので苛立ちと焦燥感を募らせるが、一度深呼吸して自身を落ち着かせ、数時間前に部屋から出て行く前に萌乃が気を遣って淹れてくれた、すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。


 萌乃の気遣いと、砂糖十杯入れた苦みのない強烈なコーヒーの甘みが苛立つ頭と脳を活性化させ、コーヒーを飲んだ後は手作り栄養ドリンクを一気に飲み干し、栄養補給として用意していたチューブに入ったハチミツを一気に啜り、休憩は終了する。


「栄養補給完了! さあ、決着をつけようではないか! ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 栄養補給を完了して謎の決めポーズを取り、ギラギラと危うくも力強い光を瞳に宿し、狂気と満ちた豪快な笑い声を上げる、傍目から見たら完全にキマッているヴィクター。


 休憩を経て一気にクリアになった頭で、資料とのにらめっこを再開するヴィクター。


 さて――もう、ここ最近の資料は必要はないだろう。

 求めるのは理由――それを知るためには、過去の資料を重点的にもう一度確認する必要がある。

 さあ、さあ、さあ! カモン! もう少しなのだ! もう少しで解明できるのだ!

 ハリー、ハリー、ハリー! さあ、カモンカモンカモン! プリーズ、カミン!

 イエス、イエス、オーイエス、ファッキン、プリーズ、カムヒア!


 過去のつながりで賢者の石が持つ力の大部分は解明できていたが、まだ見えないつながりがどこかであるとヴィクターは感じていた。


 何度も見直し、資料に書かれている内容も丸暗記しているが、それでも謎が解明できるまで、何度も見直すヴィクター。


 ――そして、不意にについて記されている資料が目に入った。


 何度も見返したというのに、その資料がなぜか輝いて見えたような気がした。


 そして、その資料を眺めた瞬間、頭の中の豆電球が燦然と輝いた。


 ――……まさか、そういうことだったのか?

 それなら、色々と納得できる……

 いや、しかし、それならなぜ……なぜだ……?

 ――……なるほど、そういうことか……


 抱いていた疑問が解明するが、まだ依然として謎が残っていた。


 だが、閃きは更なる閃きをすぐに呼び込んだ。


「ハーッハッハッハッハッハッハッハッ! なるほど、我々はまんまと上手く騙されていたようだ! ハーッハッハッハッハッハッ!」


 張り巡らされていた長年の策略に気づくと、あまりにもそれが鮮やかで完璧だったので、ヴィクターは笑うことしかできなかった。


「ハーッハッハッハッハッハッハッハッ! 萌乃君! わかったぞ! すべてがわかったぞ!」


 すべての謎が解明できたヴィクターは、笑いながらすぐに部屋を出て、別室にいる萌乃を呼んで報告しようとするが、返事はなかった。


 もう深夜なので、美容に気を遣っている萌乃はもう眠っているのかと思い、サプライズを用意して彼を起こそうとするが――ヴィクターの動きが止まった。


 いや、動きが止まったのではなく、腹部に広がる痛みで動けなくなってしまった。


 その痛みで顔をしかめ、痛みが全身に広がる元になった腹部にそっと触れると、指にねっとりとした粘液が付着した。


 ……なんなのだ、これは……

 

 そう言葉を発しようとしたが、痛みで声が出せなかった。


 付着した粘液を確認しようと指を見るヴィクターだが、薄暗い明かりしか照らされていない部屋のせいと、徐々に暗くなってくる視界のせいで確認できなかった。


 明かりに近づいて確認しようとしたが、足が思うように動かず、床に突っ伏した。


 ひんやりとした床の感触と、生ぬるいねとねとした感触が頬に広がる。


 ……身体が、動かない……

 何も感じない……一体、どうしたというのだ?


 腹部に広がっていた鈍い痛みが消え、頬に広がっていた感触も消え去り、全身の感覚が徐々になくなっていることに気づくと、同時に意識が遠のいていることにも気づいた。


「――……――……――」


 遠のく意識の中、誰かの声が耳に届くが何を言っているのかわからなかった。


 呼吸が徐々に浅く、深くなり、息をするのも億劫になってくる。


 ここで、ようやく自分がどんな状況に置かれたのか、理解できたヴィクター。


 ……ああ、なるほど――……私は襲われたのか……

 つまり、私の出した答えは正しかったということか……

 さすが、私だ……


 自分が襲われたことにようやく気づくと同時に、襲われたということは自分の出した答えが正しかったということを確信し、ヴィクターは高笑いを上げようとするが、代わりに出たのは咳と、血だった。


 走馬灯というものが見れると思っていたのだが……中々見れないものだ。

 頭に浮かぶのは、我が愛しのハニーと、娘だけ……

 できれば、我が愛しのハニーともう一度キスをして、愛しの娘と一緒にお風呂に入りたかったものだ……

 ……あ、これ、本当に命が危険なのでは……?


 ようやく自分の命の危機に気づいたヴィクターだが、同時に意識を失ってしまった。


 最後に頭に残っていたのは――自身の研究や、賢者の石についてなどではなく、愛する家族のことだけだった。

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