第一章 離れた身体と心
第1話
……ん? 声が聞こえる……
誰だろう……
「――それから、どうする」
「取り敢えずは彼らに任せて、その後に登場しよう。カッコよく派手にね。今からポーズを考えようか」
「どうでもいい。そんなことよりも信用できるのか?」
「もちろんさ。過去の失敗は繰り返したくないし、この日のために信頼できる場所から引き出した情報だからね。確実だよ――多分」
高級羽毛布団に身を委ねた時のようなフワフワとした感触が全身を包み、涎が垂れてしまいそうになるほどの心地良い浮遊感に恍惚としていると、聞き慣れた声が耳に届く。
一人は冷静を装った声音だが、隠し切れない狂気が滲み出ている声。
もう一人はフレンドリーでありながらも、どこか人を小馬鹿にしているような声だった。
ぼんやりとしている意識と視界のせいで二人の顔と姿はよく見えなかったが――二人の手元には、数人の顔写真が張り付けられたファイルの中身はギリギリ見えた。
ファイルに映っている写真の人物たちはほとんどが強面ばかりだったが、その中でも特に瞼の横に傷がある人が印象的だった。
「それよりも、彼の状態はどうかな?」
「今のところは安定しているが……本気でやるつもりなのか?」
「当然♪ 彼の力は僕たちにとってきっと有益なものになるに違いないからね」
「同意したいが、我々の想定を遥かに超える力を相手は持っているのだ。不用意に扱えば後々面倒なことになりかねない。我が師に何かアドバイスをもらうべきだ」
「それでも、君と僕は研究者としての本能に嘘をつけないよね? それに、大丈夫だって。今までこの装置を使った人は全員強い力を持っていても、暴走させることなく安定して制御できたんだからさ」
「しかし、彼には生命を操るという世の理を遥かに超えている力を持っているのだ。そんな彼が使えばどうなるのかはわからない」
「怖がる気持ちは理解できるけど、尻込みしてたら何もできないよ。彼の力は僕たちに――いや、君が目指す未来に何か良い影響を与えるかもしれないって考えれば、迷いはないだろう? さあさあ、早く実験をはじめようよ。ね、ね?」
軽い調子の声が実験を急かす――しばらくすると、身体の浮遊感が強くなった。
同時にぼんやりとしていた意識が再び混濁して、視界も徐々に暗くなってくる。
……あれ? ……――僕?
途切れ行く意識の中、最後の最後で僅かな間に視界に映ったのは――
自他ともに認める平凡な顔半分を覆う金属製のヘルメットを被らされ、頼りないくらいに華奢な身体には多くのコードに繋がれている自分の――
――――――――
鳳グループ本社の大会議室には鳳グループの幹部と、ともにアカデミーを運営している教皇庁の上層部である枢機卿たちが集まっていた。
室内は極限までに張り詰めた緊張感に包まれており、重く、沈黙に包まれていた。
そんな雰囲気にしている張本人は、鳳グループのトップである、長めの髪を後ろ手に撫でつけた髪型の、感情をいっさい読み取れないほどの無表情を浮かべている
普段と変わらぬ無表情の大悟だが、彼から放たれている空気はいつも以上に冷たく凍りついており、今にも弾けそうなほど張り詰めていた。
強大な組織のトップであるために、私情を表に出さないように努めている大悟だが、今の彼は誰もが一目見て静かな怒りを宿していることは明白であり、彼の怒りに圧倒されて会議室に入ってから誰も口を開くことなく、会議の開始を待っていた。
しばらくして、会議に呼ばれた全員が集まると同時に、会議室の中央に置かれたホログラムのディスプレイから栗色の髪のロングヘア―を三つ編みにした、神秘的な雰囲気が漂う女性――教皇庁トップである教皇エレナ・フォルトゥスが映し出され、映像越しだというのに大悟と同じく静かに怒りに満ちており、会議室に集まった人間を圧倒していた。
「予定していた時間に遅れてしまいました。すみません」
「旧本部で起きた先日の一件のほとぼりが冷めていないのだろう? 気にするな」
「そう言ってもらえると幸いです。さあ、話をはじめましょう」
挨拶代わりに淡々としていて短い会話をした後に会議をはじめる二人。
会議開始とともに大悟の隣に座る、白衣を着たスレンダーな体形の長身の女性――ではなく、男性であり、鳳グループの幹部とアカデミーの校医を兼任している
普段は温厚で人懐っこく、ちょっとエッチな萌乃だが、今の彼はそんな雰囲気は消え去っていた。
「現場からは機体の破片だけではなく、
要点だけを淡々と萌乃は説明をし終えると、無表情のエレナは瞳に不安を宿した。
萌乃の報告の中に出てきたアルトマン・リートレイドは、ここ数年アカデミー都市内で発生した事件の裏にいる人物であり、現在世界中から追われている危険人物だった。
そして、輝械人形とはアルバートの弟子であり、協力者でもあるアルバート・ブライトが作り出した、水と油の関係で交わることができなかった
「……
「全員意識を失ったままだが、目立った外傷もなく命に別状はない。機内で輝械人形たちと交戦したのか、墜落の寸前まで輝石を手放さなかったおかげだろう」
自分の娘を含んだ全員の安否を淡々としながらも僅かに安堵した様子で伝える大悟に、無表情のままだが映像越しにいるエレナは安堵していたが、同時に彼女から放たれる静かな怒気が僅かに膨れ上がった。
――数時間前、教皇庁が用意したプライベートジェットが、到着するはずだったアカデミー都市付近にある空港に墜落するという事件が発生した。
幸い滑走路から離れた場所に墜落したため、ターミナルに突っ込むことも、他の機体に衝突して爆発炎上することもなく、二次被害はなかったが搭乗者は別だった。
機内には海外にある教皇庁旧本部に向かっていた大悟の娘・鳳麗華を含んだ複数人が乗っていたからだ。幸い、搭乗者全員輝石を扱える資格を持ち、全員アカデミーでもトップクラスの実力者で、輝石使いは輝石を武輝に変化させると常時輝石の力をバリアのように身に纏っていたため、墜落しても外傷はほとんどなくて命に別状はなかった。しかし、さすがの彼らでも墜落の衝撃を受けて全員意識を失っている状況で、しばらくは目を覚まさず、絶対安静でセントラルエリアにある大病院にいた。
二次被害もなく、搭乗者も無事な状況だが、それでもまったく安心できない状況だった。
その理由は――
「七瀬さんの行方について、何かわかりましたか?」
「
縋るような目を向けて質問をするエレナに、萌乃は申し訳なさそうに答えた。
墜落していた機体にいるはずの搭乗者――七瀬幸太郎だけがまだ見つかっておらず、大悟たちの緊張は収まることなく高まり、張り詰め続けていた。
「セラちゃんたちが一緒にいたから最悪な結果になっていないとは思うけど、幸太郎ちゃんが見つからないってことは、連れ去られた可能性が高いわ。そう考えると、幸太郎ちゃんの力をよく知ってるアルトマンちゃんたちの仕業だと思うんだけど……今のところ、何の接触も要求もないわ」
「それは確かに不可解ですね……彼は絶好の取引材料だというのに」
萌乃の状況説明を聞いて、エレナは怪訝そうに目を細めた。
七瀬幸太郎――輝石の力を持ちながらも輝石を武輝に変化させることのできない落ちこぼれというだけではなく、入学式に遅刻してきて、悪い意味での有名人だった。
しかし、輝石以上に神秘的な力を持つ『
そんな彼を上手く利用すれば、アカデミーを容易に動かせるのに、事件が起きて数時間経っても何も要求してこない状況にエレナだけではなく、この場にいる全員不審に思っていた。
鳳グループと教皇庁が協力しても墜落事件について、七瀬幸太郎の行方の手掛かりが何一つなく、状況が停滞するが――「今は推測するよりも情報を集めることが先決だ」と放った大悟の一言で、一気に空気が引き締まる。
「事件の早期解決のため、教皇庁本部の警備を行っている
「しかし、今回の事件でアカデミー都市で警備を行っている多くの輝士たちが捜査に出払っているというのに、教皇庁本部警備の人員を割いてまで捜査に回すのは少々危険ではないでしょうか」
「教皇庁に認められた優秀な輝石使いである輝士たちが大勢捜査に参加してくれるのは心強いですが、本部にはティアストーンがあるのですから、簡単には警備の人員は割けません」
「アルトマンたちが再びティアストーンを狙ってくるのかもしれないと考えれば、本部警備の人員を割くのは危険かもしれません」
エレナと大悟の雰囲気に圧倒されながらも、停滞している状況を打破するためのエレナの指示に枢機卿と鳳グループ幹部から反論が出る。
教皇庁本部には輝石を生み出す力を持つ煌石・ティアストーンがあるので、ただでさえ墜落事件の捜査で人員を割いて手薄になった本部の警備を、更に手薄にするのは不安だった。
「賢者の石の力を持つ七瀬幸太郎がいるのなら、ティアストーンよりも彼の力を大いに利用するだろう。それに、いくらアルトマンやアルバートというアカデミー都市内の警備システムに通じている人間がいても、ティアストーンの元へと向かうにはかなりの労力と人員が必要で、そう簡単には近づけないだろう」
「過去に後一歩までティアストーンにアルトマンを近づけさせたことがあるので、不安が残るのは理解できます。なので、捜査の人員を増やすために旧本部から
少し不安が残るが、大悟の推測には一理あり、エレナも旧本部から、教皇庁に認められた輝石使いである輝士の中でも、優秀で実績のある輝士にしかなれない聖輝士を送り、心強い人員を増やしてくれたので反論の声が止んだ。反論の声が出ないことを確認したエレナは「以上で会議を終わります」と、会議を早急に終わらせて、事件解決のために動いてもらおうとするが――
会議を終わらす前に、僅かに伏し目がちのエレナは深々と頭を下げた。
「今回の墜落事故が起きた原因は我々教皇庁に責任の一端があります。我々の用意した機体で輝械人形が現れたのは想定外でした。それに、パイロットがすり替わっていたことも、こちら側が注意深く確認すればわかることでした」
「相手が巧妙でこちらの一歩先を読んでいただけだ。お前が気にすることではない。責任を感じて謝罪をするよりも、優先すべきことを忘れるな」
墜落事件に責任を感じているエレナを厳しくも優しく発破をかけるような大悟のフォローに、無表情ながらも気合を入れ直したエレナは力強く頷いて通話を切った。
ホログラムディスプレイに浮かんでいたエレナの姿が消えると同時に、会議は終わり、この場に集まった人間は全員事件解決のために足早に会議室から出て行った。
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