エピローグ
深夜のアカデミー都市――アカデミー都市内に勝手に作った自身の秘密研究所で、教皇庁旧本部から送られてきた賢者の石についての報告書を読んでいるのは、長身痩躯で白髪交じりのボサボサ頭で黒縁眼鏡をかけた男、自他ともに認める天才であるヴィクター・オズワルドはずっと首を傾げていた。
報告書には今回の騒動にアルトマンたちが関わっていたこと、煌石を扱える人間を必要としない新たな輝械人形をアルバートが開発したこと、兵輝のリスクがほとんどなくなって実用的になったことが記されていた。
しかしヴィクターがもっとも目を見張った情報は、賢者の石は輝石や煌石の神秘性を高めるために、旧本部にいるイリーナ・ルーナ・ギルトレートの一族が流したおとぎ話であるということだった。
伝説の煌石である賢者の石の秘密が暴かれた資料に目を通して、ヴィクターは驚きよりも多くの生まれた疑問点に首を何度も傾げていた。
数時間分厚い報告書を休むことなく読み続けているヴィクターにコーヒーを差し出すのは、長身の妖艶な雰囲気が漂う、長い髪を結った白衣を着た女性――ではなく、男性である、鳳グループの幹部とアカデミーの校医を兼任して、ヴィクターとともに幸太郎の力を調査している
萌乃から差し出されたコーヒーに数瞬遅れて気づいたヴィクターは、狂気を宿した瞳を細めて、「どうもありがとう!」と深夜だというのに高いテンションで感謝をした。
「それにしても、まさか賢者の石が存在しなかっただなんてねぇ……驚いたことは驚いたんだけど、正直、ちょっと想像していたことだからそんなに衝撃はなかったわ」
「同感だ。それにしても、今回の情報で新たな疑問が浮かんでしまったよ」
「幸太郎ちゃんのやアルトマンちゃんの持つ力――ね?」
「その通り。間違いなく特別な力を持っているのは明らかだが、それ以外はまったくわからないのだよ」
大きな秘密が暴かれると同時に浮かんだ大きな疑問の壁にぶち当たってしまい、その疑問を解決するために先程から資料を何度も読み返して考察に考察を重ねているのだが明確な答えは出なかった。
「今回の騒動の前にアルトマンちゃんが、賢者の石の力を探るためにイリーナちゃんと接触したって報告書にはあるけど、もしかしたらアルトマンちゃんも賢者の石が存在しないって理解しちゃったのかしら?」
「我が師・アルトマンは煌石や輝石についての研究を続けている傍ら、賢者の石についての研究も行い、賢者の石は実在すると信じていた。その結果、ティアストーンと無窮の勾玉を利用して賢者の石を生成するために大勢の賢者の石が世界中に生み出す原因となった祝福の日を引き起こした――詳しい生成方法は我が師しか知らないだろうから何とも言えないが、それなりに確信を持って生成したということだ。それに、賢者の石は生命を操る力と確証を持っていたと考えると、今回明らかになった真実を知らなかった可能性は高い」
「でも、あのアルトマンちゃんが今回の件を想像していなかった、なんてありえるのかしら」
「それに加えて、我が師の師・イリーナに接触して、賢者の石についてを尋ねた――これは私の想像だが……現在、我が師にとって何らかの不測の事態が起きている可能性が高い」
「自分以外に同じ力を持つ、幸太郎ちゃんが現れたからかしら?」
「それも大きな原因の一つだろうが、何か我が師は気づいたのかもしれないな……賢者の石の――いや、自分の持つ力について」
ヴィクターと萌乃はリスクを冒してイリーナと接触したアルトマンの行動を考えるが、出てくるのは考察だけで何の進展もなかった。新たな情報が得られたのはよかったが、何の進展もしないことにヴィクターと萌乃は揃ってため息を漏らす。
「アルトマンちゃんを捕まえて話を聞くのが一番手っ取り早い方法だけど、言うが易しよね」
「散々調べたことだが、もう一度我が師の研究について調べ直した方がいいのかもしれないな。萌乃君、我が師が行っていた研究についてと、使用していた研究所についての情報を集めてくれたまえ」
「えー、散々調べ尽くしたのにまだ調べ直すの?」
「今回は研究資料だけではなく、生前使っていた日記やメモも用意してくれたまえ。我が師の研究所は各地にいくつかあるのだ。もしかしたら見落としているところがあるのかもしれない」
「了解了解。でも、調べるのは明日ね☆ これ以上起きてたらお肌に障るから」
「それともう一つ、モルモット君についての資料も頼むよ。今度はアカデミーに来てから、今までの彼の行動について詳しく調べ直してくれたまえ」
ツルツルしてモチモチした美肌をさすりながらそう言うと、軽快な足取りで萌乃はこれ以上無理難題を突きつけられない内にヴィクターの前から出て行った。
一人になったヴィクターは再び今まで集めてきた分厚い資料に目を通す。
主に七瀬幸太郎について掲載されている情報を眺めていたが、結局は何もわからないまま変わらなかった。
しかし、わからないことばかりの状況でヴィクターは、漠然としていないが徐々に何かを掴みかけているような気がしていた。
気のせいかもしれないと思っているが、確実に後一歩まで近づいているような気がしていた。
――――――――
……頭がぼんやりして、ちょっと痛い。
旧本部で色々あったし、少し時差ボケ気味だから疲れてるのかな?
うーん……もう少し寝よう。
頭に走った痛みで一瞬覚醒した幸太郎だが、寝足りなかったのですぐにもう一度眠ろうと体勢を変えようとすると――思うように動けず、全身に鋭い痛みが走って一気に目が覚めて、自分の置かれた状況に気づく。
「痛たたたた……あれ?」
きょろきょろと周囲を見回すと――薄暗い空間には何かよくわからない機械が置かれて散らかっていたが、埃のにおいはなく、床や壁にも傷はなくて新しい感じのする、見慣れない空間だった。
最後に記憶があるのが、教皇庁が用意したプライベートジェット内にある、自由に寝返りができるフカフカのシートの上で眠っていたはずだったが――今、幸太郎は両手を後ろ手に縛られ、粗末なパイプ椅子に座らされており、着ている服は所々が焼け焦げ、血が滲んでいた。
窓もなく、空気がひんやりとしているので地下にいるような気がする幸太郎だが、それ以外は何もわからなかった。
どこだろう……ぐっすり寝てたんだけど――あれ?
取り敢えず、記憶を遡って考えようと、怪我をしているせいでズキズキ痛む頭で自分の居場所を考えるために記憶を探るが――飛行機内で眠っていた時の記憶から先が抜け落ちてしまっていて、何もわからなかった。
そんな混乱している幸太郎に、「やあ、おはよう七瀬君」と場違いなほど明るい声が響いた。
薄暗い空間の中から現れるのは、皴のないスーツを着たビジネスマン風の眼鏡をかけた優男――一度対峙したことがあり、ついこの間まで特区に収容されていたが、アルトマンの手引きでアルバートともに特区から脱獄した幸太郎のよく知る人物だった。
その人物――
「久しぶりだね、七瀬君。見ない間に随分逞しくなった――のかな?」
「お久しぶりです、北崎さん。それで、ここはどこなんでしょうか」
皮肉たっぷりな笑みを浮かべて挨拶してくる北崎に、律義に幸太郎は挨拶を返して思ったままに質問をすると、北崎は一度小首を傾げた後に、彼の記憶が抜け落ちていることを察した。
「どうやら、記憶が一部欠落してしまっているようだね」
「そうみたいです」
「まあ、無理もないかな。結構強引な真似をして君を連れ去ったんだし」
「そうなんですか?」
ようやく状況を把握した幸太郎に、北崎はその通りだと言わんばかりにいやらしく口角を吊り上げて、気分良さそうな笑みを浮かべていた。
「まあ、長い旅で疲れているところ悪いんだけど、少し僕たちに付き合ってもらおうかな?」
「エッチなことはやめてください」
「そんなことするわけないじゃないか。まあ、安心してよ。痛めつけたりはしないからさ。もちろん、抵抗をしなければの話だけど」
「縛られてるから無理です」
「縛られていなかったら、どうするのかな?」
「怪我しているので無理です」
「軽い怪我ばかりだから命に別状はないよ、多分ね」
「本当に大丈夫ですか?」
「それなりに元気そうだから大丈夫だよ」
何をしても自分の前から逃げられないことを悟って大人しくする幸太郎に、北崎は少し残念そうだが満足げに微笑んだ。
「さてと、君が元気なのを確認したところで僕は一旦ここから離れるよ――これからのために少し準備をしなければならないからね。まあ、すぐに戻ってくるから安心してよ」
そう言って、軽快な足取りで部屋から出ようとする北崎を「待ってください」と幸太郎の鋭い声が呼び止めた。
その声に北崎は立ち止まってゆっくりと振り返って幸太郎に視線を向けると、彼は鋭い目で北崎を睨むようにして見つめていた。
凄んでもなにもできないことを知っているため、自分を睨んでいる幸太郎からどんな強気な言葉が出るのか北崎は楽しみにしていた。
いやらしい笑みを浮かべる北崎をじっと睨むように見つめる幸太郎。
張り詰めた緊張感と静寂に包まれる二人だけの空間――
僅かな沈黙の後、ゆっくりと幸太郎は口を開いた。
「……トイレ行きたいんですけど」
――つづく――
次回更新は八月か九月?
次回はなるべく早めに書きます(-_-;)
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