第40話


「――さて、何か言い残すことはあるか?」


「『一片の悔いなし!』――って、すごいカッコいいですよね」


「お主が言わなければな」


「ぐうの音が出ません」


「言い残すことがないのなら、もう終わりにするが?」


「やっぱり、痛いのは嫌です」


「それなら、お主の代わりにティアに攻撃を仕掛けようか?」


「それは一番ダメです。アカデミーにいるティアさんのファンの人から袋叩きにされます」


「お主が犠牲になれば、何も問題はないじゃろう」


「でも、僕やりたいことがあるんですけど……」


「諦めろ。だが、今すぐにここで叶えられる願いがあるのなら、叶えてやろう」


「本当ですか?」


「二言はない。だが、簡単なものだけじゃぞ。それと、えっちなのはダメじゃぞ」


「イリーナさん、一度だけ僕のことを『お兄ちゃん』って呼んでくれませんか?」


「はぁ? お主はバカか! 何を考えておる!」


「昔から弟とか妹とかが欲しかったんです。年下の友達がいるけど、みんな大人っぽくて……」


「却下! 却下じゃ! ワシはお主よりも年上なのだぞ! 大人のれでーなのだぞ!」


「残念です」


「まったく……もういい加減に終わりにするぞ!」


 イリーナに武輝である大砲の砲口を向けられながら、幸太郎は彼女と呑気に話をしていた。


 張り詰めた緊張感に包まれていた場だったが、二人の会話のせいですっかり弛緩してしまい、二人の様子を不安そうに見守っていた優輝と、幸太郎の後ろで膝をついているティアはイリーナが生み出した無数の砲口に狙われているにもかかわらず呆れていた。


 弛緩した空気を一気に引き戻すために、イリーナはいよいよ幸太郎に攻撃を仕掛ける準備をするために殺気立つと、「あ、ちょっと待ってください」と慌てて彼女を引き留めた。


「命乞いをしても無駄じゃ。お主もよくわかっているじゃろう」


「やっぱり、本気ですか?」


「当然じゃ。説明したじゃろう? ティアストーン以上の力を持つお主は邪魔だと」


「やっぱり、怖いですか?」


「ああ、お主の力は末恐ろしいな」


「変わることと、僕の力、どっちが怖いですか?」


 何気ない幸太郎の質問に、イリーナは一瞬考えこんでしまうが答えはすぐに出た。


「どっちもじゃ。世の理に触れるお主の力はあまりにも強大過ぎて恐ろしく、エレナやブレイブの教皇庁を、世界を変えたいという思惑がぶつかってこうして大きな争いにへと発展してしまった。改めて、変化は恐ろしいと思う――フム、そう考えると、対処法のあるお主の力よりも、目に見えない変化の方が恐ろしいのかもしれんな。だが、それでもお主の力が恐ろしいことに変わりはないぞ」


 幸太郎の力と変化――両方ともイリーナにとっては恐ろしいものだと思っていたが、やはり、現状で大きな争いを起こす原因となった『変化』の方が恐ろしいと改めて感じてしまった。


 変化を恐れるイリーナをじっと見つめていた幸太郎は、特に何も考えずに口を開く。


「イリーナさんって、今まで誰かを信じたことがありますか?」


「随分唐突じゃな。質問の意図がわからんぞ」


「だって、少しでも信じてる人がいたら、先のことなんて怖くないと思います」


 ……バカバカしいな。


 特に何も考えることなく言った幸太郎の言葉を、イリーナは心の中でバカにした。


「信頼できる人間がいてもいなくとも、変化は恐ろしいに決まっている。むしろ、信頼できる大切な人間がいるのならば、変化のせいでその人間が傷つくと考えたら更に恐ろしい」


「イリーナさん、優しいんですね」


「おだててもワシの決心は揺らがぬぞ」


「少しだけ期待していたんですけど、でも本当に優しいって思います」


 意味がわからん……どうしてこの状況でそんなに笑えるのだ。

 ワシが命を奪わないとでも思っているのか? 

 ……そう考えているとしたら能天気だ。

 迷いはない、ワシは教皇庁を守る。

 そのために、ワシはここにいるのだ。


 もうすぐ命を奪われるというのに、幸太郎は何も考えていない様子で無邪気に笑っていた。


 そんな幸太郎の笑顔にイリーナは微かに良心が痛むが、それは一瞬だった。


 これ以上話しても無意味だと感じていたが、それ以上に幸太郎とこれ以上話してしまったら、彼のペースに呑まれてしまうと判断したイリーナは、武輝である大砲に力を集中させていつでも発射できる準備を整えた。


「まともな遺言を遺していないが、もういいじゃろう」


「もういいんですか?」


「時間稼ぎでもするつもりか? これ以上、お主の魂胆に乗る気はない」


 まだ話足りない様子の幸太郎を冷たく突き放し、イリーナはすぐにでも幸太郎に攻撃仕掛けるつもりでいた。


 幸太郎を狙う砲口から光が集束しはじめ、強大な力が集まっていることはティアや優輝は理解していたが、二人は何もしようとはしないで幸太郎とイリーナをじっと見つめていた。


 今まさに幸太郎の命を奪おうというのにティアリナと優輝は何を考えておるのじゃ?

 何か狙いがあるのか? ――しかし、何かを仕掛けている気配はなく、応援を待っているわけでもない。

 このまま幸太郎の命が奪われるのをじっと待っているのか? 

 ――いや、それはありえない。二人は幸太郎を守るためにワシと戦った。

 なら、なぜ二人は何もしないのじゃ?


 幸太郎を守るために無茶をして飛び出してくる気配のないそんな二人に、イリーナは怪訝に思い、何かあるのかと周囲を警戒して探るが、何も見つからなかったが――


 優輝とティアリナから感じるのは幸太郎への信頼?

 ……バカバカしい。幸太郎がワシをどうにかできると思っているのか?

 信頼だけでは何もできん……できるわけがない。

 ――信頼だけで、解決できるほどそんな単純なものではない。


 殺気も戦意もなく、ただ、自分と幸太郎を見守っている優輝とティアはすべてを幸太郎に委ね、彼に対しての確かな信頼感が存在していた。


 それらを感じてしまった時、イリーナの頭の中に先程幸太郎が何も考えずに言い放った――『だって、少しでも信じてる人がいたら、先のことなんて怖くないと思います』という言葉を思い出し、胸の中がざわつくが、即座に振り払った。


「撃たないんですか?」


「随分余裕じゃな。そんなに撃たれたいのか?」


「そんなわけないじゃないですか。痛いですもん」


「安心するのじゃ。痛みを感じる間もなくお主は彼岸へ向かう」


 ティアと優輝から感じられる確かな幸太郎への信頼感と、頭の中で回る幸太郎の言葉に気を取られてしまっているイリーナに、幸太郎は声をかける。


 いまだに能天気な態度を崩さず、自然に挑発してくる幸太郎にイリーナは忌々しさを感じていると――幸太郎はニコリと、得意気に笑った。


「撃てないんじゃないんですか?」


「調子に乗るなよ、小僧め。お主の命はワシが握っておるのじゃ。ワシの気分次第で、お主は苦しむ結果になるのじゃぞ」


「優しいイリーナさんに、できますか?」


 ドスの利いた声で脅すイリーナだが、相変わらず幸太郎は能天気な笑みを浮かべていた。


 自分を『優しい』と評して、自信満々に自分の行動を否定して煽ってくる幸太郎に、感情に突き羽後されるままにイリーナはティアに向けていた無数の小さな砲口の一つから光弾を放った。


 放たれた光弾が肩に直撃すると幸太郎は声なき声を上げて膝をつき、間髪入れずに放たれた光弾は今度は膝に直撃し、情けなく地面に突っ伏した。


 血はもちろん、直撃した箇所に穴も開いていないというのに、光弾が当たった箇所は貫かれたような鋭い痛みが走っており、幸太郎は悶絶する。


 地面に突っ伏して小さく苦悶の声を上げる幸太郎をイリーナは冷たく見下ろし、ティアと優輝は幸太郎に駆け付けたい衝動にかられながらも、それを抑えて黙ったまま見守り続けていた。


「これで少しはワシの本気を思い知ったか?」


「い、痛い――痛いけど、や、やっぱりイリーナさんは優しいです……トドメは刺しませんでしたから――っ!」


 いまだに能天気な態度の幸太郎の言葉を遮るようにして、先程と同じ威力の光弾を両掌、両足首に直撃させると、あまりの痛みに幸太郎は意識が飛んでしまうが、すぐに痛みで意識が戻り、声なき声を上げて悶絶していた。


 身体中の痛みに虫のように地べたを這いずり回っている幸太郎を何の感情を宿していない目でイリーナは見下ろし、優輝とティアは幸太郎を痛めつけるイリーナへの怒りに満ち溢れながらも拳をきつく握って飛び出そうとするのを堪えた。


「ワシのことを何も知らないくせに、『優しい』などと抜かすとは実に愚かじゃ。言ったはずじゃ。ワシは教皇庁を守るためなら口を出すのもはばかれることもたくさんしてきた。お主を痛めつけるくらい造作もない……さあ、そろそろその苦しみを終わりにしてやろうか?」


「い、イリーナさんには、で、できません、よ……」


「しつこい奴じゃ! 痛みを知っても尚、減らず口を叩いて苦しみたいのなら、生きるのが嫌と思えるほど痛めつけてやろうではないか!」


 ええい! どうしてこんな小僧の言葉にこのワシが苛立つのじゃ!

 どうして、この小僧はワシを理解した気でいるのじゃ!

 何も知らない小僧のくせに!


 痛みに苦しみながらもよろよろと立ち上がろうとして、減らず口を叩く幸太郎。


 そんな幸太郎の一言一言にイリーナは惑わされて苛立ち、忌々しく思い、激情のままに攻撃を仕掛けようとするが――苦しみながらも立ち上がり、痛みで朦朧としている意識の中、真っ直ぐと自分を見つめてくる幸太郎から放たれる威圧感に気圧されてしまった。


 輝石をまともに扱える力がないというのに、幸太郎の瞳にある決して折れない力強い意志が光がイリーナを威圧した。


 激情を宿しながらも気圧されて動けなくなってしまったイリーナを見て、幸太郎は痛みに堪えながらも能天気な笑みを浮かべた、


「やっぱり……撃て、ませんね」


「黙れ! それならば、今すぐに冥途に送ってやろう!」


「イリーナさんは撃てません」


「ワシは撃つ! 撃てるに決まっている!」


「撃てません」


「教皇庁を守るためじゃ! お主の命を撃ち貫くことに何の躊躇いはない!」


「それでも、撃てません」


「うるさい! うるさい! ワシは絶対にお主を撃つ!」


 どうして――どうしてじゃ! どうして、お主はそこまで確証を持てる!


 自分を惑わす幸太郎の言葉にイリーナはヒステリックな声を上げて何度も反論するが、その都度幸太郎は自信満々に自分の命はイリーナには奪えないと幸太郎は断言した。


 痛めつけられても尚、自分の意志を曲げない幸太郎にイリーナは理解できない。


 胸の中には慣れない気色の悪い感覚が広がり、イリーナは落ち着かなかった。


 そして、その気色の悪い感覚の正体を知ってしまったら、もう後戻りはできないことをイリーナは察して、今すぐにでも幸太郎の前から離れたかった。


 しかし、幸太郎の命を奪うと決めた以上イリーナはこの場から逃げ去ることはできない。自分の覚悟と、幸太郎の言葉によって引き出された慣れない感覚がぶつかり合い、イリーナは混乱の極みにいた。


 そんなイリーナの気持ちなど露も知らない幸太郎は、「イリーナさん」と、痛みに堪えながら能天気な様子でイリーナに軽く話しかけた。


 その先の言葉を聞いてしまったらもう戻れないと悟ったイリーナは、即座に耳を塞ごうとするが、遅かった――いや、耳を塞ぐのを胸の中に広がる慣れない感覚が抑え込んだ。


「僕はイリーナさんを信じてます」


「――っ! うるさい黙れ!」


 そう告げた幸太郎は特に何も考えていない無邪気な笑みを浮かべながらも、ずっと年上であるイリーナでさえも縋りたくなるような心強さが存在していた。


 年甲斐もなく幸太郎に縋りつきたい衝動に駆られるが、その衝動を否定するようにイリーナは目の前にある大砲から、幸太郎の命を奪うために光弾を発射――しようとするが、「幸太郎君! ティア、優輝!」と遠くから響く幸太郎たちの名を叫び声と、大勢の足音がイリーナの行動を止めた。


「あれ、セラさん? どうしてここに――って、麗華さんと大和君もいるの?」


 セラ・ヴァイスハルト、鳳麗華、伊波大和――それに、エレナも……

 どうやら、ブレイブは失敗したのか……そして、このワシも……

 ――いや、最初から勝ち目はなかったのだろう。


 自分たちの名前を呼ぶ声の主――必死な表情でこちらに向かってくる、アカデミー都市にいるはずのセラを見て幸太郎は驚いていると、セラだけではなく麗華も大和も現れた。


 そんな三人に続くように、沙菜、大道、美咲、グラン、クロノ、リクト、アリシア、プリム、エレナ、ジェリコ――幸太郎の味方たちがいっせいに現れた。


 幸太郎のために駆けつけてきた大勢の応援をイリーナは呆然と眺めていたが――やがて、諦めたようにため息を漏らすと、全身に身に纏っていた殺気が静まり、幸太郎やティアに向けられていた武輝が消えはじめた。


 イリーナは敗北を心から認めた。 


「……どうやら、ここまでのようじゃの」


 幸太郎たちを助けるために来た大勢の応援に――それ以上に、散々痛めつけたというのに自分を信じていると言ってのけた幸太郎のせいで自身の覚悟が折られたイリーナは投降した。


 イリーナがその言葉を発すると同時に優輝とティアは緊張を解いて、幸太郎が無事であることに安堵の息を深々と漏らした。


 教皇庁を守るため――そのためだけに長年行動をしてきたのに、弟子を利用して今回の騒動を引き起こしたのに、今の今まで幸太郎の命を狙っていたというのに、敗北を認めたイリーナの胸の中は不思議とスッキリしてしまっていた。


「謝って済むことではないが……その……すまなかったな、幸太郎」


「イリーナさんを信じていましたから気にしていません」


 まったく……この小僧には敵わぬ。

 あのエレナやアリシアが気に入っている時点で、それに気づくべきじゃった……


 会えなくなる前に、恐る恐るといった様子でイリーナは謝罪の言葉を口にすると、幸太郎はまったく気にしていない様子で、笑っていた。


 命を狙らわれ、痛めつけられたというのに平然と気にしていないと言ってのけ、呑気に笑う幸太郎に、イリーナは改めて彼に敵わないことを悟った。


「幸太郎よ。お主の言う通りじゃ……ワシは今まで誰も信用したことがなかった」


「友達がいなさそうでしたから」


「失礼な奴め! ――だが、本当のことじゃから何も文句は言えんな」


 相変わらず正直過ぎて失礼な幸太郎の態度にイリーナは呆れながらも、その表情はどこか柔らかくて、晴々としていた。


「お主にワシの弱さを見抜かれた時点で、ワシはもう終わっていた」


「イリーナさんの弱さって……友達がいないことですか?」


「少し違うが、半分は正解じゃ」


「正解はなんでしょう」


「それは秘密じゃ。大人のれでーの秘密じゃ」


 自分が何をしたのか何も理解していないが、イリーナは幸太郎に自分の心の内を看破されたと思っていた。


 幸太郎の言う通り、イリーナは誰も信頼していなかった。エレナやアリシア、弟子であるブレイブやデュラルなど、それなりに長い付き合いの人間をイリーナは信用していたが、心の底では信頼をしていなかった。


 だが、心の底では誰かを信頼したい、信頼されたい――その気持ちでいっぱいだったということを、イリーナは幸太郎に思い知らされた。


 変化に立ち向かうために、イリーナは信頼できる味方を探していた。そのために大勢の弟子を取って、大勢の人間と接してきたが――結局、信頼できる味方は誰もいなかった。


 いや、いなかったのではなく、見つけようとしなかった。


 変化に立ち向かうのを恐れ、臆病風に吹かれてしまったからだ。


 変化によって生まれる混乱や争いから教皇庁を守るため――イリーナは長年その思いのままに行動してきた。もちろん、本心から教皇庁を守りたいという気持ちで行動してきたが、実際は変化から逃げ続けていたことに気づいた時、イリーナは『教皇庁を守るために何でもする』という覚悟が崩れ去ってしまった。


 変化から逃げている弱い自分に気づき、長年抱いていた覚悟が崩れ去った時――それ以上に、幸太郎たちのためだけに集まってきた大勢の応援を見た時、未来への確かな希望を感じ取ってしまったイリーナはもう投降するしかなった。


「……少しだけ、未来が楽しみになった気がするぞ」


 幸太郎たちが紡ぎ出す未来を想像し、楽しそうな笑みを浮かべるイリーナ。


 ――その後、旧本部から駆けつけてきた輝士たちにイリーナは捕らえられ、連行された。


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