第39話
さすがは教皇エレナ・フォルトゥス……何て威圧感だ。
だが、ここで怖気づくわけにはいかない――目的達成は目の前なんだ。
待っていてくれ、みんな……これですべてを終わりにする。
エレナとブレイブ――二人きりで話し合うことになったが、数分経ってもいまだに二人は口を開かず、沈黙が続いていた。
二人きりでエレナと話し合うことになったという状況で生まれた緊張感と、対面に座るエレナから放たれる無言の迫力と、自分の心の内を見透かすような瞳にブレイブは気圧されてしまって沈黙してしまっていたが、自分の目指すべき未来、自分のために苦しい想いをしている子供たちを想い、自分に喝を入れてさっそく話をはじめる。
「エレナ様、単刀直入言います、私の目的は――」
「教皇庁を潰そうとする私を教皇から降ろし、代わりに七瀬さんを教皇にしてあなたが裏で操り、思うままに教皇庁を変えるのが目的でしょう。ある程度変えた後は教皇の立場を教皇庁のトップから『象徴』に変化させて権力と発言力を失わせ、大勢の人に認められた代表者を枢機卿に置くのではありませんか? すべての決まりごとは彼らとともに決め、権力を平等にするのでしょう。そうすれば無益な争いはなくなる――あなたはそう信じている」
「よ、よくご存じで」
「あなたが前までの教皇庁の体制が気に入らなかったことは知っているので、あなたならそう考えているのではないかと、大方予想ができました。今回の件の責任はイリーナにすべてを負わせるつもりでしょうか?」
「すべての責任は負わせるつもりはありませんが、師匠には一線を退いてもらいます。変化を恐れている師匠は過去の悪しき教皇庁の慣習を引きずっていますからね。正直、邪魔なんです」
「その点については激しく同意をします」
こともなげに自分の魂胆を読んでいたエレナに、降参と言わんばかりに一度力なく微笑んだ後、ブレイブは力強い意志の込めた目で真っ直ぐとエレナを睨むように見つめた。
「話が早くて助かりますよ。単刀直入に言います。エレナ様、今後の教皇庁にためにあなたには教皇を辞めてもらいたい。今教皇庁を潰してしまえば、世界に与える混乱は計り知れない」
「変革する世界に対応するために鳳グループと教皇庁は変わるべきです。そうでなければ、将来発生する混乱に対応できません。そのために両組織は悪しき過去と慣習に決着をつけて一度一からやり直すべきなのです」
「しかし、エレナ様。あなたは『未来』のために『今』を犠牲にしてもいいというのですか?」
「そうは言っていません。未来を築くためには今を生きる人たちの協力が必要です」
「それは詭弁でしょう。教皇庁を潰した結果、どれだけの混乱、どれだけの争いが発生して、大勢が不幸になるのがよくわかっているはずなのに」
「鳳グループと協力関係にある今、その混乱に対応できる力を持っています。その力を発揮すれば、混乱を収めることはできます」
「鳳グループ側はどうなのかはわかりませんが、今の教皇庁は突然鳳グループと協力関係に築いて大勢の人が混乱しているし、納得できない人も多い。そんな状況で本当に混乱を収めることができるとは私には思えません」
「それでも、鳳グループと協力しなければ変えることはできません」
「それならば、最初から教皇庁を潰さなければいい」
未来のために教皇庁を潰すべきと主張するエレナと、今を生きる人を混乱に巻き込んで不幸にさせないために教皇庁は残しておくべきと主張するブレイブ。
お互い一歩も退かない主張がぶつかり合い、平行線になる。
このままでは、話は一向に進まないまま平行線だろう。
……最終手段に出なければならなくなるのかもしれない。
こうして、エレナ様は自ら前に出て、私と話してくれているというのに……
――いや! 相手も覚悟を決めているというのなら、それは私も同じだ。
今の状況が続いてしまえば、話し合いではなく武力行使という最悪な結末で決着をつけなければならないと想像してブレイブの表情は苦々しくなる。
だが、騒動を起こした時点でブレイブは武力行使も辞さない覚悟を決めているため、生まれそうになった迷いと罪悪感をかき消した。
一歩も退かない覚悟を決めて、殺気と威圧感が入り混じった空気がブレイブを中心として部屋中に満たされ、室内の緊張感が一気に張り詰めた。
息切れしそうなほどの刺々しい空気の中、「ブレイブ」とエレナは普段と変わらぬ無表情で淡々とブレイブに話しかけた。
「今、あなたの弟子――いいえ、子供たちがあなたのために必死で戦っています」
「情に訴えるつもりなら無駄です。あの子たちは私のために戦う覚悟を決めているのです」
不意に放ったエレナの一言に、今こうして話している時でも苦しい想いをして自分のために戦ってくれている子供たちのことが頭に過り、僅かな焦燥が混じった声でブレイブは自分を説得しようと考えているエレナを突き放した。
「別に情に訴えるつもりはないのですが、まさかあなたがアルトマンたちと手を組んでいると思いませんでした」
「その口ぶりから察するに、どうやら私の子供たちはアルバートが勧めてきた武輝を使用したようですね……しかし、誤解しないでいただきたい。一時的に手を組んでいるだけです。アルバートが一方的に接触してきただけで、今までは何も繋がりはありません。結果的に彼らに協力することになったのかもしれませんが、私は利用しているに過ぎません。――まあ、この状況で何を言っても言い訳にしか聞こえないでしょうが」
「あなたが今までアルトマンに協力していたなんて、私はもちろん誰も疑いませんが――正直、衝撃は受けています。清廉潔白なあなたがアルトマンと一時的ながらも手を組んだことが」
「目的のためなら利用できるものは利用する――エレナ様も理解できるでしょう」
自虐気味な笑みを浮かべたブレイブの言葉に教皇庁と鳳グループを協力関係にさせるために利用した、敵味方含めた大勢の人間が頭に過ったエレナは「そうですね」と素直に認めると、小さくため息を漏らして失望を宿した目でブレイブを見つめた。
「あなたの子供たちは兵輝を使用しましたが、リクトたちには敵わずに倒されました」
「あなたたちがここに来たことで大方予想はできました。アルバートは安全と言っていましたが、兵輝という不可思議な機械を使ってでもあなたたちを止めようと頑張ってくれた。あの子たちには感謝してもしきれないし、こんな大事に巻き込んで申し訳ないと思っています」
「それだけ、ですか?」
淡々としながらも僅かに怒りと失望を滲ませたエレナの質問に、ブレイブの胸がざわつく。
「私のためにあの子たちは覚悟を決めてここまでついて来てくれたんです。感謝の言葉と、私のせいで巻き込んでしまったという謝罪の言葉しか――それしかありません。だからこそ、私は目的を果たさなければならない」
胸のざわつきを消し去るように、我が子を想って力強く放ったブレイブの言葉に、「なるほど」とエレナは満足そうに頷きながらも、ブレイブに対しての失望が強くなった。
「彼らは覚悟を決めていました。あなたのためを思い、傷だらけになっても立ち上がって抵抗を続けました。父であり、師であるあなたのためだけに、彼らは戦い続けました。傍目から見れば泥臭いと思われるでしょうが、立派でした」
「あなたにそう言われるのなら、彼らも本望でしょう」
「……同時に、むなしくもあり、無駄でもありました」
自分の子供たちの覚悟を認められて、嬉しそうに一瞬だけ微笑むブレイブを見るエレナの瞳は更に冷え切り、ブレイブの子供たちの覚悟を『無駄』だと吐き捨てた。
自分の子供たちの覚悟を嘲るエレナに、平静さを忘れて激情が込み上げてくるブレイブだが、それをグッと堪えて抑えきれない怒気の含んだ目で彼女を睨んだ。
「こうして私の前にあなたが現れたということは、彼らの覚悟は無駄ではなかった」
「それが本心からの覚悟なら、そう思えたのですが」
本心からの覚悟ではない? 何を言っているんだ。
あの子たちは私のため、私を信じてここまで協力してくれる覚悟を決めてくれた。
それはあの子たちの本心なんだ……本心に違いないんだ。
あの時――私が将来のために謀反を起こすつもりだと話した時、あの子たちは頼んでもいないのに協力をしてくれると覚悟を決めて約束をしてくれたんだ。
だから、あの子たちの本心に違いないんだ。
せせら笑うように放たれたエレナの一言に、ブレイブは動揺してしまう。
子供たちが全員自分のために動いてくれると約束してくれた日を思い返して、広がる動揺を抑え込もうとするブレイブだが、エレナの一言が脳裏に焼きついて離れない。
必死に平静を装っているブレイブを嘲笑うようにして淡々とエレナは話を続ける。
「あなたのためだけに何かをしようとする覚悟は本物でしょう。それは間違いありません。ですが、その覚悟はあなたによって無理矢理させられたものです」
「それは断じて違――」
「いいえ、本当のことです」
エレナの言葉を強く否定しようとするブレイブだが、エレナがそれを遮った。
「彼らはあなたのために自分の意志を無理矢理抑え込んで、昨日までの顔見知り、友人、恋人、家族と大勢の人間と敵対することを決めました。すべては父であり、恩のあるあなたのためだけに。立派だとは思いますが、自分の本当の意志を無理矢理抑え込み、否定してまでする覚悟は覚悟ではありません。ただ、逃げているだけです……ただ、むなしいだけで無駄になるだけです。そこからは何も生み出さない」
あの子たちはそこまで追い詰められていたのか?
あの子たちの未来を守りたかったのに、あの子たちのような子供を生み出さないようにと考えていたのに、私はあの子たちを苦しめていたのか?
だったら、私は……私のやっていることは一体何なんだ?
――いや、私の目的は変わらない。変わらないんだ……
そう覚悟したはずだろう。
自分の子供たちを苦しめたブレイブへの怒りを滲ませながら、非難するエレナの言葉の一つ一つがブレイブを苦しめるが、折れそうになった心をギリギリのところで抑え込んだ。
「私は……私は、自分の目的のためならすべてを利用にする。そう決めています」
エレナに、それ以上に自分に言い聞かせるように、目的のためならすべてを犠牲にする覚悟を口にするブレイブの目はまだ強い覚悟が宿っていた。
言い負かされそうになりながらもギリギリで立ち直ったブレイブの気概を褒めつつも、心の内を見透かすようなエレナの瞳は、完全にブレイブの心を読んでいた。
「ブレイブ、教皇である立場としては言いにくく、言ってしまってはならないことですが、正直に言いましょう。私個人の考えでは、変化の際に起きる混乱や犠牲はつきものだと考えています。それだけは、どう準備をしていようが過去の出来事を振り返れば不可避です」
「……それがわかっているのなら、どうしてあなたは教皇庁を潰そうとするのです」
「未来のため」
「やはり、あなたは未来のために『今』を犠牲にするつもりなんですね」
平然とそう言い放ったエレナに、ブレイブは強う怒気を含んだ目でエレナを非難する。
「肝心なのはその過程です。未来ばかり見ていては視野狭窄に陥ってしまいます。だから、その過程でどうやって混乱によって生まれる犠牲を抑えることができるのか、目指すべき未来以上にそれが一番大切なのです」
「それではどうしろと? 未来のために『今』の人が犠牲になるのなら、変化なんて必要ない!」
「明確な答えはありませんが、これだけは言えます。未来のためにと動いてくれる協力者が必要です。大勢が協力すればするだけ、混乱によって不幸になる人を抑えることができるし、もしかしたらゼロにできるかもしれない。だからこそ、鳳グループと確固たる協力関係を結んだ後、教皇庁を潰すという決断をしました。自分の決断で必ず混乱や争いが起きると思っていたから、下準備は入念に行いました」
「だが、それは今回の争いで無駄になったと証明されました! だからそんなものは認めない! 犠牲なき道こそが何よりも大切なんです!」
「確かに、そんな道があればどんなにいいことかと思います。できれば私も犠牲は一人も出さないようにしたい――でも、悔しいことですが現実には不可能です」
「語るに落ちましたね。それがあなたの本音なんですね。やはり、どんな美辞麗句を並べようとも、あなたのやり方では犠牲が出ることは必至なんだ! あなたには教皇に相応しくない!」
「本当にそう思います。私だって、この考えには至りたくなかった。……あんな人の考えに同調したくはなったし、仕方がないことだと認めたくはなかった」
ブレイブの非難をエレナは素直に受け入れ、多少の犠牲が生まれるのを承知で教皇庁を潰そうとする自分自身が、教皇庁を守るためなら犠牲を厭わないイリーナの姿と重なり、一瞬だけ自嘲を浮かべてしまうが、瞳にはブレイブ以上の真っ直ぐとした迷いのない光が宿っていた。
「でも、それに気づいたからこそ、犠牲が生まれるのがはじめからわかっているのなら、犠牲を最小限にするため、出さないためにどう考え、どう行動するのかが一番肝心だと改めて思いました。だから未来よりも、その未来のための過程が何よりも重要なんです」
「そんなもの……そんなものは認めない! 犠牲が出ないのが一番重要なのです!」
「それでは、現状を振り返りなさい」
ヒステリックな声を上げてエレナの考えを感情的に否定するブレイブだが、エレナは現状を振り返れと厳しい口調で命令するように言い放つと、ブレイブは一気にクールダウンする。
……間違っていない、私は間違っていない。
教皇庁を、世界のためを思い、あの子たちのような子を生み出さないためなんだ。
だから、間違っていない、間違っていないんだ。
平静さを取り戻した頭で自分は間違っていないと言い聞かせるブレイブだが、その度に胸の中が言いようのない苦しみが生まれていた。
「あなたは今、自分の子供たちを犠牲にしてこうして私と二人きりで話しています」
「そんなつもりはない! 私は……私はただ、あの子たちを利用しているだけです」
「そうだとしても、この騒動で大勢の人が犠牲になる可能性があるというのに、あなたは今回の騒動を引き起こした。あなた自身、争いと混乱を嫌っているというのに、今回の騒動を引き起こした時点で矛盾しています――結局、大勢の人間を巻き込んだ争いを引き起こしている時点であなたは中途半端だった」
――違う!
エレナの言葉を否定して、自分の覚悟が中途半端ではないと、自分は正しいと声を大にして言いたいブレイブだが、その言葉が出なかった。
その理由は、胸に突き刺さるようなエレナの言葉の数々を否定しながらも、自分のやっていることに疑問を感じてしまっていたからだ。
「ブレイブ、あなたでは教皇庁を変えることはできません。できたとしても、それは一時的で、旧態依然のまま何一つ変わらず、世界を導くことなんてできません」
――そんなことはない、そんなことないんだ。
私の目指す未来こそ、正しく、争いはないんだ。
誰も犠牲に、不幸にならないんだ……
反論しないブレイブに向けて、エレナは厳しい言葉でブレイブが目指す未来を否定した。
その言葉も否定したかったブレイブだが、その言葉が出なかった。
こうして大きな騒動を引き起こし、周囲に混乱を招いている時点でどんなに言い繕っても『争いをなくしたい』という自分の考えに矛盾が生じてしまうからだ。
「今を憂いて未来のために行動する志は素晴らしいです。争いに巻き込まれて不幸になってきた大勢の人を救ってきたあなただからこそ、今回の騒動を引き起こしたのも理解できます。しかし、だからこそ、話し合いで解決してもらいたかった。こんなことをしたのは教皇庁を潰そうと決めた私が煽ったせいでもありますが……残念です」
ブレイブの暴走が自分の責任だと思いながらも、ブレイブを誇り高い聖輝士と認めているからこそ、騒動を引き起こしてしまったことにエレナは心の底から残念に思っていた。
……本当はわかっていたんだ、私の行動が矛盾しているのかもしれないって。
子供たちを苦しめてしまっていることも、何となくだが理解してしまっていた。
だが、私はそれらを未来のためという大義名分で見て見ぬ振りをしてしまっていたんだ。
無益に混乱を生むこの争いが、未来のためになると信じて疑わなかった。
必死に否定しても、それは事実――だが、未来を想う気持ちは本物だ。本物なんだ。
混乱によって発生した争いで犠牲になる人や、不幸になる人をゼロにしたかったんだ。
そのためにここまできたのに……結局、私は……私は……
「ただ……ただ、私は未来のためだけを考えていたのです」
「ええ、十分に理解しています」
「この争いだって、未来のためになるかもしれないと思っていたのです」
「手段はどうであれ、未来のためという気持ちは本心だということは理解できますが、あなたには特に争いを起こすよりも、対話で解決してもらいたかった。こんな争いを引き起こしている時点で、あなたは過去の教皇庁と何ら変わりはありません」
「それなら、私はどうしたらよかったんだ……」
自分が正しいと信じていた未来や行動がことごとく否定されると同時に、自分でも疑ってしまい、進むべき道がわからなくなってしまった。
子供たちを巻き込んだ時点で自分はもう後戻りはできないが、これ以上無暗に争いを広げてしまうこともできなくて、ブレイブは退くことも進むこともできなった。
そんなブレイブをエレナは淡々としながらも睨むように見つめ、「今更後悔しても遅いです」と厳しい言葉を投げかけながらも、その言葉はブレイブに発破をかけるようでもあった。
「今を生きる人が重要なあなたなら何をするべきか、理解できるはずです」
……そうだ。
何をするべきか、考えなくてもわかるだろう。
厳しくも、何をすべきか教えるエレナの優しい一言に、力なく項垂れていたブレイブは顔を上げた。
罪悪感に苛まれながらも使命感に溢れた力強いブレイブの表情に、エレナは満足そうに一度微笑んだ後、深々と頭を下げた。
「ブレイブ・ルインズ――今回の事態の発端であり、あなたを苦しめた私がこうして頼むのは虫がいいと思うでしょうが、お願いします。この争いを止めてください」
エレナの懇願に、ブレイブは一瞬の自分の目指したかった未来が頭に過ってしまい、逡巡してしまうが、それは一瞬ですぐに迷いなく頷いた。
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