第21話

 心地良さそうだが、小うるさい娘の寝息が響く中、アリシアは窓際にある椅子に座って、星空を眺めながら度数の高い琥珀色の酒を気分良さそうな赤ら顔で飲んでいた。


 今は本部として使われていないが、それでも旧本部には歴史があり、多くの教皇が様々な輝石をもたらしてきた神聖な建物なので、酒類の持ち込みや飲酒は禁止となっているがアリシアはそれを無視して酒瓶を持ち込んでいた。


 教皇庁にいた時は酒便を持ち込んで注意されて没収されたこともあったが、誰が何を言っても教皇庁の人間ではない今の自分には無視できるし関係ないので、気軽に飲むことができた。


 グラスの中が空になり、新たに酒を注ごうとすると――眠っているプリムを気遣った控え目なノックとともにエレナが現れた。


 気分良く酒を飲んでいたのに、エレナが現れたせいでアリシアの表情はあからさまに不機嫌になるが、構わずエレナは酒瓶を置いたテーブルを挟んでアリシアと向かい合うように座った。


「ここでの飲酒は禁じられているはずですが?」


「私はもう教皇庁の人間じゃないから別にいいのよ」


「それもそうでしたね――失礼します」


 アリシアの言い訳を軽く流したエレナは、アリシアの許可を取らずに空になっているグラスに酒を注ぎ、それを一気に飲み干した。


「……それ、高いのよ?」


「では、ツケでお願いします」


 教皇であるというのに酒を飲み干すエレナのことをアリシアは呆れたように見つめながらも、咎めることはしなかった。


 一気飲み干して空になったグラスに再び酒を注ぎ、飲みはじめるエレナを見て、アリシアは億劫そうに奥の棚からもう一つのグラスを持ってきて酒を注いだ。


「……プリム、よく眠っていますね」


「明日に大事が起きるっていうのに、バカみたいに呑気ね。ムカつくわ」


「そう言いつつ、小さな声で話してプリムの眠りの妨げにならないようにしていますね」


「うるさいわね……要件はなによ。高い酒なんだから空になる前に本題に入りなさいよ」


「別に何か重要なことを話すつもりで会いに来たわけではありません。少し寝付けなかったので、あなたに会えば寝酒が飲めると思ったのでここに来ました」


「ここはバーじゃないっての……ホント、ムカつくわね。高い酒なのに」


 そう言いながらも、再び空になったエレナのグラスに酒を注ぐアリシア。


 プリムの寝息が響く中、二人は特に何も話すことなく酒を飲んでいた。


 三つの酒瓶を空けた後――「ねえ」と若干酔っているアリシアは不意に、自分よりも酒を飲んでいるというのに素面でいるエレナに話しかけて沈黙を破る。


「アンタ、まだあのクソババアのことを恨んでるの?」


「恨んでいる――というよりも、不信感が拭えないだけです」


「それを恨んでるっていうんじゃないの?」


 煽るような視線を送りながらするアリシアの質問に淡々と答えるエレナ。しかし、淡々として平常を装いながらも、僅かにエレナが感情的になったのをアリシアは気づいていた。


「まあ、クソババアのことに関してはアンタの気持ちは理解できるわ。才能があったアンタを過酷な訓練を施したというのに、ティアストーンを扱える力をなくした先代教皇のクズに利用されていたアンタを知っていたのに見て見ぬ振りを続けたんだから。それにその挙句、アンタに無理矢理リクトを産ませたんだからね」


 自分とイリーナの過去を面白そうに口にするアリシアに、グラスを掴む手が強くなるエレナ。


 恨みの炎を滾らせるエレナを見て、アリシアは機嫌良さそうに笑った。


「考え方が違うとはいえ、力を失った先代教皇を見て見ぬ振りを続けたのも、単にあのクズ男が教皇庁に利益をもたらすだけの存在としてしか見ていなかっただけで、アンタよりも教皇庁を大きくできるからと考えていたから。リクトを無理矢理産ませたのも、アンタよりも力のある教皇を生み出そうしていただけ。今回だってあのバカの持つ力を欲しているだけ――そう、あのクソババアは今も昔も人よりも教皇庁のことしか考えていないわ」


「旧態依然とした教皇庁の悪しき象徴です」


「同感ね――でも、正直私はあのクソババアのことは嫌いじゃないわよ。目的のためなら何でもするって気概は好きだし、参考にしたいわね」


「似た者同士ですが、あの人と比べたらわかりやすい分あなたの方が遥かにマシです」


「……それ、どういう意味よ」


 明らかなエレナの皮肉に反応するアリシアだが、すぐに機嫌の悪さは消え、優越感に満ちた嫌味な笑みを浮かべながら話を続ける。


「アンタって、後悔してる? あのクソババアと会ったこと」


「正直、若干」


「それじゃあリクトを産んだことも、若干後悔してるの?」


「そんなわけありません」


 嫌味な笑みに満ちたアリシアの言葉を、プリムが眠っていることを忘れて、珍しく感情的な強い口調でエレナは否定した。


 息子のリクトになると感情を露にするエレナを見て、アリシアは心底厄介だと思っていそうな、それでいて安堵するような複雑な表情を浮かべて大きく鼻で笑った。


「あのクソババアの存在を否定するってことは、今のアンタを否定するってことよ」


「そうですね……確かに、そう言われてみればそうです。あの人と出会っていなければリクトを産めなかったし、大悟たち大勢の味方とも出会えなかった。それに、あなたが教皇になっていたと思うと不安ですからね」


「一言余計なのよ! それがわかってんだったら、もうわかるでしょ? アンタは教皇庁を――世界を変えるために狙われるのを承知でここまで来た、そうでしょ?」


「ええ、そうです……そうでしたね」


 煽るようでありながらも目的を再確認させてくるアリシアに、エレナは反論できず、ただ認めることしかできなかった。


「だったらやることはもう決まってんでしょ?」


「ええ……わかっています」


 私怨のせいで忘れかけていた目的を思い出したエレナは、自棄気味にグラスに残っていた酒を飲み干し、再びグラスに酒を注ごうとするが――もう酒瓶は空だった。


「もう店じまいよ。明日に備えてさっさと寝なさい」


「……お互い様、ですね」


 アリシアとエレナ――お互いに嫌味っぽく、それでいてどこか柔らかい笑みを浮かべた後、エレナはアリシアの部屋から出て行った。

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