第17話

 儀式も終わり、後は昼食を食べ終わるのを待つだけか……

 もうすぐ終わる……すべてが終わるんだ……

 ダメだダメだ――最後の最後まで気を抜いていたら。


 エレナたちが少し遅めの昼食を食べているレストランの前にあるテラス席に座りながら周囲を警戒しているアトラは、今日一日の任務が終わることに僅かな安堵感を得ていたが、気を抜きそうになった自分に喝を入れて周囲を警戒することに集中した。


 一瞬、視界にクロノが映ったが、動揺することなくアトラは自分の任務に集中できていたが――「お疲れ様、アトラ君」と妙に呑気な声がアトラの集中を途切れさせた。


 声のする方へと視線を向けると、そこには教皇たちと食事をしているはずの幸太郎が能天気な笑みを浮かべて立っていた。


「な、七瀬さん。どうしてここに……お食事はもう終わったのですか?」


「うん。僕はもう食べ終わったよ」


「ま、まだ三十分も経ってないんですけど……」


「お腹空いてたし、量が少なかったから」


「それでもちゃんとよく噛んでゆっくり食べないとダメですよ?」


「……新しい男母おかあさんだ」


 ――って、違う違う!

 何を呑気なことを言っているんだ!


 能天気な幸太郎の空気に当てられてしまい、アトラも思わず能天気な言葉を出してしまい、すぐに我に返って気が抜けた自分に喝を入れた。


「一人で出歩いてはダメですよ。七瀬さんも狙われる可能性は十分にあるんですから」


「でも、またアリシアさんとエレナさんが喧嘩をしはじめたから戻り辛くて。肉を食べたいって叫ぶアリシアさんに、エレナさんが太るよって言って喧嘩がはじまっちゃって」


「また、ですか……相変わらず様ですね」


「まあ、喧嘩するほど仲が良いから」


「そうだといいんですけど」


「二人のけんかを止めるプリムちゃんとジェリコさんも大変そうだったよ。イリーナさんは止める気ないみたいだし」


 今日だけで何回も見たエレナとアリシアの口論が再び勃発したことを知り、その都度制止に入るリクトやプリムと、アリシアのボディガードとして一時も傍から離れないジェリコのことを想って深々と嘆息する。


「それで、さっきまで水月先輩と恋人同士でするロマンチックなディナーの話をしてたんだけど、アトラ君が外にいるのを見かけたから駆けつけたんだ。どうしても会って話したくて」


「じ、自分なんかに会わなくても別にいいでしょう」


「だって、アトラ君、儀式がはじまった時から僕を避けてたから」


「そ、それは、その……」


 答え辛いことを平然と、それも特に考えている様子もなく言ってのける幸太郎に、アトラは答えに窮していると――「七瀬君、ダメですよ一人で外に出たら」と、そんなアトラを救うかのようにタイミングよく沙菜が現れた。


「あなたに何かあったらティアさんに怒られてしまいます……そ、それと、レストランのディナーについて、御指南をお願いします」


「ああ、ごめんなさい、まだ話の途中でしたよね……えっと……僕の読んでいた漫画だと、大体ディナーの後は進展します。恋も、愛も、何もかもが」


「そ、そうなった場合どうすればいいんでしょう……」


「もちろん、受け入れるべきだと思います。そうしなければ恋愛は一向に進みません。漫画でも大体誰かからのアクションがないと進展しませんから。もし、優輝さんから何かアクションがなかったら、水月先輩が自ら行動するべきだと思います」


「わ、私から、ですか? ……その……この前少し過激な服を着た時みたいに引かれないでしょうか……うぅ……今思い出しても、あれはやっぱり恥ずかしかったです」


「でも、あの後優輝さんは先輩の身体がきれいだったって言ってましたから大丈夫です。僕も沙菜さんに目を奪われたので、大丈夫です! 今度は胸をもっと強調しましょう」


「そ、そうでしょうか……それならよかったです」


「先輩も大学生になったんですから、一気にステップアップするチャンスですよ。漫画を読んでたら、大体大学進学と同時にすごいことになっていましたから」


「す、すごいこととは一体……」


「えーっと、確かその本だと――」


「あ、え、その……その先は私の目で確かめます」


「どうなったのか、結果を教えてください」


「あ、あぅう……」


 ……一体何を見せられているんだ。

 というか、どうして七瀬さんはこう緊張感がないんだ、まったく……

 でも――ちゃんとしなくちゃ。ちょうど七瀬さんがいるんだから。


 漫画を読んだだけの知識で恋愛を語る憐れな幸太郎と、それを参考にする恋する乙女の沙菜のやり取りを見て、引き締めていた気が緩んでしまうアトラだが、完全に気が緩む前に、軽く深呼吸をして沙菜との会話を終えた幸太郎に「あの……七瀬さん」と恐る恐る話しかけ、深々と頭を下げた。


「朝はすみませんでした。自分のせいで危うく七瀬さんを傷つけてしまうところでした」


「別にそのことなら気にしてないから大丈夫だよ」


「で、ですが、自分は輝士として最悪な醜態を晒しました」


「クロノ君と戦ったアトラ君、けどカッコよかった。けど」


「……そこを強調しないでください」


 ……ティアさんや、優輝さんやプリム様の言った通りだ。

 気にしていたこっちがバカに思えるほど、七瀬さんは朝のことを気にしてない……

 最悪、命の危険があったのかもしれないのに、どうして……

 ――でも、不思議な人だ。リクト様たちが気に入るのもわかるような気がする。


 ティアたちの言った通り朝の件をまったく気にしていない幸太郎に、アトラは脱力するとともに、朝の件で罵倒されるのは当然だというのにそれもしないで平然としていられる彼の人柄に惹かれると同時に、羨ましさも感じてしまった。


 幸太郎への評価が上がったアトラに、「それで――」と幸太郎は不意に質問をはじめた。


「アトラ君、クロノ君と仲直りしないの?」


 ただただ自分の気になったことを口にしただけで何も考えていない様子で、答え辛い質問をしてくる幸太郎に、アトラは心の中で深々と嘆息をしながら「えっと……」と渋々答える。


「それについては自分とクロノの問題ですから」


「クロノ君、アトラ君と仲直りしたがってるよ」


「そうですか」


 ……今更何を思ってるんだ。裏切ったのはお前だろうが。

 簡単に許せると思っているのか。


 幸太郎の言葉を聞いたアトラは、心の中でクロノを嘲りながらも自虐気味な笑みを浮かべた。


「アトラ君、クロノ君のこと嫌い?」


「もちろんです、あんな裏切者を許せるわけがない」


「本当?」


「当然です」


「ホントにホント?」


「七瀬さん、しつこいです。これは自分とクロノの問題なんです」


「アトラ君、怒ってる?」


「怒っていません!」


 少しだけ語気を荒くしてしつこく本心を尋ねてくる幸太郎を突き放すアトラ。


 さっきまで幸太郎の評価が上がっていたが、揺らぐことがないのに本心をしつこく探ろうとする幸太郎にアトラはウンザリしてしまう。


 気まずい沈黙がアトラと幸太郎の間に流れたが、「その……」と沙菜がおずおずと二人の間に割って入ってきた。


「七瀬君も確かにしつこいですが、実際のところアトラ君はクロノ君をどう思っているんですか? 本当にクロノ君を許せないんですか?」


「当然です。理由は何であれ、アイツが裏切ったことには変わりはありませんから」


「クロノ君が本心からの言葉を言ってもアトラ君の考えは変わりませんか?」


「当然です」


「……意地ばかり張ってたら、周りに迷惑をかけるかもしれませんよ?」


「意地なんて張っていません。それに、朝に七瀬さんを危険な目に巻き込もうとしたんです。だから、自分はもうクロノの相手をしませんし、アイツの言葉に耳を貸しません」


「本当に……本当にそれでいいんですか? 友達だったのに、それで……」


「計算づくで近づいてきた時点と自分とクロノの関係はそんなものではありませんでした。だから、迷いも何もありません」


 もうウンザリだ……みんな関係のないのにどうしてこんなにでしゃばるんだ。

 これは自分とクロノの問題だし、みんな何も関係ないのに……

 もうこの問題は終わったんだ。だから、放っておいてくれてもいいのに、どうして……


 今日だけで数回目になるクロノとの関係修復を求められ、アトラは心底ウンザリしながらも、揺るがぬ決心を抱いた様子で迷いなく答えた。


 頑ななアトラの態度に沙菜は不安そうな表情を浮かべているが、幸太郎は「そうなの?」と相変わらず呑気な態度でクロノを拒絶するアトラの言葉を信じていない様子だった。


「やっぱりアトラ君、怒ってる?」


「だから怒っていません」


「そうなの?」


「そうです! ただ、みんな同じことを言ってくるので、ちょっとウンザリしてるんです」


「みんなアトラ君を心配してるから」


「それはありがたいですが、何も心配はありません。自分だけで解決できますから」


「アトラ君、無理してる?」


「無理なんてしていません! 仕事に集中するので自分はこれで失礼します」


 ……厄介だ。何も考えていない分、本当に厄介だ。

 出会ったことが失敗だったのかもしれない。


 心底ウンザリした様子でアトラは仕事に戻るために幸太郎たちから離れた。


 しかし、実際は不意に放たれた幸太郎の言葉が胸に深く突き刺さったので、アトラは一刻も早く幸太郎から離れたかった。リクトたちにクロノのことについて何かを言われても、多少の動揺は生まれても何とか対応することができたが――幸太郎は他とは違った。


 自分の思ったことをそのまま口にする素直で無神経な性格に加えて、人の心の奥底をジッと見つめるような視線がアトラの胸の中にしまい込んでいた感情を暴き出そうとしていた。


 幸太郎との出会いを後悔したアトラは、逃げるように彼の前から立ち去ろうとするが――


 レストランを囲むようにして大勢――正面だけでも五十人以上の人間が現れたことにアトラは気づくと同時に、レストラン周辺の警備に当たっていた輝士たちが警戒心を露にする。


「お前たち、一体何のつもりだ」


「教皇庁を思い、教皇庁を守る諸君らに告ぐ――教皇庁を守るためにそこを退いてもらおう」


「過激派か……なら、狙いはエレナ様だな」


「過激派とは随分な言われようだ……我々は諸君らと同じく、教皇庁を守ろうとしているのに」


 ……どうして、――いや、今はそんなことはどうでもいい。


 警戒心をむき出しにして、自身の輝石を握り締めて臨戦態勢を整えたアトラの質問に、レストランを囲む過激派の一人が目的を告げた。


 様々な疑問がアトラの頭の中に浮かぶが、考える前にアトラは輝石を武輝に変化させ、アトラに続いてレストランの警備に当たる輝士たちも輝石を武輝に変化させた。


 輝士たちが輝石を武輝に変化させて自分たちの邪魔をするつもりであることを悟った過激派たちも、一斉に輝石を武輝に変化させた。


「問答無用のようだな――では、教皇庁を守るために! 正義は我らにあり!」


 その言葉を合図に過激派たちは一斉に教皇エレナがいるレストランへと突撃し、警備に当たっている輝士たちと交戦するが――


 過激派たちが一斉に力強い一歩を踏み込んだ瞬間、レストランを取り囲むようにして石造りの地面から無数の光球が浮かび上がり、破裂――大勢の過激派たちが吹き飛んだ。


 無数の光球を生み出して攻撃を仕掛けたのは、幸太郎の前に庇うようにして立っている武輝である杖を手にした水月沙菜だった。


「アトラ君、七瀬君と一緒にエレナ様の元へ向かってください」


 沙菜の指示に僅かに逡巡するアトラだが、力強く頷いた幸太郎はアトラの手を引いてレストランの中に戻ると――沙菜の攻撃を何とかして防いだ過激派たちが再び襲いかかる。


 襲ってくる過激派たちをともに儀式の警護を行っていた輝士たちと協力して、沙菜、美咲、ティア、クロノは次々と倒す。


 数分後、騒ぎを聞きつけて応援で駆けつけた大勢の輝士たちが現れる頃には、大勢いた過激派たちは全員倒されてしまっていた。

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