第14話
涙滴の湖での儀式を終えた幸太郎は、今度は一時間程車を走らせた先にある、大きな大聖堂の敷地内にある墓所へと向かっていた。
最初は聖堂に向かうのかと幸太郎は思っていたが、そうではなく、歴代教皇の墓所で祈りを捧げるのが今回の儀式だった。
ここも観光名所の一つであり、歴代教皇が眠る上に建てられた墓石はティアストーンの欠片が埋め込まれており、安らかに眠っている今でも歴代教皇の遺体から溢れる力で仄かに欠片が青白く発光していた。
歴代教皇の持つ力を示すかのように発光を続けるティアストーンの欠片は、神秘的であり、感動的でもある――と、幸太郎の読んだガイドブックにはそう書かれていた。
歴代教皇の墓に祈りを捧げて幸太郎の儀式は簡単に終わったが、次期教皇最有力候補のプリムと教皇のエレナは、久しぶりにこの場所に訪れたので、もう少し祈りを捧げると言って膝立ちなって祈りを捧げていた。
立ち並ぶ歴代教皇の墓石に埋め込まれたティアストーンの欠片はエレナたちの祈りに喜んでいるかのように燦然と輝いている幻想的な光景を幸太郎は持ってきたカメラに収めることを忘れて情けなく大口を開けて感心しており、一方のアリシアは退屈そうに欠伸を漏らしていた。
そんな幸太郎にイリーナは得意気な笑みを浮かべて「壮観じゃろう?」と声をかけた。
「ここは観光名所であるが、中々お目にかかれない光景じゃぞ」
「すごいです。カメラ持ってきておいてよかったです」
「神聖な儀式の最中にカメラを使うのはどうかと思うが、まあいいじゃろう」
「いい旅の思い出になりそうです」
「お主、儀式のことを忘れておらぬだろうな……」
自身が教皇候補になる儀式を行っているというのに、旅の思い出を残すことに集中している幸太郎にイリーナは呆れていたが、無邪気な彼を見て楽しそうにしていた。
しばらく呑気に写真撮影に勤しんでいる幸太郎を眺めていたイリーナだったが、不意に「なあ、幸太郎」と、陰のある表情を浮かべたイリーナは幸太郎を呼んだ。
「歴代教皇は何をするべきなのか、知っているか?」
「ティアストーンから輝石を生み出して、教皇庁の仕事をして、その合間にこっそりおやつタイムを入れて、会議中にバレないように居眠りしたりするってエレナさんが言っていました」
「エレナの奴、巧妙にサボっているようじゃの……まあ、確かにティアストーンから輝石を生み出し、教皇庁の仕事を行うのが教皇の仕事なのかもしれんが、それ以上に重要な仕事がある。それは――教皇庁を守ることじゃ。当然だと思うかもしれんが、それが第一なのじゃ」
教皇の役割を幸太郎に、それ以上に自分に言い聞かせるようにイリーナは説明する。
「考え方の相違はあれ、歴代教皇は全員教皇庁を守るために何でもしてきた。気に入らないがあの私欲に塗れた先代教皇も教皇庁の利益のために役に立ってくれたし、一応は教皇庁を守ってくれたていたと判断してもいいじゃろう」
利益優先主義を掲げて私利私欲に走る枢機卿を生み出した張本人である先代教皇の活躍を、イリーナは心底不承不承といった様子で認めていた。
「まだ教皇庁がレイディアントラストと呼ばれ、多くの輝石使いが生まれる原因となった『祝福の日』が起きるよりも前――数の少ない輝石使いを守るために教皇や教皇庁は善悪を問わずに様々なことをして、大勢の人間を平然と利用しては切り捨て、それによって犠牲になった人間も大勢いた。その様子をワシは枢機卿という立場で間近で何度も見てきたし、無論ワシも枢機卿として教皇庁を守るために口では言えない冷酷なことをしてきたのじゃ」
「……イリーナさんって、本当にいくつ何ですか?」
「ふふーん♪ 大人のれでーは秘密が多い方が魅力的じゃろう?」
「イリーナさん、かわいいです」
「こ、子供扱いするのはやめるのじゃ! ワシは立派な大人のれでーじゃ!」
話の腰を折って子供扱いしてくる幸太郎に、自分のペースが乱されていることを感じたイリーナは「ウォッホン」とわざとらしく咳払いをして強引に話を戻した。
「教皇庁の歴史は犠牲の歴史――教皇庁を守るために多くの人が犠牲になり。だから、ワシは教皇庁を守るために犠牲になった者たちのため、これ以上無駄な犠牲を出さないため、多くの犠牲によって築き上げた教皇庁を守ると誓っておるのじゃ」
「イリーナさん、偉いね」
大勢の人が犠牲になって成り立っている教皇庁を、犠牲になった人々の無念を無駄にしないために守らなければならないと、それらを間近で見てきたイリーナは決意――いや、それが自分の使命であり、責任であると信じて疑わなかった。
妹を見るような慈しむような瞳で自分を見つめて、心の底から偉いと褒める幸太郎に、イリーナは子供扱いされていると不服に思いながらも、心の底から褒められて悪い気はしなかったので得意気に薄い胸を張った。
そしてイリーナは昔の激動の教皇庁を思い出しているような遠い目から、大きな不安を宿した目で幸太郎を見つめて、「なあ、幸太郎」と話しかけた。
「お主は『変化』についてどう思う?」
「良いことだと思います」
不意のイリーナの質問に、幸太郎は特に何も考えることなくそう答えると、「ワシは怖い」と自虐気味な笑みを浮かべてイリーナは自分の考えを述べた。
「教皇庁の歴史の中でも一番多くの犠牲を生み出したのは、教皇庁に何かしらの『変化』が訪れる時じゃ。変化によって生まれた混乱の渦に呑まれ、大勢の人間が犠牲になった。教皇庁も最小限の犠牲に留めるために、変化の度に大勢の人間を切り捨てた……それを何度も目にしたからこそ、ワシは怖いのじゃ。変わることが何よりも怖い」
「そう言われると確かに、お気に入りのお店が突然大きく味を変えたらちょっとショックです」
「それとこれとはまた話が違うのだが……まあいいじゃろう」
自分自身に抱いている変化に対しての不安をイリーナは正直に口にすると、幸太郎に対して期待するようでありながらも、試すような目でじっと見つめた。
「ワシの話を聞いた上で質問しよう――大勢の人間が犠牲になって築いた教皇庁という巨大な組織を潰し、新たに大勢の人間を犠牲にしようとするエレナの考えをどう思う」
「いいと思いますよ」
特に何も考えていない様子でエレナの考えを支持する幸太郎を、イリーナは失望と興味が混じった目で見つめて自分の質問の答えを待つと――特に何も考えていない答えが返ってくる。
「エレナさんと大悟さんが未来のことを考えて新しい組織を作るから、何も心配はないです」
「それがお主の答えか? 流れに身を任せて思考停止しているようにしか聞こえんな」
「じゃあ、イリーナさんはエレナさんと大悟さんの考えをどう思っているんですか?」
「無論、反対じゃ。エレナや大悟の言う通りにすれば今までにワシが見たことのないほどの混乱に包まれ、大勢の人間が犠牲になることは目に見えている。現に今もそうなっているからな」
「エレナさんを信じないんですか?」
「それとこれとは話は違うじゃろう。さすがのエレナでも教皇庁を崩壊させて生まれる混乱を収める器量は持ち合わせていない」
「大悟さんもいます」
「確かに鳳大悟もエレナと同等の器量を持つが、それでも変化によって生まれる混乱には対処できないだろう。期待するだけ無駄じゃ」
「アリシアさんや、
ああ言えばこう言ってくる幸太郎に、イリーナは呆れて何も言えなくなるが――実際には、エレナには大勢の心強い味方がいるということを聞いて何も反論できなくなっていた。
だが、ここで何か反論しなければ自分の中にある確固たる何かが揺らいでしまうと感じてしまったイリーナは「だが――」と苦し紛れの反論を口にする。
「それでも変化の前には全員無力じゃ」
「……エレナさんとイリーナさんってやっぱり仲が悪いんですか?」
「何をバカなことを。そんなこと今は関係ないじゃろう」
「エレナさんが嫌いだから、エレナさんたちの考えを認めてないんじゃないですか?」
「好き嫌いで相手の考えを否定するなど、そんな子供のようなことをするわけがないだろうが! 教皇庁の歴史の生き証人であるからこそ、エレナの考えを認めていないだけじゃ!」
昨日の会議室でのイリーナとエレナのやり取り、涙滴の湖でのイリーナに接するエレナの態度、そして、一対一でイリーナと話してみて確信したことを素直に幸太郎は口にした。
突拍子もなく関係のないことを言い放つ幸太郎の言葉をイリーナは軽く流そうとするが、自分を子供の扱いするような幸太郎の言葉につい感情的になって否定してしまった。
「嫌いじゃないなら、エレナさんのことを信じてあげましょうよ」
「だから、それとこれとは別問題だと言ったじゃろう! そんな浅はかな考えでお主はエレナたちの指示に従い、その結果大勢の人が犠牲になってもいいと思うのか?」
「それは嫌ですけど、エレナさんたちなら何とかできるって信じてます」
そう言って頼りなさそうなくらい華奢で薄い胸を得意気に張る幸太郎だが、そんな幸太郎をイリーナは大きく鼻で笑った。
「信じるだけで犠牲をゼロにできると思うのか? そんなものは冷酷な現実を無視したただの楽観的な机上の空論だ。ワシはそんな不確かなものに縋るつもりはない」
「イリーナさんって、誰かを信じたことがありますか?」
幸太郎の不意の質問にイリーナは何も答えられなくなってしまう。
沈黙が何よりの答えだと判断した幸太郎は、華奢な胸を張っった。
「じゃあ、エレナさんたちじゃなくて僕にドンと頼ってください」
カッコつけた力強い笑みを浮かべる幸太郎だが、イリーナからしてみれば信用できないし、無理してカッコつけた顔をしているあまり平凡な顔が不細工になっている幸太郎の様子に呆れていたが――イリーナは思わず吹き出してしまう。
何だか幸太郎と話していたら、真面目に考えるのがバカバカしくなってしまったからだ。
幸太郎と話して生まれていた苛立ちと失望、そして未来へ抱いている不安――それらをすべて忘れ去ることができるほど、イリーナは気持ちよく笑ってしまった。
そんなイリーナを歴代教皇たちに祈りを捧げていたエレナとプリムは驚いて祈りを中断させ、退屈そうに欠伸をしていたアリシアは興味深そうにイリーナと幸太郎を見つめていた。
「バカを言うな。お主なんて頼れるわけがないだろう」
「ぐうの音が出ません」
笑いながらも厳しいイリーナの一言に何も反論ができずに笑うことしかできない幸太郎。
ひとしきり笑い終えたイリーナは、自分の中で長年沈殿していた澱んだものがすべてなくなったような気がしてしまい、すべてを放り出したい衝動に駆られたが――それを堪えた。
「幸太郎……お前はワシの想像以上に変な奴で面白い奴じゃ」
「そうなんですか?」
「ああ、実に面白い――お前と話してよかったと思う」
「ありがとうございます?」
「だが、ワシの考えは変えるつもりはない。さあ、そろそろ次の場所へ向かおうかの」
自分に言い聞かせるように、自分の考えを変えるつもりはないとイリーナは宣言する。
もう少し幸太郎と話してみたかったが、これ以上話せばすべてを放り出して無駄にしてしまうかもしれなかったので、その前にイリーナは幸太郎から離れた。
幸太郎と話してみて、緊張感の欠片もない人物であるが、確固たる信念と独自の考え方を持ったエレナと似たような人物だとイリーナは判断した。
エレナのようなカリスマ性はまったく、それでもエレナに匹敵、もしくはそれ以上の器の広さを持ち、それ以上にどこか人を安心させて頼りたくなるような人柄だとイリーナは思った。
そして、エレナたちに気に入られる理由がわかったような気がした。
そんな人物と出会ってイリーナは楽しさと嬉しさ沸き立つが、表情は僅かに曇っていた。
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