第12話
損傷は――……いや、怪我は軽い。
警備には何も問題はなさそうだ……だが……
自己防衛とはいえ、これで本当に良かったのだろうか。
旧本部内にある沙菜の部屋でクロノはアトラとの戦いで負った怪我の治療を行っていた。
腕と足の擦り傷という軽い怪我だったのだが、心配した幸太郎と大道は大事を取って、大学部に進学すると同時に看護師の免許を取ろうとしている沙菜にクロノの治療を任せていた。
治療中、クロノは冷静に自分の怪我の状況を確かめながら、自己防衛のためにアトラと交戦したことが本当に良かったことなのかと、自問自答を繰り返していた。
「――はい、これで終わりですよ」
「感謝する」
「今日の警護には何も問題はないですが、あまり激しく動かさないでくださいね」
「了解した」
傷口を消毒液できれいにした後、大きめの絆創膏を張って沙菜の治療は終わった。
「これくらいなら、水月の手を煩わせなくてもよかったな」
「そう言わないであげて。幸太郎君と共慈さんはクロノ君を心配したんだから」
特に何も問題はないのに、怪我をしているとわかった途端に慌てて沙菜の元へと連れ出した幸太郎と大道を思い出し、クロノは無表情ながらも呆れていた。
そんな大道と幸太郎からアトラと戦ってクロノが怪我をしたと聞いて、クロノを心配して様子を見に来たリクトはフォローした。
「取り敢えず目に見える傷はこれくらいですね。クロノ君、服を脱いでくれますか? どこかにまだ怪我がないのか確認します」
「いや、擦り傷以外は何も問題はなさそうだ」
「それでも、相手はアトラ君。噂ではかなりの実力者で将来有望視されていると聞きます。そんな相手と戦って軽傷でいられるわけありません。さあ、脱いでください」
「いやー、さっちゃんったら随分大胆だねぇ♥」
「誤解しないでください! ちゃんとした治療の一環ですから!」
無理矢理クロノの服を脱がそうとする沙菜に、ニヤニヤと笑いながら茶化した美咲は、普段と変わらず無表情でいるが僅かに沈んでいる様子のクロノに視線を向けた。
クロノに向けられた美咲の目は、彼を茶化すようでありながらも優しさが含んでいた。
「アトラちゃんと喧嘩したんだって?」
「喧嘩ではない。怪我をさせて七瀬の警護から外そうとした。だから自己防衛だ」
「それじゃあ、アトラちゃんが喧嘩を売って、弟君がその喧嘩を買ったんだね☆」
「なるほど、そう言われてみればオレは『喧嘩を買った』ようだ。考え方の相違で誰かとぶつかり合ったことはあるだけで、喧嘩ははじめてだ」
美咲の言葉で自分が喧嘩をしたことを認識し、はじめての体験で少し喜んでしまうクロノだが、それは一瞬で喧嘩をした後どうすればいいのか戸惑ってしまっていた。
「喧嘩したら、仲直りしないとね?」
「……どうすればいいのだろうか」
「夕日を浴びながら河原で殴り合うとかどーかな?」
「なるほど、試してみよう」
「適当なことを言わないでください美咲さん。クロノ君も信じないでください」
適当な美咲の言葉を信じるクロノに、沙菜は小さく嘆息する。
「喧嘩をしたことで、アトラ君も少し頭が冷えたのかもしれません」
「……それなら、喧嘩をしてもよかったのだろうか」
「それはこれから次第です。今は少し時間を置いて、その後はお互い素直になるべきですよ」
かつて、自分が相手のことを何も理解も信用もしないで、意地を張ったまま一方的にセラのことを憎んでいたことを思い出しながら、沙菜はクロノにアドバイスをする。
「しかし、あのアトラが素直になれるのだろうか……」
「それなら、自分の正直な気持ちをぶつけるのはどうでしょう。クロノ君がアトラ君をどう思っているのか――その正直な気持ちを言葉にしてぶつけるんです」
「善処してみるが……その気持ちを考えて言葉に出そうとすると何だか顔が熱くなって、胸がチリチリしてざわざわするな――……これが『気恥ずかしさ』、なのだろうか」
沙菜のアドバイスを受け、正直な自分の気持ち掘り出し、その気持ちをアトラにぶつけようと考えた時に生まれた気恥ずかしさに、クロノの頬はほんの僅かに紅潮してしまった。
「だが、感謝する、水月。オマエのおかげで対策を見つけることができた」
「あ、その……わ、私なんかのアドバイスが参考になったのなら幸いです」
淡々としながらも心からのクロノの感謝に、沙菜は照れ笑いを浮かべた。
「だが、問題はアトラの方だな……今のアイツにオレの言葉が届くだろうか」
「それは問題ないと思うよ」
不安げなクロノを安心させるように、リクトは自信に満ちた様子でそう言い放った。
「何だかんだ言ってるけど、アトラ君だってクロノ君を完全に嫌いになったわけじゃないと思う。だって、嫌いなら昨日みたいに僕たちに会いに来たついでにクロノ君をわざわざ罵ったりしないし、今日みたいに喧嘩しないで無視するよ。多分アトラ君は自分の本心を口に出したくても、素直になれなくて出せないんじゃないかな? だから、きっとクロノ君の言葉は届くよ」
……確かに、アトラは何も変わっていなかったな。
頭の固いところも、熱しやすいところも何一つ変わっていなかった……
そうか……何も変わっていないのか。
アトラはクロノがアルトマンと繋がりがあると知った時の自分たちのように、まだアトラはショックを受けているとリクトは感じていた。
そして、久しぶりに会ってクロノを拒絶したこと以外、何一つアトラが変わっていなかったことを感じたリクトは、必ずアトラにクロノの言葉が届くと信じていた。
アトラの根本的が変わっていないことをリクトから聞いて、クロノも心の中で同意を示すと同時に安堵感を得ていた。
いつもと変わらぬ無表情だが、それでもだいぶ表情に明るさが戻ってきたクロノを見て、美咲はニコリと豪快に笑う。
「まあもしもの時は肉体言語を使って、拳を乗せた本心をぶつければいいだけだよ♪」
リクトたちのフォローを台無しにする美咲の言葉だが、気にせずに話を続ける。
「リクトちゃんやさっちゃんの言っていることも正しいよ。ラブアンドピースは大事だからね。でも、そうならない時だってあるんだよ? お互いに譲れないものがある時とかね。そーいう時は肉体言語で語り合うしかできないんだ。お互い本気で拳で語り合って、その後は仲良しにゃんにゃん♥ 大団円のハッピーエンドってね?」
「それで仲良くできるのか?」
「アタシは仲良くできたよ? それに、ウサギちゃんだって同じじゃないかな♪」
譲れないものがお互いにあって友人たちとぶつかり合った美咲の言葉、そして、一度は敵対しながらも今では普通に接しているクロノの姉であるノエルを思い出し、クロノはもちろん、リクトと沙菜は美咲が適当を言っているわけではないと悟った。
「……参考にしよう」
……ありがとう。
リクト、沙菜、美咲――三人の友人たちの意見を聞いて、心の中で感謝の言葉を述べたクロノは無表情を僅かに綻ばせて微笑を浮かべた。
――――――――
……俺は一体何をしているんだ!
感情的になって無駄に争うし、関係のない人間まで傷つけようとした……最悪だ……
謝りに行くべきなのにどうしてこんな時に勇気が出ないんだ……最悪だし、最低だ。
苛立ちと罪悪感に苛まれ、暗い表情を浮かべているアトラは数メートル先にある扉を見つめながら、扉の周りを行ったり来たりしていた。
扉の中には朝食と今日の予定を聞いている幸太郎たちがいるはずだった。
朝、クロノと戦い、その結果幸太郎を巻き込んでしまいそうになったことを謝罪しようと思い、幸太郎のいる部屋の前まで来たのだが、中々扉をノックすることはできなかった。
その理由はどの面を下げて会いに行けばいいのかわからないという理由もあるが、大きな理由としては、クロノも幸太郎と一緒にいるかもしれないと考えて中々動けなかった。
クロノの奴、どうしてだ……どうして何も変わっていないんだ……
――いや……そう見えるだけで、実際は大きく変わったのか?
どっちにせよ、どうしてだ……どうしてだよ……
裏切ったのなら、裏切者らしくすればいいのに……
「幸太郎君に会いたいのかな? それとも、クロノ君?」
自分と、クロノに対しての苛立ちを募らせていると、背後からアトラの心を見透かした様子の明るい声が響き、その声に素っ頓狂な声を上げて驚くアトラは恐る恐る振り返ると、背後には楽しそうな笑みを浮かべた声の主である優輝と、腕を組んで仁王立ちしているプリムがいた。
「何をしているのだ、まったく……お前のことだ。コータローに謝りたいのだろう?」
「あ、い、いや、その……それは……」
「そんなに気を遣わんでも、コータローはまったく気にしておらぬぞ。あのアンポンタンの頓珍漢のことだ。部屋の中で呑気に食事をしているに決まっておる」
いっさいの気遣いなく本当のことを言っているつもりなのだが、プリムが自分を気遣ってくれていると思っているアトラは罪悪感を募らせる一方だった。
「自分は取り返しのつかないことをしてしまいました。感情に身を任せて禁止されている私闘をしてしまい、その挙句に武器を持たない人間に誤って攻撃してしまいそうになった……自分は輝士として失格です」
「いや、アトラ、コータローのことはまったく気にしないでもいいぞ。なあ、ユーキよ」
「そうだね。幸太郎君、訓練が終わったら朝風呂に入ってさっぱりして、二度寝したから」
「ということだ。アトラよ、お前は何も心配する必要ないのだ。ノーテンキなあのバカモノはそんなつまらんことを一々気にするわけがない」
す、すごい言われようだな……二人の言う通りなら、七瀬さんはある意味すごいな……
優輝とプリムの話を聞いて、幸太郎が朝の件をまったく気にしていないことはよく伝わり、若干安堵するアトラだったが、罪悪感はまだ確かに残っていた。
まだ残る罪悪感のままに幸太郎に謝りに行こうとするアトラだが、「そんなことよりも――」と尊大でありながらも厳しい口調のプリムは、アトラを非難するように睨んだ。
「クロノと喧嘩をしたことが問題だ。コータローなんかよりもな」
「……その件に関しては自分とクロノの問題なのです」
「私はオマエやクロノを友だと思っている! お前たちだけの問題ではない!」
クロノの話を持ち出されると、アトラはあからさまに居心地が悪そうな顔をするが、すぐに表情を元に戻してお茶を濁した。
あからさまにクロノの話題を避けようとするアトラだが、プリムは逃がさない。
「くだらない喧嘩を終えて、少しは冷静になっただろう? 今のお前ならクロノの気持ちを冷静に考えられるのではないか?」
そんなの……そんなの……
――そんなものはどうでもいいんだよ!
「関係ないって言っただろう!」
自分を見つめ直させるプリムの言葉を振り払うように、それ以上に自身の中に溢れ出る感情を吐き出すように声を張るアトラ。突然の怒声にプリムは圧倒されて言葉を失うが、そんなプリムを見て我に返ったアトラは「す、すみません」と慌てて謝った。
アトラの謝罪を聞いて、我に返ったプリムは「いや、私の方こそ悪かったな」と、プライドが高い彼女にしては珍しく素直に自分の非を認めた。
「私に言われなくともお前が一番よくわかっているはずだな――だが、関係ないと言って拒絶するのだけはやめてくれ。お前は私の友だと思っている。だからこそ、お前の悩みは私の悩みだ。だから、何かあるのならば、私に何でも相談するのだ。悩みならこの私にドンと任せろ!」
力強い笑みを浮かべて頼りないくらいに薄い胸を張るプリムを見て、アトラの罪悪感が更に募り、自分自身への怒りと苛立ちが溢れ出しそうになる。
……最悪だ。
こんなの、八つ当たりじゃないか……俺は一体何をしているんだ……
「……すみません、もう少し頭を冷やします」
これ以上プリムの前にいるのが耐え切れなくなり、逃げ出すようにこの場を後にするアトラ。
だが――「ちょっといいかな」と、何気なく放たれた優輝の一言がアトラを止めた。
「アトラ君に聞きたいことがあるんだ。とても、重要なことをね」
「……何を聞きたいのでしょう」
ただこの場から逃げだしたい一心で早く話を終わらせるために、話を進めるアトラ。
「昨日の空港の警備について何だけど……君は警備について詳しく知らないかな?」
「全体的の警備の責任者はイリーナ様ですが、実質の責任者はデュラル様でした。末端の輝士である自分にわかるのはこれくらいです」
質問に答えてくれたことへの感謝の言葉を述べようとする優輝だったが、その前にアトラは逃げ出すようにして去ってしまった。
この場から離れるアトラの背中をじっと見つめる優輝。
自分の質問に答えたアトラから、迷いが確かに優輝は感じ取った。
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