第二章 過去か未来か

第10話

「ティアさん、もう限界、です……」


「まだ走りはじめて十分も経っていないというのに、もう疲れているのか?」


「お、起こされてからまだ三十分も経ってないんですけど……」


 気持ちのいい朝日が周囲を照らし、新鮮な空気が漂う早朝の外――もう五月で、アカデミー都市では朝晩ともに温かくなってきているが、旧本部のある国では朝晩ともに肌寒かった。


 だが、それでも凍えるほどの寒さではなく、軽く一枚着込めば容易に凌げるような、過ごしやすい気持ちの良い涼しさだった。


 そんな気持ちのいい早朝の教皇庁旧本部の敷地内には、旧本部が建てられた当時から存在している、教皇庁に所属する輝石使いたちが毎日訓練を行う訓練場があった。


 歴史ある訓練場で毎日輝石使いたちが激しい訓練を行っており、それを毎日拝めるということで街の観光地として有名な場所だった。


 そんな場所で、安物のジャージ姿の幸太郎は全身で息をして眠り目を擦りながら、ティアとともに訓練場の周囲を走って――というより、疲れ果ててほとんど歩いていた。


 こうなった経緯は三十分前――教皇庁にあてがわれた部屋にあったフカフカのベッドで気持ちよく眠っていた幸太郎は、突然部屋に入ってきたティアに「訓練を開始する」の一言で無理矢理起こされ、眠気でボケている中念入りに準備運動を行ってから走り込みがはじまった。


 ティアの訓練に幾度となく付き合わされて、少しずつだが幸太郎は体力もついてティアから出される訓練メニューをこなしてきたのだが――今回は別だった。


「うう、もう無理、です……」


 十分以上走っていた幸太郎だが、膝から崩れる落ちるようにしてへたり込んでしまう。


「限界が来るにも早すぎる。だらしがない奴だ」


「時差ボケ気味ですし、昨日の晩御飯もお肉やお米がなくてお腹空いて力が出ません」


「確かにお前の気持ちは理解できる。私としては栄養補給のためにプロテインバーを与えたいところだが、儀式の前に心身を清らかに保たなければならない。我慢をしろ。それに、お前と同じ状況のあの二人を見てみろ」


 ティアが指差した方向を幸太郎は見ると――そこには、武輝を手にした大道とクロノが激しくぶつかり合って早朝の訓練を行っていた。


 日課として早朝の訓練を行っている大道に、クロノは自分も付き合うと言って、大道と訓練を行うことになり、二人は実戦形式の訓練を行っていた。


 武輝である錫杖を手にした大道と、武輝である鍔のない幅広の剣を手にしたクロノは朝っぱらから元気よく激しく動き回り、訓練と呼ぶには些か危険とも思えるような攻撃を繰り出し、武輝同士がぶつかり合う金属音が周囲にけたたましく鳴り響いていた。


 そんな二人の様子を、幸太郎は「おー」と情けなく口を開けて感心した様子で眺めていた。


「二人ともも随分腕を上げたようだ。お前もあの二人を見習え」


「何だか気合が入ってきました……でも、ちょっと休憩させてください……」


「……わかった。少しだけだぞ」


 大道とクロノの様子を見て幸太郎に気合が入るが、それでも今はまともに動けなかった。そんな幸太郎の様子に小さく嘆息してティアは休憩を認めた。


 二人が休憩をはじめると同時に大道とクロノも一旦訓練を中断して、武輝を輝石に戻して休憩しているティアと幸太郎に向かった。


「お疲れ様です、大道さん、クロノ君。二人ともすごかったです」


「そちらこそお疲れ様。それにしても、久しぶりにかなり熱を入れて訓練をしたよ。さすがだ、クロノ君。君は私の力をとうに超えているというのに、私の力に合わせるだけではなく、私の限界以上の引き出そうとする立ち回りをしてくるとは、非常に良い訓練になった」


「お互い様だ」


 あれだけ激しくぶつかり合っていたのに、息をまったく乱してない大道とクロノを尊敬の眼差しをぶつけて労う幸太郎。


「私もまだまだ修行が足りないようだし、少々運動不足気味かもしれない。七瀬君の訓練も激しいみたいだし、次は私もティアさんの訓練に付き合うべきかな」


「普段と比べて軽くしてある幸太郎の訓練を見て激しいと思えるとは。確かに運動不足だな」


「あ、あれで軽くですか?」


 大道との会話で、自分の訓練がいつもよりも軽く設定してあると言ってのけたティアに、幸太郎は軽く絶望感を覚えてしまった。


「そういえば、優輝君はどうしたんだい? 彼も誘ったんじゃなかったのか?」


「……知らん、あんなバカ」


「どうやら、逃げられたようだな」


 優輝も訓練に付き合わす予定だとティアから聞いていたが、優輝の名前を出した途端に不機嫌になるティアを見て、何となく大道は事態を察した。


「さて、もう休憩はいいだろう。訓練を再開するぞ」


「だいぶ楽になりましたが、まだ五分も経ってないんですけど……」


「問答無用。身体が温まっている内に訓練を再開するぞ」


「大道さん、クロノ君、へるぷみー」


「さあ、私たちも訓練を再開しよう……頑張ってくれよ、七瀬君」


 無情にも訓練を再開させようとするティアに、心底嫌そうにする幸太郎。


 助けを求めるために幸太郎は大道とクロノに視線を向けるが、ティアを止められないと思っている大道はただただ申し訳なさそうな笑みを浮かべ、クロノは心ここにあらずといった様子で救いを求める幸太郎を無視した。


 誰も味方がいない状況で幸太郎はただただ絶望するしかなかったが――「おはようございます」とアトラが現れたことによって状況が一変する。


 救いの女神が現れたと思い、「アトラ君、おはよう! 助けて」と挨拶をするや否や幸太郎はアトラに駆け寄り、年下の少年の腰に纏わりついて救いを求めた。


「ど、どうしたんですか、七瀬さん」


「往生際が悪いぞ、幸太郎」


 突然自身の腰に纏わりついて助けを求める幸太郎にただただ困惑するしかできないアトラの前に、腕を組んで仁王立ちしているティアが現れる。


 ティアから放たれる圧倒的な威圧感に幸太郎はもちろん、相対しているアトラも気圧される。


 気圧されながらも、疲れた様子の幸太郎を見て何となく事態を察したアトラは、「ま、まあまあティアさん」と幸太郎とティアの間に入った。


「今日は儀式を行わなければならないので、今日の訓練は控えてはどうでしょう」


 幸太郎を気遣うアトラと、子供のようにアトラにしがみついている幸太郎の姿を見て、呆れと諦め、そして、若干不機嫌そうにしたティアは「わかった」と折れた。


「今日の訓練は控えることにしよう、今日の訓練は」


「た、助かった、アトラ君……良いにおいがする」


 今日の訓練が終了したことをティアに告げられ、安堵のあまり幸太郎は薄いアトラの胸に自身の頭を傾けた。どう反応していいのかわからないアトラは、自分の胸に頭を預けて、においを嗅いで悦に浸って軽く気持ち悪い幸太郎の頭を軽く撫でることしかできなかった。


「アトラ君、こんな朝早くからどうしたの?」


「自分は日課として早朝から訓練をしているんです」


 毎朝訓練を行っているというアトラに、幸太郎はだらしなく大口を開けて関心をしていた。


「その努力をどこかのだらしないバカモノにも見習ってもらいたいものだな」


「ぐうの音も出ません」


 皮肉のたっぷり込められたティアの言葉に、幸太郎はただただ笑うことしかできなかった。


「それならこれから訓練を再開しようと思うのだが、一緒にどうかな?」


「は、はい! 元輝士団に所属していて、多くの団員たちの訓練に付き合ってきた大道さんに訓練を一緒にしてもらえるなんて光栄です! 是非ともよろしくお願いします!」


「大したことをしていないのに、そう言われると何だか照れてしまうし、気合が入ってしまうよ――さあ、クロノ君。訓練を再開させようか」


 純粋な尊敬の念をぶつけてくるアトラに大道は気恥ずかしそうにしながらも、そんな彼を失望させないために気合を入れる。


 訓練を再開させるためにクロノの名前を口に出した途端――アトラの雰囲気が一変し、苛立ちと怒りを宿した目でクロノを睨んだ。


 クロノに向けられるハッキリとした怒りを感じ取ったティアと大道は、アトラの抱く怒りに気圧されてしまう。一方の幸太郎は見えない火花をクロノに一方的に散らしているアトラを不思議そうに眺めていた。


「早朝に俺が訓練をするって知ってたはずなのに、どうしてお前がここにいるんだ」


「オマエとはじっくり話をしたかったから、あえてここにいる」


「裏切者のお前と話すことなんて俺にはない!」


 自分とじっくり話したいと言うクロノをアトラは鼻で笑い、この場から立ち去ろうとするが――そんなアトラを「待て」と、淡々としながらも僅かに必死な声でクロノは呼び止めた。


「言いたいことがあるのはオマエも同じだと思うのだが?」


「なら言ってやろう――俺の前に二度と顔を見せるな」


 明確なアトラの拒絶に、周囲が静まり返る。


 打算があってもかつては友人関係だったアトラに拒絶され、クロノは無表情だがほんの僅かに動揺の色が見え隠れするが、その動揺をいっさい表に出すことなくクロノは拒絶されても「それは無理だ」と淡々と話を続ける。


「七瀬や教皇の護衛をする以上、それは無理だろう」


 悪気がないクロノの言葉を聞いてアトラの表情は苛立ちに染まると、昂る彼の感情に呼応するかのように紐上のブレスレットについた輝石が発光をはじめる。


「なら、警備できないようにするだけだ」


「オマエがそのつもりなら、こちらもそうしよう」


 敵意をむき出しにするアトラに続いて、クロノも手にした輝石が発光をはじめる。


 二人とも輝石を武輝に変化させる準備を整え、臨戦態勢を整える。


「いい加減にするんだ! これから儀式だというのに何を考えている!」


 今はいがみ合っていても、かつては友人同士だったのにもかかわらず訓練ではなく本気でぶつかり合おうとする二人の間に大道は割って入り、制止させる。


 割って入ってきた大道の怒声で我に返ったアトラの輝石が輝きを失いはじめるが、クロノは構わずに輝石を武輝に変化させた。


「大道、悪いが……ここはオレに任せてくれ」


「そっちがそのつもりなら、俺だってもう容赦はしない!」


 懇願するようでありながらも、有無を言わさぬ迫力を宿すクロノの言葉に大道は気圧される。


 戦意を滾らせるクロノに、失いかけた戦意を漲らせるアトラ。


「お前たちがそのつもりなら、私は全力でお前たちを止めよう」


 口で言っても止まる気がない二人を見て、大道は実力行使で止めようと輝石を握り締めるが――その手をティアが優しく包んで、「好きにさせておけ」と諫めた。


「しかし、儀式の警備にはクロノ君たちが必要不可欠だ! こんな感情的な戦いでお互いの身が無事で済むはずがない! それを君は黙って見過ごせと言うのか!」


「クロノが任せろと言ったんだ」


 本気でぶつかり合う気のクロノとアトラを止める気のないティアに猛反論する大道だが、次に発せられたティアの言葉でクロノへの信頼感を思い出した大道は幾分落ち着きを取り戻した。


「……三分だ。それ以上経過したら、君たちを全直で止める。わかったな?」


 心底不承不承といった様子で妥協した大道はクロノたちから離れ、幸太郎とティアとともに巻き添えを食らわないようにかなり遠くに離れた。


 三人が離れた瞬間、アトラは輝石を武輝である手甲と足甲に変化させ、それらが両手両足に装着された。


「行くぞ、裏切者め!」


 その言葉を合図に、アトラはクロノに飛びかかる。

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