第9話

 外がすっかり真っ暗になった頃、旧本部内にある自室で、イリーナは座っているソファに深々と腰かけ、足を組んでアダルトな雰囲気でグラスに注がれた赤ワイン――ではなく、グレープジュースをチビチビと飲んでいた。


「それで、明日はどうするのじゃ?」


 グレープジュースを口に含み、舌で転がして口内でその味を堪能した後、ゆっくりと嚥下したイリーナは、テーブルを挟んで対面居座る姿勢よく座るブレイブと、我慢しないで大きく退屈そうに欠伸をしているデュラルに視線を向けて質問した。


「明日は私と弟子たちが七瀬君の護衛に向かいます。彼の周囲には優秀な護衛もついているということなので、目立たないようにこちらから出す護衛は少数精鋭にします。彼の傍には、リクト様たちと仲の良いアトラについてもらいます。その方が彼も余計な緊張をしないでしょう」


 優等生の模範解答のようなブレイブの回答に、デュラルは鼻で笑った。


「空港での騒動があったばかりだってのに随分楽観的だな。周囲に気づかれても護衛の数は多くするべきだし、多少の緊張を持たせた方がいいだろ。変に隙を作って相手に攻められたら今日の二の舞だ」


「空港の警備を担当していたお前に言われたくはない。お前のせいで今後に大きな影響を与えることは間違いない。どう責任を取るつもりだ」


「今は明日のことを考えるべきだろうが。過去をグチグチ言ってる男は嫌われるぞ」


「茶化すな。それと、先のことを考えたからこそ、混乱を避けるために少数精鋭にするべきだと言っているのだ。お前の尻拭いをしてやっているんだからな、それを忘れるな」


「恩着せがましい奴だな。それでお前が失敗したら絶対に笑ってやるからな」


「少しは真面目に考えたらどうだ! 我々にとって一大事なんだぞ!」


 徐々にヒートアップしてくる二人に、イリーナはやれやれと言わんばかりに小さくため息を漏らし、「いい加減にしろ!」とかわいく声を張り上げて一喝する。


「ブレイブ、デュラルの言う通り少々お主は気負い過ぎている。確かに空港での一件で神経を尖らせてしまうのは理解できるが、少しは冷静になるのじゃ!」


「……す、すみません」


「ほーら、怒られてやんの」


「デュラル! 一々ブレイブを茶化すな! 少しは真面目に考えろ!」


 二人の弟子を厳しい言葉で一喝した後、「それで――」と本題に入るイリーナ。


「ブレイブ、お主が選んだ少数精鋭の護衛の構成はアトラ以外に誰がおるのじゃ」


「私とアトラ、それと輝士が十人と聖輝士が二人です。それ以外はあちらが用意した護衛がつくと思われます」


「それだけいれば十分じゃろう。デュラルもそう思うじゃろう? アトラを含めたブレイブの弟子たちの実力はお主が一番よく知っているはずじゃ。それに加えてブレイブも、そして、ワシもついて行くつもりじゃ。何も問題はないとワシは思うが?」


 師匠であるイリーナだけではなく、同門の弟子で一緒に修行をした身だからこそブレイブの実力をよく理解しているデュラルは、師匠の言葉に何も反論できなかった。


「確かに、今日の騒ぎがあったばかりで護衛を精鋭ながらも少数にして不測の事態が起きるというお前の不安も理解できるが、ただでさえ不用意に発したエレナの発言のせいで周囲は混乱しているのじゃ。それを抑えるためにもブレイブの判断は正しいと思うのだが?」


「わかったよ。それならアンタの好きにしたらいい。俺はどうすればいい?」


 自分とブレイブの意見を取り入れ、正論ばかりを投げかけてくる師匠に降参して、素直に従うことにするデュラル。


「教皇庁内に不審な動きを感じられる。お主はそれを突き止めるために留守番じゃ。何かあったらすぐにワシらに連絡をしてくれ」


 イリーナの指示に、面白くなさそうに「はいはい」と返事をするデュラル。


 そんなデュラルの態度に不安を覚えつつも、不安が芽生えてしまいそうになった心に喝を入れるべく、険しい表情のイリーナは二人の弟子を強い意志を宿した目で見つめた。


「ワシらには失敗は許されない、そのことだけは覚えておけ」


 弟子たちに、それ以上に自分に言い聞かせるようにそう言ったイリーナの心にはもう不安も迷いも存在していなく、あるのは教皇庁のため――その思いだけだった。




――――――――――




 夜のアカデミー都市、アカデミーの校舎や鳳グループ本社と教皇庁本部があるセントラルエリアの高層マンションの一室――ショートヘアーの凛々しく容姿の少女、セラ・ヴァイスハルトが暮らす部屋に、セラの作る晩御飯を食べるために、彼女の友人たちが集まっていた。


「いやぁ、セラさんのオムライス美味しいなぁ。卵がふっわふわのトロトロ。前に僕と麗華もオムライスを作ったんだけど、卵が焦げ付いちゃったんだ。それに、卵の上にかけるソースと、中身のチキンライスの味付けも最悪でね。ドレイクさんに食べさせたら、しばらくトイレから出てこなかったんだ。隠し味に色々入れたのがよくなかったのかなぁ」


「な、何を入れたんですか?」


「えーっと、もっと卵を黄色くしたかったから辛子とか黄色い調味料をとにかく入れて、ふわふわにしたかったからベーキングパウダーを入れて、トロトロにしたかったから片栗粉も居れて、ソースも黄色の卵を映えさせるためにタバスコとか豆板醤とか赤い調味料をとにかく入れて、チキンライスはチキンだけじゃつまらないから、色々なお肉お入れたんだ」


「……大和君、それはもうオムライスではないような気がします」


「アハハ、食べ終わってドレイクさんも同じことを言ってたよ」


 ……ドレイクさん、かわいそうに。


 軽薄な笑みを浮かべた中性的な外見の美少年――ではなく、少女の伊波大和いなみ やまとは自分の失敗談を語りながら次々とセラが作ったフワフワのオムライスを口に運んでいた。


「オーッホッホッホッホッホッホッホッホッ! 愚かですわ! 実に愚かですわ!」


 オムライスではない何かを作り上げ、それを食べる羽目になってしまった友人のドレイク・デュールをセラは心から憐れんでいると、近所迷惑になるほどうるさい高笑いが響く。


 高笑いを発している主は毛先の一部が軽くロールしている長い金糸の髪の、ヘンテコな笑い方をしているのにもかかわらず嫌味なほどの美少女であり、鳳グループトップの娘――鳳麗華おおとり れいかだった。


「私の言う通りに作らず、我を貫き通したからあんな悲惨な結果になったのですわ!」


「そう言っておきながら、最終的に麗華は僕のアイデアに乗ってくれたじゃないか」


「それでも私は反対しましたわ! 色付けに辛子やタバスコを入れたら辛くて食べられなくなり、片栗粉を入れれば粉っぽくなってしまうと。味付けは常にシンプル、隠し味程度に入れることによって全体の均整が整うのですわ。つまり、ハチミツとカスタードクリームを卵に入れれば色味もよくなりますわ。ソースもタバスコではなく、イチゴジャムを入れることによって赤味と旨味も増したはずですわ!」


「それを先に言ってよ。そうすればドレイクさんがトイレに長時間こもって変な唸り声を上げたせいで、娘のサラサちゃんに一歩引いた目で見られることなかったのに」


「二人とも、そういう問題じゃないから。もっと根本的な問題だから」


 ……ドレイクさん、本当にかわいそうに。


 今更自分の意見が正しいと言ってくる麗華を非難するように見つめる大和――そんな二人の間に入り、根本的な問題だとセラは呆れた様子でツッコみ、被害を受けだけではなく最愛の娘にも惹かれてしまったドレイクを心底憐れんだ。


「……今日の味付けはいつもと違いますね」


「あれ、もしかして何か足りていませんか?」


 短めの白髪の髪を赤いリボンで結い上げた色白の少女――白葉ノエルの淡々とした感想を聞いて、まだ手をつけていなかったオムライスを口に運ぶ。


「僕はそんなに感じなかったよ。いつも通りセラさんの手料理は最高さ」


「フン! 片腹痛いですわね! 味付けに香辛料ばかり選択する味音痴に何がわかりますの?」


「それなら、麗華はノエルさんみたいに違いがわかるの?」


「舌が肥えに肥えて感度が高すぎるあまり、空気の味も敏感に違いがわかる私なら当然ですわ」


「何だかエッチな表現だなぁ」


「意味がわかりませんわ!」


 ――確かに、全体的にいつもと比べて味が薄い。

 どの調味料も少しだけ足りていないんだ。


 麗華と大和のいつもの口論を聞き流しながら、自分が作ったオムライスを味わった結果、悔しいがノエルの意見は正しいことを認めた。


「確かにノエルさんの言う通り、全体的に薄味になってしまいましたね」


「まあ、問題なく食べることはできますが、セラさんにしては珍しいですね」


 ……そういえば、今日味見するの忘れてた。

 変だな。味見はいつもするのに忘れるなんて……どうしたんだろう、私。

 やっぱり、私――


 淡々としながらも若干嫌味が込められたように聞こえるノエルの言葉に、彼女が意地悪な小姑のように感じてしまうが、いつもしているはずの味見を忘れていたことを思い出すセラ。


 いつもしていることを忘れてしまった自分を変だと思って首を傾げているセラを、ノエルは感情が希薄な瞳でじっと見つめ――


「もしかして、妊娠しているのですか?」


 不意に放ったノエルの一言に、セラはもちろん麗華、そして、人をからかうことに長けた大和でさえも口に含んでいたオムライスを吹き出してしまう。


 変なところに米粒が入って咳込んでいる三人を不思議そうに眺めるノエル。


 しばらく咳込んでいたが、一足先に回復したセラは顔を真っ赤にしてノエルに詰め寄る。


「と、突然何を言っているんですか! そんなことあるわけないでしょう!」


「妊娠中は塩分を控えますから、そうだと思ったのですが……違うのですか?」


「と、当然です! 私たちは一応まだ学生の身分です! それに、不純異性交遊はアカデミーの学則で禁止されています!」


「美咲さんから妊娠したと言って相談してきた知人がいると聞いたのですが?」


「そ、そういう人たちはきっと素晴らしい相手の方と、その……――ふ、不純異性交遊ではなく、あ、愛をその……育んだ結果なんです」


「なるほど、つまり、愛のない交配では子供は生まれないのですね」


「ストップ! ストーーップですわ! これ以上は許しませんわよ!」


 た、助かった……


 一々答え辛い質問をしてくる無垢な子供のように質問を続けるノエルに追い詰められるセラだが、ここで麗華の待ったがかかり、セラは救われた。


「ですが、まだセラさんが妊娠しているのか否か、わかっていません」


「本人が否定しているのですからそれはありえませんし、その相手は今のところいませんわ! とにかく、この話は以上ですわ!」


「そうなんですか、セラさん?」


「だ、だからそんなわけがないと言ったでしょう! ほら、早く食べないとせっかく作ったのに冷めてしまいますよ」


「人の交配についてもう少し詳しく聞きたかったのですが、残念です」


 まだ納得していない部分もあるが、麗華とセラの迫力に押されてオムライスを食べるのを再開させるノエル。


 子供に答え辛い質問をされる親の気持ちがよく理解できたセラと麗華は、ノエルの質問が止んでホッと胸を撫で下ろすが――大和はいまだにいたずらっぽく微笑み、「それにしても――」と何気ない調子で話をはじめる。


「ミスとは言い難いけど、セラさんが味付けをミスするなんて珍しいね」


「大和! 食べさせてもらっているというのに軽微のミスを指摘するのは失礼ですわよ!」


「いいんだよ、麗華。味見をするのを忘れたのは事実だから」


「ああ、ごめんごめんセラさん。別に、責めるつもりじゃないんだ。ただ、セラさんにしては珍しいなって思ってね……もしかして、心ここにあらずって感じ?」


 自分の心を見透かしてくる大和に驚きながらも、「そのようです」と苦笑を浮かべてボーっとしてしまったことを認めるセラ――その瞬間、大和の口角は吊り上がる。


「幸太郎君のこと、気になる?」


「……そうかもしれませんね」


 大和の言葉に、セラは力なく大きく嘆息してから認めた。


 いつも以上に気迫のないセラにやれやれと言わんばかりに麗華はため息を漏らす。


 教皇庁呼び出された幸太郎が教皇庁旧本部に向かってから一日が経過したが――ティアたちが幸太郎の護衛にいるのにもかかわらず、セラの不安は強くなっていた。


 その不安が原因で味見を忘れてしまったと大和に指摘されて改めてセラは実感し、再び深々と嘆息すると――麗華はやれやれと言わんばかりに深々とため息を漏らす。


「セラは心配性ですわね。ティアお姉様たちがいるから何も問題はありませんわ!」


「もちろんそう思ってるけど、向こうはアカデミー都市とは勝手が違うし、向こうは向こうで今は混乱しているみたいだから」


「あの凡骨を心配するだけ無駄ですわ。どうせ特に役に立たないまま、勝手気ままにしてお姉様たちに迷惑をかけているだけですわ。そう考えると腹立たしくなってきますわね!」


「――と言いつつ、今日一日だけで大悟さんに何回も連絡を取って、幸太郎君の状況を確認している、心配性ツンデレロールの麗華であった」


「て、適当なことを言わないでいただけます? 私は鳳グループの人間として、風紀委員の人間として状況を確認しているだけですわ!」


 顔を真っ赤にして自分の言葉を否定する麗華に、「はいはい」と大和は適当に流し、更に彼女の口角がいやらしく吊り上がる。


「僕だって心配だよ。ティアさん、幸太郎君を守る気満々だったからね。それはもう寝食をともにする覚悟だったんだよ……いやぁ、僕も多感なお年頃だから色々と想像しちゃうよ。吊り橋効果? 一夜のアバンチュール? まあとにかく、幸太郎君が大人のワンステップを踏むのにはちょうどいい機会なわけだよね」


「さすがにそれはありえませんよ、大和君。あのお堅いティアがそんなこと。それに、幸太郎君を守るのに忙しいのにそんな余裕はありませんよ」


「その通り! 私のお姉様が欲望忠実奇人変態の毒牙にかかる可能性などゼロですわ! ティアお姉様とあの男はビジネスライクの付き合いですわ!」


 わざと仰々しく言って冗談っぽく言っている大和の言葉を、笑いながらセラは否定し、絶対にありえないと麗華は強く否定する。


 そんな二人の反応を待っていたと言わんばかりに、嬉々とした笑みを浮かべる大和。


「そうなのかな? 意外にティアさんって大胆不敵だし、天然なところもあるから、何をするのかわからないよ? そうだよね、セラさん?」


 ……そういえば、確かに……でも、さすがにありえないだろう……

 ありえないよね、ティア?


 幼馴染のティアのことなら自分以上によく知っているセラに大和は意見を求めると、若干動揺した様子で「え、ええ、確かにそうですね」と認めた。


「ビジネスライクといっても、ティアさんは幸太郎君に恩があるからね。それに、何度か幸太郎君と一緒に事件を解決したこともあったし、一度大激しく肉体言語で語り合ったからね。だから、とっくにビジネスライクの関係はもう超えてるし、恩義だけで動いていないし、お互いに信頼していると思うよ。とてもね」


 幸太郎とティアの関係をビジネスライクであると言った麗華だが、大和の言葉に思う所があるのか、苦い表情を浮かべたまま閉口してしまう。


「……そういえば、美咲さんが言っていました。旅行中は全員解放的な気分になり、『いちゃいちゃちゅっちゅちょめちょめ』しやすいと。この場合は不純異性交遊になるのでしょうか?」


「うーん、どうだろうね。本人たちの気持ち次第かな? でも、ティアさんなら感情的や刹那的に考えるわけないし、幸太郎君も自分に素直過ぎるけど他人の気持ちはちゃんと受け入れる器量もあるからね――そう考えると、不純異性交遊には当たらないんじゃないかな」


「それでは、二人の間には――」


「絶対に、確実に、断じて、そんなことはありえませんわ! 私は認めませんわ!」


 大和の言葉を聞いて出した答えを口にしようとしたノエルの言葉を麗華の怒声が遮る。


 麗華の怒声に無表情ながらも気圧されるノエルと、嬉々とした笑みを浮かべる大和。


「……ちょっとティアに連絡します」


「私もお父様に連絡することを思い出しましたわ」


 オムライスを食べるのを中断した真顔のセラは、ティアと連絡を取るために一旦部屋を出る。


 セラに続いて、先程怒声を発したと思えないほど、冷静な雰囲気を纏う麗華は父に連絡を取るために部屋を出た。


「ありがとうノエルさん、ナイスフォローだね。君のおかげで面白いことになりそうだ」


「どういたしまして?」


 自分の思惑通りに動いてくれた二人を見て、満面の笑みを浮かべた大和はフォローをしてくれたノエルに感謝と賛辞の言葉を送る。


 どうして褒められているのかわからないノエルだが、取り敢えず大和の感謝を受け入れて、オムライスを食べることに集中する。


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