第8話

「いいか、コータロー。今後の教皇庁を考えれば無駄になるかもしれないとはいえ、次期教皇というだけで周囲からの注目を浴びる。心技体、我ら次期教皇候補にはそれらが必要であり、お前のように欲求に素直な軟弱者では荷が重いのだ。だからこそ、次期教皇候補としての心構えをじっくり指南してやろう!」


「何だか気合が入ってきた」


「その意気やよし! この私がお前を次期教皇に相応しい漢にすると約束しよう」


 旧本部内にあるプリムとアリシアにあてがわれた部屋でソファに座っているプリムとリクト、その正面に座っている幸太郎、窓際に立っているクロノは集まっていた。


 プリムは次期教皇候補になる予定の幸太郎に心構えを教える決意を見せると、幸太郎もそんな彼女に倣って気合を入れた。


 そんな二人の様子を、離れた場所で苛立った様子でアリシアは眺めていた。


「イリーナさんが明日儀式をするって言ってたけど、どんなことをするのかな」


「何、心配することはない。堅苦しく『儀式』と呼んでいるが形式的なもので、ただ教皇庁縁の場所をいくつか巡るだけだ。儀式を終えた後、正式に次期教皇候補になれるというわけだ」


「観光ツアー?」


「まあそう表現してもおかしくはないが、それでも古よりも続く由緒ある儀式なのだ。ある意味、次期教皇候補としての第一の仕事だ。観光気分では周りはもちろん、リクトや私を含むすべての教皇候補に泥を塗る結果のなることを忘れるな」


 教皇庁縁の地を巡ることに喜んで観光気分でいる幸太郎をだらしない子供を叱る母のように厳しく、それでいて優しめに一喝するプリムに、「はーい」と幸太郎は頷く。


「それにしても、慎重なイリーナ様にしては色々と随分急ですね。空港での騒ぎがあったばかりだというのに……そのことについてアリシアさんはどう思いますか?」


「アタシが知るわけないでしょ。あのタヌキババアの考えていることなんて」


 エレナを狙ったとされる空港での騒ぎがあったというのに、突然幸太郎を次期教皇候補にすると決め、明日に儀式をはじめようとするイリーナの考えが読めないリクトは、ジェリコが注いでくれた紅茶を優雅に飲んでいるアリシアに意見を求めるが、無駄だった。


「まあ、あのババアのことだから腹に一物抱えているのは間違いないわね。ねえ、ジェリコ。物事の流れが読めるアンタは今の状況をどう見るのかしら?」


「ここに来た時から――いいえ、厳密にはここに来る前から流れはイリーナに向かっているように思えます。それも、かなり強引な方法で我々をその流れに巻き込んでいます」


「ふーん……アンタやリクトが言うのなら、今回あのババアはかなり強引な真似をしてるのね」


 ジェリコの意見を聞いて、組んでいた足を組み直したアリシアは妖艶に微笑む。組んだ時にアリシアのスカートの中身が見えたような気がした幸太郎の視線は、彼女のおみ足に釘付けになるが、自分の母親をいやらしい目で見る煩悩塗れの幸太郎の頭をプリムは思い切り叩いた。


「アリシアさんとエレナさんって、イリーナさんと付き合いは長いんですか?」


「まあ、それなりに。というか、だべるなら私の部屋じゃなくて別の場所でしてよ」


「それじゃあ、かなり昔からの付き合いなんですね」


「かなり昔って、そんなに昔じゃないわよ! 喧嘩売ってんの?」


「イリーナさんってどんな人なんですか?」


「会ったならわかるでしょ。ババアよババア。それも老害クソババア」


「アリシアさんとイリーナさんって仲が良いんですね」


「はぁ? なんでそうなるのよ。……まあ、エレナよりかはマシだとは思うけどね」


「どうしてエレナさんとイリーナさんって仲が悪いんですか?」


「それは……色々あったのよ。というかもう質問はいいでしょ。いい加減ウザいわ」


 イリーナを『ババア』と呼びながらも親愛の情を感じて、思ったことを素直に口にする幸太郎に心底ウンザリしながらも、アリシアは一々彼の質問に答えてあげていたが、エレナとイリーナの関係については何も言わず、一瞬だけリクトを一瞥した後すぐに質問を中断させた。


「イリーナ様は今いる枢機卿の方々の中でも一番の古株なんです」


 更にアリシアに質問を続けようとする幸太郎だが、幸太郎の質問攻めで苛立ちのピークに達しているアリシアを気遣い、リクトが代わりにイリーナについて説明する。


「イリーナ・ルーナ・ギルトレート――元々は教皇庁の歴史を記す一族の生まれだったそうです。いつから枢機卿になっているのかは本人曰く、『乙女の秘密』なので不明ですが、まだ教皇庁がレイディアントラストと呼ばれていた頃から、そして、母さんやアリシアさんが子供の頃から枢機卿だったらしいです」


「今も昔も容姿はまったく変わっていないわ。あれは妖怪の類ね」


 リクトの説明を聞いて、自分の子供頃から変わらないイリーナの姿を思い浮かべ、アリシアは心の底から『妖怪』であるとイリーナのことを評した。


「輝石使いの実力も確かです。過去に幾度となく教皇庁の危機を救って何度も聖輝士の称号を授与されましたが、その都度『現場に出張るのは面倒』という理由で辞退しています。しかし、聖輝士でなくとも師事する人は多く、多くの弟子は聖輝士や輝士として活躍を遂げています。イリーナ様の弟子の方々の中でもっとも有名なのが、優輝さんのお父様である伝説の聖輝士・久住宗仁さんと……アルトマンさんです」


「実力が高いだけではなく、おばあさまはカリスマ性も高いのだ! 教皇庁内にいる過激派の連中もおばあさまの言葉にだけは素直に従うのだ。過激派たちが暴走しそうになれば、おばあさまは治めるのだ。もちろん、おばあさまの言うことに従わない不届き者も僅かにいるのも確かだが、それでも過激派の連中が暴走しないのはエレナ様のカリスマだけではなく、おばあさまのおかげでもあるのだ!」


「まあ、本人も過激派のバカの考えに同調している面もあるから、ある意味あのババアも過激派の人間よ。どちらにせよ、あのババアは信用できないってことよ」


 リクト、プリム、アリシアのイリーナについての説明を聞いて、幸太郎は「なるほどなー」と、改めてイリーナが自分の年上であり、すごい人であることを認識する。


「イリーナさん、かわいいだけじゃなくてすごかったんですね」


「あのタヌキババアを『かわいい』ね……バカはモノ好きなのかしらね」


 イリーナをよく知っているからこそ、彼女を『かわいい』と評する幸太郎をアリシアは理解できず、呆れていた。


「リクト君や、クロノ君、プリムちゃん、サラサちゃん、アリスちゃん、みんな僕より年下なのにしっかりして、年上みたいに感じるから、妹みたいに感じられるイリーナさんは新鮮」


「お前が年上のくせにちゃんとしていないからだ」


「ぐうの音も出ない」


 ぐうの音が出ないほど的確なプリムの一言に、幸太郎はただただ笑うことしかできなかった。


「そういえば、幸太郎さんの護衛にブレイブさんとデュラルさんなんですね。あのお二人なら安心できますよ」


「ブレイブさんは良い人そうだったけど、正直デュラルさんはちょっと苦手かも」


 先程はじめて会ったブレイブとデュラルの印象を思い出し、正直な感想を述べる幸太郎。


 真面目な人であるという印象があるブレイブだが、挨拶した時に露骨に不機嫌そうな顔をしたデュラルは苦手意識を感じていた。


「大丈夫ですよ、幸太郎さん。ブレイブさんとデュラルさんは二人ともイリーナ様の弟子で、枢機卿と聖輝士を兼任している方です。ブレイブさんはイリーナ様と同様多くの弟子を率いていて、誰にでも分け隔てなく接して信頼されている方ですし、デュラルさんもブレイブさんと同じく多くの弟子を率いて、実績のある方です」


「リクト君がそう言ってくれると、安心できる」


 父性的――ではなく、母性的な笑みを浮かべるリクトの言葉に、デュラルから感じた苦手意識を霧散することができた幸太郎。


「クロノ君も、ブレイブさんたちなら幸太郎君の護衛を任せられますよね?」


 ブレイブたちについての意見を、幸太郎の護衛の一人である先程から黙ったままのクロノに意見を求めるが、窓の外を眺めたままクロノは反応しない。


「……大丈夫、クロノ君」


「……ああ。何も問題はない。すまない、話を聞いていなかった」


「本当に大丈夫なの?」


「……ああ、大丈夫だ」


 心配そうなリクトから二度声をかけられ、一拍子遅れてようやく反応したクロノは今までのリクトたちの話をまったく聞いていなかった。


 ボーっとして反応が鈍くなることはあっても、話を聞いていないことはあまりないクロノだが――『問題ない』と口では言いながらも、心ここにあらずといった様子の理由を何となくだが察しているリクトとプリムは、彼に何と声をかけていいのかわからなかった。


 僅かに部屋の空気が重くなるが、そんなことなど気づいていない幸太郎は平然とした様子でクロノに話しかける。


「クロノ君。もしかして疲れてる?」


「そうかもしれないな」


「それならお風呂入ろうか。お城っぽい建物なのに、温泉が流れているんだよね。効能はまだよく知らないけど、きっとお風呂に入れば疲れも吹き飛ぶよ」


「それもそうだな……そうさせてもらおう」

 

 自然な流れで旧本部内にある大浴場へと向かおうと画策する幸太郎だが甘く、「ちょっと待て!」とプリムは幸太郎の行動を制止するが、「問題ない」とクロノは平然とそう言い放った。


「前にも言ったが、邪心を感じるお前とリクトやクロノとは絶対に一緒の風呂には入らせん!」


「オレは別に構わない。傍にいれば不測の事態にも対応できる。それに、美咲からできるだけ寝食をともにして奉仕すべきだというアドバイスも受けている」


「ぼ、僕だって同じです! クロノ君よりもしっかりと幸太郎君を奉仕する自信があります」


 淡々と幸太郎に奉仕すると言い放ったクロノに、負けじとリクトも応戦する。


 そんな二人の態度に苛立ち、リクトの発言に幸太郎への嫉妬心を露にするプリム。


「ええい! 護衛なのに奉仕してどうするのだこのアンポンタンたちめ! お前たちのその純粋さがミサキやコータローという邪な人間に利用されるのだ! 母様もそう思うでしょう?」


「……どうしてそこで私に振るのよ。まあ、でも、邪心を抱いている点では同感ね」


 ――そのまま夕食の時間まで入浴についての話し合いが続いた結果、結局、幸太郎は大道とグラン、ジェリコたちと入浴することになった。


 筋骨隆々とした男らしい体系の大道とグラン、細身ながらもガッチリとした体形のジェリコと一緒に温泉に入り、三人から色々と貴重な話も聞けて、男だけが揃った時にしかできない話もできたので面白かったし、彼らと温泉に入ったことでコミュニケーションも取れて友情が深まったと思った呑んで、それで良かったと、満足だと幸太郎は心から思った。


 そう思っていたし、別に不満もなかった。決してなかった――


 だが、男らしい体系の持ち主たちに囲まれ、何だか、残念な気持ちになったのも事実だった。


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