第6話

 旧本部内にある会議室は、アカデミー都市にある最新鋭の技術で建てられた教皇庁本部と比べれば、石造りの床と壁と、使い込まれた木製の長机や椅子のせいで雰囲気は古臭く、若干埃臭いが、それでも趣があって広さは倍以上あった。


 会議室内には複数の長机があり、会議のために集まった多くの枢機卿たちは向かい合うようにして座り、そんな彼らを見下ろすような形の議長席には教皇であるエレナ、その左隣には仏頂面を浮かべている相変わらず過激な服を着ているアリシア、右隣には呑気にも大きく欠伸をしていた幸太郎がいた。


「まったく、良い身分だなアリシア。貴様がこの場所にいるとは」

「それになんだその服装は! もう少し場にあった服装をしたらどうだ! それと、香水で誤魔化しているが酒臭いぞ!」

「教皇の命を狙い、教皇庁を支配しようとしていた貴様がこの場所の敷居を平気で跨ぐとは、厚顔無恥も甚だしい」

「空港での騒動、まさか貴様が裏にいるわけではあるまいな」

「表沙汰にはされていないものの、お前は教皇庁から追放された身であることを忘れるな」

「それも今のお前は鳳グループに属している身。教皇エレナ、私は彼女がこの場にいることは相応しくないと思うぞ」


 会議がはじまって五分程経過しているが、はじまってからずっと枢機卿たちの小言に付き合わされて、我慢の限界に達したアリシアは心底ウンザリした様子で深々とため息を漏らした後、忌々し気に舌打ちをした。


「長々とバカじゃないのアンタら。時間の無駄、もっと有意義な話をしなさいよ」


 不遜な態度のアリシアに枢機卿たちのひんしゅくが集まるが、アリシアはまったく気にすることはなく、彼らを煽るような発言を続ける。


「こんな状況なら、エレナの言う通り教皇庁は潰すべきね。厄介者を排除できたのに、中身がまだまだ古臭くて全然変わってないじゃないの」


「ふざけるな! 教皇庁を身勝手に支配して破滅に向かわせようとした貴様が何を言う!」

「教皇庁の伝統は守り続けなければならない! 教皇庁の歴史を軽んじるな!」

「その通り、私欲で行動したお前が何を言っても説得力はない」


 再びアリシアにひんしゅくが集まるが、どこ吹く風の様子のアリシアは一度大きく鼻で笑った後、射貫くような目で枢機卿たちを睨んだ。


「先代教皇の掲げた利益優先の教皇庁の体制に甘んじて、私益ばかりを追求する腐った枢機卿たちを見て見ぬ振りを続けたアンタらにだけは言われたくないわよ。アタシは自分のやったことに後悔はしていないし、するつもりもないけど、何もしなかったアンタたちよりも、教皇庁のことを考えていたつもりよ」


 アリシアの言葉が事実だからこそ、彼女を罵倒していた枢機卿たちは反論できずに悔しそうな顔を浮かべて押し黙ってしまう。


 アリシアへの非難で騒がしかった会議室内が水を打ったように静かになると――「ヌハハハハハッ!」と豪快な笑い声が響くと、出入り口の扉に近い席から一人の枢機卿が立ち上がり、議長席に座るエレナたちへと近づいてくる。


「まったく、お主は相変わらず痛いところをついてくるな、アリシアよ。それと、そのせくしーな服装をどうにかできないのか。お主はワシに喧嘩を売っているのか」


「わかってるならグダグダ言っていないで少しは教皇庁を変えなさいよ、クソババア」


「このワシを『クソババア』と呼ぶとはいい度胸じゃの、生意気な小娘め」


 若干嫉妬が込められた目で自分の過激な服を睨むように見つめて、不敵な笑みを浮かべながら近づいてくるペッタンロリロリ枢機卿――イリーナに向けて、アリシアはそう吐き捨てた。


 イリーナとアリシア、お互いに悪態をついていたが、二人の間には僅かながらもフレンドリーなものを感じられた。


「『変化』には必ず『混沌』が付きまとい、今の教皇庁に急激な変化に耐える力はない。実際、不和が生まれている現状でそれが明らか――まあ、教皇庁と関係ないお主にこの話を言っても仕方がないだろうがな。さて、この件についてエレナ、お主はどう思う?」


「私たちを呼び出して会議を開いたのはあなたです。早く本題に入ってください」


「相変わらずお主はアリシアと違ってかわいげのない奴じゃ。まあいい――ワシがお主たちを呼び出してこの会議を開いた理由は、エレナが考える教皇庁の変化について異を唱えるというのも一つだが、何よりも重要なのはそこにいる少年じゃ――七瀬幸太郎……おい、幸太郎! 起きろ! 何を寝ているのじゃバカモノめ! 出鼻を挫かれる身にもなるのだ!」


 世間話に応じるつもりのないエレナに促され、すぐに本題に入るイリーナだが――会議のメインである人物の幸太郎は、張り詰めた緊張感が支配する会議室内で呑気に舟を漕いでいた。


 せっかく格好良く決めていたのに、いきなり出鼻を挫かれ、地団太を踏む子供のようにヒステリックな声を上げて幸太郎を起こすイリーナ。


 何度かイリーナに名前を呼ばれても起きない幸太郎だが、隣にいるエレナから「起きてください、七瀬さん」と小さな声で声をかけられ、幸太郎は慌てて目覚めて口から垂れそうになっていた涎を拭った。


「しゃんとするのじゃ幸太郎! お主に関わる重要なことなのだぞ!」


「必死なイリーナさん、かわいい」


「だから子供扱いするなと言っておるじゃろう! ワシを誰だと心得る! ええい! お主と話していると埒が明かない、本題に入るぞ!」


 幸太郎のペースに呑まれて顔を真っ赤にして怒るイリーナ。


 二人の一連のやり取りで緊張感に包まれていた室内の雰囲気が弛緩し、そんな雰囲気を一喝するようにイリーナは「ウォッホン!」とわざとらしく、かわいらしく咳払いをする。


「ここにいる少年こそ、先日から噂されている賢者の石を持つ少年・七瀬幸太郎だ」


 イリーナの紹介で会議室内が沸き、幸太郎に好奇と疑念の視線が一気に集まる。


 枢機卿たちの視線が一気に集まり、幸太郎は照れ笑いを浮かべて「どーも」と頭を下げた。


「ワシはこの少年を次期教皇候補に推薦したいと思っている!」


 イリーナがそう宣言すると同時に、枢機卿たちはもちろんエレナやアリシアにも衝撃が走る。


「伝説の煌石である賢者の石の力を持っているのならば異論はない。彼の力によって教皇庁は大きく変わり、世界を導けるようになれるのかもしれない」


「しかし、本当にその少年の力は賢者の石なのか? 実在するのかも定かではなかったのに、アルトマンの言葉だけを信じて、賢者の石と断定するのは早計では?」

「だが、賢者の石の力を扱えるということは煌石も扱えるということ、教皇候補としては申し分ない。私はイリーナ様の考えを支持しよう」

「私は反対だ。聞けばその少年は輝石使いでありながらも、輝石の力をまともに扱えない。煌石の力は自然消滅する可能性が高いと考えれば、その少年に期待するだけ損では?」

「私も反対だ。次期教皇候補の訓練には危険が伴う可能性もある。ある程度輝石の力を使えなければ、命に関わる」


 幸太郎を次期教皇にするイリーナの考えは賛否両論だが、僅かに賛成の声が多かった。


「教皇庁の庇護下に置けば、輝士や聖輝士の護衛がつけられる。アルトマンたちから狙われている幸太郎の安全を確保するなら、次期教皇候補にすべきだと思うが――どう思う、エレナよ」


、ですか……、あなたは何も知らない人間を利用するつもりですね」


「人聞きの悪いことを言うな、エレナ。ワシは幸太郎のためを思って提案しているのだ」


 騒がしくなった室内を一気に黙らせ、空気を凍てつかせるほどの怒気を纏うエレナの一言に、イリーナは意味深な笑みを浮かべた。


「護衛はブレイブとデュラルに任せようと思う――ブレイブ、デュラル!」


 イリーナに呼ばれて、長身痩躯の色白の整った顔立ちのスーツを着た男が現れてイリーナの隣に立つが――もう一人は中々来なかった。


「ムッ、ブレイブよ、アホデュラルはどうした」


「少々お待ちください……デュラル、何をしている!」


 イリーナにブレイブと呼ばれた長身痩躯の色白の男は小さく嘆息をしながら、奥にある席へと向かい、周囲がフォーマルな服を着ている中、過激な服を着ているアリシアと同じくらい目立つ、素足にサンダルを履き、パーカーと七分丈のスウェットという近所のコンビニに行くような服装の、机の上に突っ伏して眠っているボサボサ頭の男――デュラルの頭を思い切り叩く。


 小汚いほどボサボサ頭の軽薄そうな雰囲気を身に纏うデュラルは緊張感のある場で恥ずかしげもなく大きく欠伸をしながら、「ああ、悪い悪い」と怒りの表情を浮かべて自分を起こしたブレイブに反省の欠片をまったく見せないで謝り、ブレイブとともにイリーナの横に立った。


「優秀なワシの弟子が幸太郎を守ると誓おう。もちろん、ワシも手伝うつもりじゃ。そして、ワシらに加えて聖輝士、輝士たちも警護に回す――この上ないほど頼りになる護衛じゃ」


 エッヘンとぺったんな胸を張って自分を守ると誓うイリーナからは、頼りがいよりも、愛らしさの方を感じてしまい、微笑ましく思ってしまう幸太郎。


 そんな幸太郎を隙のない目で一瞥した後、ブレイブは「よろしく頼む」と丁寧に頭を下げた。


 続けて、目覚めが悪いのか、露骨に嫌そうな顔を浮かべ鋭い目で幸太郎を睨むように見つめたデュラルは、心底不承不承といった様子で「よろしくな」と頭を下げた。


 軽い挨拶をしてくれた二人に、状況をちゃんと理解していない幸太郎は「よろしくお願いします?」と頭を下げた。


「確かに、あなたたちや聖輝士や輝士に警護されれば、アルトマンも容易には手を出せないでしょう。しかし、鳳グループと教皇庁が連携して警護しても同じことが言えるのでは? それに、協力し合えば今後のためにもなります」


「どうかな? 先日の空木家の一件で、お主たちは協力し合いながらも空木家に先手を打たれた。まあ、そういう計画だったのかもしれないが、空木家に踊らされて危ない橋を渡らざる負えなかったのは事実。鳳の手を借りない方が、足並みが揃えて守りやすいのではないか? ――さあ、エレナよ。どうする? ……幸太郎を次期教皇候補にするのか否かを決めてくれ」


 挑発的な笑みを浮かべて痛いところを的確についてくるイリーナを、無表情だが忌々しそうにエレナは睨んでいた。


 誰もがエレナの方へと視線を向け、ただ黙って彼女の判断を待った。


 新たな教皇候補が生まれる瞬間を、全員固唾を呑んで見守り、静けさと緊張感に包まれる会議場内に無表情だが心底不承不承といった様子でエレナは「いいでしょう」とイリーナの提案を呑むことにした。


 新たな次期教皇、それも、賢者の石と持っているかもしれないため、次期教皇最有力候補になれるかもしれない逸材の誕生に沸き立つ室内だが――そんな中、アリシアと、提案した本人であるイリーナは意外そうにエレナを見つめていた。


「……随分、あっさりと決めたようじゃの」


「七瀬さんのためを思えば当然です。それに――これはな処置です」


「一時的というのが気になるが、まあいいだろう。まったく……それくらい毎回素直でいてくれればこちらとしてはありがたいのだがな」


 含みのあるエレナの言葉が気になりつつも、今の流れを止めないために余計なことをツッコまないことにするイリーナ。


 会議室全体が騒がしくなっている中、エレナは「それで――」と淡々と話を進める。


「『儀式』の日程はどうなっているのでしょうか。もう決めているのでしょう」


「儀式は明日にでも行えるように準備は整えている。早急に行えば、その分アルトマンたちも手が出しづらくなるだろう」


「随分早いですね。先程空港の騒ぎがあったばかりだというのに」


「善は急げだ。それに、もし残党が現れてもブレイブやワシもおるのだ。問題はないじゃろう?」


「……確かに。しかし、善は急げとは――あなたにはまったく似合わない言葉ですね」


 無表情ながらもそう吐き捨てたエレナの言葉には、強い憎しみが込められていた。

 その言葉に対してイリーナは何も言わず、「ワシの話は以上だ!」と満足そうな笑みを浮かべながらブレイブとデュラルを引き連れて、エレナたちの前から下がった。


「エレナさん、僕、次期教皇候補になったんですか?」


「すみません、あなたの意思を無視してこんなことになってしまって」


 ようやく状況を掴めた呑気な幸太郎は、自分が次期教皇候補になったことをエレナに確認すると、エレナは無表情ながらも心から申し訳なさそうに謝罪をする。


「ですが、大丈夫です……何も心配はいりません」


「じゃあ、大丈夫ですね」


 先行きが不安で今は何も心配ないとしか言えないのにもかかわらず、自分を信じてくれる幸太郎に、エレナは「本当に不思議ですね」と意外そうに見つめた。


「普通なら不安だと思うのですが」


「エレナさんを信じてますから」


「……そう言ってもらえると幸いです」


 思ったことを素直に口にする幸太郎だからこそ、自分を心から信用してくれていると判断したエレナは無表情の顔を柔らかくさせて微笑んだ。


「エレナさん、笑うとかわいい」


「……からかわないでください」


 微笑むエレナを見ての幸太郎の素直な感想に、すぐにエレナは笑みを消す。


「約束します、七瀬さん。誰にも、あなたには手出しはさせません」


 ざわつく会議室内で、エレナは誰にも聞こえない小さな声でそう誓った。

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