第30話

 呉羽とヤマダ――セラたちが離れた後、二人の間には無言の状態が続いていた。


 その間ずっと呉羽は目の前にいるヤマダを観察するように眺めており、少しでも彼が不審な真似をすれば容赦なく攻撃を仕掛けるつもりだった。


 そのため、ヤマダは迂闊に動くことも、下手な言葉を口にもできなかったが――居心地の悪い沈黙が数分間続いた後、降参と言わんばかりにため息を深々と漏らした。


「このままこの状態が続いても何の解決にもならない。いいのかい、ご主人様の敵を取り逃がしても。最強のボディガードの名前が泣いちゃうんじゃないかな?」


「言ったはずだ、彼らよりも今はお前の方が危険だと」


「否定はしないけどいいの? 今のままだと君のご主人様に怒られるよ――さっきも言ったけど、これは君のご主人様の意思なんだから」


「……武尊の目的は空木家再興だ」


 そうだ……武尊の目的は空木家再興。

 それは間違いない……間違いないはずなんだ。


 ニヤニヤといやらしく笑っているヤマダの言葉を、呉羽は一瞬の間を置いて否定した。まるで、自分に言い聞かせるように。


 だが、ヤマダの言葉を否定できない自分も確かに存在しており、そんな呉羽の迷いを見透かしたヤマダはさらに口角を吊り上げていやらしい笑みを浮かべた。


「ご主人様の武尊君と長い付き合いの君は、ちゃんと武尊君の気持ちを理解しているのかな?」


「当然だ」


「それは嘘だ。君はわかっているだろう? 武尊君の中に眠る激情、憎悪、復讐心を」


 ……そんなこと、もう昔から知っている。

 知っているんだ……


 すべてを見知ったかのように武尊の中に眠るどす黒い感情を口にするヤマダに、激しい怒りを覚える呉羽だが――何も反論できなかった。


 長年武尊と一緒にいたからこそ、武尊のことはすべて理解していた。


 武尊がどんな経験をしてきたのか、どんな思いを抱いてきたのか――それらをすべて武尊のボディガードである呉羽は傍で見ていたからだ。


 しかし、それらを知っていても呉羽は見て見ぬふりをしてきた。


 長年主従関係であり、幼い頃から当主の命令は絶対であると教育されてきた呉羽は、すべてを知っていても知らないふりをしてきた――それしかできなかったからだ。


「輝石使いは大嫌いだが、個人的には武尊君のことは大好きだよ。身の破滅も厭わない、狂った覚悟を抱いている武尊君のことはね! 僕は武尊君をよく理解しているし、武尊君も僕が抱いている輝石使いへの恨みをよく理解してくれているんだ!」


「お前に武尊の何がわかる! 武尊がどんな思いでどんなことを経験してきたのか、何も知らないくせに、武尊を理解しているなどと戯言を抜かすな!」


 クールフェイスを崩して、ヒステリックな声を上げる呉羽を見て、ヤマダは性悪な笑みを浮かべてやれやれと言わんばかりにため息を漏らす。


「確かに君と比べれば僕は武尊君との付き合いは短いけど、自分の立場に縛られている君より僕はちゃーんと武尊君を理解していると断言できる。それに――君は武尊君を理解しているようでいて、何も理解していない」


「ありえない。そんなことは絶対にありえない!」


「君は何も理解していない。この騒動を引き起こした彼が何をするのかを、まったく理解していない! 復讐心のためにすべてを道連れに自滅を選んだご主人様のことをね!」


 自滅? ――まさか……

 いや、ありえない……でも、そんな……


 揺らいでいた呉羽の心に、ヤマダの言葉が嫌に響き渡り、同時に嫌な予感が全身を駆け巡る。


 ありえないと思いたかったが、どんなにそう思いたくても、武尊をよく知っている呉羽は心の奥では、武尊が凶行な手段に出ることは大いにありえると思っていた。


 しかし、それでも否定したかった。


 ――自分に秘密で狂気の覚悟を抱いている武尊を。


「それなら、直接話して確かめるといい……君の知らない空木武尊という人物をね」


 ヤマダがそう言い終えるよりも早く、呉羽はヤマダから離れて武尊の元へと向かった。


 背を向ける自分に向け、ヤマダは高らかに哄笑を上げていたが呉羽は無視する。


 ヤマダを止めなければ空木家を滅茶苦茶にするかもしれないのに、それを無視した。


 空木家のことより――いや、元々呉羽は空木家のことなんてどうでもよかった。


 ただ、今まで呉羽は武尊のことばかりを考えて行動していたからだ。


 だからこそ、自分に何も言わずに凶行に及ぼうとする武尊の元へと急いだ。


 待っていなさい、武尊!

 自滅なんてそんな真似――絶対に許さない!

 あなたが復讐を望むのなら、私がすべてを終わらせる!

 あなたの自滅を防ぐなら、私は何でもする!


 自分に本当の気持ちを言わなかった武尊への怒りと、主の願いならばすべてを排除する黒い感情を抱く呉羽は、道中空木家の人間から助けを求められても、それらを無視して先を急ぐ。


 襲いかかるガードロボットも一撃で破壊しながら、ただ武尊の元へと急いでいた。


 その途中、偶然にも武輝である十文字槍を手にした巴、彼女の傍には村雨と御柴克也と鉢合わせてしまった呉羽だが――どうして部屋に監禁されていた村雨と巴が出ているのかという疑問が浮かばないほど焦っている呉羽は、先へ急ぐ。


 しかし、そんな呉羽を「待ちなさい」と巴は呼び止めた。


 構わずに先へ進もうとしていたが、焦る呉羽を冷静に戻すほどの有無を言わさぬ迫力を込めた巴の一言に、思わず呉羽は足を止めてしまった。


「巴さん、今は無駄な戦闘は避けましょう。呉羽さんも余裕がないようですし」


「宗太君は黙っていて……呉羽さん、君はこれからどこに行くつもりなの?」


 御柴巴、御柴克也、村雨宗太――

 ……こんな時に……


 村雨の制止を振り切って、巴は責めるように呉羽にそう質問をする。


 急いでいるのにくだらない質問をする巴を忌々しく思いながらも、彼女から放たれる有無を言わさぬ威圧感と、無視して先へ進めば余計に時間を浪費すると判断した呉羽は、渋々ながらも質問に応じることにした。


「武尊の元へと向かう」


「何のために」


「武尊の自滅を止める」


「……その後は?」


「武尊の望み通り、空木、天宮、鳳――すべてを滅ぼす」


 それが武尊――あなたの目的なら、私は何でもする。


 淡々と自分の目的を告げる呉羽に、武器を手にした巴は一歩前に出て呉羽を対峙する。


「今、あなたと戦う理由はない」


「空木さんと止めた後、あなたはきっと大和や麗華たちに手を出す――それは絶対に許さない」


「お願い……そこを退いて」


「ごめんなさい。呉羽さんが必死なのは痛いほど伝わったけど、それはできない」


 必死な形相で懇願する呉羽の静かな威圧感に圧倒されながらも、巴は退かない。


 自分の気持ちを理解してくれていながらも、行く手を阻む巴に苛立ちを募らせる呉羽。


「空木君ならきっと大和が何とかしてくれるから大丈夫よ」


「どうしてそこまで言い切れる! 天宮加耶は鳳に対して暗い復讐心を抱えているんだぞ!」


「私は大和をよく知っている。だからこそ、私は大和を信じることができる――呉羽さん、空木君のためにすべてを敵に回そうとする覚悟はよく伝わったけど、それが本当に空木君のためになるの? もっとよく考えて行動しなさい」


 他に方法があるのはよくわかっている。

 でも――それでも、私は……


「ごめんなさい」


 昂る気持ちを無理矢理抑えて、呉羽は行く手を阻む巴と立ち向かう覚悟を決める。


 それを感じ取った巴は、背後にいる父と村雨に目配せをすると――呉羽とぶつかる意思を感じ取り、村雨と克也は力強く頷いた。


「気をつけてください、巴さん……呉羽さんは強い」


「……負けるなよ」


 そう言い残して、村雨と克也はこの場から離れた。


 短い言葉だが、呉羽には二人が巴を信頼しているのが十分に伝わり、羨ましさを覚えていた。


 巴を心から案じている村雨と、ぶっきらぼうな優しさを見せる父の言葉を受けて、全身から力を漲らせる巴。


 御柴巴――ティアリナ・フリューゲルと肩を並べるほどの実力の持ち主であることは呉羽は十分に理解していた。


 お互い実力伯仲で、不意打ちを仕掛けて辛くも勝利したティアの時とは違い、焦りを無理矢理抑え込んでいる状態で呉羽は勝利への不安を抱くが――今はただ、武尊の元へと向かうためだけを考えるようにして、その不安を断ち切った。


「時間がない。すぐに決着をつけるぞ、御柴巴」


 言い終えると同時に呉羽は目にも止まらぬスピードで巴に飛びかかって先制攻撃を仕掛ける。


 あっという間に間合いを詰めてきた呉羽の姿を捕らえていた巴は、彼女を迎え撃つ。




―――――――――




 安全な場所に幸太郎を連れ出すために、セラ、ノエル、クロノは襲いかかるガードロボットを排除しながら屋敷から出ようとしていた。


「アンプリファイアの力を受けて、七瀬さんは何ともなかったんですか?」


「うん。全然平気。すぐに検査も終わったし」


「……他に何かされましたか?」


「何もされなかったよ」


「それはよかったです」


「心配してくれてありがとう。ノエルさんに心配してもらえると何だか照れる」


「七瀬さんが捕らえられて胸の中がモヤモヤして重たかったのですが……それが、『心配』だったんですね。なるほど、確かに私は七瀬さんを心配していたようです」


「そう言われると何だか照れる。改めて助けに来てくれてありがとう、ノエルさん」


「そう言われると、何だか照れてしまいます」


 人質にされている間のことをノエルが幸太郎に尋ねていたのを聞いて、「それにしても――」とセラは周囲を警戒しながら、浮かんだ疑問を口にする。


「もっと詳しく検査をすると思っていたんですが、短時間で終わるとは意外ですね」


「アンプリファイアの力を受けても何も反応がなかったから、早々に切り上げたのでしょう。おそらく、詳しい検査はアルトマンたちに任せようとしたのではないでしょうか」


「しかし、賢者の石の力は空木家だけではなく北崎さんたちも欲しているはずなのに、すぐに詳しい検査をしなかったのは気がかりです。昨日の段階で私たちがここに攻め入る可能性も大いに考えられたというのに」


「お互いの最終目的が賢者の石ではなかったということなのではないでしょうか」


 何気なく自分が口にした疑問に、わかりきっていると言わんばかりに淡々とノエルは答えると、「確かに、そうかもしれませんね」とセラは納得していた。


 二人の会話を聞いていたクロノは「七瀬」とノエルに変わって質問をする。


「他に何か気になることはなかったか?」


「昨日の晩御飯のすき焼きと、朝御飯の鯛の焼魚が出てすごく美味しかった」


「……それ以外だ」


「武尊さんと呉羽さんと話したよ」


「どんな話をした」


「二人ともとっても仲が良かった。武尊さんは何となく麗華さんと大和君に似てるし、呉羽さんは巴さんに似てる。だから、きっとみんな仲良くなれると思うよ」


「……他には?」


「ちょっとエッチなことを言うと、呉羽さん、顔を真っ赤にさせてかわいかった」


「もういい。期待したオレがバカだったようだ」


「もっと話したいことあったのに」


「……わかった。後でなら存分に聞いてやろう。だから、そんな顔をするな」


「クロノ君、優しい。……男母おかあさん?」


「それはリクトだろう。バカを言っていないで先へ進むぞ」


 淡い期待を壊す能天気な幸太郎の答えに、無表情ながらもクロノは呆れ果てていたが、話を遮られて少しがっかりしていた幸太郎の子供のような姿を見ていたら、胸がざわざわとして放っておけなくなり、渋々ながらクロノはフォローを入れてしまった。


 自分のフォローに無邪気に喜び、リクトのように『男母さん』と幸太郎に呼ばれて、無表情ながらも嬉しく思い、照れてしまっているクロノはその感情を隠すようにして先へと急いだ。


「――いやぁ、みんな仲良しで青春してるねぇ」


 そんな幸太郎たちの背後から、憎悪を宿した殺気とともに仲睦まじい彼らを茶化すような声が響き、振り返ると――そこには、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたヤマダタロウが立っていた。


 ヤマダの登場に、即座にセラ、ノエル、クロノは守るようにして幸太郎の前に立ち、現れたヤマダを激しい敵意が込められた目で睨むように見つめた。そんな中、幸太郎は「どーも、ヤマダさん」と呑気に軽く会釈をして挨拶をした。


「昨日は運良くクロノ君たちを出し抜いてアカデミーから連れ出すことができたけど……さすがに、この状況じゃ昨日みたいな幸運はやってこないかな? ――まあ、昨日の幸運は君たちがあえてしたものだったから、僕の幸運とは言い難いか」


 わざとらしくため息を漏らしてそう言いながらも、ヤマダは余裕な笑みを浮かべていた。


「昨日と状況は違うのであなたに勝ち目はありません。兵輝という特殊な武器を使っていますが、あなたと私たちの戦力差は覆せません。なので、大人しく投降することをオススメします」


「確かにそうだけど、七瀬君の中にある賢者の石の力を解明すれば、『兵輝』は更なる得られるって北崎さんは言っていたんだ。僕にこの力を与えてくれた恩に報いるためにも、ここは退けないかな? ――勝ち目はなくともチャンスはあるからね」


 淡々と厳しい現実を突きつけて投降を促してくるノエルだが、ヤマダは退かない。


 まだ自分にはチャンスがあるとヤマダは思っていたからだ。


「ノエルさん、クロノ君。ここは私に任せてください」


「拒否します」


 ヤマダがいまだに余裕な理由に気づいたからこそ、セラはノエルとクロノにそう告げた。


 もちろんセラの意見に真っ向から対立するノエルだが、クロノは違った。


「ノエル、ここは大人しくセラに従うべきだ――その理由はオマエもわかっているだろう?」


「しかし、七瀬さんを守るのが私たちの役目です」


「回復したとはいえ、本調子ではなく、依然オレたちはアンプリファイアの影響下にいる。いつまた戦闘不能になるかわからない。そんな状況でオレたちは足手纏いにしかならない」


「……わかりました。渋々ですが、彼の相手を任せます、セラさん」


 自分でもよくわかっている現実をクロノに突きつけられ、霧氷所ながらもノエルは心底不承不承といった様子でヤマダの相手をセラに任せた。


「ノエルさん、クロノ君……幸太郎君をお願いします、あなたたちが守ってください」


「わかりました。任せてください……ご武運を」


 ヤマダをじっと見据えながら懇願するセラに、ノエルは何も文句を言うことはなく、力強く頷いて彼女の言葉に従った。


 ノエルとクロノが幸太郎を連れてこの場から離れようとした瞬間――ヤマダは兵輝である右腕の形状を複数の銃身を持つガトリングガンに変化させた。


 そして、ガトリングガンに変化させた銃身が火を噴き、光弾が発射される。


 迫る光弾にノエルとクロノは慌てることも、振り返ることもなく先へ急ぐ――背後にいるセラが何とかしてくれると信じていたからだ。


 二人の期待通り、乱射される光弾すべてをセラは武輝である剣で撃ち落とした。


「お前の相手は私だ。幸太郎君たちに手出しはさせない」


「はぁ……参ったなぁ。さすがに君が相手は厳しいね」


 どすの利いた声でそう告げるセラに、ヤマダは諦めたように仰々しくため息を漏らした。


 戦闘開始前から諦めムードを漂わせるヤマダだが、すぐさま狂喜的な笑みを浮かべてガトリングガンを発射させた。


 迫る光弾を武器で撃ち落としつつ、セラはヤマダに向かって疾走する。

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