第9話
「加耶の手料理を食べてみたいなぁ」
「ごめんね、まだまだ花嫁修業が足りないんだ」
「それでもいいよ。アーンってしてくれるかい?」
「フフ、ダーリンは甘えん坊さんだな♥」
「ハニーの前だけさ、甘えてしまうのはね」
「かわいいなぁ……ねえ、ダーリン?」
「ん? どうしたんだい、ハニー?」
「フフフッ! 何でもないよ。ただ呼んでみたかっただーけ」
「HAHAHAHAHAHAHAHA! ハニーはかわいいなぁ!」
空木家が用意した、胃が持たれるほど甘い雰囲気のリムジンの車内で第三者が聞けば誰もがイライラするか、気持ちの悪いと思えるほどの猫撫で声でイチャイチャしている大和と武尊。
「明日の結婚式楽しみだなぁ。男として育てられていたけど花嫁衣裳を着るのが夢だったんだ」
「ハニーの期待を裏切らない豪勢なドレスと特別なイベントを用意しているからね。特に、キャンドルサービスにはかなり凝っているから楽しみにしてよ」
「わぁ、そんなこと言われるとすごく期待しちゃうよ! それにしても急遽決まったことなのに、随分と準備が早いね?」
「君との結婚を待ち焦がれていたんだよ。そのせいでプランナーには随分と無茶をさせてしまったんだ。彼には報酬を弾ませないとなぁ」
「僕、有言即実行で計画性のある人って大好きなんだ。ダーリンのこと惚れ直しちゃった♥」
「私もハニーの夢がお嫁さんだなんて、かわいらしすぎて惚れ直しちゃったよ」
「それなら、『僕』じゃなくて、女の子らしく『私』って言った方がいい?」
「いいよ。ハニーはハニーのままで。私は今のままのハニーが好きなんだから」
「ダーリン……僕も、今のダーリンが大好きだよ」
忌々しいほどイチャイチャして、改めて惚れ直すバカップルの唇が契りを交わす前だというのに徐々に接近する――が、突然車が急停車して邪魔をされてしまう。
愛するハニーの前で不機嫌を露にしないように努めながら武尊は運転手に注意をしようとすると――フロントガラスに行く手を阻む麗華が立っていることに気づいた。
仁王立ちしている麗華にどうすればいいのか運転手は困惑した様子で武尊に視線を向ける。
「ハニー、どうやら君の幼馴染が我々の恋路を邪魔しているようだ」
「まったく……僕が決めたことだって何度も言っているのにそれがわからない麗華にはもうウンザリだよ。ねえ、ダーリン、どうにかできる?」
かわいらしく上目遣いで麗華の対処を頼む大和に、武尊は「任せてくれよ、ハニー!」と意気揚々と車から出た。
「あなたに用はありませんわ! 大和、いるのなら出てきなさい!」
車から出た瞬間にヒステリックな甲高い怒声を張り上げる自分など眼中にない麗華に、武尊はやれやれと言わんばかりに仰々しくため息を漏らして肩をすくめて見せた。
「人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られるって知らないのかい?」
「どうでもいいですわ! とにかく大和を出しなさい」
「彼女は君に心底ウンザリしている。僕に君の対応を任せたのも、そんな君に会いたくない気持ちからだろう。だから、ここは彼女の気持ちを汲んでくれないかな?」
「あなたの戯言に構っている暇などありませんわ!」
武尊の制止を振り切って、大和が乗っているリムジンに近づこうとする麗華だが、婚約者に対処を頼まれている武尊はそれを許さない。
邪魔だと言っているような鋭い目で睨みつけてくる麗華の迫力に気圧されることなく、武尊は煽るように軽薄そうな笑みを浮かべていた。
「退きなさい、邪魔ですわ」
「邪魔なのは君だよ鳳麗華。加耶は鳳グループや君ではなく私たちを選んだのだ」
「村雨さんを人質に取っておきながら選ばれたとは勘違いも甚だしいですわね」
「それを言われてしまうと反論に苦しんでしまうけど、その件はきっと加耶にとって切欠なんだよ。君たち鳳への復讐のね――わかるだろう? 加耶の中にはまあ復讐心が眠っているんだ」
勝ち誇った笑みを浮かべる武尊の一言に麗華は黙ってしまう。
悔しそうな表情を浮かべて押し黙る麗華を見て、自分の言葉を十分に理解していると判断した武尊はいやらしく口角を吊り上げた。
「その反応を見ると、私が言わなくても理解していたようだね」
「……あなたに大和の――加耶の何がわかりますの?」
「確かに君以上に加耶を理解できる人間はそういないだろうが、私には理解できるよ? 加耶の抱いている復讐心がね」
おどけた笑みを浮かべながら言った武尊の台詞だが――軽薄な光を宿している瞳が一瞬だが暗く澱んだものに変化したのを麗華は気づき、同時にその瞳から放たれる重圧感に気圧される。
「それを理解しているからこそ、私は加耶の居場所になれるんだ。燻ぶった復讐心を抱いている彼女にアカデミーでの居場所は存在しない」
「自分が加耶の居場所になれるなど、随分と自信がおありのようですわね」
大和の居場所はアカデミーに存在しないと高らかに宣言する武尊を見て、麗華は笑う。
今まで反論ができなかったのにもかかわらず、妙に勝ち誇ったようでいて、武尊を見下すようでいて、同時に憐れむような笑みを麗華は浮かべていた。
「居場所なければ自分で作ればいいだけの話! それを知らないほど、できないほど、加耶は弱くはありませんわ! さあ、加耶を――大和を出しなさい!」
真っ直ぐと迷いのない瞳で麗華は武尊を睨みながら、輝石が埋め込まれたブローチを自身の武輝であるレイピアへと変化させて、華麗なポーズを決める麗華。
結局力で解決しようとする麗華に、それ以上に彼女の言っている意味が理解できい武尊は一度疲れたように大きくため息を漏らしながら、「呉羽」と自身のボディガードの名を口にする。
自身の名を呼ばれたリムジンの助手席に座っていた呉羽は車内から出て、武輝を手にした麗華から庇うようにして武尊の前に立つ。
「それじゃあここは君に任せるよ、呉羽」
「お待ちなさい!」
自分を無視して車に乗り込む武尊を追おうとする麗華だが、後のことを任された呉羽が道を阻む。
「ごめんなさい……ここは通さない」
機械的でありながらも僅かに罪悪感を宿した声で謝罪をする呉羽はブレスレットにつけられた輝石を武輝である、自身の身長の二倍はある長い柄の槍に変化させた。
すぐにでも武尊を追いたい麗華だが、呉羽と対峙して下手に動けなかった。
静かだが圧倒的な力の気配を身に纏っている呉羽の前で下手に動けば、すぐにでも倒されてしまうと麗華は判断していたからだ。
両者の間で膠着状態が続いている中、大和と武尊が乗り込んだリムジンが発進する。
呉羽と対峙している状況で、離れ行く車が麗華の横を通り過ぎるのを黙って見送ることしかできない麗華は悔しそうな表情を浮かべるが――
「ここは私に任せろ」
「てぃ、ティアお姉様! どうしてここに!」
クールな声とともに呉羽の背後から武輝である大剣を担いで登場した人物――ティアリナ・フリューゲルの姿を見て、悔しそうだった麗華の顔がパッと明るくなる。
「無茶な真似をしようとするお前を心配したセラが、私にお前の監視を頼んだんだ。まったく……アイツの予想通りだったようだな――さあ、早く行け」
セラの予想通りに動いた麗華にティアは呆れるが、麗華の気持ちを汲んで先へ向かえと促す。
自分のピンチに颯爽と登場してくれたティアを称えて抱きしめたい気持ちを今は抑え、心の中で気遣わせてしまったセラへの謝罪をしつつ、麗華はリムジンを追った。
そんな麗華を止めようとする呉羽だが――一部の隙のないティアを前にしてそれができない。
輝石の力で身体能力を向上させた麗華の脚力で徐々にリムジンの後部が近づいてきた。
このまま一気に車の前まで跳躍して、車を再び止めようと考えた麗華だが――
そんな麗華の全身に突然緑白色の光が纏いはじめる。
「な、何ですの、突然! こ、これは、アンプリファイアの――」
自身の全身に起きた事態に驚きつつも、感じたことのある力の気配に気づいた瞬間――全身に駆け巡っていた輝石の力が急に消え失せ、同時に脱力感が襲い、意識が遠のいた。
情けなく地面に崩れ落ちた麗華は這いずってでも車を追おうとする。
だが、すぐに手にしていた武輝が輝石に戻ると同時に、麗華の意識が途切れてしまった。
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