第3話

 一部の髪が癖でロールしている美しく煌く金糸の長髪をたなびかせながら、鳳グルートップである鳳大悟の娘・鳳麗華おおとり れいかは鳳グループ本社の社長室へと続く通路をドシドシと不機嫌そうな大きな足音を立てて、早歩きで向かっていた。


 気の強そうな可憐な麗華の表情は今にも激情が爆発しそうなほど不機嫌なものになっており、未熟児が見たら泣き出しそうなほどの鬼の形相だった。


 道中、社長の娘である麗華に媚を売ろうとした何人かの社員に出会ったが、全員が彼女の修羅のような表情を見て、何もしていないのに一言謝ってから一目散に逃げた。


 目的地である社長室の前に到着するや否や、敬愛する父がいる社長室の扉を不躾にノックもしないで「失礼しますわ!」と、勢いよく扉を開いて部屋に入った。


 部屋に入るとリグライニングチェアに腰かけている大悟の無感情な視線と、大悟と机を挟んで立っているニヤニヤとした軽薄な笑みを浮かべている大和の視線、そんな大和の隣に立っている静かな怒りが込められた巴の視線が麗華に集まった。


萌乃もえのさんから話は聞きましたわ。本気ですの? お父様」


「もちろん本気――」


「シャラップ! あなたには聞いていませんわ!」


 先程鳳グループ幹部であり、アカデミーの校医を務めている萌乃薫もえの かおるから聞いた話の真偽を、責めるように問う麗華。ニヤニヤと笑う大和が答えようとするが、ピシャリと麗華が遮った。


 有無を言わさぬ麗華の気迫に苦笑を浮かべることしかできない大和は「巴さーん」と、隣にいる巴に助けを求めるが、怒る麗華の気持ちが理解できる巴は無視をした。


 麗華は空木家という一族に人質に取られた村雨を救うために、大和を空木家当主である空木武尊に嫁がせるという件の真偽を確かめるために父に会いに来た。


「ああ。そのつもりだ」


 娘からひしひし伝わってくる怒気に気圧されることなく、淡々と大悟は答える。


「わけのわからない相手だというのに本気で大和を嫁がせるつもりですの!」


「大和が決めたことだ」


「そうだとしても、本当にそれでいいと思っていますの?」


「手荒な真似をすれば空木に集まっている天宮との溝がさらに深まるだけではなく、教皇庁にも迷惑がかかる。今のところそれしか手段はない」


「し、しかし! 鳳グループや教皇庁が動けなくとも、わたくしたち風紀委員に頼ればいいのでは? 国の組織である制輝軍せいきぐんと違い、私たちはどこの組織にも属していない中立的な立ち位置! 私たちを良いように利用すれば、人質にされた村雨さんの奪還という大義名分で動けますわ!」


「風紀委員と言えどアカデミーにいる生徒が所属していることには変わりない。両組織の圧力を撥ね退けられても、外部では別だ。ただでさえ連続して発生した事件で外部からの評価が下がっているというのに、教皇庁と鳳グループが組んで日が浅く、盤石な基礎をまだ築けていない状況で下手な真似をすればアカデミーの信用に関わる」


「言わせていただきますが、お父様! 少しばかり慎重すぎるのではありませんの? 教皇庁という強力な協力者を得ているのならもっと強気に出るべきですわ! 確かに空木家はいくつかの会社を設立して資金や人間関係も充実させているらしいですが、私たちや教皇庁に比べれば地べたに這いずる虫のようなもの! 私たちの力で踏み潰せばいいだけですわ!」


「強引な真似をして村雨に危害が加えられる可能性もあることを忘れるな」


「で、ですが……それでも、大和を強引に嫁がせるのは反対ですわ!」


 敬愛する父の判断を真っ向から否定して非難する麗華だが、人質となっている村雨のことを持ち出されて何も言えなくなってしまう。しかし、それでも麗華は納得できない。


 現実を突きつけられて心底悔しそうな表情を浮かべる麗華を見て、クスクスと煽るように笑う大和。


「巴さんと同じことを大悟さんに聞いて、同じ言葉で返されて何も言えなくなるなんて、なんだかおかしいなぁ。僕なら別に心配しなくても大丈夫なのに」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる大和に、麗華は鋭い視線を送る。


 麗華の一方的な怒気が大和にぶつけられ一触即発の空気が室内に流れるが――「茶化すのはやめなさい、大和」と巴が宥め、ピリピリした空気は一気に霧散する。


 そして、冷静に勤めながらも静かな怒りを滾らせている巴は大悟に視線を向ける。


「小父様には申し訳ありませんが、麗華の言葉を聞いて改めて思いました――私は大和を空木家に差し出すのを反対します」


「そうですわ、お父様! 私も反対しますわ!」


 麗華と同じく論破されながらも、改めて大和を空木家に差し出すのを反対する巴。


 巴という大きな味方を得て、強気に出る麗華。


 意思を曲げるつもりのない二人の様子に大悟は無表情ながらも小さく嘆息して呆れている様子であり、大和は心底楽しんだ様子でニヤニヤと笑っていた。


「麗華と巴さんが何と言おうと、僕が決めたことなんだから文句は言わないでもらいたいな」


「そうだとしても、一人で勝手に決めるのは納得できませんわ!」


「ありがとう、麗華。こんなにも僕のことを心配してくれるなんてね」


「確かに心配ですわね! 何を企んでいるのかわからないあなたが天宮の人間が集う空木家の元へ向かうのが!」


「何を心配しているのかわからないけど、僕は村雨君のためにと思っているんだけどなぁ」


「フン! 今のあなたが何を言っても信用できませんわね!」


「それってどういうことなのかな? それじゃまるで僕が――」


 ヒートアップする麗華と大和。


「HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA! これこそまさに友情、美しきかな!」


 このままだと議論が進まないと思い、再び巴が間に入ろうとすると――場違いなほど軽快な拍手とうるさい笑い声と、芝居がかった声が室内に響き渡る。


 議論に集中して来訪者に気づかなかった麗華たちは、声の主に視線を向けると――扉の前には見慣れぬ二人の人物が立っていた。


「いやぁ、私の婚約者は良い友達を持っているようだね! 羨ましい限りだし、心強い友達がいて誇らしいよ!」


「君が空木武尊君かな? はじめまして、会えて嬉しいよ未来の旦那様♥」


「私の方こそ会えて嬉しいよ、加耶。はじめまして、未来のマイハニー! 君が結婚を決めたと聞いていても立ってもいられずにアカデミーにまで来てしまったよ!」


 拍手の主である王子様風の服を恥ずかしげもなく着込んだナルシシズム溢れる空気を全身から溢れ出している美少年・空木武尊は暑苦しいほどハイテンションな様子で、婚約者である伊波大和――天宮加耶に躍るような足取りで近づいた。


 そんな武尊の背後には、影のように寄り添うスーツを着た長身の美女がいた。


 均整が整ったスタイルの長身の美女は、セミロングヘア―の黒髪を後ろ手に束ね、長めの前髪から見える鋭い瞳は武尊を見つめたまま動かず、せっかくの美しい顔立ちが無表情と身に纏う張り詰めた空気のせいで冷たく感じられた。


「写真で見るよりもずっときれいだよ、加耶」


「僕も同感。写真で見るよりもずっとカッコいいよ、武尊さん」


「おおぅ! 嬉しいことを言ってくれるなぁ、この子猫ちゃんめ!」


「もー! ダーリンこそ、そんなに褒めないでよ! 照れちゃうじゃないか」


「HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA! かわいいなぁ、ハニー!」


 初対面だというのに意気投合して、身を寄せ合ってイチャイチャしている大和と武尊。


 人目もはばからずから放たれる甘ったるい空気に苛立つとともに、招かれざる客dである武尊に不審な視線を向ける麗華たち。そんな麗華たちの視線にわざとらしく遅れて気づいた武尊は、「おおっと、失礼失礼」と大和とイチャイチャすることを名残惜しそうに中断した。


「はじめまして、皆さん。私が空木家当主であり、ここにいる加耶の婚約者! 空木武尊でございます! どうぞお見知り置きを! そして彼女は私のボディガードである呉羽くれはだ」


 芝居がかった口調でバカ丁寧に頭を下げながら自己紹介する武尊に紹介され、スーツを着た美女の呉羽は軽く会釈をする。


 自己紹介を終えて頭を上げた武尊の眼前に麗華は腕を組んで立った。


 自分の前に立つ麗華に向けて武尊は値踏みするような目を向けると、麗華は嘲るような目で睨み返して「フン!」と勢いよく鼻で笑う。


「あなたが空木武尊ですの? 当主の割には頭が悪そうに見えますわね!」


「HAHAHAHAHAHAHA! 鳳のお嬢様は中々手厳しい! しかし、よく言われることなので別に気にしてません! ですが、私のことを知れば知るほど評価は鰻登りになっていくのですよ! あなたもそうでしょう?」


「……何が言いたいのですの?」


「おっと、失礼! 別にあなたが愚かに見えると言っているわけではないよ! あなたは実に美しいし、とても聡明に見えるよ! HAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!」


 自身の嫌味を気にすることなくあからさまな皮肉で返され、麗華の額に青筋が浮かぶ。


 自分の挑発に乗ってきた麗華を見て、武尊は煽るような笑みを一瞬浮かべた後、仰々しくため息を漏らして肩をすくめて見せた。


「どうやら鳳のお嬢様は私のことがお気に召さないようだ。マイハニーの大切なお友達に気に入られないとは何たる悲劇!」


「当然ですわ。どこの馬の骨かもわからない、弱小一族に大和は嫁がせませんわ」


「弱小とは手厳しい! まあ、あなたたちと比べれば事実ですし、一度はどん底まで落ちぶれたのでそう言われてしまうのは仕方がありませんがね! HAHAHAHAHAHAHA! しかし――醜い内輪揉めで周囲からの信頼を失って教皇庁に頼らざる負えなかった鳳グループとは違い、落ちぶれながらも、周囲の力を借りずに一族だけの力で信頼を勝ち取り、のし上がってきたことは評価していただきたいかな?」


「……何が言いたいのですの?」


 嘲笑を浮かべて鳳グループを見下す発言をする武尊のあからさまな挑発に乗る麗華。


 一々突っかかってくる麗華に武尊は楽しそうでありながらも煽るような笑みを浮かべる。


 二人の間に一触即発の不穏な空気が流れはじめ、麗華は明確な敵意を武尊にぶつける。


「おおっと、失敬。つい、本音を口に出してしまったよ。思っていることを言ってしまうのが私の悪い癖でね。申し訳ない、弱小一族が故に少々不躾だったようだ」


「思っていることではなく、わかりやすい嫌味を言うのがあなたの悪い癖でしょう? ――やはり、内も外も下品なあなたの思い通りにさせられませんわ! 大和は渡せませんわ」


「それは君が決めることじゃないだろう? 私のハニーが決めたことだ。ハニーの親友と言えども部外者は黙っていただきたいなぁ。それに、村雨君もいることを忘れないでくれ」


「今ここであなたを人質にして、村雨さんと交換するのも手の内の一つですわよ」


「飛んで火にいる夏の虫かな? ハニーとの結婚が決まって忘れていたよ! HAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!」


 輝石が埋め込またブローチを握り、輝石を武輝ぶきに変化させようとする麗華を見て高らかに余裕そうに笑っている武尊だが――「でも――」と急に笑いを止めた武尊は射貫くような鋭い目を彼女にぶつける。


「そんな強引な真似、君にできるかな?」


 不敵な笑みを浮かべて放った言葉と同時に、麗華は背後に殺気を感じる。


 咄嗟に振り返ると、そこには武尊のボディガードである呉羽がいた。


 機械のような冷たい目をした呉羽は、主人に危害を加えようとする麗華の背後に音もなく忍び寄り、取り押さえようとする――


「そこまでよ――いい加減にしなさい」


 だが、麗華を取り押さえようとした呉羽の手を、一人彼女の移動に気づいていた巴が掴んだ。


 自分の手を掴む呉羽の鋭い目と、静かな敵意を込めた巴の視線が交錯する。


 麗華と武尊、巴と呉羽――四人の間の空気が張り詰めるのを感じた大和は、楽しそうに彼女たちの様子を眺めていた。


 一触即発の空気のまま膠着状態が続いていたが、「もういいだろう」と大悟の放った一言に四人は緊張を一斉に解いた。


「確かに大和はお前と婚約するつもりだ。それで満足か?」


 話を淡々と進めながらも探るような隙のない目で自分を見つめる大悟に、含みのある微笑を浮かべる武尊。


「そうだったそうだった。その確認をするために遥々アカデミーに来たんだった。確認ができてよかったよ、大悟さん。それだけ聞ければ満足だ」


「式はいつにするつもりだ」


「有言即実行が私のモットーなんだ! 早い方がいいと思って式場の準備もしてるから、何事もなければ明後日くらいかな? 明日にでもハニーを我が家に迎え入れようと思ってるんだ」


「村雨の身柄はいつこちらに渡してもらえる」


「我々の結婚式が終わるまで彼の身柄は拘束させてもらうよ? ああ、安心して。約束を無碍にするつもりはないからさ」


「村雨は無事なのか?」


「先に開放した二人も言っていたと思うけど、村雨君は丁重にもてなしているよ。まあ、自分の置かれた状況が罠だと思って睡眠も食事も取らなくて衰弱していたけど、ようやく今日一眠りして体力がそれなりに回復したみたいだよ――さて、聞きたいことは以上かな?」


「天宮家を集めて何が目的だ」


「彼らはただの結婚式の出席者だよ。出席者たちをたくさん募って結婚式は賑やかなものにしないと」


「お前は何が目的だ」


「先代当主の目的を果たすだけだよ――それじゃあ、僕たちはこれで」


 意味ありげな笑みを浮かべて自身の目的を告げ、大悟との淡々とした短い会話を終えた武尊は呉羽とともに部屋から出ようとする。しかし、立ち去る前に武尊は大和に視線を向けて微笑みかけた。


「ああ、そうだ。セントラルエリアにある高級ホテルのスイートルームに泊まっているんだけど、よければハニーも一緒に来て泊まらないかな? 忘れられない夜にしようよ」


「もう、ダーリンったらエッチだなぁ! まだ式も挙げていないのにそういう関係になるのはどうかと思うよ。でも、お誘いありがとう、ダーリン♥」


「おおっと、そうだったそうだった! 申し訳ない、少々気が早すぎてしまったよ! HAHAHAHAHAHAHA! それではまた明日!」


 勝利を確信しているような高らかな笑い声とともに武尊は呉羽とともに部屋を出た。


 武尊が部屋から出て一分後――麗華の怒りの叫びが鳳グループ本社中に響き渡った。

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