第2話
夕日が沈む頃、アカデミー都市の中央に塔のようにそびえ立つ、アカデミーを経営する巨大な組織の一つである鳳グループ本社内の最上階付近にある、必要最低限度のものしか置かれていない質素で寂しい社長室に二人の人物がいた。
一人はソファに鳳グループトップである、深々と腰かけ、後ろ手に髪を撫でつけている全身から冷たく張り詰めた空気を身に纏う無表情の壮年の男――
もう一人はテーブルを挟んで大悟の対面に座り、彼から放たれる緊張感を気にすることなく軽薄な笑みを浮かべて紅茶を飲んでいる、中性的で整った顔立ちのアカデミー高等部男子専用の制服を着た少年――ではなく、少女の
「――空木武尊はお前と婚約を結びたいそうだ。伊波大和としてではなく、
「まあ、そうなるだろうね。大体予想はできたよ」
突然の話に動じることなく大和――天宮加耶は軽薄な笑みを崩すことなく紅茶を啜っていた。
「村雨を人質に取られている以上、こちらに残されている選択肢は僅かだ」
「今は相手に従うことが重要だからね。村雨君には色々と迷惑かけたから、覚悟は決めてるよ」
「罪滅ぼしのためなら、もう少し考えろ」
「ちゃんと考えた結果の答えだから大丈夫」
軽い調子で自分を犠牲にする選択を選んだ大和を大悟は不安を僅かに宿した瞳で見つめる。
つい先程、鳳グループの協力者である村雨とともに行動していた
村雨を解放する条件として空木家当主・空木武尊は、この国最古の輝石使いの一族であり、天宮家の当主の忘れ形見――天宮加耶との結婚を申し込んできた。
鳳グループとともにアカデミーを運営する巨大な組織・教皇庁に相談して対策を練ったが、結局最適解の選択肢は見当たらなかった。
だが、そんな状況で大和は相手が提示してきた選択肢を快く受け入れ、そんな大和の判断を大悟は無表情ながらも納得していない様子だった。
「本当にいいのか?」
「覚悟はしてる。別にいいよ」
「……大丈夫なのか?」
「しつこいなぁ、大悟さん。幸太郎君みたいだ。僕なら大丈夫だって」
「それなら結構だ。お前の勝手にすればいい」
「それじゃあ、勝手にさせてもらおうかな?」
「ただ、相手はどう行動するのかはわからない。油断をするな」
「はいはい。まったく、おとーさんは心配性だなぁ」
「茶化すな」
「大丈夫だって。それに……村雨君だけじゃなくて、天宮家も関わってるなら、僕は何としてでも彼らの暴走を止めないといけないからね」
軽い調子であっても大和の決断が揺るぎないものだと感じ取った大悟はこれ以上何も言わずに、彼女の決断に任せることにした。
――今回の騒動には天宮家も関わっていた。
天宮家は鳳家に古くから仕えていたが、天宮家の持つ輝石以上に強大な力を持つ
そんな天宮家の人間が空木家に集まり、何かを企んでいるという情報もあったので、天宮家当主の娘として伊波大和――天宮加耶は行動しようとしていた。
「それにしても、『空木家』か――名前を聞くまで、存在を忘れていたよ」
紅茶を飲みながらしみじみとそう呟く大和に、大悟は「同感だ」と頷く。
「空木家の人間や、空木武尊とは会ったことはないのか?」
「さっき武尊君の写真を見るまで顔も知らなったし、会ったことないと思うよ。僕が生まれた頃には天宮と空木はだいぶ疎遠になっていたからね。空木って名前だけは子供の頃に話を聞いて存在は知っていたけど、聞いたのはそれきりだし正直忘れていたよ。大悟さんは?」
「今は亡き先代空木家当主と幼い頃に一度会ったきりだ。あの頃はまだ鳳や天宮は空木家と多少の縁があった」
「ということは、先代鳳のご当主は天宮だけじゃなくて、空木家も利用しようと考えたのかな?」
軽薄でありながらもどこか陰のある笑みを浮かべながらの大和の一言に、「そうだろうな」と大和以上に陰のある表情で同意を示す大悟。
二人から発せられる淀んだ刺々しい空気が室内を包み、沈黙が続く中――「それにしても――」と重くなった空気を壊す大和が妙に明るい声を上げて暗い空気と沈黙を打ち破った。
「顔の見えない相手と婚約するなんて、昔のお姫様みたいだね」
「状況を考えろ」
自分の置かれた状況を心底楽しんでいる様子の大和に釘を刺す大悟だが、愉快そうな大和の笑みは崩れることはなかった。
「真面目だなぁ、大悟さんは。こんな時はポジティブに行かなくちゃね」
「……前向きなのは結構だが、村雨のことを忘れるな」
「もちろんだよ! 大悟さんこそ、僕の好きにしろって言ったことを忘れないでね」
妙に楽しそうな大和の様子を見て、大悟は深々と憂鬱そうにため息を漏らす。
巨大な組織を束ねる身として不安や迷いを抱いても、それらを吐露したり表に出したりすることはなかった大悟だが――大和の姿を見ていたら言いようのない不安に襲われてしまう。
そんな大悟を見て、大和はさらに楽しそうに微笑んでいた。
――――――――
鳳グループ本社内にある、一人で使うには十分すぎる広さの豪勢な一室を機密情報が書かれた資料の束や、生活感溢れるインスタント食品のゴミなどで散らかり放題の鳳大悟の秘書を務めている御柴克也の私室。
大悟と同い年であり、成人した娘がいるとは思えないほど若々しく、人相の悪い外見の男・
空木家に関して特筆すべき事柄が書かれていない資料に克也は忌々し気に舌打ちをすると同時に、ノックもしないで勢い良く扉が開かれた。
扉が開かれると同時に息を切らせて現れたのは艶のある長いクロマイを後ろ手に結った長身の女性――克也の娘である
凛々しくも気品溢れる美しい顔立ちを焦燥と不安でいっぱいにさせて、縋るように目で自分を見つめる娘に、克也は居心地が悪そうにため息を漏らした。
「宗太君が人質になっているって本当なの?」
予想通りの質問に、妙に落ち着き払っている克也は「ああ」と淡々と頷いて答えた。
そんな父の態度が気に食わなかったのか、巴の表情に激情が噴き出す。
「どうしてそんなに悠長でいられるのよ! 大体宗太君に無茶をさせるからこんなことになったんじゃないの?」
「今は喚いてる――」
「それよりも、宗太君を助け出す手段は考えているの? 早く助けに行かないと!」
「わかってる。ちゃんと手段は考えてるし、ついさっき開いた会議で教皇庁にも協力を求めた。だから、取り敢えずお前は落ち着け」
「で、でも……」
「……大丈夫だ」
感情的になった後、すぐに泣き出しそうな表情になる巴。
弟も同然の人物が人質になっている状況で軽いパニックになっている巴は、普段の凛々しく、率先して周囲をまとめる彼女の姿からは信じられないほど弱々しいものになっていた。
そんな娘の姿を見かねた父の放った不器用な優しさの込められた「大丈夫」の一言に、娘は僅かに落ち着きを取り戻す。
「水月涼子と銀城光陽が言うには、人質でありながらも自分たちと村雨は丁重にもてなされていたと言っていた。そう考えれば村雨は無事である可能性が高いし、人質として役に立つからあっちもすぐに物騒な真似はしねぇよ」
「そう、なのかな……」
「ああ。それに村雨は鳳グループの一員でいくつかの機密情報も握ってる。周りもそう簡単に村雨を見捨てるような真似はしないし、させねぇよ――だから、大丈夫だ」
父の言葉にだいぶ勇気づけられたのか、巴は先程までパニックになっていた表情を柔らかくさせながらも、すぐに顔と気を引き締めて「それで――」と話をはじめる。
簡単にいつもの調子に戻った娘を単純だと思いつつも、克也は小さく安堵の息を漏らす。
「それで……宗太君を人質に取ってる連中は誰なの?」
「空木家――手元にある資料じゃ詳しいことはわからないが、『天宮』とは親戚関係の一族らしい。一年近く前に先代当主が亡くなっちまって、先代の子供の空木武尊が後を継いだそうだ」
「宗太君を人質にとって空木家の人間は何をしようとしているの?」
「空木武尊の目的は天宮加耶――大和との婚約だそうだ」
村雨を捕らえた空木家の目的が自身の幼馴染である大和との婚約であるということに、巴は虚を突かれて一瞬沈黙してしまうが――すぐに我に返る。
「いくつかの会社を経営していてかなりの金持ち一族らしいが、昔と比べてかなり落ちぶれているらしい。大方、天宮と繋がりを持って自分の一族を再興するのが目的なんだろうな」
「バカバカしいわね。自分が利用されるとわかっていて大和がわざわざ結婚するはずがないわ。大体、結婚ってお互いをちゃんとよく理解してからするものだし、デートもしていないし、手もつないでないのにするものじゃない。それなのにいきなり結婚してき、キスもして、そ、それ以上のこともするなんて……ダメよ。そんなのダメに決まってる!」
「いい年して色恋をしたこともない生娘が結婚を語るな。それに、変な妄想をするな」
「うぇっ! べ、別に妄想してたわけじゃないし、結婚も本で読んだ知識を元に言っただけよ!」
「……お前、普段からどんな本を読んでるんだ」
結婚やそれ以上を考えて一人顔を赤くして暴走している生娘に克也は呆れる。
生暖かい父の視線に気づいた巴はわざとらしく「コホン!」と咳払いをして話を本筋に戻す。
「と、とにかく、空木家の対応について何か決まってるの?」
「さっき開かれた会議で決まったことだが、大和は空木武尊の要求を呑むそうだ」
「……それ、本当なの?」
一瞬の間を置いて言い辛そうにして放った父の一言に、信じられない巴。伊波大和という幼馴染をよく知っているからこそ、大和が簡単に相手の言いなりになるとは考えられなかった。
「すぐにでも空木家の屋敷に乗り込むべきだという声も上がったが、村雨が屋敷にいるとは限らないし、下手に乗り込めば村雨の身が危ないし、派手なことをしちまえば組んだばかりの教皇庁に迷惑がかかる。それに――今回の件には天宮家も若干だが関わってる。鳳グループとしても、大悟個人としても事を荒げたくないと思っている」
鳳グループと教皇庁が強固な協力関係を築き上げ、変化の真っ最中のアカデミーの状況を考慮して、無茶な真似はできないことをよく知る巴だが、それでも大和なら相手の思い通りに利用されるとは考えづらかったが――天宮家の人間が関わっているのなら話は別だった。
普段は軽薄で責任感が薄い大和だが、天宮家当主の娘としての責任感は多少ながらにも存在しており、かつてはそれを利用されたこともあったからだ。
再び大和が利用されることを知り、巴の中に沸々とした空木家への――同時に、良いように利用されるつもりのらしくない大和への怒りが湧き出てくる。
「村雨たちは捕まる前に空木家の屋敷に向かい、空木武尊が散り散りになった天宮の人間を集めて何かを企んでいる証拠を見つけて捕らえられたそうだ」
「天宮家のために大和はまた利用されるの?」
「落ちぶれても天宮家は鳳グループが持つ煌石・『無窮の勾玉』の正式な所持者だし、それを自在に操れるのは『御子』の大和だ。大和と婚約すれば天宮家と一緒になって自分たちが正式な無窮の勾玉の所持者だって大義名分を掲げて、アカデミーに何かしらの行動を起こせるんだ」
「……そんなの絶対に許せない」
胸糞悪そうに空木武尊の目的を推測する父の気持ちに巴は同意を示し、静かな怒りを纏う。
幼馴染が利用されるのを、幼馴染が傷つくのを巴はもう許せなかった。
だから、一度大和と会って話をするつもりで父の前から立ち去ろうとした。
「大和なら社長室で大悟と話してるぞ」
「……ありがとう」
幼馴染を思って静かに昂る娘の気持ちを察して、克也は嘆息交じりに大和の居場所を教える。
自分の気持ちを察してくれた父に感謝の言葉を述べ、振り返らずに部屋から出て行く巴。
「……バカ娘が」
簡単には抑えられなさそうな怒りを娘から感じ取り、憂鬱そうに深々とため息を漏らしながら克也は呆れた様子でそう呟いた。
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